第3章(4)
訃報板と呼ばれる黒板がある。地下への入口の、扉のそばの壁にある小さい黒板だ。この黒板が久しぶりに更新されていた。
ニール・ライオス(二十八)、ロイド・マッケイン(二十六)。
赤いチョークで、そう書かれていた。
そんな名前だったか、と俺は思った。
姓というのはこの時くらいしか目にしない。以前の世界では重要なものだったが、今ではほとんど意味をなさない。辛い記憶を呼び起こすとの意見から、普段の生活で姓を呼ぶことは控えられている。俺もそれには賛成だった。
もうひとつ、その隣に白いチョークで、サリー(反省室、一週間)とあった。
「反省室って、サリーさん、どうしたんだろうね」
隣で見ていたイブが言った。俺は「さあ」と応える。
反省室は地下の最下層にある部屋だ。その扉は鉄格子がはめられており、外から鍵がかけられるようになっている。要するに牢屋のことだな。問題を起こした者が、懲罰のため入れられる。
「サリーさん、培養肉を食べないんだって。お芋だけじゃ体に悪いよ」
心配そうな声色だ。反省者は女だから、食事や身の回りの世話は女性がやってるんだろう。そこからの情報かな。
心配そうなイブには悪いが、俺は苦笑した。
サリーは、あの芋もユビグラム組み換えで出来たのを知っているんだろうか。地下でも育てられるように改良された結果、安定な収穫が望めるようになった。その事実を知ったら彼女はどうするんだろうな。
朝番を終え、帰宅する。今日の俺は機嫌が良かった。日光浴の予定がイブと一緒だ。明るくて涼しいあの部屋で、誰にも気を遣わず過ごせる機会なんてなかなかない。
「チャフちゃん、おかえり」
ハナ婆が話しかけてきた。いつも俺なんてガン無視の癖に。珍しいこともあると感心していると、続く言葉にげんなりした。
「連絡係から伝言よ。ライズさんが呼んでいるって」
そういうことかよ。じゃないと俺に挨拶なんてするもんか。はいはい、と言ってまた部屋を出ていった。
「お呼びですか、リーダー」
地上には、何故かシブレットがいた。ソファにはクミコ婆ちゃんが横たわり、その周りにリチア婆と、日光浴の婆ちゃんたちが寄り添っている。なんだか妙な雰囲気だ。
「最近、きみたちばかりに迷惑かけて悪いんだけどね」
机の前に整列した俺たちを見て、ライズが口を開く。
「いえ、仕方ないですよ」
シブレットが呼応するのを俺は横目で見る。仕方ない? 仕方ないって何だよ。そう思っていると、突然後ろが騒がしくなる。
見ると、クミコ婆の首に何か白い飾りが掛けられ、婆ちゃんたちがすすり泣いていた。そこでやっと、俺は奇妙な雰囲気の意味がわかる。
「突然苦しんでさ、どうしようもなかった……サファーさんは、心筋梗塞だろうって」
シブレットの声は震えていた。施設が始まってからずっと一緒に生活してきた婆ちゃんだ。その辛い心境は、想像に難くない。
しかしどうして俺が呼ばれたんだろうか。俺はクミコ婆ちゃんとは関わりもない。このプチ葬式に呼ばれる縁は全くない。
「きみたちにお願いしたいんだ」
困惑している俺に配慮してくれたのか、ライズは沈黙を破ると、端的に述べた。
「クミコさんを埋めてきて欲しいんだ」
基地の周りは、古ぼけたレンガ造りの建物が並んでいる。道に敷かれた石畳はところどころ剥がれて、そこから黄茶けた草が噴出すように生えている。シブレットは婆ちゃんを背負って歩く。俺は大きなシャベルを二つ抱えて後に続く。
「いつもニールさんとロイドさんがやっていたんだ」
シブレットは、静かにそう言った。
「力仕事だからさ、あのふたりが適任だったんだ」
階段を下ると、コンクリート製の建物が見えてきた。俺たちの施設とよく似ている。
「これが噂の病院だな。ニールさんたちは病院送りも担当してた」
病院か。嫌な響きに顔をしかめる。白い外壁に、鉄格子のはめられた窓。病院とは名ばかりで、治療設備もなにもない。反省室を大きくしたようなところだ。
ただ、倉庫にいくらかの備蓄食料と、部屋には冷房設備がついているらしい。せめて苦しまずに逝って欲しい、との願いからの最大限の配慮だ。
「今は中には誰もいないはず。遺体は一週間後にニールさんたちが確認して、消毒後に埋めてるんだ」
知らなかった。あの男たちにそんな作業が振られていたなんて。俺は白い建物を凝視しながら、入口の前を横断した。
「ここか」
施設の角で、シブレットは足を止めた。俺も追いついて覗き見る。広くて平坦な土地が広がっていた。そこにポコポコと規則的に山が生えている。
初めて見る。これが墓地か。背中に寒々しいものが這い上がってきた。シブレットは山を一つずつ辿っていく。
「あ、これ、ダン爺ちゃんだぜ、懐かしい! リナちゃんはその次だったのか、そっかぁ」
丁寧に、文字の掘られた石が置いてある。名前と享年、没年月日が刻まれた石は、少し土をかぶっていた。
思い出話に興じながら、歩を進める。やがてホセ・ヤクリと書かれた石の横、いくつか穴が掘られている場所にたどり着いた。
「この穴……」
語らずとも、俺たちは同じ想像をしたのだろう。これは墓穴だ。時間短縮のためなのか知らないが、先んじて掘られているんだ、これから埋める死者の分を。
無言で、婆ちゃんを穴に横たえた。被せるための土もそばに置いてあり、俺たちは彼女を容易に埋めることができた。
用意されていた石に、シブレットが文字を刻む。クミコ・リンドウ(七十八)、二千五十年八月十八日没。
安らかに眠れよ、婆ちゃん。俺たちは手を合わせて祈った。
「なあ、チャフ……」
徐ろに、口を開くシブレット。
「俺たちは、どの穴に入れられるのかな……」
彼の目線は、右に続く無人の穴に向けられていた。五つほど墓穴は整えられており、入居者を待ちわびている。
俺が答えられないでいると、彼は立ち上がってシャベルを抱えた。
「少し、掘って帰ったほうがいいのかな。時間かかりそうだし」
「やめろよ!」
俺は思わず怒鳴っていた。シブレットは絶句すると、力なくシャベルを下ろす。
「そうだよな、後でいいよな……」
まるで、自分の墓を掘るみたいだ。シブレットのそんな姿を見たくなかった。
とは言っても。俺はシャベルを担いで立ち上がる。俺たちがここに入れる可能性は低いんじゃないか。
ニールとロイドは結局ここには入れなかった。たくさんの墓穴を掘りながら、彼らは自分の穴に入ることができなかった。
「ニールさんとロイドさんも、入れてやりたかったな」
シブレットはそう呟いて、帰り道に足を向ける。
「そうだな」
俺もその背に続いた。
俺たち外班は、外で死ぬ確率が高い。
これまでにかなりの人間が外で死んだ。外で死ねば遺体は腐る、急激な速度で。骨だけになった仲間を拾いに行く元気のある者はほとんどいない。墓に入れてもらえるのは普通、中で死んだ者だけだ。
「でも、どっちでも、同じなんだ……」
つい考えが、口をついてしまった。シブレットが不思議そうに振り返る。
墓に入ろうと、その場で腐ろうと、骨になることに変わりはない。
そうだろう? なんて言えるわけもない。
「何でもない」
俺は笑って誤魔化した、声だけの乾いた笑いを投げ掛けて、基地への帰路についた。




