第2章(5)
「ユビグラム解析は、教会の魔術を科学的に解明しようとする研究から生まれ、シフト・クラウジウス博士によって一般応用できる段階にまで発展しました」
まずは歴史から、とサファーは言い、カツカツと黒板を鳴らす。几帳面な文字が整然と並んでいく。
「初期論文の発表からわずか二十年で、ユビグラム解析は目覚ましい進歩を遂げました。今や関わっていない分野はない、とまで言われています」
医療、農業、産業分野――黒板は次々と埋まっていく。
アスリートの適性検査、と書きかけて、彼女は一瞬手を止めた。少し迷ったあと、「培養肉」と書き足す。
科学賞の受賞、社会的評価、輝かしい歴史が続く。
だが、生徒たちの視線は明らかに冷えきっていた。
「現在は残念な事態に陥っていますが、ユビグラム解析が人類にとって重要な発明であることに変わりはありません」
その言葉で歴史は打ち切られた。
――“残念な事態”で片付けるか。
大胆だな、と俺は思う。
「歴史については、このくらいで……何か質問は?」
勢いよく手が挙がった。
指名されると、中年の男が立ち上がる。
「サファー先生。我々が聞きたいのはその先です。その“残念な事態”について、先生の見解を」
挑むような態度で言い切り、男はどかりと座る。
サファーは苦笑した。
「一般的な見解がどういうものかは承知しています。ですが……」
一瞬、視線が揺れる。
やがて彼女はまっすぐ俺たちを見た。
「わたしたちの立場としては、ユビグラム解析と今回の事態の因果関係は証明されていません。証明されていないことを断言することはできません」
どよめきが起こる。
「ユビグラム解析があったから起きた、というよりも――ユビグラム解析があったから原因が解明された、と考える方が正確ではないでしょうか」
拒絶の空気が広がる。
だが、俺は妙に納得していた。
なるほどな。
ユビグラム解析がなかった世界を持ち出さない限り、“原因”とは言い切れない。
こんな理屈に頷いているのは俺くらいかと思ったが、隣のイブも真剣な顔をしていた。
ざわめきが大きくなる。
そのとき――
ガン、と激しい音が響いた。
一斉に前を見る。
ライズが、にこやかな顔で立っていた。
手には木槌。机は無残に凹んでいる。
なんで木槌なんて持ってるんだ、あいつ。
「ほかに質問は?」
場内が静まり返る。
「ないようだねぇ。じゃあ先生、続けようか」
「は、はい」
異論は出なかった。
「ユビグラムは、この世界の上位次元に広がる平面世界です。その世界は暗号で構成され、他にはなにもありません」
黒板に記号が並ぶ。
「暗号は七つの基本記号から成り、三つ組で意味を持ちます。鎖状に連なり、存在を規定します。一次元の鎖は折り畳まれ、二次元構造をとり――」
急激な眠気に襲われ、俺は首を振る。
周囲は妙に背筋を伸ばして聞いている。
視界の端で、金色の光がちらつく。
――一体どういうつもりだ。
監視するようなライズの態度が気にかかった。
眠気を押し戻すためにも、そちらのほうに意識を持っていくことにする。
あいつは″中立派″だったはず。
ユビグラム解析を導入したのは生活のため。度重なる批判の声にも真摯に耳を傾けていた。
こんな態度をとることは今までなかった。
ランプが揺れる。
浮かび上がるライズの顔は、いつも通り穏やかだ。
俺の気にしすぎかな。たまたま今日、そんな気分だっただけなのか。
念仏のようなサファーの話はまだ続いている。
気が付くと、数人の姿が消えていた。
「ここまでで、なにか質問は……」
今度は誰も手を挙げない。サファーはやはり苦笑いを浮かべる。
「今日はここまでにしようか」
ライズののんびりした声が響いた。
周りの視線に釣られて時計を見ると、一時間ほど経っていた。
ライズはサファーと交代するように前に出ると、いつも通りの笑顔で言った。
「どうせ明日も霧だろうから、明日もやろうねぇ。同じ時間にここに集合ね」
不満の声が上がりそうになるが、自主的にしぼむ。
「いま居ない人にも言っておいてね」
ライズはそう付け加えると、解散、と言い渡した。
「……ねぇ、さっきのあれ、なんだと思う?」
廊下に出ると、ささやきが広がる。
「急にこんなの、おかしいじゃん」
「なんかリーダー恐くなかった?」
近くの会話がはっきり聞き取れた。声からして、例の青年組だとわかる。
「あのガキが告げ口したんじゃねーか」
えー、とわざとらしい相槌。
「ねちっこい真似しやがって。めんどくせーな」
ガキというのはキューのことだろう。
さすがに暴力沙汰に発展したのはまずかった、という話のようだったが……。
俺は首を傾げた。
あのプライドの塊のようなキューが告げ口なんかするかな。
したとして、勉強会という流れは彼の提案ではないだろう。あんなに時間を惜しんでいたあいつが、こんな無駄なことをやりたがるわけがない。
「チャフ、面白かったね!」
隣で一人、目を輝かせているイブ。
「明日も楽しみだねぇ」
それには同意しかねる。
俺は曖昧に笑って誤魔化すことにした。




