第2章(4)
雨はまだ降り続いている。今日でちょうど一週間だ。
窓からの景色は一面の霧の海で、大降りなのか小降りなのかもよく分からない。
俺の近くには二人の子供がいた。たまにしか見られない濃霧を、興味深げに眺めている。
たしか、六つか七つくらいだったか。俺たちが集団生活を始める直前に生まれた子どもたちだ。
可哀想に、と大人は言うが、こいつらはこの生活しか知らない。暇の潰し方も、空腹の耐え方も、誰よりも上手い。
案外、一番幸せなのはこいつらなのかもしれない。むしろ中途半端に餌付けされた若者たちのほうが辛いんじゃないか。
まあ一応、俺もその範疇に入るわけで、この考え方は不幸自慢みたいであまり好きじゃない。
ずっと部屋に籠っていると気が滅入るから、気分転換に一階へ上がってみたわけだが、珍しくライズの姿がなかった。
彼はいつもこの場所で、飽きもせず外を眺めている。
一体何が見えるんだろうと同じ場所に立ってみたものの、今日は霧で何も見えなかった。
「ライズはいつも海を見てるんだよー」
「お魚の話をしてくれるよ。サンマって魚がおいしいんだってー」
ライズらしい話だ。子供たちは、異様に目の出た青い魚の絵を見せてくれた。
「俺はあまり好きじゃなかったな。骨がいっぱいあって食べにくいんだ」
「そうなの? ライズは頭からばりばりいくんだって言ってたよー?」
さすが豪快だな。俺は口の中に骨が突き刺さる妄想に襲われて顔をしかめた。
「骨? 骨って固くて食べられないよ」
「ライズは牙があるから大丈夫なのかな」
子供たちは真剣に議論している。
そうか。こいつらは魚を食べたことがないから、想像がつかないんだ。魚はたまに捕れることは捕れるが、力仕事をする男や病人が優先される。
魚について真面目に議論する子供たちが可笑しくて、俺はしばらく耳を傾けた。
しかし次第に、胸の奥がじわりと冷えていく。
こいつらは、かつての生活を知らないまま死んでいくのか……。
そのほうが幸福なのかもしれないと理屈では思うが、納得できない自分もいる。
どちらが幸せなんだろう、と考え込んでいると、ぽかぽかと頭を叩かれた。
「やっぱり、チャフが嘘ついてんだー! 骨なんてあるもんか!」
「嘘じゃねーよ! サンマは骨だらけだ!」
「じゃあライズが嘘ついてんのー?」
「いや、あいつはきっと……」
ばりばり食ってるんだろうな。その光景は容易に想像できた。
「じゃあやっぱり、お前が嘘だー!」
はしゃぐ子供たちは楽しそうだ。
ふと、キューのしかめ面を思い出す。
あいつはここへ来てから、楽しいと思う日があるんだろうか。
こいつらみたいに、無邪気に過ごせる瞬間はあるんだろうか。
「あ、いたいたー。チャフ」
階段からひょっこり顔を出して、イブが手を振っている。
久しぶりに顔を見た気がして、俺は緩む頬を押さえながら彼女のもとへ駆け寄った。
「どうした?」
「あのね、リーダーが集合だって」
雨の日に? 珍しいこともあるもんだ。俺は子供たちに別れを告げてから、イブに続いて階段を降りた。
「集合って、どこに?」
「会議室だって」
会議室? そんな部屋あったか。記憶を辿るが、そんな言葉は思い当たらない。
イブは迷いなくアリの巣のような地下通路を下り、一室の前で立ち止まった。
「ここだよ〜」
サファーの研究室の隣だ。そこはたしか空き部屋だったはずだ。昔は誰かの部屋だったが、人数が減るにつれて使われなくなった部屋のひとつだ。
「遅れてすみません」
イブが扉を開けると、すでに仲間が集まっていた。奥の壁には黒板が設置されている。仲間たちは一面に敷かれた茣蓙に座り、黒板のほうを向いていた。俺たちもそれに倣って腰を下ろす。
「みんな、お集まりありがとう」
黒板の前に立つライズが、部屋をぐるりと見渡して目を細める。
俺たちが最後らしい。部屋には比較的若い連中ばかり、二十人ほどしかいない。
一体何の集まりだろう。
「雨の日ばかりで暇だろうと思ってね、勉強会を開くことにしたんだ」
勉強会? 周囲がざわつく。
「せっかく首都から偉い先生が来てくれたのに、もったいないかなあって思ってさ」
どうぞ、と手招きする。奥の暗がりから人影が現れた。土汚れで黒ずんだ白衣が見えた瞬間、空気がわずかに張り詰める。
「みなさん、こんばんは〜」
青銀の髪をかき上げてはにかんだのは、案の定サファー博士だった。
「今回の勉強会は、わたしからライズさんにお願いして開催することになりました」
どういう風の吹き回しだ。場内に、目に見えない不安が広がる。
「皆さまの貴重な電力を分けていただきながら、どのような研究を行っているのか、ご説明したことがなくて……」
指を弄りながら、申し訳なさそうに口ごもる。
「今回、ようやくまとまった結果が得られたので、その成果発表と」
やや早口に言うと、ニンマリと笑うライズに目配せした。
「みなさん、ユビグラム解析のことはほとんどご存じないと伺ったので、拙いながら基礎からの勉強会の講師も務めさせていただきます」
「ほら、拍手拍手!」
ライズに煽られ、仲間たちは困惑しながらも周囲を窺う。やがて、まばらな拍手が部屋に響いた。




