毒と色香のスペシャリスト
中華人民共和国。
主要都市の一つ、上海の夜景が、広いガラス一面の窓の向こうに広がっている。市内を流れる河川・黄浦江を行き交う遊覧船の灯りが水面を揺らし、その奥では摩天楼が宝石のように輝いていた。その煌びやかで幻想的な景観は、日本の科学特区にも似ている。
上海屈指の五つ星ホテル。どの部屋も高級な施しをされているが、特に最高位の上客をもてなす最上階のスイートルームは、街の喧騒とは別世界だった。磨き上げられた大理石に天井まで届くガラス窓、眼下に広がる摩天楼の光。ここは富豪や外交官、そして裏社会の大物たちが密談を交わす場所でもある。
そして部屋は、男女の情熱的な吐息に包まれていた。大理石の床には柔らかな間接照明が落ち、重厚な調度品が並ぶ室内にはわずかに紅茶の香りが漂う。
「――――」
肌身に衣装はまとわず、生まれたままの姿で揺れる銀髪の女。左目の涙ぼくろが艶めかしい。うつ伏せで見上げる彼女の視線の先には、ほうれい線の入った東アジア系の男が呼吸を荒げて腰を突き動かしている。
このスイートルームで、親子ほどに年の離れた男女が甘い一時を過ごしていた。
銀髪の女は、男の目尻のわずかな力みを察して、
「んっ。秘密、教えてくれたらこのまま果てていいよ」
「いや、それは……ッ」
男の瞳孔が揺らぐが、女は優しく彼の頬を撫でた。
「すっごく気持ちいいのに。いいの?」
身体を、豊満な胸を揺らして誘う女は、声の音色で、匂いで、身の動きで、男の心をすでに掌握していた。
男は身体を揺すり、みっともなく唾を撒きながら大きく口を開けて、
「――――――――――――」
それを聞いた女はくすっと笑った。
「んっ……ご褒美、あげないとね。どうぞ」
その言葉を引き金に、男はぐちゃぐちゃに乱れた表情で、何秒にもわたって果てるのであった。きっとその時間は永遠のようなもので、そして儚く一瞬のものでもあるのだろう。
が、
「お邪魔しまーす」
ドンッ! ドアを蹴破って現れたのは金髪をサイドテールで結った少女。中国語で雑なあいさつをするのと同時に男の背後に近づき、呆気にとられる男の首にロープをかける。
「なにを――ッ」
男がギョッと目を丸くするが、助けを呼ぶ間もなく、ロング丈の赤いドレス衣装に身を包んだ――ルシア・フォーゲルは、腕に力を込めて男を絞め殺した。
「ごめんね。でもキメながら果てられたんだから悪くない人生だったんじゃない?」
無駄のない手つきで男の遺体をベッドの下に移したルシア。彼女の隣にあるマーブル模様のガラスのテーブルには、注射器と白い粉が雑に置かれていた。それはたった今裸で横たわる女が男に使ったもの。
「もー、ちっとは隠してよ~。堂々と見せつけないの。年頃の女でしょ?」
「なんで? 一緒にお風呂入るでしょ」
先ほどの情熱的な音色が嘘のように、抑揚に欠いた声で答えたのは、銀髪の少女――ソフィア・フォーゲル。
「お姉ちゃんのえっちを見るの、ほんと慣れないんだけど。どんな顔をすればいいんだか」
「なんで? ムラムラするから? 見ながら自分で弄っててもいいのに」
「し、しないから! みっともなくて死ねるし、それ! 任務中に慰めるヤツがいるか!」
ツッコミながらもルシアはソフィアの下腹部を見ると、ティッシュを何枚か手に取り、
「ちゃんとピル飲んでからヤッた?」
「ううん。水太りするからやだ」
「こーら! ちゃんと避妊しないとダメ! 何回堕ろしたと思ってるの? ソフィアが傷ついちゃうんだよ」
年齢は同じだが、ソフィアが長女でルシアが次女。ルシアは本気で姉を心配しながらソフィアの下腹部をティッシュで拭い取る。男の欲がしっかりと吐き出されていた。
「別にいいよ、また堕ろせばいいし」
「はぁ、やれやれ」
姉の身体をおおよそ綺麗にしてから、ドレスコードとなるロング丈の青いドレスを着せてあげるルシア。ソフィアは服の構造を理解することに少々難があり、こうして衣装の着衣を手伝うのは日常の一つでもあった。
「こいつが吐いた情報は私も聞いたよ。正しそう?」
「クスリを打ち込んであげたからたぶん合ってると思う。本気でナカに出したかっただろうし、嘘はつかないんじゃない?」
衣服を整えたソフィアはさらっと答える。
「まったく、えげつない方法だこと」
ソフィアは色香に加え、毒や薬物のスペシャリストでもある。たった今殺害したターゲットの男は、かねてから《楔》が狙うマフィア組織《天竜会》の幹部の一人だった。欲しい情報を聞き出すため、ソフィアは自らの肉体を使いながら薬物で本能を揺さぶり、的確に聞き出したのだ。
「んー、あった」
ルシアは男が着ていた衣服を漁ると、カードを探り当てた。おそらくアジトの施錠されたエントランスのカードキーだろう。これを得ることも男を殺害した目的の一つ。
「死体も持ってく? 顔認証あったら鬱陶しいし」
「ルシア、おんぶしてって」
「いや重いし。首切断してキャリーケースに詰めてくか。まーここからアジトは……近いようだし、怪しまれずに行けるんじゃない?」
「よろしく」
「はーい」
《楔》での序列はソフィアが四位で、ルシアが六位。ソフィアの指示と判断が優先される。ルシアは持参している鉈のような刃物で男の首を綺麗に切断し、専用の薬剤で止血。ビニール袋に頭部を入れてキャリーケースに詰める。
そうして簡単に打ち合わせを済ませたソフィアとルシアは、高級部屋を出てエレベーターに乗り込む。ルシアの手には黒いキャリーケース。その中に男の頭部が詰め込まれていることなど、同乗するホテルの客は知る由もない。
ホテルを出て二人は身動きの取りやすい《楔》の衣装に着替え、目的地に徒歩で向かう。歩いて十五分ほどの場所に、マフィア――《天竜会》のアジトはあった。アジトとはいっても香港映画に出てくるような汚らしい倉庫ではなく、見かけは一般的な十階建てのオフィスビルだ。今は夜十一時の深夜帯だが、エントランスには灯りが付いている。正面から入れるようだ。
だが、素通りで入れるほどセキュリティは当然甘くはない。
「どうだ!」
エントランスに設置された機械にて、ルシアは盗んだカードキーを読み込ませると、ピッと音が鳴る。しかしそれだけで扉は開かず、やはり予想どおり顔認証が求められた。
「これ持ってきてよかった。うえーキモ」
キャリーケースから男の頭部の髪を鷲掴みにし、カメラにかざす。
「ぼく、マフィアくんだよー。入れてくださーい」
面白半分にルシアが発すると、グリーンライトが点灯して扉が開いた。男の頭部はその場に捨てて、二人は中に入った。
すると、
「何者だ! なぜ子供がここにいる!?」
警備の者と思われる中年男性が声を掛けてきた。子供とは言ったが、二人の少女に向ける目はかなり厳つい。
「ばーか、子供ではないし」
「んー、なんでいるんだろう?」
ソフィアはとぼけて言っているのか、はたまた真面目に言っているのか、曖昧なニュアンスで呟く一方で、
「あのさ、あんた《天竜会》の人間?」
ルシアは拳銃を構えてストレートに聞いた。
「……ッ!?」
警備員は血相を変え、無線機を取り出して、
「こちらセキュリティ! 侵入者――ガッ!!」
頭から鮮血が吹き出し、大理石の床にべちゃりと崩れた。対して、ルシアの構え拳銃の銃口からは煙が立ち上る。




