〈.orion〉
「え?」
エルゼは耳を疑った。
珈音が何気なく言うもので。
「父親殺しの罪で、正確には傷害致死罪で有罪判決を下されたから。今はその刑期の最中」
いつもと変わらず舌足らずの口調なのに、思わず息を呑みたくなるような威圧感があった。
(嘘を言っているようには……見えない。けど、これ以上聞いて……いいのかな)
有罪判決ということは、つまりエルゼと似た境遇ということ。
「あの――」
「待って」
尋ねようとしたら、珈音は広げた手のジェスチャーでエルゼを制止させる。センシティブな内容だから聞くな、というよりは、彼女は反対車線側の路地に注意を向けていた。
「チッ」
グレーの作業着の男だ。金髪で、顔立ち的に日本人ではなさそう。こちらを見て、明確に舌打ちをしてからその場を駆け足で離れる。
「逃げましたね!」
「雰囲気が怪しいから照会してみたけど……やっぱあの顔、データベースには登録されてない」
すでに珈音はスマートフォンを操作している。画面には『NO DATA』の文字。
「私は追うけど、どうする? 新人が二日続けて事件はしんどいから今日は上がってもいいよ」
「いえ、ご一緒しますよ。連日のトラブルなど慣れていますから。それに《楔》絡みの可能性もありますので」
「ナイスガッツ。じゃあ行こう」
「はい!」
スマホを仕舞う珈音。先輩の彼女を先頭に男を追ってゆく二人。そしたら二台の警備ロボットがお供のように二人に追従する。
「呼び方はあとで詳しく教えるけど、こういう時は警備ロボットを活用してね。使い道は見て覚えて」
「はい!」
すぐに狭い路地に突入した。
(動きに無駄がない)
男を捉えつつもエルゼは珈音を観察した。一般的な女子高生の走行速度ではない。視線も常に前方の男を外さず、それでいて、たとえ別角度からの攻撃があっても対処できてしまいそうな、隙のようなものがなかった。
「右に三メートル移動。足下を粘着弾で狙撃」
珈音は指示を口にすると、ロボットからパァン! と、白色の塊が暗闇に残像を描いて発射される。
「うわ!」
見事、男の足にヒットし、足がもつれて固い地面にごろごろ転がった。転がりながら粘着団はガムのように伸びて、より複雑に男の足に、腕に絡みついた。
「チクショウ! 身動きが!」
警戒しつつ足の動きを緩めた珈音は黒光りの、少女にはまったく似つかわしくない拳銃を懐から取り出し、銃口を男に向けて、
「なんで逃げたの?」
「な、なんでって……」
「いいから、すぐ理由言って。罪が増えるよ」
そしたら。
「くっくっ」
「?」
男は歯の隙間から息を吐き出して、――笑ったのだ。
「なんでって、――俺が囮だからだよ!!」
「ん?」
呆気にとられる珈音。
「……」
エルゼは、ちらりと後ろを見た。だろうな、と思って。そして目を閉じる。肩の筋肉に力を入れて。
「うっ!」
「エルゼ!?」
エルゼがなぎ倒された。
「キャッ!」
漁師網のようなネットが頭上から降りかかり、珈音を捕らえてしまう。
「もうっ、このっ」
珈音がじたばた手足を動かしても、ネットの絡みをほどくことができない。
「ハハッ、《治安維持対策本部》もこの程度かよ!」
現れたのはフードを被った別の男。英語を話している。湿り気の帯びた口を歪めて笑う。見るからに裏社会の人間が出せる表情だ。彼は地面に倒れるエルゼに足を乗せ、鋭く光るナイフを人質のようにエルゼに仕向けた。
「はぁ」
やれやれと珈音がため息を吐いて、
「ねぇ、エルゼ。こいつらって《楔》の関係者?」
「いえ、見たことありません。というか、関係者でしたらこんな目に遭いませんし」
「それもそうか」
なんだかマイペースに納得した珈音は、今度は男に視線をよこし、流暢な英語で、
「だから何が目的なの?」
「〈.orion〉だ」
男は答えた。
(〈.orion〉……この街の高度な演算システムのことですね。さっそくそれを狙う連中に出くわすとは)
珈音も驚きはないようで、
「ああ、やっぱり」
「〈.orion〉の在処を教えろ! さもなければ――」
男はナイフをエルゼの首筋に近づけて、
「コイツを殺す」
「脅しじゃなさそうだね」
「ロボットも動かすな。不用意なことを言っても殺す」
「珈音、私のことは気にしないでください」
エルゼは冷静に諭した。
なぜなら。
(この程度の相手なら楽に対処できますが、ここは見させてもらいますよ。珈音、あなたの実力をね)
本来であれば捕らえられることすらない相手。けれど珈音の実力を見たかった。ともに《楔》と戦う仲間として。
「教えたらエルゼを返してくれるの?」
「ああ、返すとも」
そんな会話をする珈音と男に、エルゼは眉をひそめる。
(まさか、馬鹿正直に話すとは――……)
「〈オリオンタワー〉の最下層にあるサーバーにアプリが設定されてる」
「そんな! どうして話すんですか!」
驚愕のエルゼとは裏腹に、ニヤリとほくそ笑んだ男はスマホに指示を入力する。
「助かる。想定どおりだが、〈オリオンタワー〉に行けと仲間に伝えておいた」
「教えたからエルゼを返して」
「ああ、すべてが終わってからな」
「嘘つき」
「珈音、こうなるのは目に見えていました。なんで話すんですか……」
この手の行動を取る者が素直に人質を解放するなど滅多にないのだ。エルゼは経験で知っている。
それでも珈音は呑気に、
「じゃあ暇つぶしに聞いていい? どうして〈.orion〉が欲しいの?」
「雇い主の依頼だ。なんでも“限りなく神に近づいた人類”を創りたいそうでね」
「……そう」
「最初はガキみたいな戯れ言に聞こえたが、〈.orion〉とやらの存在と、その力で実現できる説明には納得した。この街を見て思い返せばな、説得力のある説明だったよ」
「限りなく……神に近づいた人類?」
眉間に皺を寄せたエルゼ。どこかで聞いたことがある。たしか……。
(そうだ、スパイの任務で潜入した研究機関で)
レイと潜入した研究機関《黒い森特異機能開発局》。孤児を使って人体実験を繰り返していた非道な研究機関であったが、研究成果や技術が《楔》に活かせないかと考えた末に、《楔》の内通者を一人在籍させているとエルゼは記憶している。
子供を使った人体実験に嫌悪感を示したレイだったが、
『同じ穴のムジナのあたしが……な。人のことは言えない』
そんな寂しそうな表情を併せて覚えていた。
(となると)
目の前の男たちは《楔》の下で動いている裏社会の者だろう。今日というタイミングも怪しい。しかし男らがエルゼを知らないことを踏まえると、《楔》としてはエルゼの救出ではなく《加速する科学の不夜城》と公安組織を探る目的で、《黒い森特異機能開発局》を利用したと考えるのが筋。
(十分に情報を集めてから《楔》のメンバーを送り込もうということですかね)
なんとなく状況は読めてきた。
間接的に《楔》に利用されていることなど知る由もない男は、両手を広げて高笑いで、
「“限りなく神に近づいた人類”――その夢が実現できれば莫大なカネになる。その時は俺たちもガッポリ分け前を貰うわけさ」
「……くだらない」
そう口にしたのは珈音。
「嫌なこと、思い出しちゃったな」




