限りなく神に近い力を狙う者たち
――エルゼが珈音に心配を抱いた三日前のこと。
イタリアにある、市街からずいぶんと離れた場所に構える研究所。
その研究所の名は《黒い森特異機能開発局》。
その一室にて。
二名の男児と一名の女児が机に並んで、ペンを握って筆記テストのようなものを受けている。三名とも瞳に宿る光はうっすらで、ただひたすらに機械のように手を動かしている。
その様子をガラス越しに見るのは、子供たちと同じく二名の男と一名の女。若干の差はあるものの、年齢は三十代くらいで、揃って白衣を着ていた。
唯一の女はタブレットを見ながら、
「はぁ」
栗色のロングヘアを振りまき、やれやれと重たいため息を吐いて、
「特に成長は見られませんね。演算速度は変わらず」
その言葉に、二人の男たちも同調する。
「あらゆる薬物の組み合わせを変えたが成果が出ない」
「これではいつまで経っても実現できませんよ。――“限りなく神に近づいた人類”を生み出すことは」
「そうだな。悔しいが、我々の力では実現できそうもない」
無精髭を生やした主任の男は降参を認める。
そんな彼に、三名の中で最も若い男は眉をひそめて、
「まさか諦めるんですか!? どれだけの金と時間を注ぎ込んだと思ってるんですか!? まだ……まだ、できますよ!」
「こら、熱くならないで。気持ちはわかるわ。けれど損切りも検討しないと……」
と、女研究者が止めに入ったところで、
「いいや」
主任は否定した。
「え?」
「諦めていないさ」
「じゃあ、どんな打開策が?」
「こんな時だからこそ“外部の力”が鍵じゃないかな」
「ですが、裏社会の力をこれ以上借りるのはリスクが大きすぎます!」
「たしかに裏社会の力も多少は必要だが、ここで指しているのは日本の科学特区――《加速する科学の不夜城》の力のことだ」
「となると、あの噂の〈.orion〉ですか?」
「そうだ。極めて高度な演算ができるシステムと聞く。だったら話は簡単じゃないか。ソレを盗んでしまえばいい」
と悠長に語る主任に、女は当然の疑問をぶつけた。
「盗むにしても、どうやって?」
「ふふ、私も同行することになるが、私にはコネがある。あるスパイ組織のコネがな。なに、君たちは知らなくてもいいことさ。実験に集中してくれたまえ」
「その、コネのほうがともかく、主任は大丈夫なんですか?」
「私か? 甘く見ないでほしい、詳しくは明かせないが私もその手の出身だからな」
主任は唇を薄く伸ばして、
「ふふ、血が騒ぐな。必ず成果を得てみせようじゃないか」
◇
エルゼは珈音に連れられて街をパトロールしていた。公安のユニフォームではなく、高校の制服着で。敵の油断を誘えるという理由での、局長推奨の格好だ。
ビルのモニターからは、人工臓器の安価な培養方法と、滑らかな動きを実現する義肢の研究を紹介する動画が流れていた。音声はAIで、おそらく動画もAIが作成している。
「この街ならどんな怪我や病気をしても困ることがなさそうですね」
「そうだね、大抵は直せちゃうし。でも死者を生き返らせることはできないから気をつけてね」
「そこまでいくとオカルトの世界ですからね」
何気なくエルゼは答えたが、こっそり下を向いた。
こうしてエルゼは街を歩いているが、立場上は死刑囚であることに変わりはない。もし《楔》のメンバーを捕らえられなければ、罪を償うために命を引き換えにすることになる。仕方がないことだと腹をくくっているが、思い出すたびに胸は重い。
「あの、珈音」
「なに?」
「もしかして昨日は、本当に私が裏切っていたら、殺すつもりでしたか?」
「ん?」
「あらかじめ局長からそのような指示を……いえ、聞くことじゃありませんよね」
裏切ったら殺すように、もしくは捕らえるように、とは当たり前の話なのだ。わざわざ聞くことではない。
「ううん」
珈音はナチュラルに否定した。
「エルゼが裏切る前提での指示は聞いてないよ」
「え?」
「迷子にならないかとか、道具の使い方がわからないとか、言葉に困らないかとか、総司さんそういうのを心配してたよ」
「父親ですか……? まあ、そういう設定ではありますけど、それではまるで本当の父のようです……。本当によくわからない人だ……」
照れくさそうに口ごもるエルゼに、珈音はそっけなくこう言った。
「エルゼが裏切らないとわかってただけでしょ。実際裏切らなかったし」
「まったく、甘いですね」
「嬉しそう。かわいいね」
「違います~」
と、否定したエルゼだが、頬は会話前と比べて緩んでいた。
照れを振り払うようにエルゼは話題を変える。
「そういえば街はずっと夜ですけど、健康に影響はないのでしょうか? 気温については四季がなくて、ほぼ26度一定みたいで助かりますが」
時刻は午後三時だが、夜は続いている。
「うん。街灯とか街の光が太陽の代わりになってくれてるらしいよ。メラトニンの分泌とか問題ナシ。私なんて生まれてから一度も太陽を見たことがないけど、別に健康だし」
「ええ……、かわいそうですね」
「ずっと夜が当たり前だからね。逆にエルゼは太陽が恋しくならない?」
「恋しいといえば恋しいですね。ムズムズするような気持ち悪さがまだどうにも」
街のストリートには研究者と思われる、白衣やスーツ着の大人たちが珍しくなく、一方ではエルゼたちと同じように制服を着ている生徒たちもいる。高校の始業は数日後だが、自主勉強で登校する生徒は多いようだ。春休み期間とはいえ、遊んでいる中高生はほとんど見たことがない。
そんな人間たちの中でロボットも徘徊している。警備ロボットに、さらには自動販売機のロボットも姿を見せて、
「んーと、これにしよ」
珈音が商品を選んで手のひらをロボットにかざす。ぼんっと受け口に落下したので、珈音が拾う。
「これが自販機なんですね。外では見かけない形です。かわいい。自分で動くんですか?」
「私がおなか空いた、パン食べたいって思ったから来てくれたんだよ。脳波をキャッチしてね。便利でしょ」
「そんなカラクリがあったとは。効率よく利益を得られそうな仕組みですね」
「支払いも生体認証で楽ちん。無駄遣いは気をつけないとだけどね」
珈音が購入したのは生クリーム入りのメロンパン。封を開けてはむはむ頬張る。
(ハムスターみたいでかわいいかも)
小さい口で食べる姿は小動物をエルゼに連想させた。こういう子は好きだ。
だからこそ、改めて思う。
(危険な仕事だとは思うけど、本当にこんな女の子に務まるのかな?)
どうしても気になって珈音をちらりと見ると、
「どうしたの?」
「珈音はなぜ《治安維持対策本部》に所属しているんですか? 神代と言ったら研究者の道に進むものかと。だから学校で勉強に集中するのが筋では?」
「……」
珈音は食べ終わったパンの包装をぽいっと投げ捨てる。彼女は存在を見計らっていたのか、路面に触れる間もなく傍の掃除ロボットがゴミを回収した。
「父親を殺したから」




