悪を排除する少女
「ハァ……ハァッ」
冷ややかな路地裏で、男は息を切らせて走る。路地の先は長く、光が見えない。コンクリートの抗力で足の裏が痛む。
「クソッ、しつこい!」
見かけは四十台の、金の短髪の男。彼の左腕には白い機械のようなものが抱えられている。頭から途中までは綺麗なフォルムだが、無理に切断されたような歪な痕が途中の面で残っており、赤や緑といったケーブルが切断面から垂れ、男の雑な走行に合わせて揺れている。
「街の技術さえ持ち帰れば……ッ、大金が手に入るんだ!」
男は背後を振り返った。摩天楼が青白く建ち並び、その中でも一際大きな電波塔が天に伸びている。今日何度見ても慣れない、幻のような光景だ。
背景に気を取られた一瞬の隙。
――スピュンッ! 乾いた音がこまだした。
「ぐぁ!」
左足に力が入らず、男は宙を滑ってから勢いよく倒れ込む。抱えていたロボットの頭部がコンクリートの地面にコン、コンと鈍く転がった。
「いでぇ!」
熱とともに強烈な痛みが湧き、ドクドク流れる鮮血がボトムスを汚す。狙撃された。
「ダメだよ、技術を盗んじゃ」
マイペースな口調で語りかけられる。痛みが生み出した錯覚か。少女の、どこか舌足らずで幼くて、けれどもその彼女に狙撃されたのが事実。
「チッ、こんなガキに……!」
「ガキが相手だと思ったら大間違いだよ」
少女は屈んでロボットの頭部を広い、左右に侍らせている白い警備ロボットの、右側のほうの上に置いた。
街の光が逆光となり少女を照らす。シルエットは普通の女の子で、学校の制服を着て、ミディアムに揃えた髪に、声を耳にした時に覚えたような幼さが顔にもあった。
「……何者だよ」
「公安の者」
少女は鈍い金属の音とともに拳銃を構え、熱を帯びている銃口を男に向けて、
「この“科学特区”の犯罪は《治安維持対策本部》が見逃さないから」
◇
「わぁ、アクアマリンの宝石が輝いているみたいです」
街で最も高い電波塔、正式な名は〈オリオンタワー〉という。
街を張り巡らすあらゆる電波はこの塔から放出されており、このネットワークが基盤となってAIの学習やコンピューターの演算が成り立っている。と、同時に、最も背の高いシンプルな外観は、デザインに凝った時折変わる鮮やかなライティングを含め、街のランドマークにもなっていた。ちなみに本日のテーマ色は青で、“水遊び”と“粋”を表現しているらしく、流れては弾ける水泡の動きが心地よい。
ワイン色のボブカットの少女、エルゼは高さ600メートルに位置する、円形の展望台から街を眺めていた。彼女が表現するとおり、青白い光が宝石のように街を彩っている。
「この展望台ならあらゆる光景を見渡せるからな。覚えておくといい」
と、エルゼに告げたのは、《治安維持対策本部》のトップに立つ男の神代総司だ。顎髭が渋く、凜々しく貫禄のある顔立ちをしている。
森のようにビルが建ち並ぶこの街の名は《加速する科学の不夜城》。東京湾の海底をくり抜いて造られた、科学の発展に特化した日本の“科学特区”だ。AIやロボットに限らず、あらゆる科学技術の最先端がこの街から生み出されており、世界からも注目されている。
公安として勤務を始めて二日目の今日。総司とともに街の主要施設を練り歩きながら、《治安維持対策本部》についてのレクチャーを受けていた。
「さて、科学の街は気に入っていただけただろうか」
「目新しいものも多くて、便利とは思います。が、まだ怖さもありますね。技術の高さはここまでよく体験できました」
「そうか。まあ、世界からの注目度が高い街だ。それゆえに街の技術を狙う組織が後を絶たない。……《楔》のようにな」
「言わないでくださいよぉ。わかってますってば」
総司の弄りなのだろうか、真面目な硬い表情だから意図は読めない。エルゼは嘆くように答えた。
「そういえば君は〈.orion〉は知っているか?」
「ええ、街の技術の肝ですよね。正直はな話、名称を聞いたことがあるくらいで、すごい演算システムという理解しか……」
「さすがに《楔》にも詳細が割れていなくて安心している。その程度の理解で問題はない。街の演算技術の基盤になっている、というシステムだ。君の仕事の過程でも、ひょっとしたら〈.orion〉を狙う連中が現れるかもしれないな」
「はい、わかりました」
普通は新人のような立場の者が局長からレクチャーされることなどないのだが、対《楔》特化の対策チームの上司という立場では話が異なる。
「それで、対《楔》のチームはリーダーが局長で、それに私。加えてもう一人がお力になるそうですが、その方というのは?」
「そろそろ来てもよい頃だが……。先ほど犯罪者を捕らえたと連絡があってな。少し遅れるかもしれない」
と、総司が背後を気にしたタイミングで、
「お待たせしました」
エレベーターの扉が開いて現れたのは、エルゼも知る少女の姿だった。
「か、珈音!? どうしてここに……って、まさか」
「エルゼ、こんにちは」
「こ、こんにちは……」
呑気に挨拶をしてきたのは灰色のミディアムヘアの女の子の神代珈音。昨日は彼女を護衛した、つまり保護対象のはずだが……。
「はぁ、昨日の私は騙されたというか、試されていたのですね」
「珈音をサポートに付ける形になる。こんな雰囲気だが立派なウチのエースだ。珈音、エルゼをよろしく頼んだ」
「りょーかいです」
エルゼは眉間に皺を寄せて、珈音を頭からつま先まで見下ろした。エルゼと同じ羽水高校の制服に袖を通している。
「こんな女子高生に公安が務まるんですか? 遊びじゃないんですよ?」
「エルゼ、結構ひどいよね。性格悪いって言われない?」
「い、言われませんけどぉ。ですが命の奪い合いになる戦いになるかもしれないので……。というか“局長の娘”も嘘だったんですか? 私を監視するために?」
「そうだな。娘ではなく親戚の関係だが、神代珈音は本名だ。一応は任務初日の君の様子を見るために珈音を付けた」
「珈音が捕まったのも演技だったというわけですか?」
珈音はドヤッと胸を張り、
「演技をしてたのはエルゼだけじゃなかったんだよ。あの程度の相手ならイチコロだし」
どう見ても普通の女子高生にしか見えず、もっと言えば中学生にも……(現に数日前まで中学生だった)。とはいえ、それはエルゼ自身にも同じことが言えるので、それ以上ツッコむことはしなかった。
珈音は自らの胸をぽんと叩いて、
「私は先輩だから。困ったことがあったら先輩を頼るがよい」
「よ、よろしくお願いします……」
はたして大丈夫だろうかと、エルゼは心配になるのであった。




