レイの反応 ※挿絵
通信が切れた。
「……」
Tシャツとスカートの上に白衣を羽織った、紺色のウルフカットの女――レイ・フォーゲル。大人と呼べるほど成熟はしていないが、凜々しい端正な顔つきには、子供には見えないような過去の重い経験を漂わせていた。
彼女はスマートフォンを見つめたまましばらく動かなかった。
否、動けなかった。
高層階の窓の向こうの世界では、朝日に照らされた街が橙色の輝きを浴び、活気を見せ始めていた。
ドイツのとある都市のマンション。
最上階の豪華なペントハウスは、七名の、今は一人欠けた六名だが、義理の姉妹の少女たちで構成されるスパイチーム《楔-kusabi-》の本拠地だ。
部屋にある家具は黒いソファにガラスのローテーブル、壁一面の大型モニター。色のアクセントを演出する絵画。どれもが高級な家具で満ちた空間の中で、デスクの脇に積まれている紙の資料。
――被検体 Elze Vogel
その文字は、レイの胸を鋭く刺した。
「まさか……治療、されてる?」
無意識に呟いたレイ。その顔には、気のせいか、安堵のようなものがうっすら見えていた。
が、彼女は訝しげに目を狭め、
「そもそもなんでエルゼが街にいるんだよ? 捕まってるはずだろ? それに……エルゼがあたしらを、捕まえるだって? なんの冗談だよ」
数時間前。傀儡の男から、神代総司の娘とエルゼが並んで街を歩いていると連絡があった時は目を疑った。局長の娘を監視させていたら、まさか。
「エルゼ……」
途切れそうな声は、スパイ仲間としてではなく、姉として心配する音色。
すると元気よく扉が開いて、
「たっだいまー。ねー聞いてよー。ソフィアが寝過ごしちゃってさー、無駄に徹夜になっちゃってーって、レイちゃん? どしたの?」
背後から窺えたレイの横顔には、くっきりと冷や汗が浮かんでいる。おまけに呼吸を荒げており、思わず心配の声を掛けたのは次女のルシア。仲間の愚痴を止めて妹に近寄る。
「クソッ! エルゼが……奪われた!」
握りこぶしを机に下ろした。ドンッ! 飲みかけのコーヒーが波立つ。
「ちょっと、落ち着いて! 何があったの? エルちゃんに何かあったの?」
「意味がわかんねぇけどさぁ……、《加速する科学の不夜城》の公安に寝返ったんだよ……。公安のトップが電話で言ってきやがったんだよ!」
レイは声を振り絞り、目頭が赤くなり始めていた。
「え?」
レイの発言の内容には当然驚くルシアだが、それ以上にレイの様子には不意を突かれた。
任務でピンチになっても、冷静に周囲を見て立て直すような子なのに。
「どうしよう……やべぇって……」
頭を抱えてうずくまり、なにやら日本語で弱音を漏らすので、ルシアは理解できていない。
だが、
「レイちゃんが落ち着かないとどうするの?」
「……あ?」
「司令塔でしょ? リーダーでしょ? 序列一位なんでしょ?」
「そうだけどさぁ……」
顔を上げたと思ったらすぐ伏せる。まさに弱々しい子犬だ。
「しっかりしろ!」
「……ッ!?」
「弱気でいちゃ何も解決しないでしょ!? 甘えんな! いつものレイちゃんはどうしたの! もっと冷静じゃん! 《加速する科学の不夜城》にビビりすぎなんだって! レイちゃん一人じゃないんだからさぁ、みんなで協力して考えようよ!」
眉をつり上げ檄を飛ばすルシア。
「ルシア……」
普段は上司だが、この時ばかりは妹の顔になっていた三女のレイ。
「なにやってんだよあたし……」
レイは頬を両手で叩いて、
「みっともないとこ見せて悪かった。サンキュー。……けどさぁ」
一転して、穏やかな顔で頭をなでなでしてくるルシアに、レイはちょっぴり口を尖らせて、
「本当はルシアが捕まるべきだったんだよなぁ。二位のエルゼじゃなくてさぁ」
「だからごめんってば! ロボットがしつこくてさぁ、無理だってあれは」
「んー、なんでエルゼだったんだろうなぁ。さっきの電話でも、なーんかエルゼを特別扱いしてるっぽくて。気のせいか?」
エルゼが優秀だから、と言ってしまえばそれまでだが。細かい理由は考えても、調査をしても見えてこない。
「ひとまずあたしらが潜入する前にもう一回様子見しておきたい。だから傘下の研究チームを唆せて、街に潜入させようと思う。もうちょいデータがほしい」
ソファに腰を下ろし、飲みかけのコーヒーを口に含んで方針を語ったレイ。いつもの司令塔の姿であった。
「《楔》の出番になったらまずは私に行かせて。リベンジしたいし、エルちゃんを取り返したい」
ルシアは自らを推薦した。レイも頷く。
「そのつもり。ルシアと、――ソフィアを考えてる。姉ちゃんのコンビで行ってほしい」




