初めての黒字決算会議
その年の初冬、グランデル砦では初めての公開決算会議が開かれた。
王都から送られてきた新しい様式と、こちらで作り込んだ実務用の様式をすり合わせた結果、中央広場の半分を使う大きな催しになってしまったのだが、これはこれで悪くない。
長机には項目ごとの台帳。
壁板には『北境再建費』『王都未払返還』『村別収穫見込』『冬備蓄残高』。
そして広場の一角には、子供でも分かるよう絵で示した簡易版の表まで貼ってある。
「奥様、ここまでやる必要あります?」
トマスが自分の商会印の入った帳面を抱えながら半目になった。
「あります。分からない数字は噂に負けますから」
「噂のほうが速いこともありますけどね」
「その時は次の四半期で潰します」
容赦がない、と商人は肩をすくめた。
会議が始まると、思った以上に人が集まった。兵、村長、職人、兵の家族、礼拝堂、商人。中には本当に理解したいのではなく、王都の新制度がどれほど面倒か野次馬的に見に来た人もいるだろう。
それでもいい。まずは見せることが大事だ。
「では、第一四半期公開監査を始めます」
私が宣言すると、ハンナが項目順に札をめくっていく。
「王都未払返還、第一便受領済み。使途内訳は北門倉庫再建三割、兵舎毛布更新一割、春貸し原資二割、残りは冬備蓄」
「北境防衛債返済、二回目まで完了。返済率五一パーセント」
「冬備蓄、麦・豆ともに昨年比一・六倍」
広場から小さなどよめきが起きる。
数字そのものに驚いているのではない。去年との違いに、皆が自分で気づき始めているのだ。
村長の一人が手を挙げる。
「春貸しの繰り越し条件、来年も同じですか」
「基本は同じですが、今年返済実績の良かった村は利息を少し下げます」
「おお」
即座に反応がある。
別の場所では鍛冶場の親方が文句を言う。
「炭の配分、鍛冶場にもう少し回してくれてもいいんじゃないですかい」
「その代わり、農具納品の納期を守っていただけるなら」
「……なるほど」
笑いが起こる。
こういうやり取りが大事だ。帳簿は一方的に見せつけるものではなく、交渉の土台であるべきだから。
途中、子供向け簡易表の前であの兄妹が大声で説明を始めた。
「これがむぎ!」
「こっちがへんさい!」
「へんさいは、やくそくまもったってこと!」
広場が和む。トマスが吹き出しながら言う。
「奥様、そのうちあの子たちに仕事取られますよ」
「その頃には楽ができて助かります」
公開決算会議が終わる頃、日が傾き始めていた。
最後に私は全体の収支表を掲げる。
「今季の北境全体収支は、再建費を除けばほぼ均衡です」
歓声とまではいかない。でも、広場に確かな安堵が広がるのが分かった。
均衡。つまり、もう誰か一人の血で埋めなくても、とりあえず回るところまで来たということだ。
会議のあと、ベルナールがしみじみ言った。
「昔なら、こういう集まりは文句大会になっておりました」
「今も文句は出ていますよ」
「ええ。しかし今は、文句の先に相談がある」
その通りだった。
文句が出るのは悪いことではない。隠れた不満より、表に出た不満のほうが扱える。
夜、片付けの終わった広場を二人で歩きながら、ルシアンがぽつりと言った。
「均衡、か」
「はい」
「君にとっては、黒字より嬉しいのか」
少し考えてから、私は頷いた。
「今はそうですね。無理な黒字はどこかにしわ寄せが出ますから」
「前より丸くなったな」
「現場を見ましたので」
以前の私は、もっと数字だけで勝ちたかったのかもしれない。けれど今は知っている。人が疲れ切った状態での黒字なんて長く続かない。
ルシアンは足を止め、広場に残った簡易表を見た。そこには子供向けに描いた、麦の束とパンと毛布の絵が並んでいる。
「誰がここまで辿り着くと想像しただろうな」
「私は少しだけしました」
「嘘だろう」
「半分くらいです」
言うと、彼は笑った。
夜風は冷たかったが、不思議と寒くない。
帳簿が開かれている町は、前よりずっと呼吸しやすい。
私はその事実が、何より嬉しかった。




