祝祭の貸借対照表
グランデル砦へ戻ったのは、王都での改革方針が正式に布告されてから二週間後だった。
北境への第一便――未払金の返還、再建資材、王国再建債の引受証文、そして公開監査の様式見本まで載せた荷馬車列が、私たちの少し前を進んでいる。
こんな行列を、以前の私なら絶対に信用しなかっただろう。
けれど今は違う。中身の目録も護送記録も、全部こちらの手元にある。信じるための根拠がある、というのは本当に大きい。
グランデルへ近づくにつれ、城壁の補修跡が前より整い、外縁の畑にも人影が戻っているのが見えた。まだ完全ではない。燃えた倉庫の跡も残っているし、戦で家族を失った家もある。それでも、町の表情が明らかに変わっていた。
南門をくぐった瞬間、歓声が上がる。
「お帰りなさいませ、閣下!」
「奥様だ!」
「帳簿の魔女さまだ!」
「もう魔女じゃなくて英雄じゃないか?」
「どっちでもいいわ、早く荷を!」
最後の一言がとても現実的で好きだ。
私は馬車から降りるなり、最初に中庭の掲示板へ向かった。案の定、ベルナールがすでに新しい枠を増設している。戦時会計の欄の横に、今度は『再建債受入』『北境防衛債返済状況』『今月の王都送付書類』が並んでいた。
「仕事が早いですね、ベルナール様」
「奥様の顔を思い浮かべましたら、こうなりました」
「とても良い判断です」
老執事は満足げに咳払いした。
その日の午後から、町はてんやわんやだった。
返ってきた未払金の配分、再建資材の保管、村ごとの修繕希望、王都様式の監査表の説明。さらに、まだ残っている北境防衛債の返済第一回をどう配るかまである。
私は大広間に長机を並べ、さっそく『祝祭の貸借対照表』と題した一覧を作った。
「祝祭、ですか?」
ハンナが紙を覗き込む。
「ええ。返済も再建も暗い顔だけでやると続かないので。今回は返済式と合わせて市を開きます」
「またお祭りですか」
「今度はちゃんと黒字で」
戦の前の夏招き市は希望を繋ぐためだった。
今度の祭りは、選び取った信頼へ最初の返礼をするためのものだ。
題して『再建祝祭』。名前はまだ仮だが、もう誰も止めない。
トマスは聞くなり頭を抱えた。
「また忙しくなるじゃないですか……」
「売上も増えますよ」
「それはそうなんですが」
「護送費の値上げ交渉は返済式のあとです」
「ひどい」
文句を言いながらも、彼は結局いちばん大きな天幕を手配した。商人とはそういう生き物だ。
祭り当日、グランデルの広場は前回以上に賑わった。
再建資材の一部を使って作られた新しい屋台、村ごとの品評棚、子供たちの合唱、礼拝堂の炊き出し、鍛冶場の包丁即売会。王都から来た監査様式見本を面白半分に覗く兵までいる。
私は中央の壇上で、北境防衛債の返済第一回を読み上げた。
「ベルナール・エクハルト様。元本返済第一回、銀貨二十枚。利息代わりに城館特製干し肉一籠」
広場から笑いが起こる。ベルナールはおおげさに礼をして受け取った。
「シスター・ロザリー様。礼拝堂備蓄提供分、穀袋三つと冬布優先権」
「ラーデ村共同労働組。修繕材優先配布と税猶予一季」
「兵士遺族支援寄付分……こちらは返済不要寄付扱いとし、その名を記録碑へ」
例の未亡人が壇上へ上がり、照れくさそうに笑った。
「名前なんて大げさですよ、奥様」
「大げさではありません。戦のあとで一番消えやすいのは、こういう小さな支えですから」
彼女は少しだけ目を潤ませ、それでもしっかり受け取ってくれた。
台帳へ返済済みの印を押すたび、広場が拍手する。
それは単なる金のやり取りではない。約束が守られた音だ。
返済式の後、子供たちによる出し物が始まった。あの南門で遊んでいた兄妹が先頭に立ち、木札を手に「ざいこかんりのうた」なる謎の歌を披露している。
「だれが教えたんですか、あれ」
私は呆然としながら尋ねた。
ハンナが涼しい顔で答える。
「奥様です」
「私ではありません」
「表を描かれたのは奥様です」
確かにそうだが、こんな形で地域文化になるとは聞いていない。
ルシアンが隣で肩を震わせている。笑っている。最近、彼は前よりよく笑う。しかも自覚が薄い。
「楽しそうですね」
私が言うと、彼は隠しもしないで頷いた。
「楽しいな」
そうやって素直に言われると、こちらが照れる。
さらに困ったことに、この祭りは私たちの正式な再婚披露を兼ねることになった。王都からの認可状も届き、白い結婚の解消と新しい婚姻契約の再締結が済んでいる。
簡素な式でいいと言ったのに、ベルナールもロザリーもトマスもイザベルも、なぜか全員が「それはそれ、これはこれ」と引かなかった。
結果、夕暮れの広場中央に小さな祭壇が組まれ、私はハンナに半ば強制的に着替えさせられた。
「奥様はもっと鏡を見てください」
「今それを言いますか」
「今だからです」
白ではなく、辺境らしい深い青のドレス。母の指輪に合わせて銀糸が入っている。派手すぎず、それでいて今日のための一着だと分かる、絶妙にずるい装いだった。
祭壇の前にはルシアンが立っていた。
彼も軍装ではなく、黒に銀の縁取りを施した礼装を着ている。似合わないわけがないのに、本人はどこか落ち着かなそうで、それが少し可笑しくて、どうしようもなく愛しかった。
ロザリーが笑顔で式を進める。
「本日ここに、契約ではなく意志によって結ばれるお二人を、グランデルの皆で祝します」
広場の人たちが一斉に拍手した。
私はルシアンと視線を合わせる。
最初に会った日のことを思い出す。
『君を愛するつもりはない』と言われ、代わりに帳簿をくれと言ったあの日。
それが今、こんな場所へ繋がるなんて。
「リディア」
「はい」
「この先も、たぶん仕事は減らない」
「知っています」
「私は時々、君が止まるまで気づかない」
「それも知っています」
「だから、その時は止めてくれ」
彼らしい誓いだと思って、私は笑った。
「では私も。あなたは時々、全部を自分で抱えようとします。そういう時は、私が勝手に帳簿を開きます」
「頼もしいな」
「ええ。頼ってください」
短い誓いのあと、私たちは指輪を交わし、夕暮れの祝祭の中で口づけをした。
歓声と口笛と、どこかでトマスが「ここからが本当の黒字ですね!」と叫ぶ声が混ざる。
たぶんそうだ。
この祝祭の貸借対照表は、間違いなく黒だ。




