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誰のための王国か

公開審問の翌々日、私は再び王城へ呼ばれた。


 今度の場所は裁きの広間ではなく、王家の政務評議室だった。重い扉の向こうには長円卓が置かれ、現王夫妻、セシリア王太后、大法官、北部守備隊代表、商業組合代表、聖堂監察官、そして数名の有力貴族が着席している。


 つまりここは、責任を裁く場ではなく、その後の勘定をどう合わせるか決める場だ。


 逃げ場のない、本当の意味での実務会議だった。


「リディア・ヴァルティエ夫人、ルシアン・ヴァルティエ辺境伯。席へ」


 王太后の一声で、私たちは卓の下手へ案内された。


 現王アレクサンドル陛下はまだ三十代半ばの、整った顔立ちの人だったが、この数日でひどく疲れたように見える。王妃エレオノーラは逆に、疲れを押し隠すほど真っ直ぐな視線でこちらを見ていた。


「率直に申します」


 王妃が先に口を開く。


「北境守護契約の改竄が明らかになった以上、王国財政は大きな穴を抱えます。これまで北境へ押しつけていた負担を、どこへ戻すか。猶予は多くありません」


 商業組合代表のトマスとは別人物らしい壮年の男が鼻を鳴らす。


「戻す、ではなく払う、でしょう。王都は長年、支払うべきものを支払ってこなかった」


 北部守備隊代表も腕を組む。


「現場としては、その通りとしか言えませんな。北境だけでなく、東部防衛線の予備費まで削られていた」


 大法官が眉間を押さえる。


「責任論だけなら審問で終えた。今は再建策を」


 私は目の前に配られた簡易収支表へ視線を落とした。王都の主要支出、北境再建費、臨時債の償還計画、各貴族家負担割合の試算。急いで作られたせいで粗いが、全体像は掴める。


 足りない。


 当たり前だ。今まで見えないところへ流していた赤字を、急に表へ戻したのだから。


「ご意見を」


 陛下に促され、私は一度だけ息を整えた。


「二つあります」


 卓の視線が集まる。


「一つは、北境再建を『特例救済』にしないことです」


 数名の貴族が眉をひそめる。私は構わず続けた。


「今回の問題は辺境だけの不幸ではなく、王国の会計構造の問題でした。ならば再建も、施しではなく制度の是正として扱うべきです。北境へ返す金は恩赦ではなく未払金です」


 商業組合代表がにやりと笑う。言いたいことを言った、という顔だ。


 王妃が頷く。


「妥当です。では二つ目は?」


「公開監査です」


 数人が同時に顔をしかめた。


 特に古い貴族ほどその傾向が強い。帳簿を開くのを嫌う人間ほど、立場が上であることが多い。


「再建債も、防衛費も、慈善会計も、今後五年は四半期ごとに公開してください。領地ごと、王都ごとではなく、誰でも追える形で。そうしないとまた『面倒だから見えない所へ押しつける』が始まります」


「理想論では?」


 ある侯爵が即座に言った。


「全てを公開すれば、王家の裁量も貴族の権威も損なわれる。民に理解できぬ数字を並べても混乱を招くだけだ」


 私はその人を見た。


「理解できる形にするのが、私たちの仕事です」


「民が会計を分かると?」


「少なくとも、自分の村の橋が直るのはいつか、税がどこへ行くのか、未亡人の支援が何ヶ月遅れているのか、そのくらいは分かったほうがいい」


 少し、声が熱くなる。


「王国は誰のためにあるんですか。書類の上だけ綺麗ならいいんですか。足りない分を、また誰か一人へ押しつけるためにあるんですか」


 評議室が静まり返る。


 言いすぎただろうかと思ったが、もう遅い。口にしたものは戻らない。


 その沈黙を破ったのは、ルシアンだった。


「北境の兵は、毎冬のたびに知っていた」


 低い声が卓の上を滑る。


「矢が何本足りないか。毛布が何枚足りないか。村を助けに行けば食糧がどれだけ減るか。分からなかったのは、なぜその不足が自分たちだけに集まるのかということだ」


 彼は現王を真っ直ぐ見る。


「王国のために死ぬことへ不満はない。だが、誰かが責任逃れのために隠した赤字で死ぬのは違う」


 卓の向こうで、北部守備隊代表が小さく頷いた。商業組合代表も、聖堂監察官も、同じ表情だった。


 王妃が静かに尋ねる。


「では、どうすればよいと」


 私は用意してきた紙束を差し出した。


「再建計画案です。北境防衛債を王国再建債へ組み替え、中央・地方・商業組合・聖堂の四本柱で分担する。北境へは未払分として優先返還。ただし返した金の使途は四半期公開。さらに地方ごとに最低一人、公開監査の立会人を置く」


「立会人?」


「はい。商人でも、守備隊でも、礼拝堂でも構いません。貴族家の人間だけで帳簿を閉じないことが重要です」


 王太后がその紙束へ目を通し、わずかに笑った。


「王都の官僚に読ませたら三日は寝込む量ね」


「三日で済めば優秀です」


 思わず答えると、王太后は肩を揺らした。陛下まで、こめかみを押さえつつも口元を緩めている。


 緊張が少しだけほどけた、その時。


 意外な人間が口を開いた。聖堂監察官だ。


「公開監査、聖堂も参加しよう」


 皆がそちらを見る。


「今回の慈善会計の件で、我々も身に沁みた。祈りを盾に帳簿を閉ざすのは、もはや聖職ではない」


 王妃が頷き、商業組合代表も続く。


「組合も異存なし。どうせ金を出すなら、見えない穴へ落とすのはご免です」


 北部守備隊代表も机を叩く。


「現場は賛成だ。紙の上で死なされるのはもうたくさんだ」


 一人、二人と同意が増えていく。


 反対していた侯爵はなおも渋い顔をしていたが、さすがに勢いが変わったのを悟ったらしい。最終的に大法官が結論を引き取った。


「では、王国再建債と公開監査制度の仮導入をここに決する。詳細は十日以内に法文化。北境への未払返還は第一便を今月中に」


 決まった。


 本当に。


 長い会議だったが、終わった後、私は椅子から立ち上がる時に少し脚が震えた。緊張が遅れてきたのだろう。


 評議室を出た回廊で、王妃が私へ歩み寄ってきた。


「リディア夫人」


「はい」


「あなたに王都の財務改革を手伝ってほしいと言えば、困りますか」


 予想していた問いだった。


 私は少しだけ考え、正直に答える。


「困ります。やりがいはありますが、私の職場は辺境なので」


 王妃は一瞬ぽかんとし、それから笑った。


「職場、ですか」


「はい。グランデル砦はまだ赤字が多いので」


「……そう。ではせめて、今後も資料だけは送ってください」


「それなら喜んで」


 回廊の先ではルシアンが待っていた。私は彼のもとへ歩きながら、ふと母のことを思う。


 母が見たかったのは、もしかするとこういう場だったのかもしれない。

 誰か一人を犠牲にするのではなく、誰のための王国かを堂々と問い直せる場。


 全部を変えられたわけじゃない。

 でも、帳簿の表紙は開いた。


 それだけで、十分大きな黒字だと私は思った。

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