もう遅い謝罪は受け取りません
契約板の書き換えが終わった翌日、王城の空気は露骨に変わった。
昨日まで「辺境の不穏分子」を見る目で私たちを眺めていた文官たちが、今は露骨に距離を測っている。財務局は朝から扉を閉ざし、聖堂は聖堂で「一部実務担当者の逸脱」を強調し始めた。逃げ足だけは見事だ。
でも、もう遅い。
中央聖堂地下保管庫の記録官が契約書き換えの一部始終を残し、王太后がそれを即日で大法官と王へ送った。さらに北境決算書は市中へ流れ切っている。今さら『誤解です』では済まない。
公開審問は前回よりはるかに大きな場で開かれた。
貴族院席だけでなく、商業組合代表、地方守備隊代表、聖堂監察、そして王太后まで出席する。現王と王妃も高座の奥に姿を見せていた。つまり、もはや一家の不祥事ではなく王国全体の問題として扱われるということだ。
セオドアは前より痩せて見えた。父も同じ。ミレイユは修道衣姿のまま、驚くほど静かだった。
大法官が口火を切る。
「昨日、中央聖堂地下保管庫において北境守護契約の重大な改竄が確認され、正規立会いのもと是正が行われた。これに伴い、特別負担の運用責任、不正経路、関連家門の関与をここに審査する」
最初に追及されたのはグランツ家だ。
外郭商会を通じた資金隠し、工廠との裏契約、慈善会計への偽装流入、そして辺境襲撃勢力への補給。証拠は十分に揃っている。セオドアの父である財務卿は途中で反論を試みたが、契約板の記録と商業組合の証言に挟まれ、次第に声が弱くなっていった。
父の番が来る。
ハーゼンフェルト公爵家は、北境負担の実務窓口として改竄を黙認し、私の持参財産の一部流用にも関わった。父は立ったまま、長く沈黙した。
「……私は、知っていた」
最終的にそう言った声は、ひどく掠れていた。
「止められなかった。止めれば家が潰れると思った」
王太后が冷たく返す。
「潰れるべきものを延命しただけでしょう」
父は反論しない。
その姿を見ても、もう胸は揺れなかった。怒りはあっても、期待が完全に尽きている。
次に問われたのはミレイユだった。
慈善会計の水増し、名簿の偽装、王都での印象操作。そのどれもが事実だ。けれど彼女は途中で、ふっと肩の力を抜いた。
「わたくしは、王都で人を動かすやり方を学んだだけです」
大法官が眉をひそめる。
「責任転嫁か」
「いいえ。責任です」
ミレイユは正面を向いた。
「救いたいと願っても、数字の裏付けがないと誰も動かなかった。だから物語を盛った。泣けば貴族が金を出し、聖女と呼ばれれば聖堂が場所をくれた。途中で止まれなくなりました」
私はその言葉を聞きながら、どうにも複雑な気持ちになった。
彼女のしたことは許されない。けれど、彼女一人だけが異常だったわけでもない。そうしないと動かない王都の仕組み自体が、彼女を育てたのだ。
最後に、セオドアへ直接弁明の機会が与えられた。
彼はしばらく黙り、やがて私を見た。
「リディア」
公の場で名前を呼ばれ、私は無表情のまま視線だけ返す。
「もしあの時、君と婚約を解消せずにいれば――」
「変わりませんよ」
私は遮った。
会場がわずかにざわつく。
「あなたは私ではなく、私の目と私の帳簿が欲しかっただけです。今さらそこに感情を混ぜても、計算が合いません」
セオドアの顔が歪む。
「私は君を――」
「いいえ」
はっきりと言う。
「もう遅いです」
私の声は驚くほど静かだった。
「婚約破棄の時も、グランデルが潰れそうな時も、監査会の時も。あなたには選び直す機会があった。それを全部、自分の都合の良いほうへ使ったのはあなたです。だから今、失うのもあなたの選択の結果です」
言い切ると、会場はしんと静まり返った。
セオドアはそれ以上何も言えなかった。
判決は長かったが、要点は明快だった。
グランツ家当主は財務卿罷免、資産差押えのうえ公的監査下へ。
セオドアは官職資格停止、王都追放。
父は公爵位返上と家督縮小、流用分返還義務。
ミレイユは聖女候補資格剥奪、ただし慈善実務に関する証言協力と引き換えに幽閉ではなく監察下奉仕。
甘いと言う者もいるだろう。けれど重要なのは、彼らが初めて帳簿の表へ引きずり出されたことだ。
審問後、控えの回廊で父が私を呼び止めた。
「リディア」
振り返ると、彼は数日で十年老けたみたいな顔をしていた。
「……すまなかった」
その言葉が聞きたかった時期も、昔はあったのかもしれない。
でも今の私には、もう遅い。
「そう思うなら、お母様の残した覚え書きを最初から守ってください」
それだけ告げて、私は歩き出した。
途中、ミレイユともすれ違う。彼女は少しだけ笑った。
「あなたのほうが、聖女よりずっと人を動かしましたわね」
「数字を見せただけです」
「それができる人は少ないんですのよ」
どこか疲れ切った、でも以前より正直な笑みだった。
私は答えずに頭を下げ、通り過ぎる。
もう互いに、別の勘定表で生きていくしかない。
回廊の先で待っていたルシアンが、何も言わず私の手を取った。
その静かな温度だけで、今日は十分だった。




