王都に流れる決算書
北門を持ちこたえた翌朝、私はほとんど寝ずに会計所の中央へ立っていた。
周囲には山のような紙束がある。戦時損耗、北境防衛債の契約写し、押収した敵装備の刻印記録、トマス商会が捕らえた密輸経路、そして王都南工廠の印が残る投石器部材の一覧。
要するに、誰がどこへ金を流し、何を辺境へけしかけたのかを示す数字の山だ。
「奥様、これを全部まとめるおつもりで?」
ハンナが呆れ半分に問う。
「全部は無理でも、流せる形にはします」
「どこへ」
「王都へ。正確には、王都だけじゃ足りません。国内全部へです」
私が言うと、トマスが片眉を上げた。
「国内全部、とはまた大きく出ましたね」
「宮廷の中だけで争うから揉み消されるんです。商会、地方領主、守備隊、ギルド、聖堂支部、みんなが一斉に同じ帳面を見れば、『なかったこと』にしづらい」
前世でも、不正が本当に嫌がられるのは内部監査そのものではない。外部へ見えることだ。
私は即席の資料班を作った。
ハンナと書記たちが文書を要約し、ベルナールが証憑の順番を整え、ロザリーが礼拝堂経由で地方聖堂へ送る写しを準備し、トマスは商会の飛脚と荷馬車網を動かす。タイトルは私がつけた。
『北境守護負担および敵対行為に関する決算書』
「ひねりがありませんね」
「伝わるのが最優先です」
トマスの軽口を流しながら、私は最初の頁を書いた。
何がいつ改変されたか。
誰が利益を得たか。
グランデル砦がどれだけ損耗し、それを誰が肩代わりしていたか。
今次の襲撃に使われた物資が、どの経路で王都南工廠やグランツ家周辺商会と繋がるか。
装飾は要らない。
怒りもできれば抑える。
数字と証拠だけで十分だ。
昼前には第一便が出た。
王太后宮、北部守備隊本部、地方商業組合、主要な辺境諸侯、そして王都のいくつかの新聞掲示組合へ。さらにトマスは、自分の商会を通じて「面白い読み物がある」と半ば煽る形で写しを流し始めた。
「奥様。これ、敵を増やしません?」
「増えます。だから一度にやるんです」
一人ずつ怒らせるより、全員に同時に見せたほうが相手の対処は遅れる。
午後、第一の反応が返ってきた。北部守備隊の副司令からだ。
『押収刻印、我々の記録と一致。王都経由補給の疑い、独自調査開始』
続いて王太后宮。
『受領。今夜、王城掲示に間に合わせる』
私はその短い文面を見て、初めてほんの少しだけ肩の力が抜けた。
行ける。
まだ勝ってはいないが、盤面は確実に動き始めている。
その一方で、戦は終わっていなかった。
敵は前夜の失敗で一度引いたが、完全撤退ではない。外縁で補給し直し、また夜襲の機会を窺っている。ルシアンは負傷兵の見舞いと城壁確認の合間に、捕虜の尋問も進めていた。
夕刻、その尋問結果が届く。
「雇い主の印章、確認できた」
ルシアンが会計所へ入るなり言った。顔色はまだ万全ではないが、昨日までの青白さはない。
「どこですか」
「グランツ侯爵家の外郭商会だ。ただし名義は偽装されている」
「十分です」
私はすぐに決算書の追補欄へ書き足した。
捕虜証言。
支払い経路。
武器刻印。
時系列の符合。
そこへ、外から歓声ともざわめきともつかない声が起きる。
何事かと窓辺へ行くと、中庭の掲示板の前に人が群がっていた。王都からの速報だ。王城西門前の公式掲示板に、王太后名義で『北境守護負担の審査再開および公開審問』が貼り出されたという。
「王太后様、仕事が早すぎません?」
思わず呟くと、トマスがにやりと笑う。
「上に立つ方は、だいたい早いんですよ。本気でやる時だけは」
夜になる頃には、もっと面白い情報が入ってきた。
王都の商人たちがグランツ家周辺商会への決済を一部保留。
聖堂下部組織のいくつかが、ミレイユ主導の慈善会計の再監査を要求。
新聞掲示組合が決算書の要約を読み物として広場へ張り出し始める。
数字は伝播する。
しかも、人の怒りを伴って。
その夜、私は久しぶりに城壁の上へ出た。北の風は冷たかったが、空はよく晴れていて、遠くに敵の焚火が点々と見える。
ルシアンが隣へ立つ。
「何を見ている」
「決算の行方です」
「見えるのか」
「少しだけ」
冗談半分に答えると、彼は小さく笑った。
私は外の闇を見たまま言う。
「ここで耐えているだけだと、いつまでも辺境だけが出血します。だから王都にも、同じだけ痛い思いをしてもらいます」
「怖いことをさらりと言うな」
「事実です。今まで帳簿の外に逃げていた人たちを、戻すだけですから」
ルシアンはしばらく何も言わなかった。
そして、ふと私の肩へ外套を掛けてくる。
「冷える」
「ありがとうございます」
そのさりげなさに、胸の奥がまた静かに温かくなる。
翌朝、正式な王命が届いた。
公開審問のため、辺境伯夫妻は証拠一式を携えて再度王都へ出頭せよ。
文面からすでに、以前の『疑いのある者』という響きが薄れている。
数字は、届いたのだ。
あとは王都のど真ん中で、最後の勘定を合わせるだけだった。




