借金まみれの村に春を売る
城館の会計監督になった翌朝、私はさっそくベルナールを巻き込んで「春の立て直し一覧表」を作った。
村ごとの必要種籾、修繕予定、井戸の状態、家畜の頭数、負債総額、納税見込み。数字を並べると、絶望的なようでいて、どこから手を付ければいいかが見えてくる。
「全部は救えません」
私が言うと、ベルナールは静かに頷いた。
「はい」
「だから優先順位を決めます。死ぬ場所から先に潰す。あとは春の収穫までに自走できる形へ」
「……奥様のそういう言い方、時々戦場の将軍みたいですな」
「経理も戦場ですから」
まず着手したのは、ラーデ村を含む三つの村への種籾貸付だった。
ただし無償ではない。無償配布は一度きりなら美しいが、続かなければ次の年に首を絞める。私はトマスから仕入れた麦種を「春貸し台帳」に載せ、返済は収穫後、利息はごく少額、凶作時は翌年へ繰り越し可能という条件にした。
「借金を増やすだけでは?」
イザベルが眉をひそめる。
「違います。これは返せる借金です」
「返せる、か」
「返せない借金は脅しですが、返せる借金は時間を買う手段です」
前世で住宅ローンも事業再生も見た。借金そのものが悪ではない。問題は条件と目的だ。
私はロザリーの協力で各村の集会を開き、台帳を村人の前で読み上げた。誰にいくら貸し、いつ返し、凶作の時はどう見直すか。隠さず説明する。
最初、村人たちは怯えた顔をしていた。
また搾り取られると思っているのだろう。無理もない。これまで来た代官や商人は、だいたいそうだったはずだ。
けれど私は、契約書の最後にこう書き足した。
『領主側が種籾の品質不良を認めた場合、返済を減免する』
『村側が病や災害を申告した場合、査定後に返済期限を延ばす』
つまり、双方に義務を置いた。
これが大事だ。片方だけに責任が偏る契約は、結局どこかで破綻する。
「ここまで書く貴族は初めて見た」
集会の後、ラーデ村の村長がぽつりと言った。
「書かないと揉めるので」
「揉める前提なんですかい」
「人間ですから」
村長は一瞬ぽかんとしたあと、腹を抱えて笑った。そんなふうに笑う余裕がこの村に残っていたことに、私は少しだけ嬉しくなった。
並行して、私はフォスター代官の調査も進めていた。
村から巻き上げた金の流れを追うと、一部は王都の商人へ、一部は地方の賭場へ、残りは行方不明。いかにも凡庸な横領だ。特別負担のような大きな闇に紛れて、小さな腐敗がいくらでも入り込んでいる。
私は証拠を揃え、ベルナールを通じてルシアンへ提出した。
「処分は私から行う」
書斎で報告書を受け取った彼は、目を通しながらそう言った。
「お願いします。村に戻す分は戻したいので」
「戻る額は大きくない」
「ゼロよりはましです」
ルシアンが書類を閉じる。
「君は本当に、一枚も無駄にしたくないんだな」
「当然です。紙一枚、銀貨一枚、パン一個。それで生き延びる人がいるなら」
私はそこで言葉を切った。少し熱くなりすぎたかもしれない。
けれどルシアンは笑わなかった。
「……ああ。そうだな」
むしろ、ひどく静かな顔でそう言った。
その日の午後、私はトマスともう一つ契約を結んだ。村で余っている羊毛と薬草の買い取り保証である。まだ量は少ないが、春から夏にかけて換金できれば、種籾の返済にも回せる。
「奥様、完全に地方再生の顔になってますよ」
トマスは面白そうに笑う。
「商人から見て、今の砦はどうですか」
「投資対象としては、やっと検討に値するところまで来ました」
「率直で結構です」
「ただし問題は、中央がそれを嫌がることですね」
その言葉に、私はインクを含ませたペン先を止めた。
「嫌がるでしょうね」
「黒字になる辺境は、吸い上げる側にとって扱いづらい」
「ええ。よく知っています」
前世でも、現場が立て直ると困る人間がいた。赤字の責任で人を縛っている者にとって、自立は脅威なのだ。
夕方、砦へ戻ると、中庭で子供たちが箱を並べて遊んでいた。兵の家族らしい。私は何気なく近づき、覗き込む。
「何をしているの?」
「おかねやさん!」
元気よく答えた少女が、箱の上に小石を並べた。
「これはしお、これはくすり、こっちはくつ!」
「まあ。立派な商売ね」
「でも、おとうさんが『かけ』って言ってたから、あとでぜんぶなくなるの」
横で見ていた母親が慌てて飛んできて頭を下げた。
「も、申し訳ございません奥様、子供が失礼を……!」
「いいえ」
私はしゃがみ込み、小石を一つ手に取った。
「なくならない商売にしましょうか」
「どうやって?」
「ちゃんと帳面をつけるの」
紙切れに簡単な表を書き、子供たちへ見せる。受け取ったもの、渡したもの、残り。遊びの延長みたいなものだが、子供たちは思いのほか真剣に覗き込んだ。
その様子を少し離れた柱の陰から、ルシアンが見ていた。
気づいたのは、子供たちと別れた後だ。
「……見ていらしたんですか」
「偶然だ」
「便利な偶然ですね」
「そうだな」
彼は私の手元の紙を見る。
「何を教えていた」
「在庫管理の基本です」
「子供に?」
「子供だからです。早いうちに覚えると便利ですよ」
ルシアンは呆れたように息を吐き、それからぽつりと言った。
「昔のグランデルは、こんなふうに人の声がしていた」
私は彼を見た。
「今は違ったんですか」
「長く、余裕がなかった」
その一言に、彼がどれだけ一人で背負ってきたかが滲んでいた。
私は少し迷ってから答える。
「余裕は、作れます。少しずつですけど」
「君は本当に、少しずつでも前へ進むんだな」
「止まると未処理が溜まるので」
ルシアンは小さく笑った。
「君の頭の中には、たぶん一生『未処理』という棚があるんだろうな」
「はい。できれば空にしたいです」
「無理だ」
「ですよね」
そんな、どうでもいいようで大事な会話が、妙に心地よかった。
夜、私は春貸し台帳の最後に、最初の返済予定表を書き入れた。
村から上がるのはまだ小さな数字ばかりだ。
でもそれでいい。
春は大きく稼ぐ季節じゃない。生き延びるための季節だ。
そして生き延びれば、夏が来る。




