15 夢の中(2)
さすがに神は手強かった。
俺が飛車落ちで負けるなんて、本当に何年振りだ。
トッププロと同格、もしくはそれ以上と言われた将棋ソフトに対しても、飛車落ちで負けるなんて事はなかった。
まぁ、平手だとボロクソに負けるけど。
「君、本当にアマチュアかい? やけに強いじゃないか」
自称将棋の神は、今はリオンの顔をしている。
そのせいか最初より少し砕けた口調になっている。
だが、それがこんなふうに上から目線だと、こちらの調子が狂ってしまう。
「駒落ちが得意なだけです。平手だと多分アマチュア相応ですよ」
「ふぅん。上手と下手だとどっちが得意なのかな?」
「どっちも好きですけど、上手の方を持つ事が多かったですかね」
俺が通ってた町道場レベルじゃ、高段者はそう多くない。
必然的に上手を持つ事が多かった。
だからという訳じゃないが、いつの間にか駒落ちのコツのようなものを掴んでいた。
駒落ちの上手とは、当然ながら駒が少なくて不利な状況にある。
そのため、まともにぶつかったら負けて当然なのだ。
ではどうするか?
俺が出した答えは、大胆に攻める事。
大胆に攻めて、大量のリードを狙う。
それに付いて回るリスクは、必死で誤魔化す。
前に言った、『不利な時は戦線拡大』をやるのだ。
局面を複雑化させて、相手に間違えさせる。
乱戦も泥沼も大歓迎。
相手は自分より弱いんだから、必ず間違える。
間違えているかわからなくても、間違っていると仮定する。
すると不思議な事に良い手が見えてくる。
ひどい言い方をすれば、駒落ち上手のコツとは相手を舐める事だ。
これは麻雀の格言だが、『敵は舐めてかかれ。だが麻雀は舐めるな』とある。
これがそっくり将棋にも当てはまる。
そして、ひるがえって下手はどう考えるべきか。
それならばと上手の考えを逆に突けばいい。
駒が少ない以上、基本的に上手は苦しいのだ。
だから無理な攻めを仕掛けてくる。
実力で劣る下手からは、それが無理攻めなのかはわからない。
しかし、無理攻めであると仮定する。
するとやはり、良い手が見えやすくなる。
もっとも、これはあくまで人間相手の戦い方だ。
常に最善手を探す将棋ソフトには通用しない考え方で、そもそもAIに誤魔化すという概念があるかは怪しい。
──だがこいつ、将棋の神とやらは別だ。
こいつはどちらかと言えば、人間寄りの思考をしてる気がする。
駒の動きに、間違えさせようという意思が垣間見て取れる。
相手の思考を加味したような、血の通った一手がいくつもあった。
「──私は機械ではないよ。ラウル君」
そんな俺の思考を読んだかのように、神は言う。
「私を測る事は簡単さ。世界一将棋の強い人間を想像すればいい。それが私だ」
神は傲慢だった。
欠片ほどの謙虚さも持ち合わせない。
礼儀正しいが、そこに思いやりや尊敬の念はなかった。
俺はそこに、多少なりの腹立たしさを覚えていた。
こいつと指してみて、気づいた事がある。
こいつは神などではない。
少なくとも、俺が考える神という存在には程遠い。
こいつは、すべてを読み切って常に最善手を指せる訳じゃないのだ。
先手必勝、あるいは後手必勝の結論を出せる存在。
それが俺の考える将棋の神だった。
「──なんだか不満な顔をしているね。何かに気に障る事を言ったかな?」
「そうですね。さっきの言葉は撤回して欲しいかも」
世界一将棋の強い人間とか言ったか、こいつは。
まだ平手の強さを見ていないが、なんとなくわかる。
こいつは全盛期のあの人にはきっと劣る。
こいつの将棋からは感動を得られない。
宇宙が弾けるような才気の爆発を、俺は知っている。
こいつにあの『△4三角不成』は指せない。
「ふむ。撤回して欲しいなら、せめて飛車落ちで私に勝つ事だね」
「将棋の神ともあろう人が、俺なんかを苛めて楽しいんですか?」
「君が弟子を苛めるぐらいには楽しいかな」
むぅ。
やり返されてしまった。
リオンを苛めるのは物凄く楽しいからな。
「それじゃ、そろそろ次の勝負を始めようか。──次は飛香落ちだったね」
そう言うと、一瞬で盤面は初形に戻った。
そしてこれ見よがしに、自陣の飛車と香を手で取り除く。
一瞬で変えられるなら、最初から抜いとけばいいのに。
いちいち癪に障る奴だな。
「それでは、お願いします」
「お願いします」
再び頭を下げ合って、第二局が始まる。




