第105話.帰還(ニコレシア)
色々と嫌疑のある元貴族令嬢のニコレシアですが、領地では人気がありました(同情も)
ですが、直接顔を見たことのある領民は少ないです。
空飛ぶ馬車が地面から離れたのは、まだ夜が明ける前の時間帯だった、紫色に染まる東の空を見ながら、ひたすら故郷を目指すわたし。
故郷を後にしたのも、この空飛ぶ馬車だった事を思うと感慨深い、もはや帰る事はないと思っていたのだが。
「湖が見えてきました!」
ゴンドラの先頭で見張りをしていたパトリッツアが叫ぶ。
領地を横たわる様に伸びる湖が魔物に対する防波堤となっているはずだ、わたしがニコレシアとして最後の時を過ごした別荘を探すが、まだ薄暗いのか、良く分からない。
「あれ! 魔物です」
パトリッツアが叫ぶ。
目を凝らすと、まだ夜露の時間帯からだろうか、動きは鈍いが、湖岸までギッシリと魔物が詰まっている。
あの別荘、わたしがいなくなり、ヨーナス達も引き払っただろうか? 目端の効く彼の事だ、もし残っていたとしても、すぐに逃げ出すか、対岸まで船で渡っただろう。
“無事でいてくれよ”
その後も上空を飛ぶが、緑あふれる牧草地は醜い魔物に埋め尽くされている。
「ニンファ様の水魔法でなんとかなりませんか?」
パトリッツアがボソリと言う。
「バカね、どれだけいると思っているのよ、それに水かけても魔物は死なないわよ、最後のとどめは人間が刺さないと」
「だけど、どっか狭い場所があれば、そこで魔物を止めれば、なんとかならないかなぁ …… 」
そんな二人のやり取りを聞いている間に、魔物の最前線を通り抜けた。
ジグザクに掘られた水濠と堰堤、運河として使うには狭すぎる、純粋に防衛の為に作られた施設。
意外と思うかもしれないけど、直線よりもジグザグにした方が守り易いのよ。
わたしは守備隊の本部とおぼしき場所に“空飛ぶ馬車”を降ろす。
あっという間に守備隊員や難民達が集まって来た、空を飛んで来た事よりも、あまりの大きさに驚いているのが正直な感想だろう。
指揮官階級とおぼしき、数人の男性がわたしのもとに歩いて来る。
「それがし、ダールマイアー領からやって来たニンファと言うもの、今回の魔物防衛に加勢いたす」
「これは、遠路はるばる、ありがとうございます」
味方だと分かったが、身分が分からない相手、とりあえず頭を下げる男達。
「うむ、ヨーナス、状況を説明してくれ」
“見ず知らず”の女性に突然名前を呼ばれたが、そこはベテラン執事、落ちついて状況説明をしていく。
「 …… カルクベラ台地は三日前に飲み込まれました、付近の村々も同様でございます」
「民間人は避難したのか?」
「はい、昨晩遅くに、カーン村の難民が到着したのが最後でございます」
カーン村と言えば、シモネーナの出身地だったな。
「ヨーナスよ、メイドのシモネーナは息災か?」
「はい、今も守備隊を支えております」
「難民キャンプは人が足りないであろう、シモネーナを手伝いにいかせろ」
突然人ごみの中から、若い女性の声が上がる。
「ニコレシア様、その様な気遣いは無用でございます!
わたくしシモネーナはここで守備隊の皆を支え、事に当たっては自ら槍を持ち戦う覚悟です」
“ニコレシア様だ”
“生きておられた”
“お貴族様の加勢があるぞ”
それまで、黙ってやり取りを聞いていた守備隊の兵士達に高揚感と安堵感が広がって行くのが分かる。
わたしは、全員に向けて伝える。
「わたしは、今、この空飛ぶ馬車で魔物を見て来た、おびただしい魔物がひしめいておった、今日の昼までには防衛線に到達するであろう。
だが、わたしは心配をしておらん、諸官らの目は気概に溢れておる!
リリアーナ平原を狙う魔物は槍の露と消えるであろう」
先程までは不安にかられていた守備隊、今は戦いの前の熱狂に酔っている。
「ヨーナス、麓の街から油脂を集めろ、奴らを姿焼にしてやる」
○
昼前に到着すると思っていた魔物の大群だが、一刻も経たないうちに防衛線に到達した。
先頭は水濠に躊躇して止まるが、後続に押されて、そのまま水濠に押し落され、更にその後続が。
仲間の死体を乗り越えて来た魔物を胸壁の上から槍で刺す守備隊。
胸壁のすぐ後ろに控える弓兵隊は曲射で火矢を放つ、後続を削れば、最前線に対する圧力が減るであろう。
そんな火矢の軌跡のすぐ上を空飛ぶ馬車が音もなく飛び越える。
水堀が浅い右翼に魔物が集中して来て、防衛線の一部が崩れかかっている、との報告を受けたわたし。
守備陣地を見ると、予備隊が駆けていくのが分かる、一日戦っていて、苦しいだろうが、今が踏ん張りどころだ。
数体が胸壁を乗り越え、防衛線は崩壊寸前だ、これはまずい、ダムは他の大部分が平気でも一か所穴が空けば、それで終わりだ。
守備隊のギリギリの位置に油脂樽を落とさなければならない。
誤爆防止のため、わたしはバルブを緩める。
「高度下げるぞ!」
「高度下げ、了解」
総舵手のナオミが復唱。
「進路そのまま」
「進路そのまま」
舵輪を持ったナオミが、わたしの声を反復する。
空の上ではまっすぐ進むと言うのは難しい、常に横風の影響を受けているから、進路を保つために、斜めの向き、時には蟹の横這いみたいな形で駆け抜ける、空飛ぶ馬車よ。
「今!」
戦闘奴隷のパトリッツアとメイドのシモネーナが手際よくロープを切って行く。
ロープの切れる音にあわせて、機体が小さく上昇するのが分かる。
ねずみ色の暗闇の中に二列の炎の帯が出来る、暗闇に目が順応しているだろう、炎が眩しい、もう飛ぶには遅い時間だと、実感する。
わたしの瞳孔の開きを確認させてくれた炎は、油脂の塊なので、そう簡単に燃え尽きないでしょう。
守備隊からは喚声と喝采の声が聞こえてきた。
最初の頃はパトリッツアもシモネーナもゴンドラから下をのぞき込み、自分達の戦果に喚声をあげていたが、もはや、そんな気力はどこにも無く、仕事を終えた二人はそのまま座り込む。
今日何十回目になるのか、数えるのも途中でやめてしまった着陸。
急造のグランドクルーが手馴れた動作で、機体を縛りつける。
最初の離陸はまだ朝の空気が残っていたのだが、今は薄暮、油脂の煙と魔物の焦げる臭いが漂う戦場。
「お帰りなさいませ、ニコレシア様。
時間からして、最後の攻撃でよろしいですね」
「うむ、ヨーナスよ、守備隊の様子はどうだ?」
「炎攻撃で魔物の圧が弱めているので、持ちこたえております。
これから夜になれば気温が下がって、結露が起きますので、魔物の動きも緩慢になるでしょう」
「討ってでるのか?」
「夜の間は交代で兵を休ませます、黎明の直前、一番動きが悪い時間帯が良いでしょう、ニコレシア様」
わたし達のやり取りを直立不動の姿勢で聞いている伝令兵が目にとまった、あの腕章は連隊直属の伝令だ。
「そなた、伝令兵だな、名は何と申す?」
「クレーベルと申します、ニコレシア様」
「クレーベルか、そなたの父君は槍の名手だったのではないかな?」
「左様でございます!」
「うむ、良い父君を持ったな。
して、伝令の要件はなんだ?」
伝令兵クレーベルは連隊伝令の腕章を剥ぎ取る。
「兵卒、クレーベルはニコレシア様のもとで戦いに馳せ参じに参りました!」
撤退命令書は幕舎前の泥道に投げ捨てられた。
油脂の入った樽に小さな炎魔石を取り付け、着地した瞬間に燃え上がる、急造のナパーム弾です。




