Devotion――献身①
朝日に照らされた白い天井を眺めながら考える。
悪夢を見なくなった、と。
中条冬子を失ったあの悲劇から、もうすぐ一年が経とうとしている。
おそらくぼく自身の生存本能が、夢を見ることを拒絶し始めたのだろう。悪夢はおろか、ただの夢すら見ることはない。
過去に囚われて精神を摩耗すれば、それだけ生存率が下がる。
でも、忘れたりはしない。起きているときに瞳を閉じれば、あの瞬間はいつだって鮮明に思い出せる。
忘れるな。思い出すな。忘れるな。思い出すな。忘れるな。
ベッドから身を起こし、洗面台で顔を洗う。
鏡に映る自分。一時期に比べれば顔色もよくなった。睡眠時間の他にも、食欲が戻ってきたのが大きい。
顔を拭いたタオルを首に掛け、ストレッチをする。
膝を曲げ、伸ばす。筋肉をひとつひとつ意識しながら引き伸ばし、関節を解きほぐしてゆく。足の先から、首、腕はもちろん指先に至るまで。
時間のかかる面倒な作業だが、装甲人型兵器の操縦では、自らの肉体をどれだけ脳の支配下に置くことができるかが最重要事項となる。
ぼくらは機械の兵器を操縦しているわけではなく、鋼鉄の肉体を脳波で動かしているのだから。
もちろん、自室のシャワーを浴びる直前にする毎晩の筋トレも欠かさない。去年と比べれば、ネイキッドに負けず劣らずこの身体の性能も飛躍的に向上している。
生き残るためなら、できることはなんだってする。
ふいにノックの音がした。
確かめるまでもなく、ぼくは声を掛ける。
「開いてるよ」
ドアが開かれ、マサトが顔を覗かせた。
去年のような、長く明るい髪色ではない。色は黒へと戻り、ぼくよりもずっと短く刈り込まれている。
シャツの胸元を大きく開けているのは同じだが、そこにロザリオはない。こいつもずいぶんと様変わりをした。
「よお、イツキ。飯行こうぜ」
「うん」
マサトにしてみれば、これは女避けのつもりらしい。
サード・アームズを全校生徒から孤立させるためにとった行動のひとつだ。もっとも、女避けという観点からすれば、あまり効果はないと思う。
藤堂ほどではないにしても高身長で手足は長く、そのくせそれなりに筋肉もついている。何より知略軍略はもちろん装甲人型兵器の操縦にも長けている上に、藤堂とは違って性格もいい。
おそらくサード・アームズのメンバーでさえなければ、女子生徒らは多岐将人を放ってはおかないだろう。
ぼくらが揃って廊下に出ると、同学年の学生らが一斉に会話を止めて口をつぐんだ。
睨んでくるやつらもいるし、視線を逸らすやつらもいる。けれど、挨拶を交わそうとしてくるやつはひとりもいない。
いたとしても、挨拶を返すことはないけれど。
ぼくらは胸を張り、周囲を威圧するように堂々と廊下の中央を歩いてゆく。
二年生となったぼくらの部屋は、男子寮の二階だ。
階段を下りると、ちょうど入学時の半数にまで減ってしまった二年生の寂しい廊下とは違い、入学から犠牲者ナシの一年生の廊下がある。
「サード・アームズ……!」
「うお……!? 高桜さんと多岐さんだ……!」
物言いたげな視線に晒されながら、ぼくらはやはり廊下の中央を歩いてゆく。
一年生たちの間でも、サード・アームズの命令違反はもはや有名だ。入学して一ヶ月も経てば、もう誰も声などかけてこないだろうと高をくくっていた。
まっすぐ歩くぼくらへと向かって、イガグリ頭の少年が立ちはだかった。
一瞬だけマサトと視線を交わし、イガグリの前で立ち止まる。
「なんか用か?」
マサトが両手をポケットに入れたまま顔を下げ、威嚇するかのようにイガグリを覗き込む。しかしイガグリはまっすぐにその視線を受け止めて、突然勢いよく頭を下げた。
「自分、五十嵐幸太といいます! この前のドレッドノート級との戦いでサード・アームズに生命を救われました! ありがとうござ――」
「――かっ、くっだらねえ。礼なんざ必要ねえよ。勘違いすんな。おれたちが今後の作戦遂行にあたって、貴重な駒が減るような事態を避けるのは当然だ。そんなことはあの悪名高い藤堂正宗だってやってるぜ」
彼の言葉を遮って、マサトが吐き捨てた。イガグリ頭の五十嵐幸太が言葉を呑み、顔を上げる。
「え、あ。そ、それでも俺――」
「そうだな。それでもまだキミがぼくらに恩義を感じてくれるなら、今後はせいぜい腕を磨いて、次はぼくらの肉壁にでもなってくれればそれでいいよ」
「話がそれだけなら、そこどいてくんね? 腹減ってんだ」
呆然とする五十嵐幸太の肩を、マサトが乱暴に押し退けた。よろけて窓に手を付いた五十嵐幸太を尻目に、ぼくらは揃って歩き出す。
背中越しに吐き捨てながら。
「頑張れよ、肉壁くん」
「はは! そりゃ言い過ぎだって、マサト!」
「おめえが言ったんだろうが……」
背中から突き刺さるような無数の視線が向けられているのがわかる。
聞こえるように悪口を言っている一年生もいるし、今にもつかみかかってきそうなくらいに睨みつけてくるやつもいる。
ぼくらはそんな一年生たちの間を突っ切って、廊下から帝高の中庭へと出た。
中庭の桜はとっくに散ってしまっている。青々とした葉が強い春の風に揺れているけれど、五月の末ともなればもう肌寒さも感じない。
マサトが苦々しげな笑みを浮かべて小声で呟いた。
「なあ、イツキィ」
「うん?」
「藤堂って、あんっっっだけ、みんなに嫌われまくってんのに、つらくねーのかねえ?」
「あ~、うん……。ハート強いよね、あいつ……。無駄に……」
わざと嫌われるような振る舞いを取るのも楽じゃない。
五十嵐幸太のようなやつがいてくれるのは素直に嬉しい。けれど、それをぼくらが態度に出せば、五十嵐幸太は本気でぼくらについてこようとするだろう。
当時まだ未熟だったぼくらが、天川月乃の背中を追ったように。中条冬子や三倉美紀子たちリバティ・ベルが、ぼくらサード・アームズの背中を追ってきたように。
ぼくらは運がよかっただけだ。そして、トウコたちには運がなかった。それだけの違いだ。
悪夢は見なくなった。
だけどトウコがトール級に圧し潰された瞬間は、今でも鮮明に思い出せる。ネイキッドが伸ばした手のはるか先。
届かぬところ。
ぼくは頭を振って思考を振り払う。
過ぎた献身など、もはや迷惑でしかない。
マサトがぼくの背中を軽く叩いた。
「あんま背負い込むな」
「大丈夫だ」
ぼくらは大多数の学生らが集まる食堂の前を通り過ぎ、これまたぼくらを避けるように道を空ける女子の群を突っ切って女子寮を目指す。
これもいつものことだ。
以前、リサは食堂に単独でいた際に、藤堂に攫われかけたことがある。その件以降、ぼくとマサトはリサの身辺警護のため、彼女が女子寮から出る際には常に行動をともにすることにしている。
女子寮の入口まで来ると、先に待っていたルルが笑顔で手を振ってきた。
「おはようございます、イツキさん、マサトさん」
「おう、ルル」
「あれ? リサは? まだ来てないの?」
いつもなら呆れるくらい時間ぴったりに来ているはずの少女を捜して、ぼくは視線を走らせる。
「ええ。まだ来ていません。珍しいですね。わたし、ちょっと見てきましょうか?」
「うん。お願い」
ルルが長い髪を揺らして、小走りで女子寮へと戻っていった。
マサトが眉をしかめて呟く。
「初めてじゃねえの? お姫さんが遅れるって」
「そうだね」
入学当初に比べれば、リサ・アバカロフはずいぶんと人間らしくなった。以前は感情すら希薄だったけれど、今では子供のように豊かな表情を見せてくれる。だからといって、遅刻をする理由にはならないけれど。
しばらくして、ルルが戻ってきた。
「リサさん、部屋にいないみたいです。もしかしたら体調でも悪いのかもしれないと思って、預かっていた合い鍵で開けてみたのですが、部屋は無人でした」
「そうなの?」
「はい」
「先に行ったんじゃねえ?」
「リサに限って、それはないと思うけど……」
リサだって藤堂に絡まれたことはおぼえているはずだ。彼女はぼうっとしているけれど、決してバカというわけではない。
むしろ筆記試験では当然のように毎回満点を取っているし、装甲人型兵器の操縦だってサード・アームズのなかでさえ頭抜けている。
「何か、嫌な予感がしますね……。あの人の仕業とか……」
ルルが遠慮がちに呟いた言葉に、マサトが顔をしかめた。
「いくら藤堂でも、女子寮のなかに侵入して攫うってこたあねえだろ」
「ええ、もちろんそうなのですが……」
帝高では、携帯電話の所持が禁止されている。装甲人型兵器に乗ってさえいれば、超伝導量子干渉素子によっていつでも連絡は取れるのだけれど、生身となれば不便極まりない。
「マサト、ルル、悪いけど先に食堂に行って捜してくれない? ぼくはちょっとそこらへんを捜しながら食堂に向かうよ」
「そいつぁ構わねえが……食堂にいた場合、おめえはどうすんだ?」
「もし食堂にいたらマサトはリサについて、ルルはぼくにそれを報せに来てほしい。たぶん、大浴場か格納庫あたりを捜してるから」
「大……浴場……」
ルルが小さく呟いて、一気に顔を真っ赤に染めた。
おそらく先日のことを思い出させてしまったのだろう。
「や、その、人気のないところって意味だからね!? 男子寮や女子寮には常に人目があるし、中庭は通り道になってるし、グラウンドだってこの時間帯だと体育会系のやつらが使ってるだろ!?」
「え、ええ、そうですね」
マサトが顎に手をあてて唇をねじ曲げた。
「なるほど。考えたかねえが、もし何かあるとすりゃ人目のない場所ってことか。となると屋上もアヤシいぜ」
「それはあり得ません。帝高の屋上は立ち入り禁止で、すべて施錠されていますから。ちなみにドアはもちろんのことですが、窓も強化ガラスが採用されていて拳銃程度では破壊することもできません」
「そうなのか?」
「はい。この学校の特性上、その……。……以前、メタルと戦う重圧に負けて、何人かが飛び降りたらしくて……」
気持ちはわからないでもないけど、それはやはり愚かな選択だ。そんなことに生命を消費するくらいなら――……。
いや、今はこんなことを考えている場合じゃない。
「とにかくぼくは大浴場の周辺を捜したあとに格納庫に向かうよ。食堂のほうは任せる」
「あいよ。じゃ、ちょっくら急いで行きますかね」
「そうですね。では、イツキさん。後ほど」
「うん」
マサトとルルが揃って走り出すのを見送って、ぼくは大浴場方面へと走った。
ふたりの前では見せなかったけれど、異常なくらいに胸騒ぎがする。第六感など信じてはいないけれど、一年以上もの間ぼくは戦場に立ち続け、生き延びてきた。
そこに五感を超える何かがなかったかと問われれば、正直わからない。
それに、胸騒ぎの原因はそれだけではない。
アバカロフは消されるのだ。
リア・アバカロフは戦死ではなく、帝高関係者である何者かに殺害された。入学時には確実に存在していたはずのリカ・アバカロフは、卒業時には籍を抹消され、最初からいないことにされていた。
そしておそらく、そのふたりの間にはぼくの知らないアバカロフがもうひとりいる。
もちろん、彼女も卒業時にはいなくなっていた。
「リサ……!」
大浴場入口に立って、左右を見回す。
男女分けされた偶数時間か奇数時間かを考えることもせず、ぼくは入口を開けて広大な脱衣場へと飛び込んだ。
「いない……」
そのまま足早に進み、浴室へと続く開き戸を開ける。
湯気で白んでいるけれど、やはり誰もいない。黒湯に潜っていたりしたらわからないが、そんな奇行をするのは天川月乃くらいのものだ。
「いないか……」
開き戸を閉めて、大浴場入口から外へと出る。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




