Devotion――献身②
格納庫へと向かおうとしたぼくの耳に、わずかな風に乗って静かに語る男女の声が聞こえてきた。
大浴場裏だ。
足音を忍ばせ、建物を回り込む。
ただの逢い引きかもしれないが、状況が状況だけに確かめずにはいられない。もしもそうだったら、黙って引き返して忘れればいいだけのことだ。
けれど、大浴場の角に張り付いてそっと覗き込もうとしたぼくは、聞き覚えのある声に眉をひそめることとなった。
姿を確かめるまでもない。あの忌々しい声。
「藤堂……?」
藤堂正宗だ。昨年の一年生の撃墜王でありながら、メタルはおろか人類に対してまで憎しみを抱く性格破綻者。
今年度ではぼくとエースパイロットの座を争い、且つ帝高二年の指揮も務めている。もっとも、やつの指揮下にぼくらサード・アームズは決して入るつもりはないけれど。
なぜならぼくらは、殺し合う仲だからだ。
生唾を飲み、耳を澄ませる。
「…………あの話は真実だったのか……ッ」
そっと覗き込んだぼくは、目を見開いた。
リサ……! どうして藤堂と……!?
飛び出そうとして躊躇う。
「なるほど、貴様。だとするなら、なんと美しく、そして薄汚く忌々しい雌だッ!」
藤堂が憎しみを込めた声で吐き捨てる。
けれどリサは藤堂の前に立ち、ほんのわずかに目元を歪めているだけだ。
「理解ができたなら、もうわたしと関わるのはやめるべき。その理由もない」
様子がおかしい。いつもとは違う。
これまでの両者であれば、藤堂はすぐにでもリサに手を出していた。リサを最上の女として連れ去ろうとしたり、リサの周囲に常にいるぼくやマサトを戦場のどさくさで殺害しようとしたり、とにかくアグレッシブだった。
そして女子のなかでも特に身体の小さなリサには、それに抗う術はなかった。
ところが今、藤堂は小さなリサの前に立ちながら、あきらかに困惑した表情を浮かべている。
額に手を当てて呼吸を荒げ、何事かを語ろうと口を開くも、すぐに閉ざされて。
「……く、忌々しいッ」
「あなたは、とても不快」
一方のリサは小さな胸の前で両腕を組み、藤堂を睨み上げている。
「そして、あなたにとって、わたしはとても不快な存在になった。違う?」
藤堂が歯がみする。
「わかったら、もう関わらないほうがいい。超伝導量子干渉素子による副作用の出たあなたの境遇には、同情するけれど」
「同情? 貴様のような得体の知れん女が、この俺に同情だと!? ふざけるな、胸くその悪いッ!! そのようなものを貴様に抱かせたのだとしたら、我が人生における生涯の汚点だッ!」
リサが藤堂に背を向けた。
その小さな背中へと向けて、藤堂が吐き捨てる。
「それに、どうせそのような上等な感情など、貴様は本来持ち合わせてもいないのだろうよッ!!」
「……」
激高する藤堂をほんの少し振り返って睨み、リサは無言で再び藤堂に背を向けた。
「わからない。そうかもしれない。けれどわたしは、そう感じた。理論は合っているはず」
しばし呆然と立ち尽くしたままの藤堂を置いて、リサが歩き出す。
そのタイミングで、ぼくは大浴場の角から姿を現した。
「リサ、捜したよ」
リサの赤い瞳が大きく見開かれる。制服のスカートを揺らして立ち止まり、珍しく――いや、初めてそのような表情をしたと思う。
「イツキ……?」
瞬間、藤堂の苦渋の表情が崩れる。
頬を引きつらせ、そして徐々に形を変えて粘着質な笑みへと。
「ふは、ふはははははッ!! その様子! くく……ッ」
リサが瞳を半眼にして、ぼくから視線を反らせた。
「知らんのだな? そいつは! 高桜一樹は、リサ・アバカロフを知らんのだなァ? これはッ、ハハ、おもしろいッ!! そういうことかッ!!」
そうして藤堂はぼくに向き直り、紫がかった髪を掻き毟りながら血走った目を剥いた。
「高桜、貴様、今の話を聞いていたか? んん?」
「さあな。そんなこと、おまえにこたえてやるつもりは――」
「ああ、そうかそうかッ!! その様子では聞いてはいなかったな。残念だ。あぁ~、実に残念だ。貴様にもその女に対する失望を味わってほしかったところなのだがなァ?」
ぼくがリサに失望する? なんの話だ?
リサが長い銀髪を振って、勢いよく藤堂を振り返る。
「話せばいい。けれど、おそらくその場合、あなたは消される」
「――!?」
およそリサから発せられたとは思えないほど、剣呑な言葉。
消される? 殺されるということか? 誰に? どうして?
藤堂はリサの何を知ったってんだ?
心臓が高鳴ってゆく。
「ハッ、そうだろうとも! そうだろうとも! 口に出せば俺はもう生きてはいられないだろう。だが、高桜は知りたがるだろうなァ? 何せ――」
「――やめて!」
悲鳴のようにリサが叫んだ。
時間が止まる。藤堂もぼくも、言葉を失っていた。
ざぁっと風が流れ、木々の葉を揺らす。
やがて藤堂は下卑た笑みを浮かべて、小馬鹿にするかのように肩をすくめた。
「くく。いいだろう。俺に自殺願望はない。薄汚い腐肉どもに消されるなんざ冗談ではない。――そうだな、二年後に訪れるその日を、今から楽しみに待つとしよう。くだらん戦争なんぞで死ぬんじゃあないぞ。せいぜい生き延びろよ、白子」
なん……だ……これ……?
藤堂がぼくらに背中を向けて立ち去ってゆく。
リサは戸惑うようにぼくを振り返って、傍目にもわかるくらいに無理矢理な笑みを浮かべた。
「イツキ、捜しに来てくれた?」
「あ、うん」
「ありがとう」
リサはそれだけを告げると、ぼくから逃げるように顔を伏せて足早に歩き出した。
あわてて彼女のあとを追いかける。
「リサ」
「ん」
ぼくはリサの隣に立って、彼女の歩みに合わせて歩く。
「みんな食堂で待ってるよ。心配させたんだから、マサトやルルにもお礼を言いなよ?」
「……?」
リサが立ち止まり、不安げに僕を見上げた。
「イツキ、聞かない?」
ぼくは肩をすくめる。
「藤堂との会話の内容なら。興味はあるし、正直言って知りたくてたまらないけど、リサが話してくれるまでは聞かない」
藤堂の言葉を止めた「やめて」という先ほどの叫びは、本当に悲痛な声だった。
「幸い、たとえ絞め上げたとしても藤堂も言えないようだからね」
少し考えるそぶりを見せたあと、リサが真顔で呟く。
「だめ。それはしないほうがいい。イツキの身体性能では、藤堂を絞め上げられる可能性は34%。運良くうまくいってもケガをするからやめるべき」
「……はい」
少々のトレーニングでは、まだまだやつに追いつけそうにはない。
ぼくより小さな身体で藤堂を圧倒して見せたツキノさんくらいの身体能力があればと、いつも思う。
うなだれたぼくの前に回り込み、リサが僕の歩みを止めた。
「落ち込むことない。去年は5%もなかった。それに装甲人型兵器に乗れば、もう少し確率は上がる。サード・アームズの戦闘能力は、すでにイル・オーメンドを超えてる」
「そうなの? チーム戦じゃなくて、仮に一対一だとどうなるかな?」
「……ん。よくて半分。でも、肉の身体でやるよりはずっといい」
そうか。
当初はリサの分析なんて適当なものだと思っていたけれど、今ならその分析が様々なデータに基づいて弾き出されたものだとわかる。それは機械のようにいつも正確だ。
リサが薄い胸を張って得意げに呟く。
「イツキはひとりじゃない」
「そうだね」
もしそのときが来たら、手を貸すと言ってくれている。おそらくマサトやルルも、リサと同じ気持ちでいてくれるだろう。
けれど、だめだ。そんなことにみんなは巻き込めない。
ぼくらが互いを憎み合い、やろうとしていることは、ケンカで殴り合うのとはわけが違う。人類がメタルを殺すのともわけが違う。
人間同士の殺し合いだ。
「ひとりじゃない」
何を思ったのか、リサが背伸びで僕の胸ぐらをつかみ、白く細い手でぼくの顔を引き下げた。
白い肌に白い髪。赤い瞳が眼前にあって、ぼくは戸惑う。
「え……、リサ、どうしたの……?」
「ひとりにはしない」
赤い瞳が急激に迫り、気づけばぼくの唇は血の赤さを鮮明に映し出すリサの唇と柔らかに重なり合っていた。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
心臓が跳ね上がったのは、ぬくもりが離れてからだ。
「リ、リサ……?」
「イツキ。この先何を知ったとしても、忘れないで。わたしはイツキをひとりにしない。いずれ訪れる最期の瞬間まで、ずっとイツキを守る。メタルにも、藤堂にも、イツキは殺させない」
ものすごい勢いで血液が上昇してゆく。
「たとえイツキがすべてを知り、わたしから離れることを選んでも。わたしはイツキのことを守る」
風が凪いだ。無音の世界が訪れる。
そうしてリサは、かつてリアがぼくにそうしてくれたように、呆然と立ち尽くしていたぼくの手を引いて歩き出した。
「この身体が、そうしてと囁いている。頭ではなく、胸から聞こえる不思議な声で」
ぼくは斜め後ろから、リサの背中を見つめる。
長い白髪が制服の背後で揺れていて。
あの日、十年前のあの日――。
ぼくを抱えてドレッドノート級のメタルなら逃げ切ってくれたリア・アバカロフのことを思い出しながら。
ああ、ぼくはもうずっと長い間、守られていたんだな……。
リアの幻影に勇気づけられ、リサの小さな身体に守られて。肉体が滅びそうな戦いを切り抜けて、精神が壊れそうな状態をも乗り越えて。
ぼくは生きている。
気づけば、先を歩くリサの手をたぐり寄せてその背中を抱きしめていた。
両腕を回せば、すっぽりと収まるくらいに小さな身体は細く、弱々しく。なのに熱だけを帯びていて。
どうしようもなく愛しくて、ぼくは彼女の白い髪に頬を押し当てた。
「大丈夫だ。そんなことにはならない。何を知っても、ぼくはリサから離れたりはしない」
最大限に言葉を選び、慎重にゆっくりと囁く。
「リサが、いや、アバカロフがメタル以外の何と戦ってきたかは知らないけど、その日が来るまでにぼくはリサを守れるくらい強くなる。だから、ぼくからもひとつ言わせてほしいんだ」
「……」
「リサがその何かと戦う日が来たら、必ずぼくに報せてほしい。手の届く距離にいてほしいんだ」
こわばることもせず、リサはぼくに静かに背中を預けた。まるでそうすることが当然であるかのように。
「イツキが藤堂と戦うときを、わたしに教えてくれるなら」
「わかった。約束する」
そうしてぼくらはもう一度、口づけをした。
「ん。約束」
互いに、嘘をつきながら――。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




