Improperly――勘違い②
「と、とにかく、違いますからね!」
「わかったわかった」
おざなりに返事をすると、ルルが長い髪に両手を入れて「あ~もう!」と掻き毟った。
「わかってません! あなたは何もわかってません!」
「あんまり派手に動くと見えるよ」
「――ッ!?」
ルルが真っ赤になりながら、黒湯に鼻まで浸す。そのまま水面でぶくぶくと泡を出しながら、小さく呟く。
「……イ、イツキさんには……見られても別にいいですから……」
「あはは……、いくらぼくがルルのストライクゾーンからはずれてるって言っても、これでも一応男なんだから。――今も結構抑えてるんだよ」
一部は抑え切れていないけれど、そこはもう天川月乃と過ごした去年一年間であきらめた生理現象だ。こうして表面上だけでも冷静を保ち、ハダカのルルと話せているのは、その一年間があったからこそだろう。
むろん、それをルルにわかってもらおうなどとは考えていない。
ぼくが肩を落として大きなため息をつくと、ルルが頭頂部までを黒湯に浸けて潜った。長い髪が水面で広がってから数秒後、彼女が静かに顔を出す。
何度か口を開けては閉ざすことを繰り返し、絞り出すように呟いた。
「それはわたしも……同じです……」
「いや、ぼくはルルのことを意識してるからこんなこと言ってるわけで――」
「――だから、そうではなくてですね! あ~ん、もう!」
なんか噛み合わないな。
「と、とにかく、マサトさんではありませんから!」
「へ? そうなんだ。確か、特殊クラスにいるって話だったよね?」
「いますよ! いたら悪いんですか!?」
ルルが苛立ったように両手で水面をたたき、ものすごい剣幕でぼくを睨んできた。
「う、うん。いや、そっか――」
だとするならルルの想い人は、おそらくもう生きていないのだろう。入学当初は十九名いた特殊クラスの人数は、今やたったの五名だ。
ぼくとリサ、マサトとルル、そして誰ともチームを組まず、危険を省みることなく単騎で作戦外の遊撃を繰り返しているミキコだ。
ずきっと胸が痛んだ。
ミキコのことを考えると、時々、半年前に失った彼女の親友、中条冬子のことを思い出す。
ぼくが自らに向けられた気持ちに気がついた日、その日がトウコの命日となってしまった。
目の前で彼女の乗る機体が砕け散っていく様は、今でも夢に見る。
命をわける一秒だった。
ゆっくり、ゆっくりと、超質量のメタルに圧殺されてゆく彼女の機体。最期の言葉を発する暇はおろか、無線からの悲鳴すらもなく、鋼鉄の肉体は中央から折れ曲がり、角度の限界を超えたところで爆発、爆炎ごと地面で圧し潰されて――。
飛び散った……。
あの瞬間。そうだ。
伸ばした手が届かない。彼女を救えないと判断したぼくは、トール級メタルのその行動、彼女の機体を破壊するという行動の隙を利用して、引き替えにやつの脚部を破壊していた。それも、ほとんど無意識に。
ぼくは彼女の死を利用した。
ぼくを好きだと言ってくれた女の子の死を――利用した。
「イツキさん!」
正面から肩をつかんで揺すられ、ぼくは気づかぬ間に閉じていた瞳を開けた。
目の前の光景が、あの瞬間から、必死で叫ぶ成宮ルルの顔へと変化する。いつの間にか、彼女はぼくの前に回り込み、黒湯のなかで膝を立てていた。
「あ……」
温泉に浸かっているはずなのに全身が凍り付いたかのように寒く、ぼくはガチガチと歯を打ち鳴らす。
身体が凍えて動かない。
「イツキさん! しっかりしてください!」
「だ、大丈夫。ごめん」
深呼吸をして唾液を呑み下すと、ゆっくりと温泉の温度を感じるようになってきた。
現実がどこにあるかわからなくなるほど、リアルな白昼夢だ。湯のなかにあっても凍えそうなのに、全身から汗が滲み出ているのがわかった。
なんだ、今のは? 初期型超伝導量子干渉素子の新たな副作用か?
それとも、今ここにいることが夢なのだろうか。
微かに頭痛がしている。ぼくは首の後ろに埋め込まれた金属片を指で擦る。
ルルが心配そうな視線を、ぼくに向けてきた。
「冬子さんのこと、思い出させてしまいましたか?」
「……ごめん」
「謝らないでください。わたしのほうこそ不用意でした。あの、話題を変えませんか?」
「そうだね。お互い、あまりよくなさそうだ」
大丈夫。もう大丈夫だ。ここが現実世界。ぼくの生きている世界だ。
自分に言い聞かせて苦笑いで誤魔化すと、ルルがぼくを安心させるかのような優しい笑みを浮かべた。
「ですね」
ルルがぼくの隣へと移動した。背中を岩の浴槽にあてて、照れ臭そうに笑い合う。ツキノさんとは違って、ぼくの腕に自分の肩をあてたり、ぴったりくっついてこようとしないところが奥ゆかしい。
あれはあれでよかったんだけど。
「そう言えば、ようやく早見先生が復帰してくれるそうですよ」
「……やっとだね」
半年前のトール級との戦いで、そのほとんどの時間を単騎で凌いだ人類の英雄は、代償に右腕の機能を失った。
帝高のグラウンドに帰還した早見士郎の機体キャスケットを見て、ぼくらは驚愕した。
黒の機体の右腕部は、肩口から先が丸々なくなっていた。
「来週の頭から、教職に復帰されるそうです。これで死亡率の上昇も打ち止めですね」
鋼鉄の肉体である装甲人型兵器は超伝導量子干渉素子を通じて、肉の身体と密接に神経接続がされている。つまりぼくらは装甲人型兵器に搭乗して操縦するというよりも、肉の身体を捨てて鋼鉄の肉体を得るに等しい。操縦とは、自らの身体を動かすように、脳波で鋼鉄の肉体を動かすということだ。そうでなければ、反応速度面で勝る機械生命体、すなわちメタルと戦うことはできない。
要するに、キャスケットが右腕部を失ったということは、早見士郎の脳は自らの右腕を失ったと誤解をして、右腕の神経を自ら切断してしまったということだ。
実際にトール級メタルを二十機近くの仲間と共闘し、その半数以上を失いながらようやく沈めることに成功したぼくらに言わせれば、片腕の機能を失ったとはいえ、よくその程度の傷で済んだものだと思う。
さすがは人類最強の英雄、早見士郎といったところか。
けれど、リハビリで彼の腕が再び動くようになるかは、運に任せるより他ない。
「腕はどうなったの?」
「わかりません。ただ、動かなくなったという情報は入っていないですね。おそらくは完全復活と見て問題ないと思います」
「……よかった……」
胸を撫で下ろす。
英雄早見士郎の不在は、この半年間で特殊クラスが五名にまで減ってしまった原因のひとつでもある。ぼくらは一時的に師を失って、自分たちで強くなるしかなかった。
けれど、ぼくらが経験を積むまでメタルが指を咥えて見ているはずもなく――。
それでも、誰にも早見士郎を責める権利などない。
彼はいつだって、人類のために最前線で戦い続けてきたのだから。
それに、その点でいえば、ぼくらが天川月乃に目をつけられたのは運がよかったと言える。彼女はまがりなりにもエースパイロットなのだから。その技術を否応ナシに叩き込まれたことは僥倖と言わざるを得ない。
天川月乃がいなければ、特殊クラスは全滅していたかもしれない。
「ともあれ、これで特殊クラスはようやく復活ですね。……少々、遅きに失した感はありますが」
「……うん」
失い過ぎたのだ、ぼくらは。半年前のトール級との戦い以降、何度も何度も失って、泣いて叫んでまた失って、拾うものさえなく。
そして、ぼくらは悲しみを麻痺させた。
ぼくに至っては、恐怖に続いて悲しみをも失った。去年の終わり頃にはもう、クラスメイトが死んでも涙は流れなくなっていた。
やるせない気持ちで涙した関口やトウコのときとは、ぼく自身ももう違っていた。
遺体のないカンオケや、その欠片しか入っていないものに、ただ「お疲れ様」と花を添えて見送る日々に慣れていく――。
「あ……! もしかしてだけど、ルルの好きな人って早見先生?」
「え?」
「特殊クラスだし、早見先生ならマサトよりも強くて優しくて頼りになるから、なんとなくわかる気がする」
ルルが長い髪を指先で巻いて、じとっとした瞳で呟いた。
「………………いつまでその話を引っ張るんですか……」
ぼくは肩をすくめてこたえる。
「だったらいいなって思ったんだよ。だって早見先生なら生きてるし、あの操縦技術ならこれからも絶対に死なないだろ。ルルには将来ちゃんと幸せになってほしいからね」
「早見先生だとライバルが多すぎますから、わたしなどでは無理ですよ」
「そんなことないよ。ルルはその……なんていうか……」
天衣無縫というより、むしろ厚顔無恥なツキノさんとは違って、黒湯のなかでもさりげなく手で胸を隠していたりするあたり、すごく女性っぽい。
仕草の一つ一つが艶っぽくて、最終的には万が一接触したとしても何も思わなくなったであろうツキノさんとは違って、視線を向けることに罪悪感をおぼえてしまう。
ルルが不満げな視線のまま、先を促す。
「なんていうか?」
「い、色気がある」
「…………でも、リサさんのことを好きだってことは、イツキさんには色気なんてあっても関係ないのでしょう?」
まあ、そうか。
ぼくは頭を掻きながら、視線を天井に向けた。
「確かに関係ないかも……」
「ほら、やっぱりっ! だったらわたしも、リサさんのように小さく可愛らしく産まれたかったです」
「や、待て待て。ぼくはロリコンじゃないからね? 関係ないって言ったのは、あってもなくても別にいいってことだよ。――それに、リサのことはちょっと特殊なんだ」
ぼくは思い出す。十年前の首都大戦で、まだ小さかった頃のぼくを抱いて戦場を走ってくれたリサの姉。
まったく同じ容姿にもかかわらず、リサとはまるで正反対の、元気で躍動感に溢れた白い髪の少女リア・アバカロフのことを。
あの日に、謎の死を遂げた彼女のことを――。
彼女の死を知らなかったぼくは、リア・アバカロフに恋をした。けれども彼女の死を知った今、ぼくの心は行き場を失ってしまった。
そして、リアに生き写しのリサ・アバカロフと出逢った。
「十年前に、そんなことが……」
「うん。だから、わからないんだよ。リサのことを好きだと思う気持ちが、本当はまだリアを追いかけているだけなのかもしれないって思ったら、踏み込めなくなってしまったんだ」
「……だからですか?」
質問の意味がわからず、ぼくは眉をひそめた。少し躊躇ったあと、ルルが呟く。
「だからイツキさんは、誰のことも受け入れなかったんですか? リサさんのことも、……その……冬子さんのことも」
「リサは特に、ね。あまりにも似すぎていたから。それに、トウコの死は、そのことをあらためて考える原因にもなったと思う」
リサはぼくを好きだと言ってくれた。けれどぼくがリサを想う気持ちは、本当はリサに向けられたものではないのかもしれない。
今でもリア・アバカロフの幻影を追っているだけなのだとしたら、これほど不純なものはない。リサは、リアの代替物なんかじゃないのだから。
温泉の掛け流しの音だけが静かに響いている。ルルは物憂げな表情で長いため息をつくと、静かに呟いた。
「……そういうことでしたか」
「そうそう。わりといい加減なんだよ、ぼくは。いつだってリアの代わりを捜しているだけだ。あの人はもういないのにさ。だからリサに惹かれた気持ちだって、不純なもんだ。そこに気がついたら、トウコはもちろんリサだって受け入れるわけにはいかないだろ。みんなには幸せになってほしいからね」
苦い笑みを浮かべながら、あえて軽口を叩く。しかし視線を向けると、ルルはさらに苦々しい笑みで瞳を細めていた。
「ほんとにもう。呆れちゃいます」
「んえ?」
「あのですね、異性を好きになったときに、その気持ちが純粋なものか不純なものかを考えるなんて、そもそもが的外れではないでしょうか」
「と言うと?」
黒湯のなかで自らの身体を隠していた腕を、ルルが静かに下げた。わずかに濁る湯を通して、均整の取れた裸体が揺らいでいる。
瞳を閉じたルルの喉が、大きく動いた。
「ルル?」
「愛だの恋だなどと綺麗な言葉で誤魔化しても、やりたいことはしょせん相手の支配でしょう。その人の心を支配したくて、その人の身体を自分だけのものにしたくて、その人の人生の半分をもらいたくて、誰かを好きになるのではないでしょうか。それって純粋な気持ちだと思います?」
ルルがぼくを見上げるように、わずかに首を傾けた。水面が波打って、そこに映るルルの身体が大きく揺らぐ。
「や、そんなことより、見えてるけど――」
「だ~か~らぁ! 最初っからイツキさんには見られてもいいと言ってるじゃないですか!」
なぜか苛立ったような口調で叱られた。
ルルはまるで戦闘前のように、両手で長い髪を掻き集めてサイドテイルを作った。むろん、結ぶものなどないのだから、右手で髪を持ったままだ。
その手がわずかに震えている。
そうしてゆっくりと深呼吸をしてから、意を決したように彼女は口を開けた。
「少なくとも、わたしは不純な気持ちで恋をしています。イツキさんなんかよりもずっと、そんなことばかり考えていました。わたしは自分の欲を満たすために、好きになったんです。一度だって純粋だなどと考えたことはありませんし、紛う事なき不純です」
一呼吸を置いて、ルルがキッと強い視線をぼくに向ける。ぼくはその剣幕に圧されてわずかに仰け反った。
「――リア・アバカロフの代替物? 大いに結構です! それでその相手の気持ちが満たされて、イツキさん自身の欲も満たされるのだとしたら、それこそが愛なんじゃないでしょうか!」
仰け反ったぼくを追撃するように、ルルが上半身を水面から出して迫ってくる。
「わかったっ、わかったからちょっと待った!」
「い~え、待ちません!」
バシャバシャと湯が跳ねて、水面が大きく波打つ。
とっさに立ち上がり、ぼくは大急ぎで後退った。
「そもそも! そんなことを考えて自分にブレーキをかけていること自体が、あなたは他の誰よりも純粋な証拠なんです! そこのところをちゃんと自覚してください!」
ダ、ダメだ。口調の強さが戦闘中の成宮ルルになっている。
おそらく何を言っても、一秒と経たないうちに反論がくるだろう。成宮ルルは優秀なサポートだ。機転や口論で彼女に勝てる二年生など、いまや特進クラスにだっていない。
「純粋な恋愛感情などないんです! そんなものがあるとしたら、それは親子や兄妹といった家族間の愛だけです!」
「どわっ!? いてッ!?」
追い詰められ、岩壁に背中をあてたぼくの右頬を掠めて、ルルの左手が勢いよく壁を叩いた。
「……違いますか?」
心臓が跳ね上がる。
もうぼくもルルも、完全に立ち上がっている。上半身はもちろん、下半身まで丸見えだ。むろん、お互い意識的に視線は下げないようにはしているけれど。
「わたしは今、不純な気持ちで恋をしています。そして、それを恥じたことはありません。だから――」
至近距離で睨み上げられて、初めてぼくは気がついた。ルルが瞳に涙を溜めて、顔を真っ赤に染めていたことに。
「だからわたしと、間違いを犯してみませんか……?」
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




