Apoptosis――自壊⑲
どうやって帝高まで戻ってきたのか、おぼえていない。
気づけばネイキッドの両脚部は、広大な帝高グラウンドの土を踏みしめていた。
夜明け前から始まった戦いだったのに、空は嫌味なくらいに青く澄み切っていた。
ネイキッドのカメラアイが、いつものように勝利を祝う学生がグラウンドに集まる様子を映し出している。タンク級の残骸撤去にあたっていた生徒たちだ。
みんな笑顔で手を振り、満身創痍で帰還した九機を称えている。
……気持ち悪い……。
異様な光景だと思った。
誰も。誰もだ。
この戦いに参加した人たちは誰も、それにこたえることはない。憔悴し、振り返す手も、返す言葉も、笑顔でさえも、この瞬間すべて失っていた。
あの天川月乃でさえもだ。
アンノウンを処理した瞬間から、かろうじて繋ぎ止めていた緊張の糸は失われていた。
あれほど悪態を付いていた有田先輩ですら黙り込み、湯沢直莉はずっとすすり泣いていた。天川月乃はかろうじて帰還の指示を出したものの、その声は震えていた。アリサ・シュピーゲルに至っては無線機能まで壊れていたのか、声もなかった。
リサはともかく、マサトやルルにもいつもの軽口はない。
ただひとり、チームメイトをすべて失ったリバティ・ベルの三倉美紀子だけが、子供のように大声で泣きじゃくっていた。
機体の損壊もヒドい。
ファランクスは大盾のみならず機体腕部から胸部まで変形し、ミネルヴァは装甲が焦げ付いている。タランテラは機関部が焼き付いたのか動くたびに白煙を発し、チープデビルに至ってはバーニアもなく、脚部小破によって自力歩行すらできなかった。
鋼鉄の肉体に痛みを感じるパイロットが、気絶しなかったことが奇跡だ。
ネイキッドは右腕部が作動しない。レギンレイヴは装甲の三割を失い、キャンディフロスは右半身の装甲が溶けていた。無傷に近いのは段違いの性能を持つベルベットと、途中参加したミキコの機体くらいのものか。
ファランクスの有田先輩が、人混みに細心の注意を払いながら格納庫へと向けて一歩踏み出すと、二年生全員がそれに続いた。
人混みが割れてゆく。
ぼくらも一年特殊クラスの格納庫へと、歩を進めた。足下の人だかりが、機体に続いて移動する。
やがて格納庫に到着し、所定の位置に機体を止めると、ふいにマサトから直通回線が開かれた。
『イツキ、大丈夫か? 人払いが必要なら、おれが先に出てやっとくぜ』
「…………気を遣わなくてもいいよ……。……それより、なあ、マサト……」
『ん?』
言わなきゃならない。これから先も戦い続けるために。
「後で大事な話がある。解散した後、リサとルルを誘ってどこかで落ち合いたい」
『ああ。そりゃ構わねえが。食堂でいいか?』
「いや、誰にも聞かれたくない。サード・アームズだけだ」
ぼくは生涯をかけて、メタルに復讐する。
父を奪われ、母を奪われ、友を奪われ、恩人を奪われた。それでも戦い続ける。だからこそ戦い続ける。
マサトが少しの間だけ沈黙し、『わかった』と呟いた。
ぼくはネイキッドとの接続を解除し、コクピットの扉を開けた。エアの抜ける音がした直後、野次馬から大歓声が湧き上がる。
目を閉じ、頭を下げ、ネイキッドの腕部を歩いて静かに格納庫に足を付ける。
身体が自分のものではなくなったかのように重い。どれだけ汗をかいたのか、制服はまるで水に潜ったかのように濡れている。
それに、右腕が動かなくなっていた。実際に破壊されたのはネイキッドの鋼鉄の右腕だけど、超伝導量子干渉素子は容赦なく脳の神経を侵し、その痛みをぼくへと伝えてくる。
おそらく脳が、右腕は複雑骨折でもしたと誤解をしているのだろう。しばらく右手は使い物になりそうにない。
続いてマサトが、そして真っ赤に目を腫らしたルルが、ぼくの方を見ながらリサが機体から降りてきた。
事ここに至り、ぼくらを取り囲んでいた歓声が、徐々に小さくなりつつあった。やがてそれは完全に途絶え、戸惑いにも似た空気が流れ始める。
きっとまだぼくらは、異様な殺気を纏っていたのだと思う。憔悴具合もヒドい。たったの数時間で目の下には隈ができ、髪は乱れ、マサトもルルも、あのリサでさえも出撃前よりやつれていた。
ぼくらはこの戦いで、友や仲間を失い過ぎたんだ。
ドレッドノート級との戦いのときとは違う。あのときは、まだチーム以外のパイロットのことを、友人だとは認識していなかったから。
友人? 違うだろ……?
ポニーテールをした少しツリ目の少女を思い出し、歯を食い縛る。
「……どいてくれ」
静かに告げると、人だかりが割れて道ができた。
ぼくはその中央を歩く。憔悴した顔で、動かなくなった右腕を左手で押さえ、まっすぐ中央だけを睨みながら、足を引きずって。
誰も声をかけてくるものはいない。
けれど、歩き出してすぐに人混みから飛び出してきた影に、ぼくは足を止めた。リバティ・ベル唯一の生き残り、三倉美紀子だ。
「ミキ――」
「わあああああぁぁぁぁっ!!」
ミキコは人混みを掻き分けてぼくの前に飛び出すなり、勢いそのままにぼくを格納庫の壁に押さえ付けた。
抵抗する気力など、どこにも残っていなかった。
ミキコは涙を流し、無言で何度もぼくの胸を両手で叩いた。何度も、何度も、繰り返し叩いた。声が枯れ、握りしめた拳が力を失っても、彼女はぼくの胸を叩き続けた。
そのたびに身体が揺れて、ぼくは鈍い痛みを感じていた。
彼女のその行動は、声にならない叫びだったのだと思う。
いつもであれば勝利の歓声をあげる野次馬も、この異様な空気に押し黙ったまま、ぼくらをただただ取り囲んで見ていた。
その野次馬を割って、白髪の少女がよろめきながら駆け寄ってきた。リサだ。
「やめて、三倉。イツキは悪くない。あのタイミングでは早見士郎でも救えなかった」
リサがぼくとミキコを引き離そうと、ぼくらの間で細い腕を突っ張った。しかしマサトはその腕をつかんで自らの元へ引き寄せ、静かに首を左右に振った。
「……やめとけ、お姫さん」
「でも……」
ルルがサイドテールを解いて長い髪を振ってから、小さなリサの両肩を背後から抱きしめるように腕を回した。
リサは不思議そうな顔でルルを見上げた後、目を伏せた。
ミキコは長い間、ぼくの胸を叩き続けた。
その痛みはむしろ心地よく、ぼくを責め苛んでくれた。
ミキコはやり場のない怒りや悲しみを吐き出す場所を、そしてぼくは罰という痛みが欲しかったのかもしれない。
そうか。ここでは弱さは罪なんだ。そうか。そうか。誰かぼくをもっと罰してくれ。
視界の隅で、マサトが野次馬をすべて格納庫から追い払ってくれているのが見えた。誰もそれに逆らうことなく、格納庫から去ってくれたことがありがたいと思った。
やがて格納庫にサード・アームズとミキコしかいなくなった頃、ようやくミキコの怒りは別の感情へと変化する。
「なん……で……?」
ミキコは、ぼくの胸にすがりついて泣いていた。
ぼくは力なく壁にもたれたまま、胸の中の彼女を眺めていた。
遠い世界の物語ではないのだと主張するように、ミキコの熱い涙が胸にしみこみ、楔となって打ち込まれてゆく。
この泣き顔を忘れることは、生涯ないだろう。
やがてミキコの膝が折れ、彼女は力なく冷たいフロアに座り込んだ。
けれど頭を垂れたミキコに、かけるべき言葉はなかった。またそんな余裕も、ぼくにはなかった。
格納庫内に重い沈黙が訪れる……。
ルルがしゃがみ込み、ミキコの肩に両手をそっと置いた。
「ミキコさん、寮に帰って少し休みましょう……?」
突然二本のおさげが揺れ、強い瞳が持ち上げられる。
そうして彼女は、優しい呪詛の言葉を吐いた。
「……ごめんね、高桜。あんた何にも悪くない……。……何も悪くなかった……。わたしたちが自分の力量を見誤って、余計なことをしてしまっただけ……。だからこれは、ただの八つ当たり……」
その言葉に息が苦しくなって、呼吸が荒れた。吐き気を催し、ぼくは口元を手で覆う。
お願いだ。やめてくれ。そんなふうに、ぼくをゆるさないで。
喉元まで出かかった言葉は、吐き出されることはなかった。
「でも――」
リサとルルに支えられながら、ミキコが震える足で立ち上がる。
けれどその直後、リサとルルの肩を押して突き放し、ミキコは涙を払って歪な笑顔で叫んでいた。
「――あんたはそうやって戦い続けろッ! 生きて生きて生きて、生涯戦い続けろッ! 生きればいいッ! せいぜい生きてみろッ!! 死ぬことだけは絶対にゆるさないッ!!」
ぼくは目を見開いて、ミキコを凝視する。
血走った目から枯れることのない涙を流し、二本のおさげを激しく揺らし、憎しみを叩き付けるような狂気の笑みを浮かべながら、ミキコは叫び続けた。
「あはッ、あッははははははッ! 生きろ生きろ生きろ生きろッ!! あたしがあいつの分まで生き残って、それを最後まで見届けてやるからッ!! あははははッ! あんたがこの地獄で苦しみながら生き続けるしかないのを、見届けてやるからッ!! だから! ……あの子を……忘れないで……。……トウコの分まで生きて……あたしと一緒に……苦しんで……お願い……」
あれほど明るく前向きだった三倉美紀子に、もうその面影は残っていなかった。
肩で息をしてぼくを睨むミキコを見下ろし、ぼくは冷徹に、乾いた瞳で静かに告げる。
「……最初からそのつもりだ」
数分後、誰もが去った格納庫の中で、ぼくはひとり静かに立ち尽くす。
ミキコはルルに連れて行かれる瞬間まで、泣きながら呪詛の言葉を紡いでいた。
でも、だからこそぼくは救われた。ミキコがぼくを無条件にゆるしていたら、ぼくは戦場に死に場所を求めて戦うしかなかった。
「……ありがとう……」
ぼくはまだ、生きるために戦えます。
壁を背にして放心していたぼくは、このときになってようやく、トウコのために涙を流すことができた。涙は堰を切ったように溢れ出し、留めることさえできなかった。
目を両手で覆い、壁を背にしたままその場で力なく膝を折る。
「ごめんなさい……ごめんなさい……守れなくて……ごめんなさい……」
――ぼくらは、静かに自壊してゆく。
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