Not Found――いない④
深夜三時。
帝高温泉からの帰り道、ぼくは学生寮ではなく本校舎へと足を運んでいた。
正面扉を片手で押すと、簡単に開いた。
鍵は掛かっていない。ここでは盗みなど発生しないからだ。
メタルの侵略から他の地域を守るという名目で、東京を覆った壁の高度は百メートル。分厚さに至っては、装甲人型兵器でも破壊が困難な二十メートルもある。
盗品を持って超えるにしては、少々難易度の高すぎるハードルだ。
リサのベルベット級の火力があれば、穴くらいは空けられそうではあるけれど。
無人の廊下は、ぼくが歩けば薄明かりが自動で点灯する。夜の間だけの照明システムだ。それでも、風の音と自分の靴音以外にはなにも聞こえない不気味さはある。
帝高で亡くなった人間の数など、もはや数えることさえ虚しい作業だ。もしも幽霊などというものがいるのだとしたら、さぞやここには多いだろう。
けれど、ぼくには恐怖という感情はない。そんな上等なものは、九年前の首都大戦でどこかに落っことしてきてしまったらしい。
あるいは、あの日、幼いぼくを抱いて逃げてくれたリア・アバカロフが、あの世に旅立つ際に持っていってくれたのかもしれない。ぼくの生存率を上げるために。
我ながらくだらない想像だ。
格納庫へと続く丁字路を通り過ぎ、一階最奥の扉を押し開ける。ギィと蝶番が鳴り響き、ふわりと、古い紙とインクの匂いがした。
手元のスイッチで照明をつける。
帝都防衛高校が誇る、三階建ての図書校舎。ここには古今東西、ありとあらゆる出版物が揃っている。
なまじ、学生が希望すればどんなものでも取り寄せるため、とんでもない蔵書量となってしまい、当初は一階建てだったはずの図書室を、図書館として独立校舎にしたのだ。
両端を本棚に挟まれた通路を歩き、ぼくは目的の本棚の前に立った。
「……二〇五四年度帝都防衛高校第一期生卒業アルバム……これか……」
すなわち、首都大戦から四年後。早見士郎やリア・アバカロフ、それに和泉水奈たちの世代だ。だけどリアは帝高に入学する前に命を落とした。
薄い卒業アルバムだ。帝高創立時は全校生徒数が百名しかいなかったとはいえ、こんなものなのだろうか。
貼り付いたページを剥がして、そっとめくる。
二〇五〇、人類は首都大戦に装甲人型兵器を投入。当時の早見士郎や和泉水奈は、まだ一六歳だったと聞く。それから一年を戦い抜き、廃都東京を覆う壁が完成した翌二〇五一年に、彼らは帝都防衛高校に入学した。
いったい、どれほどの地獄をくぐり抜けてきたのだろうか。
それから三年、メタルと戦い続けてきた彼らは、二〇五四年に無事卒業を果たす。すなわち、この卒業アルバムだ。
大半の写真が黒縁になっているのが、見ていて物悲しい。この年、生きて卒業を果たした第一期生は、わずか十八名だ。
「いないな……」
当然リア・アバカロフの姿はない。そんなことはわかっている。彼女は入学する前に死んでしまったのだから。
アルバムをたたみ、机の上にあったPCのキーボードを横に避けて、置いた。
本棚から二〇五五年度のアルバムを取ってきて開く。
破らないよう慎重にページをめくり、視線を走らせる。
写真の中の早見士郎や和泉水奈は、前年度とは違って学生服を着ていない。実戦教師になったんだ。
生徒の写真に視線を走らせ、ぼくはアルバムを閉じた。
「いない……」
二〇五六。いない。
二〇五七。いない……。
二〇五八。やはりいない……。
どこにもリカ・アバカロフの写真はおろか、名前すら出ていない。戦死していたとしても、黒縁の写真になるだけであって削られることはないはずなのに。
「卒業生じゃないのか。ツキノさんと同い年か、ひとつ上だとするなら……」
ぼくはアルバムを横に避けて、PCの電源を入れた。
入学者名簿の一覧にアクセスする。
むろん、セキュリティの都合上、住所や個人情報といったものは閲覧できない。だけど、名前や内線番号なんかは自由だ。
二〇五五~二〇五七年度の入学者を端から眺める。
「いないな……」
リカ・アバカロフは存在しない……?
いや……。
ぼくは二〇五八年度の入学者名簿にアクセスする。
高桜一樹、多岐将人、成宮ルル、藤堂正宗……リサ……リサ・アバカロフ。リサはいる。
「どういうことだ……?」
もう一度卒業アルバムに手を伸ばして開き、何かがおかしいことに気がついた。
帝高の入学者数は一学年につき百名のはずなのに、二〇五五年度の卒業アルバムに載っている卒業者数は九十九名だ。
二〇五五年卒業者の入学年度は二〇五二年、当時の入学者数は百名だ。
誰かひとり、卒業時に抹消されている。
年代から考えてリカ・アバカロフである可能性は低いが……。
だとするなら、リカ・アバカロフはその死後、二〇五五年卒業者と同じように何者かによって存在ごと抹消された可能性が高い。
ぼくは二〇五八年度の卒業アルバムを開く。
二〇五八年卒業者、九十九名。やっぱりだ。リカ・アバカロフは抹消された。
さらに言えば、もしかしたらぼくらが卒業する予定の二〇六一年にも、同じことが起こるかもしれない。なぜなら、この世代にはリサ・アバカロフが入学しているからだ。
「貴様、そこでなにをしている――?」
突然かけられた声に驚いて、ぼくは椅子から跳ね上がるように振り返った。
二十代中盤、腰まである長い黒髪に、強く引き結ばれた赤い唇。深夜であるにもかかわらず、豊かなボディラインの浮き出たスーツ姿をしている。締まりきらない胸元のボタンは、今にも弾け飛びそうだ。
い、和泉水奈!?
早見士郎とともに稀代の英雄と称される、伝説の装甲人型兵器エスペラントのパイロットだ。
「和泉学園長……」
まずいな。ろくすっぽ校則はないし、なにをしていても自由な学校ではあるけど、この調べ物を勘ぐられるのはまずい。
この件に関しては、彼女が味方とは限らない。
動機はわからないが、アバカロフ姉妹を抹消してきた犯人が、この学園で実権を握る彼女でないとは限らない。
むしろ彼女には可能だったはずだ。データを弄ることが。
ぼくは後ろ手にアルバムを重ねながら、笑顔を浮かべた。
「あはは、すみません。眠れなくて」
「……卒業アルバムか。そういえば、貴様はアバカロフとチームを組んでいたな」
心臓が跳ね上がる。
彼女は、ぼくの顔と名前をおぼえている。その上でチームのことも、なにかを調べていたことさえも。
和泉水奈は高圧的に両腕を胸で組み、しかし気を抜いたように長い息を吐いた。
「……貴様らの可能な範囲であれば、何を調べようが自由だ。それほどわたしを警戒する必要はない。――だがな、高桜。貴様が貴様自身を粗末に扱うことを、わたしは許容しない」
「……? え……っと……?」
和泉水奈がぼくの肩を片手で押し退け、PCの画面に視線をやってから、回転椅子に腰を下ろした。
そうして不敵な笑みを浮かべ、長い足を見せつけるかのように堂々と組む。
「ふん。貴様はなかなか勘がいいようだ。この方向性で間違ってはいない」
「――!?」
「だがな、高桜。早見に教わらなかったか? 夜は眠れ。今この瞬間にメタルが出現せんとも限らん。生きて卒業……いや」
和泉水奈はモニターを掌で叩き、言葉を続けた。
「貴様の仲間を生かして卒業したければ、身体を休めることは訓練と同じくらい怠らんことだ」
それだけを告げると、和泉水奈は卒業アルバムを両手に抱えて、本棚へと歩き出した。赤いマニキュアの塗られた細い指で一冊ずつ戻してゆく。
「話は終わりだ。貴様がこれ以上、ここで得るものはなにもない」
「……和泉……学園長は――」
すべてのアルバムを本棚に戻した和泉水奈が、怪訝な表情で振り向いた。
ぼくは唾液を呑み下し、少し詰まってから呟く。
「……敵ですか? 味方ですか?」
バカな質問だ。敵が自分を敵だと名乗るはずがない。
メタルと人類の話ではない。これは、リサ・アバカロフにとっての話だ。
数秒後、和泉水奈は悲しげな表情で微笑んだ。そうして、とても穏やかな優しい声で、囁くように唇を動かした。
「……どうしたらいいか、わからないの。わたしにも」
稀代の英雄や帝都防衛高校学園長のイメージからは想像できないほどに、儚く、弱々しく。その口調すら変わっていた。
だけど、その言葉が真実であるかどうか、ぼくには判断できない。
和泉水奈は自嘲する。
「ふふ、自分が臆病で嫌になるわね」
しかし、ぼくがもう一度言葉を発しようとした瞬間、帝都防衛高校全校舎に明かりが灯り、けたたましい警報が鳴り響いた。
和泉水奈の表情が、一瞬で険しく変化する。
理由は明白だ。
メタルが出現した――!
「高桜、貴様は直接格納庫へ向かえ! 追って指示を出す!」
「はいっ!」
――アバカロフの痕跡は、どこにも存在しない。
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