Not Found――いない③
「正直、また来てくれるとは思ってなかったわ。あんた、ほんとに良い度胸してるわね。そんなに、あたしの身体が見たかっ――」
「――違います」
会話の途中でぶった切って差し上げる。
いちいち彼女の言動に付き合っていたらキリがないということは、入学してわりとすぐに学んだ。
わずかに色味のある黒湯に透けて、一糸まとわぬ美しい彼女の裸体が揺らいでいる。どこも隠す素振りを見せないあたりが、なんとも天川月乃らしい。
……すごいけどさ。そりゃもう、ものすごいけどさ。
「まず、装甲人型兵器の装備をもらったお礼がしたかったのと、あとは報告です。それと、質問がひとつ」
「ふーん。お礼はいいわ。リサイクル費用助かったくらいだもん。ああ、でも、そうね。もしイツキが士郎ちゃんを超えるパイロットになったら、あたしに童貞ちょうだい?」
ツキノさんが岩肌の壁に肘を置いて、挑戦的な視線を向けてきた。髪の先から水滴が落ちて、大きな胸で弾ける。
これだ。これだよ。
天川月乃はいつだって、力尽くで会話を自分のペースに巻き込もうとする。だが、今日のぼくは違うのだ。いつもならば慌てふためいて否定しただろう。しかし今日は華麗に流し、沈着冷静にこちらのペースで会話をさせてもらう。
いつまでもやられっぱなしだと思うなよ、天川月乃!
「そ、そそそれと、ほ、ほ、ほう報、報こ、こくく――」
「あたしの処女あげるから」
「……」
「…………少し本気。わりと多めに冗談」
完全に固まってしまったぼくの肩へと、ツキノさんが大あくびをして頭を預けた。濡れた髪の冷たい感触が、重く、心地よくのしかかる。
「どう? 嬉しい?」
「……は、はひ? ほひ?」
「はーひふーへほー! きゃっははははは!」
いかん。このままじゃ、いつもの通りだ。
すっかり思考を雪景色状態にされたぼくは、頭を大きく振って黒湯に顔を浸した。
本来なら水でもかぶりたいところだが、わざわざ湯から上がってシャワーまで行って戻ってくるのもマヌケだ。そもそも現時点ですでに、一部彼女には見せられない状態になっている。たったの一言でだ。
しかも、この人はそれを凝視しているときたもんだ。
まったく、小憎たらしいことこの上ない。愚息よ節操を持てと説教をしてやりたい気分だ。
顔を上げてため息をつくと、視線が合った。
「わあ、ステキ。絵に描いたような見事な困り顔。あたしのことキライ?」
「…………好きです。ただし、異常な部分を除けば」
「何言ってんのかわかんないけど、あたしはイツキのこと結構好きよ?」
結構、なんだ……。よくそれでさっきの言葉が出てきたもんだ……。
「聞き分け悪いくらい熱くなるところとか、……この程度の誘惑には乗ってこないくらい一途なところとかね」
驚きのあまり、ずるっとお尻が滑って、鼻まで湯に沈んだ。あわてて浮上して、ぼくはツキノさんの顔を凝視する。
ツキノさんが外国人のように両手を広げて、にっこり微笑んだ。
「見てればわかるわよ? たぶん、気づいてないのってリサ当人だけじゃないの? ま、あの娘は自力では気づけないでしょうけど」
顎に指を当てて、ツキノさんが珍しく渋い表情をした。
「どういう意味ですか?」
「……それは……長くなるから、後で話すわ。どうせ質問とやらもリサのことでしょ」
鋭い。だけど、少しだけ外している。
ぼくが知りたかったのは、リカ・アバカロフが実在していたのかということだ。もしもしていたのだとしたら、何者だったのかを知りたい。
「先に報告の方を聞かせて」
「あ、はい。成宮……ルルが特殊クラスに移籍してきました」
ツキノさんが事も無げに言い放つ。
「ああ、それならあたしが勧めたのよ。特進に残ったって、どうせ藤堂がまたルルをイジメるでしょ。それにイツキのチームは分析支援を探してたみたいだし、ちょうどいいかと思って。もしかして、もう他の子見つけちゃってた?」
「あ、いえ、うちは助かりますけど、特殊クラスは生存率が低いから……」
ルルの卒業までの生存率を考えると、特進に残っていた方が良かったはずだ。
先のドレッドノート級メタルとの戦いでの犠牲者は十六名、戦線復帰不可能なまでに身体を欠損したものは四名。実に二十名の一年生がリタイアしている。
クラスとしての内訳は、特進からのリタイアはわずか二名、三クラスある普通科からのリタイアは十名。それに比べて、特殊クラスは八名を失っている。
オチコボレ教室の異名は伊達じゃない。
基本的に一クラスにつき人数は二十名。今年の特殊は十九名だったから、八名を失えば残り十一名だ。他のクラスに比べ、極端な戦力低下は否めない。そんなクラスに移籍するなど、自殺行為にも等しい。
それに、今年は例年に比べても、減りが早いようだ。
藤堂のイジメと比べても、遜色ない危険だと思う。
「いいのよ。特殊クラスに好きな人がいるんだって言ってたから。そういう性欲も生き残るための力になるからね。とりあえず、イツキやマサトで受け入れてあげてよ」
「好きな人って、そうなんですか? つーか、そういうのって性欲じゃなくて恋愛っていうんじゃ……」
「細かいなあ。ちょんぺらぽんは剛直なくせに。そんなもんはねえ、キレーな言葉使ってるか使ってないかだけの違いでしょ」
まあ、いいのだが。
それにしてもルルに慕われるなんて、うらやましいやつだ。心当たりがあるとすれば、よくふたりで話をするようになったマサトくらいしか思いつかない。
でもマサトはツキノさんのことが好きなんだよなあ。たぶんだけど。
「で?」
「え?」
「リサの何を知りたいの?」
「あ……」
ぼくは当初の目的を思い出し、湯の中で居住まいを正した。ようやく見慣れてきたツキノさんの裸を正面から見つめて、問いかける。
「リサのことというより、リカ……さんのことを知りたいんだ」
「だと思った」
ツキノさんがシャギーの髪を器用に頭頂部でまとめて、大きなため息をつく。
「だと思った、なんて嘘でしょう? ツキノさんは、ぼくにも聞こえるぎりぎりの声量でリカって名前を出したんじゃないの?」
ドレッドノート級と戦う直前。海水浴をしていたときのことだ。
ツキノさんは海が塩辛いと、わけのわからない理由で泣いていたリサを抱きしめて、確かに「リカ」と彼女のことを呼んでいた。
――リカ、あなたを救えなくて、ごめんなさい。
ツキノさんが瞳を閉じて、それまでの声色とは変化させ、静かに呟く。
「その質問にこたえることは許可されていない。他のことならスリーサイズだってこたえちゃうけど、この件に関してだけは、こたえられることは限りなく少ないと思って」
「わかりました。可能な範囲でお願いします。まず、許可というのは誰からですか? 教師じゃないよね」
「こたえられない」
この対応には、おぼえがある。
リサが、少し前の木曜深夜に校舎の陰で早見先生と話をしていたときの、先生の対応だ。
リサは、九年前の首都大戦で早見士郎とリア・アバカロフがぼくを助けたときに「その件に自分も関わっていたか」と尋ねていた。
その質問に対する早見先生のこたえが、「こたえられない」だ。
つまり、今日ぼくがツキノさんにぶつけたリカ・アバカロフに関する質問と、リサが早見先生に対してぶつけた質問のこたえは、どこかで繋がっている可能性が高い。
さらに言えば、質問にこたえることを許可していない人物は、国家の英雄である早見先生よりも立場が上の人物ということになる。
三人目の英雄である学園長、和泉水奈か……いや、もっと上……政府、防衛省か……?
「わかりました。じゃあ、リカが実在していたという前提で話します」
ツキノさんは、うなずくことさえしなかった。
規則などクソッ喰らえなタイプだと思っていたのに、ここまで隠さなければならない相手だというのか。
「リサはリアを姉のようなものと言っていましたが、リカもそうなんですか?」
「……リサ本人がそう言ったのなら、そうかもね。そこは本人に尋ねてみたらいいわ」
「リカはどうなったんですか? 助けられなかったって言ってましたよね」
「こたえられない。ただ、その人はもういない」
ぼくは喉を鳴らして、唾液を飲んだ。
「…………じゃあ、リアは誰に殺されたの? リカを殺したやつと同じ?」
ツキノさんが驚いたように目を見開いて、ぼくを凝視した。唇の奥で歯を食い縛ったのがわかった。
彼女の緊張感が、こっちにまで伝わってくる。
おそらく、この質問は核心だ。
ぼくには、リア・アバカロフがメタルに殺されたとは思えない。首都大戦で最後のメタルを早見士郎が討ったとき、彼女はまだ生きていたのだから。
「何が言いたいの?」
「本当に、彼女らはメタルに殺されたのかってことです。首都大戦を生還したんだよね、早見士郎とリア・アバカロフと和泉水奈は。ぼくが救われた日に。おかしいですよ。ランド・グライド級メタルを初めとする、ありとあらゆる種類のメタルを破壊して、あの過酷な大戦をも生き抜いた人が、突然その日のうちに死んだだなんて。それに、戦死したとは誰も言っていなかった」
ツキノさんの表情が曇った。
「だめ。そこまで。これ以上は何も言えない」
「頼むよ、ツキノさん」
ぼくは、水面にすれすれまで頭を下げる。
「ごめん……ごめんなさい……。……頭を下げられても、これは無理」
ここまでか。
早見先生に対してもそうだけれど、ツキノさんに迷惑をかけるわけにはいかない。
「ひとつ……」
だけどツキノさんは、片手で目を隠して苦しげに唇を動かした。
「ひとつだけ言えることがある。イツキがリサを求め続ける限り、いつか大きな選択を迫られる日が来る……と思う。だけど、本当は選択肢なんてないのかもしれない。少なくとも、あたしにはそんなもの与えられなかった……」
ぼくは顔を上げて目を見開く。
また早見先生と同じ言葉だ。リサと早見先生が密会していた夜、早見先生はリサについて、こう言った。
――たとえ世界と彼女を天秤にかけようとも、選択を誤らないで欲しい。
もしもぼくにその選択を迫られる日が来るとしても、ぼくは迷うことなくリサを助けるだろう。それは早見士郎や天川月乃だって同じはずだ。
いや、ツキノさんには選択肢は与えられなかった。
早見先生にはあって、ツキノさんにはなかったのは、なぜ? 彼と彼女は、何が違う? 年齢か? 性別か? パイロットとしての腕か?
アバカロフ姉妹を連綿と殺してきたのは、誰だ?
ツキノさんは両目を手で押さえたまま、口をつぐむ。
その様子から察するに、これ以上の質問は、もう無意味だろう。もしかしたら、彼女の立場そのものまで悪くしてしまうかもしれない。
「ありがとう、ツキノさん。もう十分です」
黙ったまま、ツキノさんが大きくゆっくりと首を左右に振った。
ぼくは顔を洗ってから、先に上がろうと立ち上がり、黒湯の中を歩き出す。
「ねえ、イツキ。あんたにとっては妥協になるかもしんないけど、あたしにしてもいいんだよ。これでもけっこーモテるんだから。…………このまま……このままあの娘を追えば、いつか必ず苦しむことになるわよ」
暗く沈んだ声を跳ね返すように、ぼくは背中を向けたまま拳を高く突き上げる。
「う~ん? 気を遣ってくれてありがとう。――でも大丈夫! ぼくには絶対に選択を誤らない自信がある! ぼくはリアに救われて、彼女の妹のリサを守ってあげたいって思った。判断材料はそれだけ。それがすべてだから」
ぱしゃっと、背後から水音が響く。
少し遅れて、気の抜けたような声が追いかけてきた。
「……ば~か。単純ばか」
「あはは。そうかも。それにツキノさんは、恋人にしたいと思うほどは、ぼくのことを好きじゃないでしょ?」
「そうね。タイプとしてはいい線いってるから、そこはこれから教育かなあ」
その教育が怖いよ……。
壊れたままの扉を踏み越えて、ぼくは肩をすくめた。
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