Not Found――いない②
木曜深夜。
少し暖かくなり始めた夜の校庭を、ぼくは着替えの入ったナップザックを持って食堂方面とは逆の方向へと歩いてゆく。
周囲には誰もいない。
木々のざわめきと自分の足音だけが無人の深夜に響くさまは、どこか不思議な世界に迷い込んでしまったかのような奇妙な錯覚をおぼえる。
ぼくらが上級生である天川月乃と共闘し、ドレッドノート級メタルをかろうじて沈めて生還を果たした日から、数日が経過していた。
現在、ぼくとマサト、そして成宮ルルの装甲人型兵器は、メタルを破壊した報酬金で購入した新装備に換装中だ。この作業には装備の載せ替えの他、OSの調整も必要なため、数日を要するらしい。
その間、ぼくらにできることはない。まるで普通の学生になったかのように授業でノートを取り、食堂で食事をして過ごすしかない。たとえメタルが出現したとしても。
気持ちは焦るが、確実にステップを踏んでいくには必要な作業だ。
到着した建物の前でぼくは一度立ち止まって、大きなため息をついた。
帝高温泉。ここには木曜深夜にだけ現れる、混浴を強要してくる恥知らずのヌシがいる。言わずと知れた二年のエースパイロット、天川月乃だ。
「来るつもりはなかったんだけどな……」
むろん、スケベ心でやってきたわけではない。
いや、正確には多少のスケベ心はあるけれど、それ以上にツキノさんには先の戦いで命を救ってもらった大きな借りがあるし、ぼくのネイキッド、マサトのレギンレイヴ、ルルのキャンディフロスに中ランクの装備をわけてもらった礼もまだできていない。
その彼女から混浴を希望すると言われれば、断る術などないのだ。
だけど、ここへ来た理由はそれだけじゃない。ぼくにはどうしても知りたいことがある。そしてその疑問の答えを、おそらく天川月乃は知っている。
引き戸に手を掛けて玄関口で靴を脱ぎ、脱衣場へと入ってゆく。
あいかわらずガランとしていて、灯りはついているのに誰もいない。まあ、ツキノさん以外の人間がいたら、大騒ぎになるだろうけれど。
服を脱いでロッカーに押し込み、タオルで前を隠しながら、ぼくは結露して曇った横開きの扉を開け――ようとして寒気を感じ、なるべく音を立てないように少しだけ扉をすかしてみた。
念のため、顔を覗かせて左右を確認を……。
「んがっ!?」
「あはーっ! つ~かま~えたっ!」
確認した瞬間、ぼくの両頬は柔らかな手によって挟まれていた。厄介なことに、その手は扉が頭部の分までしか開かれていないにもかかわらず、ぼくの首を逃がすまいとグイグイ引っ張ってくる。
「イダダダダッ!? ちょ、か、肩が挟まっ――」
目の前で、胸がばるんばるん揺れている。圧巻ではあるのだが、それを楽しむ余裕はない。
「か、肩外れる! 外れるから待ってくださいってぇーーーーーっ!」
「だ~め! こそこそ覗いたってことは、逃げるかもしんないじゃん! こんなこともあろうかと、あたしずっと入口近くで張ってたんだから! 一時間も前からだかんね!」
これだよ。この非常識な行動こそが、誰あろう天川月乃だ。もはや正気の沙汰じゃない。
「ひ、暇人ですか!」
「そーだよ? だから絶対逃がさないも~ん。――そいっ!」
「イダダダダッ! ひ、ひねりを加えるな、首がもげる! 逃げない、逃げないからぁ! そもそも、ツキノさんがいたくらいで逃げ出すなら、最初から木曜深夜には来ません!」
「きゃっははははは! 変な顔ー!」
聞いちゃいねえ……。
右手に扉、左手で壁に手を置いて耐えるぼくを、細腕のわりに容赦ない力で引っ張り続けていたツキノさんが、片足を上げて壁を蹴り押した。
その瞬間、扉に置いていた右手の力が、ふっと抜けた。
がこん、という音がして扉が外れ、ゆっくり温泉側へと傾いてゆく。
「あ……」
「あ……」
重なる声。
「きゃああぁぁぁーっ!」
「あああぁぁぁーっ!?」
あわてて逃げ出すツキノさんと、引っ張られすぎて勢い止まらず、横開きの扉とともに倒れゆく自分。
半透明の扉が、けたたましい音を立てて浴場のタイルに倒れ込んだ瞬間、ぼくはその上を無様に素っ裸で転がっていた。
腰に巻いていたタオルがいつの間にか解けていたが、心底どうでもいい。ケツ丸出しだからってなんだってんだ。
そんなこと、もうホント些事だ。そう思わせる非常識さが、天川月乃にはある。
「……」
「……」
ぼくは股間を隠すことをあきらめ、むくりと起き上がり、少し離れた位置で何とも言えない味のある表情をしているツキノさんを睨み付けた。
「ドアが強化プラスチックで助かりましたよ。ガラスだったら大惨事だっ」
「あはぁ~、ごめんネ」
濡れたシャギーの髪を指先で巻きながら、珍しく苦笑いを浮かべている。
ずるい。ずるいよ、ツキノさん。
憎めない。
性格や行動は正気を疑うほどに破綻しているくせに、男なら誰でも振り返りたくなるほどの美貌に、完璧なプロポーション。おまけに装甲人型兵器の操縦技術はズバ抜けていて、頼りになることこの上ないときたもんだ。
それに、ぼくは知っている。この人が、本当は優しい女性であることを。
あの日。あのドレッドノート級メタルとの戦いがあった日、天川月乃は味方全員を撤退させるために、自分だけ戦場に残ろうとしていたのだから。
だからぼくは、肩の力を抜いて微笑みを浮かべた。
「もういいですよ。色々助けてもらってますし。それに、さっきも言ったように逃げるつもりはありませんから。ぼくもツキノさんに用があって来たんです」
ツキノさんが顔を赤く染めて、可愛らしく両手で口元を覆った。
「そ、それって……こ……告は――」
「――違います」
「ちっ」
眉を歪めて舌打ちしやがったよ……。
あいかわらず胸も局部も隠す素振りすら見せず、わざとらしく顔を歪めて後頭部をぽりぽり掻いている。
年上で大人っぽい外見なのに、行動がいちいちそれを否定するものだから、頭が混乱してしまう。
「話は後でします。すぐに行きますんで、先に浸かって待っててくださいよ」
「あ~い。……んーでもなるべく早く来てね。退屈過ぎたら、なんかまたムラムラして、いらないことしたくなっちゃう」
なんて困った人だ……。
「我慢してください」
「前向きに善処しま~す」
ツキノさんが、たたと駆け出して、温泉の中へと飛び込んだ。そのまま無邪気な子供のように泳ぎ出す。しかもわりと本気でクロールだ。
帝高温泉は競泳用の五十メートルプールを、少々歪な円形にしたような広さがある。それに誰もいないのだから、そういった使い方もアリだろう。
ぼくは全身を洗ってからシャワーで泡を流し、腰に巻いていたタオルを肩に乗せて、岩肌の温泉へと足から入った。
直後、静かに泳ぎながらツキノさんがぼくの隣へとやってきた。
水面から少しだけ顔を出し、「にひひ」と笑う。
そうして先週の木曜日のように、ふたり並んで岩肌に背中を預けた。
天井から落ちる水滴が、帝高温泉の黒湯に波紋を作って消える。
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