False――偽②
それほどまでに、この藤堂という男は異様だった。周囲を威圧していた。全員が関わることを恐れたのだと思う。目つきが尋常ではない。それは強者のものというよりは、異常者の目だったから。
ただひとり。九年前に恐怖という感情を失った、ぼくを除いて。
動きも呼吸さえも止めた集団を乱暴に掻き分けて、ようやく野次馬集団から抜け出せたぼくは、勢いそのままに大きく拳を振りかぶる。
無表情にリサの赤い瞳がぼくを追った。
「――ッ!?」
右の拳に鋭い衝撃が走った。骨の手応え。頬骨を殴打した鈍い音が響く。
ぼくは藤堂の頬を全力で打ち据えていた。藤堂の首がねじ曲がり、足が数歩よろめく……が、倒れない。それにまだ女子生徒の髪をつかみ、引きずったままだ。
カラン、と音がして、藤堂の眼鏡だけが廊下に落ちて滑った。
「マサト、リサを!」
「あ、ああ、わかってる!」
遅れて人混みを突破したマサトが、リサの手をつかんで人混みへと押し込んだ後、自分はすぐに出てきた。
藤堂が歪な笑みを浮かべて落ちた眼鏡をかけ直し、ぼくを遙か頭上から異常者の視線で見下ろす。身長差は歴然。頭一つ以上、藤堂が高い。
ぼくは目を剥いて藤堂正宗を睨み返す。
「ああ……また汚れてしまった……。シャワーを浴びなければ……。――おまえ、名は?」
「高桜一樹だ! そのコ放せよ!」
殴られた箇所を赤紫に腫らして、女子生徒がうめき声をあげた。
「あ……ぅ……」
藤堂が厭らしい笑みを浮かべ、わざとらしく明るい口調で言い放った。
「ああ、これは失礼。いつまでも醜いものを持っていたら、また臭いが移ってしまうところだった。劣等種にしては、気が効くじゃないか」
醜いものが、臭い?
意味がわからない。あの女子生徒が特別容姿に劣ったタイプだとは思えない。むしろ綺麗な方だ。それに容姿とニオイなんて関係ないじゃないか。
マサトがぼくにだけ聞こえるように静かに囁く。
「……共感覚だ。藤堂は視覚が嗅覚に直結しているって噂を聞いたことがある……。気をつけろよ、こいつは本格的に壊れてやがるぜ……」
そんなやつが装甲人型兵器に乗るというのか。危険だろ。
藤堂正宗が、女子生徒の髪をつかんだ腕を一度高く持ち上げて彼女を立ち上がらせ、人混みの壁へと叩き付けるかのように、乱暴に突き放した。
「……とっ!」
一瞬早く腕を伸ばしたマサトが、投げ出された女子生徒を全身で受け止めて人の壁に背中を当てた。
藤堂はおもしろくもなさそうに胸ポケットからハンカチを取り出して、自らの手を拭っている。
「俺の名は藤堂。藤堂正宗だ。おぼえておけ。もっとも、俺が名乗るまでもなくそっちのクズは知っているはずだが。なあ、多岐将人?」
顔を見られたマサトが、不快そうな表情で舌打ちをした。
「ハハ、俺の誘いを蹴って自ら特殊を希望したと聞いたが、畜生どもとは仲良くなれたようだなァ。い~んじゃないかァ? 畜生は畜生同士で寄り添い合っていれば、まとめて焼却処分もしやすいことだしなァ?」
歪な笑みが、さらに歪められた。
視線をマサトに向けたまま、藤堂が肘を高く持ち上げる。その行動に気づいた直後、ぼくは頭部に肘を打ち落とされて、その凄まじい衝撃に膝をついていた。
「うがッ」
ぐわんぐわんと脳内でドラムのような音が鳴り響いている。脳天に穴を開けられたかのような激痛に顔をしかめた。
視界が歪む。脳震盪を起こしたのか、全身の自由が利かない。
油断した……なんて力だ……。
「イツキ!」
胸ぐらをあっさりとつかみ上げられて、たったの一発で肉体の自由を失ったぼくは、虚しい抵抗で藤堂を睨み付ける。
「何だ、その目は? 気に入らんなァ。あぁ、実に気に入らん。劣等種らしく膝をたたみ、額を床にこすりつけて媚びてみたらどうだ? 藤堂様、どうか愚かで矮小な私をお許し下さいと」
ハンカチを投げ捨てた藤堂が、拳を強く握りしめる。
頬骨から激痛が頭部を貫いた。けれど残念ながら、痛みは感じてもその後に来るべき恐怖という感情が、ぼくにはない。
壊れているのも、イカレているのも、お互い様だ。
だからぼくは、藤堂よりも歪な笑みで、やつを嘲笑する。
「……屁で話すなよ、尻穴野郎。何言ってんのかサッパリだ」
藤堂正宗が額に縦皺を刻んだ。
「あぁ……わからんな。あぁ、わからん。何の取り柄もない特殊クラスの分際で、なぜ俺をそんな目で睨めるのだ? 存在に恥はないのか? まだ痛みが足りないのか?」
頭の中では大音量で金盥が打ち鳴らされているようで、視界は定まらない。
「……足りないね。撫でられたのかと思ったくらいだ」
「しゃくに障る家畜だ。こういうウソを吐くから、人間は信用できん。こんな薄汚い屑鉄の欠片まで、この俺に埋め込みやがって!」
突然、藤堂が憎しみに血走った瞳で、自らの首筋にある銀色の超伝導量子干渉素子を病的に掻き毟り始めた。
「汚い汚い汚い汚い――ッ!!」
首筋から血が流れ出し、爪の隙間に血肉が溜まっても目を血走らせ、偏執的にガリガリと首筋を掻き毟り続けている。
まともじゃない……。
首筋をよく見れば、何度も引っ掻いた痕が奇妙な痣となって残っていた。入学式でのマフラーは、これを隠すためだったのだろうか。超伝導量子干渉素子はすでに赤い血に染まっていて、不気味な輝きを放っている。
「劣等種である貴様にはわからんだろう、高桜ぁ? 頭が痛いんだよッ。超伝導量子干渉素子のせいで、臭い家畜も、薄汚いメタルも、世界の何もかもが歪むのだ――ッ」
藤堂がぼくに視線を戻して、再び拳をかためた。
歯を食いしばって衝撃に備える。
「いい加減にしやがれ、藤堂ォ!」
マサトが女子生徒を野次馬に押しつけるように預けて、藤堂に飛びかかろうとした瞬間だった。
野次馬の背後から、トン、と何かが跳ねた。壁を作っていた生徒たちの肩に手を置いて遠心力でスカートを逆さになびかせ、ひらりと回転する。
マサトの出鼻をくじく位置に両手両足で音もなく着地し、その人物はぼくらに顔を確認させる暇すら与えず、低く、低く。静かに地を這った――ように見えた。
「ぐがっ!? ――なっ!?」
藤堂の顎が、掌打で跳ね上げられたときには、ぼくはすでにその人の腕に支えられて立っていたんだ。
二歩、三歩、藤堂がよろけて踏みとどまり、顔色を憤怒の赤に染めた。
「何だ、貴様はッ?」
「天川月乃。上級生に向かって貴様とは、なっていないわね」
対照的に平然と応える少女。
身体はぼくよりも一回り小さく、女子の平均的な身長だ。背中に添えられた腕だって力強いわけではなく、服の上からもわかる見事なプロポーションは女性らしく、そして柔らかい。
あまりの早業に、おそらく一部始終を見ていたほとんどの学生も、何が起こったのか理解できなかっただろう。
涼しげな瞳。肩下までのシャギーを軽く揺らして細い腰に片手を当て、唇を尖らせる。
「そこで頬腫らしてる女の子、あたしの後輩なんだけど。――この、あたしの」
強調して付け加え、その人はボクサーのようにその場でトントンと二度跳ねた。ふわふわと制服のスカートが揺れる。
どよめきが一斉に広まった。
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