False――偽①
コンコンコン、コンコンコン。
ノックの音がしている。心地よい気怠さの中、ぼくの身体は起床を拒否する。
「イツキ、いねえのか?」
ドア向こうからマサトの声が聞こえた瞬間、ここが孤児院ではなかったことを思い出して跳ね起きた。寝坊は即、死に繋がる。
目を開けて周囲を見回す。窓の外はまだ暗い。時計を覗き込む。午後八時。あれからまだ三十分も経ってはいなかった。電気も消さずに眠っていたらしい。
「ごめん、マサト。寝てた」
あわててドアに駆けよって施錠を外し、開け放つ。
「何だ、もう寝てたのかよ。年寄りみてえだな」
寮内全般は常に適温に保たれているとはいえ、マサトはタンクトップにジャージと、ずいぶんラフな格好をしていた。まるでコンビニ前でたむろってるヤンキーだ。
「食堂行こうぜ」
そんな感想など知るよしもなく、マサトが親指で食堂方向を指さした。
ぼくは自分の腹に手を置いて、空腹度合いと睡眠欲を比較する。
正直、眠い。眠いとも。おまけに疲れすぎていて、腹も大して減ってない。
「悪いけど、今日はいいや。もう眠いんだ」
スウェットシャツの中に手を入れて、ぼりぼりと腹を掻きながら大あくびをする。
「ふーん。ま、いいけどさ。チームメイトのよしみで一応忠告しとくぞ。これから訓練は厳しくなってくから、疲れて腹が減ってねえくらいでメシ抜いてっと、そのうち倒れちまうぜ?」
「ん~……確かに……」
でも眠い。今日からもう身体を慣らしていくべきなんだろうけど、イマイチ乗り気になれない。
「実戦で体力切れて動けねえなんてなったら、倒れちまう程度のことじゃ済まねえしよ」
「……まぁね……」
そうなんだよなあ。でも何かこう、この身体を活性化させるのには、あとひとつ理由が欲しいところだ。
「しょーがねーな。じゃ、おれはお姫さんと食ってくるわ」
「……リサも来んの?」
「さっき内線で電話かけたら、シャワー浴びたところで目が覚めたらしいぜ。イツキとメシ食うつもりだけど一緒に食わねーかって聞いたら、行くっつってたからよ」
「目ぇ覚めた。よし行こう。すぐ行こう」
さっさとドアをくぐり抜けたぼくに、マサトが半眼となって唇を曲げた。
「…………おまえそれ、現金すぎね?」
「まったくだ。我ながらびっくりする」
オートロック式生体認証のドアを蹴ってしめて、ぼくらは歩き出す。
長い長い廊下、といっても全校生徒は最大数で三百名。そのうち半数が男子だとして、百五十室分を三階建てに分けた、実質五十室分の男子寮廊下一階を進む。
ちなみに空室も少なくない。二年生の住む二階、三年生の住む三階になればなるほど増えていくらしい。つまりは戦死者の部屋だ。新入生にそれを意識させないために、一年生に割り当てられる部屋は常に一階というわけだ。
だから階を上がれば上がるほどに、この建物は静かになっていく。
だけど、ぼくには関係のない話だ。恐怖なんて感情は、とうに失われた。
「メニューって決まってんの?」
「いや、何でも好きなもん食わしてくれるみてーだぜ。全部のメニューに付随するジュースがついてくるそうだ。偏りがちで足りない栄養を補うためだとよ」
「マサトみたいに偏ったもんばっか食おうとするやつが多いから、青汁かなんかを付けられたんじゃない?」
ケラケラとマサトが笑った。
「ぎゃはは、かもなー。肉サイコーだからな」
割りと失礼なことを言っているつもりだが、まるで怒らない。見かけよりはずっとしっかりしているし、クラスで孤立したリサとぼくを庇ってくれたことからもわかるが、案外いいやつだ。
「お、カレーのスパイシーな匂いがしてきたね」
「生徒の間じゃうまいって有名なんだってよ」
「マサトは何にでも詳しいな」
「おれにしてみりゃ、何も調べずに帝高に入学したおまえの方が不思議だぜ。命懸かってんのに、呑気すぎだ」
「へへ。ちょっと楽しみになってきた」
寮を出て夜の中庭を歩く。アスファルトで舗装された中庭は常にライトに照らし出されていて、雑談しながら歩く他の生徒たちがチラホラ見える。食堂に向かうやつらだったり、食事を終えて寮に帰ってくるやつらだったり。
「リサはどこで合流?」
「食券売り場で待ってるらしい」
「ふーん」
あいつ、自分で女子寮から食堂まで来られるのかな。マサトは入学前に色々調べてきていたみたいだけど、リサはどうにもこう……頼りない。友達だってできなそうだ。
そんな心配をしながら、通常の学校のものよりも遙かに巨大な食堂に入ると、真っ先に人混みが目についた。
これじゃ小さなリサがどこにいるかなんてわかりゃしない。
「まずったなあ。外で待ち合わせてから来ればよかったぜ」
食堂専用の建物は、短い廊下に券売機が置かれている。メニューを選ぶためではなく、この券売機に学生証代わりのIDカードを通すことで、日に三度だけ食券がもらえるシステムだ。券売機付近は特に人混みがすごい。
マサトとふたりしてリサを捜していると――。
「いいから来いと言っているだろうッ」
乱暴な声が聞こえてきた。
顔を見合わせ、ぼくらは人混みの外側から背伸びをして中心部を覗き込む。
そこには真っ白な長い髪を持つ少女と、彼女の細く白い腕を強くつかみ、引きずろうとしている眼鏡の紫頭がいた。
「人を待ってる。わたしはここにいなくてはならない」
リサが赤い瞳を痛みに歪めながら、静かに呟く。
長身の紫頭と短身痩躯のリサでは話にならない。リサは抵抗虚しく、ずるずると引きずられている。
尋常ならざる雰囲気だ。
あいつ……ッ! 確かマサトが入学式で「関わるな」と言っていた藤堂正宗だ!
「ふん、そんなことはどうでもいい。おまえは黙って俺のものになればいい」
藤堂正宗は舌なめずりでもせんばかりの狂気の笑みでリサを睨め付け、片手で彼女の腕をつかみ上げた。小さなリサは爪先立ちになっている。
「それはできない。わたしはここでイツキを待つ」
「誰だ、それは。そんな劣等種のことは忘れろ。おまえはこのような臭い人間どもと一緒にいていい女ではない。俺と来い。俺がおまえを守ってやる。薄汚い屑鉄どもからも、家畜のクソよりも臭い、惨めな人間どもからも。ああ、そうだ。俺はおまえに話さなければならないことがある」
リサの身体がさらに引き上げられて、もはや吊り上げられた状態となった。彼女の表情が痛みで歪む。
ぼくはあわてて人混みに身体をねじ込み、両手で掻き分けた。
「ちょっと通して! ごめん、通して!」
くそ、人が多い!
野次馬が密集しすぎていて、うまく進めない。ぼくは必死で進みながら視線を上げる。
「や、やめましょうよ、藤堂くん……」
それは、紫頭、藤堂の腕をひとりの女子生徒がおずおずと引いた瞬間だった。下卑た笑みを片頬だけに浮かべていた藤堂正宗の表情が、途端に一変する。
嫌悪――。
唇をわななかせ、顔色を真っ青に変化させ、拳を持ち上げたのだ。
「俺に触るなッ、薄汚い牝犬がッ!」
「――っ!?」
乾いた、などという生ぬるい音じゃなかった。骨と骨が接触するほどの、肉を叩き潰すかのような音。一瞬遅れで、藤堂の腕を引いた女子生徒が人混みに吹っ飛び、数名を巻き込んで転倒した。
あいつ、女を全力で殴りやがった!
わずかにずれた眼鏡を、藤堂が指先で押し上げる。
「醜い臭いが移るだろうがッ! 用もなく俺の視界に入ってくるなッ!」
藤堂がリサの腕を放して、転倒した女生徒の長い髪を乱暴につかみ上げた。しかめた顔を近づけて、粘着質な声で囁く。
「あぁ~臭い臭い! ……情けでチームを組んでやっただけの牝が、得意気に俺に指図をするんじゃあない」
唖然とする空間。
誰もが押し黙り、自らの頭部を偏執的にガリガリと掻き毟りながら喚く藤堂から距離を取る。やつを止めようとする生徒も、髪を引っ張られて震える女子生徒を助けようとする生徒もいない。
完全にイカレてやがる……。
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