第21話『先輩の家』
校舎を出ると、帰宅する生徒の姿はほとんどなかった。
授業が終わって一時間以上経っているせいだろう。
部活に勤しむ生徒達の喧騒と吹奏楽部の練習音だけが聞こえてきていた。
「今から、お姉ちゃんのお家に行くの…?」
「ああ。先輩に会いに行く」
明日香の不安そうな声に、俺ははっきりと答えて返す。
明日香はいつだって、先輩の事だけを考えている。
二人は昔から仲が良かった。
「……」
ならば、何故、先輩は明日香を殺したのだろう…?
一体、二人の間に何があったというのだ?
俺の知らない蟠りが二人にあったとでもいうのだろうか?
それは、ミコトが明日香の記憶を忘れさせた事に何か関係してるのか?
考えれば考える程、謎は深まるばかりだった。
一人、俺が考えを巡らせていると、突然、殺気を感じて我に返る。
殺気の方向へ振り向くと、校門の影から誰かが飛び出してくる。
「カンガリアンキーーーック」
「ぐはっ…!」
綺麗なドロップキックが俺の脇腹に完全にヒットする。
そのまま俺は道路を転がっていく。
あまりの痛みに息が出来ない。
こんな風に、必殺技の名前を叫びながら蹴りをいれる人間など、俺は一人しか知らない。
苦しみながら、視線を上げると、案の定、そこには鬼の形相で俺を睨み付けるいずみの姿があった。
しかし、いずみとは和解したはずだ。
何故、こんな事をするのだろう?
俺が仁王立ちのいずみを睨み付ける事で抗議する。
「罰だ!」
「何のだ!?」
はっきりと罰と言ういずみに、俺は食ってかからんばかり詰め寄った。
「お姉ちゃんが部屋に閉じこもったの…あなたのせいでしょ?」
「…ああ」
頷くしかなかった。
それはそうだろう、経緯がどうであれ、結局は俺が原因なのだから…。
「あなたのせいで…お姉ちゃん、ずっと泣いてた…」
「悪い…」
いずみの目からは涙が溢れていた。
それだけでも、今、先輩がどんな酷い状態なのかが窺える。
「…けてよ…」
「え…?」
「お姉ちゃんを助けてよっ!」
それはいずみの心からの叫びだろう。
先輩が家に閉じこもってから、いずみはどれだけ辛かったのだろう…。
ただでさえ、シスコンのいずみだ、その辛さは俺の想像を遥かに超えていたに違いない。
俺がやるしかない。
先輩を救えるのは俺しかいないんだ。
「行くぞ」
「え…?」
泣きじゃくるいずみを慰めるように肩に手を置いた。
一刻も早く、先輩の笑顔を取り戻さなければ…。
もう悠長な事をしている場合ではない。
戸惑ういずみの手を掴んで、半ば強引に歩き始めた。
最初は引っ張られるように歩いていたいずみだったが、すぐに自分を取り戻して、しっかりとした足取りで歩き始める。
「お姉ちゃん、元気になるかな?」
「きっと、大丈夫だ。きっと…な」
その言葉は、いずみに答えるというより、自分に言い聞かせているといった感じだった。
「うん…」
そんな言葉でも、少しはいずみの気持ちを楽にさせたのだろうか、表情が和らいでいた。
先輩の家に着いた時、妙な感じがした。
以前、遊びに来た時に比べて重い雰囲気に包まれている気がしたのだ。
これは、俺の気のせいだろうか?
それとも、住んでいる人の気持ちが、こうまで雰囲気に現れるのだろうか?
「どうぞ」
「あ、ああ…」
重い雰囲気のせいか、俺は中へ入る事を躊躇ってしまう。
そんな俺を、いずみが中へ招き入れる。
「先輩は部屋だな」
「うん。お姉ちゃんをお願い…」
「…ああ」
立ち止まるいずみをその場に残して、二階にある先輩の部屋へ向かう。
先輩の部屋の前に立つと、途端に緊張してくる。
中からは物音一つしない。
寝ているのだろうか?
少し躊躇ったが、意を決してノックする。
「……」
中からは返事はない。
やはり、寝ているのか?
どうしよう…出直すべきだろうか?
いや…中へ入ろう。
不思議と予感があった。
先輩は起きていると…。
「先輩、入るぞ」
ガチャリとノブを回して、ドアを開く。
部屋の中は、まだ日も落ちていないのに、とても薄暗かった。
遮光カーテンを引いてあるせいだ。
目を凝らして、様子を窺うと、ベッドに腰掛けてうなだれている先輩の姿を見つけた。
「……」
その姿は、あまりにも酷かった。
憔悴しきった顔…。
少し痩せたようにも見える。
「よう。久しぶりだな、先輩」
「女の子の部屋に…勝手に入るなんて…趣味悪いわよ…」
黙ったままの先輩に冗談を言うように片手を挙げた。
先輩は身動ぎ一つせずに呟く。
とても、先輩らしい台詞。
だけど、まったく違う雰囲気…。
今、目の前に座っているのは、本当に先輩なのか…?
そんな事を考えてしまう。
「悪い。どうしても、先輩に会いたくてな」
「私は…会いたくない。出てって…」
あからさまな拒絶…。
その言葉に、俺の胸は痛む。
だけど、諦める訳にはいかない。
「なあ、先輩…都築は、もう先輩を傷付けねぇよ」
「関係…ないわ」
「ああ…だろうな」
先輩がこう答えるという事は何となくわかっていた。
都築のやっていた事は、先輩にとっても必要だったのだ。
自分を傷付ける事で、先輩は明日香を殺したという罪を償おうとしたのだ。
「私は…幸せになっちゃいけないから…」
明日香への罪の意識が強過ぎるのだろう、先輩は力なくうなだれた。
傷付ける事で自分に罰を与えているのだ。
だけど…。
「先輩のやってる事は間違ってる」
「……」
「先輩がやってる事は、自分だけじゃなく、周りの人間も幸せになれなくなる」
「…ッ!」
俺は自分の考えをはっきりと口にした。
自分を傷付けて不幸になれば、先輩は満足かもしれない。
でも、先輩の両親やいずみ…香澄さんは決して幸せにはなれない。
それは俺も同じだ。
それを、先輩に気付いて欲しかった。
俺の言葉に、ハッと顔を上げた先輩は息を飲む。
「罪を償いたいなら、先輩は幸せになるべきだ!」
明日香だって、それを望んでいる。
思わず、口から出そうになる言葉を喉の奥へ押し込んだ。
明日香が幽霊になって、俺の傍らにいるなんて、簡単に信じてもらえる事ではない。
「出来る訳ないでしょっ!帰ってよ…帰ってっ!」
先輩は今にも泣きそうな表情を浮かべて、俺を部屋の外へ押し出した。
バタンとドアを閉めると、鍵を掛ける音が中から聞こえる。
「先輩!先輩っ!」
「……」
ドンドンとドアを叩いて先輩に呼び掛ける。
だけど、先輩の声は聞こえてこない…。
恐らく、先輩は家に来ても、俺とは会ってくれないだろう…。
だからだろう、俺は知らず知らずのうちに叫んでいた。
「先輩!約束覚えてるか!?今度の日曜のデート!」
「……」
「俺、待ってるから…。ずっと、待ってるからなっ!」
もう、何も聞こえてこない部屋の中へ向けて必死に叫んだ。
それだけ伝えて、俺は先輩の家を後にした。




