第19話『拳と拳』
「じゃあ、今日はここまで」
担任の言葉で、ホームルームは終わりを告げた。
教室は生徒達による喧騒に包まれる。
そんな中、俺は鞄をひったくると、足早に教室を後にする。
向かった先は一階上…三年生の教室だ。
もちろん、先輩に会う為だ。
俺は、まだ生徒が疎らな階段を駆け上がっていく。
何故、こんなにも急いでいるかというと、先輩と擦れ違わない為だ。
先輩の教室にたどり着くと、ちょうどホームルームが終わったのだろう、担任が出てくるところだった。
擦れ違う瞬間、訝しげな表情を見せる教師に軽く会釈する。
教室の中を覗くと、自分の教室と同じように、楽しげな喧騒に包まれていた。
しかし、中を見回してみるが、先輩の姿は見当たらない。
「?」
おかしい。
何故、先輩がいないのだろうか?
もしかして、教室を間違えたのだろうか?
俺は確認の為に教室についているプレートを見る。
『3―A』
それは間違いなく先輩の教室だった。
疑問に首を傾げていると、見知った顔と目が合った。
香澄さんだ。
「拓哉さん…」
気付いて、香澄さんが俺の元に走り寄ってくる。
「よう。先輩は?」
「今日は休みなんですよ」
「休み…?」
「ええ。先生が風邪だと言ってましたよ」
説明してくれる香澄さんに、俺は口元に指を置いて考えを巡らせる。
恐らく、本当は風邪なんかではないだろう。
不登校の原因は間違いなく、あの日の出来事…。
「そっか。わかった。ありがとう」
俺は香澄さんに笑い返した。
本当なら笑えるような状況ではなかったが、それを香澄さんに見せたくなかった。
心配掛けたくなかったからだ。
俺は香澄さんに別れを告げて歩き出す。
向かったのは屋上…。
別に、屋上に用があった訳ではない。
大体、未だ雨が降っているのだ。
そんな場所に好き好んで行く趣味はない。
ならば、何故か…。
簡単な事だ。
背後からついてくる人間の気配に気付いたからだ。
雨の中、重い扉を開けて屋上に出ると、すぐにその人物もやってきた。
「よう」
屋上に出てきた男に、俺は不敵な笑みを浮かべて声を掛ける。
「懲りない奴だな」
出てきた男は…都築だった。
そう、教室で香澄さんと話している時から視線を感じていた。
そして、教室を離れた俺を後ろから追い掛けていたのだ。
「懲りる?俺が?どうして?」
仰々しくリアクションしてみせて、俺は都築を挑発する。
完全に小馬鹿にした俺の態度に、都築の顔は怒りで見る見る間に真っ赤に染まっていく。
それでも、まだ幾分理性が残っているのだろう、都築は引きつりながらも笑みを浮かべる。
「へっ!雨宮と俺の関係を見せつけられて逃げたくせに…」
「逃げたのは、お前も同じだろ?」
「な、何を…」
優位に立とうと、必死に捲し立てる都築に、俺は変わらない態度のまま、突き付けてやる。
都築の表情が赤から青へと一変する。
血が引くように、真っ青になっていった。
「好きな女を守ったのはいいが、拒絶されて拗ねたんだろ?」
「…貴様…ッ!」
極力、都築の神経を逆撫でするような口調で答えてやる。
案の定、都築はまた真っ赤になった。
怒りで身体が小刻みに震えている。
もう一息だ。
「香澄さんにフラれて、先輩に逃げるなんて、まったく情けねぇ奴だな」
俺は、都築に仰々しく手を開いて肩を竦めてみせた。
「ふざけやがって!」
叫ぶが早いか、都築は大きく振りかぶって、俺へと向かってきた。
俺の予定通りだ。
怒りに任せて殴り掛かってきた都築の動きは明らかに考えなしだった。
大きく振りかぶった腕は、見切りやすい。
俺は上半身を軽くのけ反らせて都築の拳をいなす。
避けられた事で都築は、その力のあまり身体が泳いでしまう。
体勢の崩れた都築の足を、俺は軽く引っ掛けた。
濡れたコンクリートに派手に倒れ込んだ。
水溜まりが跳ねて、顔に掛かる。
「雨水は美味いか?」
「やかましいっ!」
都築は完全には立ち上がらずに、そのまま身体ごと突っ込んでくる。
「ぶほっ…」
ラグビーのタックルのような感じだ。
これは、さすがに避けられなかった。
俺は背中をコンクリートに打ち付ける。
痛みのせいで、一瞬、息が出来なくなる。
「お前に何がわかるってんだっ!」
都築はそのまま馬乗りになると、何度も殴り付けてきた。
このままではやばい!
俺は、なんとか身体を振って、反動で都築を下にする。
「わかる訳ねぇだろ!てめぇの勝手に先輩まで巻き込むんじゃねぇよ!」
「…ッ!」
「拗ねたきゃ、一人で拗ねやがれ!」
何度も都築を殴り付けた。
都築は諦めているのか、すでに抵抗していなかった。
最後に大きく振りかぶって、都築の顔目掛けて拳を振り下ろす。
その瞬間、何かが間に割って入った。
香澄さんだった。
気付いた時にはもう遅い。
俺の力を思い切り込められた拳は、香澄さんのこめかみを捕られていた。
「…ッ!」
「香澄さん!」
吹っ飛ぶように倒れた香澄さんに、俺はすぐに駆け寄った。
俺の拳か倒れた時に打ったのか、血が流れている。
「大丈夫かっ…?」
「え、ええ…」
心配そうに覗き込む俺を安心させようとするつもりなのか、香澄さんは無理して笑顔を作る。
それは、あまりにも痛々しかった。
「どうして、間に入ったんだよ?」
「元はと…言えば、私が…悪いんです。だから、もう都築くん…を許して…あげて下さい」
痛みからか、たどたどしい口調で、必死に想いを伝える香澄さんに、俺は拳を握り締めた。
「…なあ、てめぇはこんな香澄さんを見ても、まだいじける気かよ…?」
「……」
俺は背中越しに、大の字に転がっている都築に震える声で語る。
しかし、都築は黙ったまま何も答えない。
「どうなんだっ!」
「…うるせぇ…」
話す事もやっとだと言わんばかりの絞り出した声だった。
それでも、気勢はある。
都築はなんとか立ち上がって、ヨロヨロとふらつきながら、こちらにやってきた。
「都築くん…本当にごめんなさい…」
ゆっくりと身体を起こした香澄さんは、足を引きずりながら目の前に立った都築に謝罪する。
「まったく…」
苛々として俯いて頭を掻いた都築だったが、顔を上げた時には、今までの嫌みさはなかった。
「都築くん…」
「ほら、怪我してるんだろ?病院に行ってこい」
「都築くんも怪我してますよ」
「俺はそいつにまだ用がある」
香澄さんを背後で支えている俺に指を差す。
俺…?
まだ、何か突っ掛かってくるつもりか…?
「わかりました」
納得したように、香澄さんは俺達を残して、屋上を後にした。
大丈夫だろうか?
びしょ濡れで怪我をした香澄さんを俺は心配する。
しかし、すぐに気持ちを目の前の都築へと切り換える。
「それで、俺に何の用だ?」
「雨宮の事だ…」
「……」
まさか、都築の口から先輩の名前が出てくるとは思わなかった。
真剣な表情から、都築が重大な事を言おうとしている事がヒシヒシと伝わってきた。
「あいつは…自分を責め続けていた。そんな雨宮と香澄の事で自棄になっていた俺と利害が一致していた」
都築の言葉はわかる気がした。
確かに、先輩はそんなところがある。
以前も先輩は言っていた。
『私には幸せになる資格がない』
あの時の言葉が脳裏に浮かぶ。
「だけど…お前に見せつけた、あの日…雨宮の様子は激変した」
「どういう事だ?」
「わからない。だが、半狂乱で泣き叫ぶ雨宮は尋常じゃなかった」
泣き叫ぶ先輩…。
全く、想像出来なかった。
何が理由だったのだろうか?
「なあ、先輩は…何故、あんなに自分を責めてるんだ…?」
目の前の都築は、この真相を知ってる…そんな気がした。
「あいつは…人を殺したんだ。自分の妹を神社の階段から突き落とした…」
信じられなかった。
先輩が、明日香を殺した…?
頭の中が真っ白になって、何も考えられなかった。




