第18話『香澄さんの過去』
今日は朝から雨が降っていた。
止む事なくシトシトと降り続ける雨に気が重くなる。
もちろん、気が重くなるのは雨のせいだけではない。
そのせいか、俺は朝から授業に身が入ってなかった。
今はすでに六時限目…放課後一歩手前だ。
俺は頬杖をついて、窓の外へ視線を送る。
思い出すのは、昨日の香澄さんの話…。
「香澄さんが原因って、どういう事だよ?」
「……」
問い詰める俺に、香澄さんは黙り込んだ。
言いたくないという事を無理に聞き出していいものだろうか…?
少し迷ってしまう。
そこまで考えて、俺は自分が矛盾した行動している事に気が付いて自嘲気味に笑ってしまう。
俺は、もう先輩とは関わらないと決めたはずだ。
関われば、俺はまた傷付く事になるかもしれない。
「別に、俺には関係ないから…やっぱりいい」
「?」
突然、手の平を返したような俺に、香澄さんは訳がわからず、訝しげに俺を見る。
「そろそろ帰る。じゃあな、先輩…」
「もしかして、いじけてるんですか?」
「…ッ!」
席を立ち、手を挙げて帰ろうとする俺の背中に、香澄さんが尋ねるように声を掛けた。
それは、俺を逆撫でするのに十分な言葉だった。
顔が怒りで赤く染まっていくのがわかる。
きっと、今、俺は凄い表情で睨み付けているに違いない。
だけど、香澄さんは恐れる事もなく、真っ直ぐに俺の瞳を見返してきた。
「拓哉さんは、逃げてるんですね」
「逃げる…だと…」
唸るように、俺は香澄さんに詰め寄る。
今にも怒りが爆発しそうだ。
「ええ」
「それは、一体どういう意味だっ!」
はっきりと頷く香澄さんに、噛み付かんばかりに俺は怒鳴る。
テーブルに叩き付けるように手を置く。
「都築くん…先輩との関係を拓哉さんに見せつけたんじゃないですか?」
「……」
「そして、拓哉さんは、そんな二人から目を逸らして逃げた…違いますか?」
まるで、その場にいたかのように、香澄さんは、昨日の状況をズバリと言い当てた。
何も言い返せなかった…。
言い返せるはずもなかった。
何故なら、それが紛れもない事実だからだ。
俺は、ずっと気付かないフリをしてきた事実を、思い切り、香澄さんに突き付けられていた。
沈黙する俺に、香澄さんは更に追い討ちを掛ける。
そうだ…。
香澄さんの言う通りだ…。
俺は逃げていた。
二人の関係という真相から…。
俺は怖かったんだ…。
先輩の口から俺への拒絶の言葉が出てくる事が…。
「ああ…そうだ」
頭に上っていた血がスーッと引いていく。
冷静になってみると、今までの香澄さんへの自分の態度を恥ずかしく感じてしまう。
「拓哉さん…」
「確かに、俺は二人から逃げてた」
だから、香澄さんに素直に答える事が出来た。
聞こう…。
香澄さんが、何故、自分を原因と言うのかを…。
「教えてくれないか。香澄さんが原因だって言う、その訳を…」
「わかりました」
香澄さんは、先程のように言い淀む事はなかった。
香澄さんは、一度、自分を落ち着けるように深呼吸をする。
俺は、席に座り直して香澄さんが話し始めるのを待つ。
「まず、最初に言っておく事があります」
「何だ?」
「雨宮さんが都築くんに従っている理由…それは、私にはわかりません」
「どういう事だ?」
香澄さんの前フリは、俺が一番知らなければいけない事だ。
だけど、香澄さんは肝心なところはわからないと言う…。
ならば、香澄さんは何を語るつもりなのだろう?
「私が今から話すのは、都築くんの事なんです」
「……」
あの男の話を聞いて、何がわかるというのだろうか?
どこか、釈然としない想いが俺の胸に沸き上がる。
それでも、俺は黙って香澄さんの話に耳を方向けていた。
「都築くんは、中学の頃はあんな性格じゃありませんでした」
「香澄さんは、あの男と中学の頃からの知り合いなのか?」
「はい。家が隣り同士なんです。だから、正確には子供の頃から知ってます」
幼馴染みというやつなのだろう。
しかし、不思議と香澄さんの周りで、あの男を見掛けた事はなかった。
もちろん、香澄さんといつも一緒にいる訳ではない。
だから、知らない所で会ってるのかもしれないが…。
「彼があんな性格になった原因こそ、私にあるんです」
少しづつ、香澄さんの言いたい事が見えてきた。
要するに、都築という男があんな性格にならなければ、先輩にちょっかい掛ける事もなかった、という意味での『原因』なのだろう。
「一体、何があったんだ…?」
「それは高校に入学して、すぐの話です。私は好きな人が出来ました。三年生の先輩で、サッカー部に主将を務めている人です」
その当時の事を思い出しているのだろうか、香澄さんは懐かしむように窓の外へと視線を向けていた。
俺も同じように、視線を外へと向ける。
部活の帰りだろうか、同じ学校の制服を着た生徒が楽しげに談笑しながら歩いている。
「少しづつ、先輩への想いを募らせていっていた、そんなある日、都築くんが先輩を怪我する程、何度も殴り付けていました…」
「……」
「彼が私に好意を抱いている事は薄々気付いていました。だから、都築くんの行動が嫉妬からだと信じて疑いませんでした」
確かに、そこまで聞かされれば、俺でもそれ以外の理由は思い付かなかった。
「それ以来、先輩は私の事を避けるようになり、私は都築くんを憎みました。だけど…」
そこまで、ずっと、無表情で話していた香澄さんの表情が不意に崩れた。
それは、後悔と悲しみだった…。
「都築くんは私を守ってくれたんです」
「どういう事だ?」
「先輩は、付き合った女の子に売春をさせていたそうです。それを知った都築くんは、私を助ける為に、先輩を殴り付けて、私に近付かないようにしたんです」
何て不器用なやり方なのだろうか…。
きっと、他にも良いやり方はあったはずだ。
だけど、都築にはそれしか浮かばなかったのだろう。
「でも、私はそんな都築くんを酷くなじりました…あなたなんて嫌いだ、と…」
守った相手に嫌いだと言われた都築は、どんな想いだったのだろうか…?
もし、俺が好きな人に嫌悪され侮蔑されたら、どうなってしまうだろう…。
考えるまでもない。
先程までのようになるに違いない。
「それ以来、都築くんは、私を避けて…そして、まるで当て付けるように雨宮さんと付き合い始めました。でも…それは付き合うとは名ばかりの酷い関係でした」
「そうか…」
全てを話し終えた香澄さんの瞳からは、止めどなく涙が溢れていた。
自分の不用意な行動で傷付けてしまった都築への後悔からだ。
俺は結局、そんな香澄さんに何も言えなかった。
…ザー…。
一層、強くなった雨音に、俺の意識は現実に引き戻された。
腕の時計に視線を落とすと、すでに授業終了の時間だった。




