04.雪の女王からの口付けは
人を斬ることに抵抗がなかったわけじゃない。
その感覚に慣れすぎたせいで、何とも思わなくなっただけ。
そんな些細なこと、一々気にしてなんかいられない。気にする必要なんかないし。
「なんだてめっ!?」
騒がれないうちに切り付けてやる。
握り締めた柄から伝わってくる、肉を切る感触。神経を断ち切った音、骨に当たったせいで止められた刃先。それらを全て力で押し切って、息の根を止めてやった。
手加減? そんなことしてやるはずないじゃん。
一思いに逝かせてやったんだから、ありがたく思いなよ。なぶり殺す趣味なんかないから。
ぐしゃりと甲板に崩れ伏せたただの肉魁は、勢い良く吹き出た赤い血液を飛び散らす。
「あーぁ。また派手に撒き散らしやがって」
「何?」
「いーや、なんでもねぇよ」
あんたのその声、イラッとするよね。余裕綽々な態度で、自分はなんでも知ってますとか言うようでさ。
……その喉かっ裂いてやりたくなる。
きっと、あんたの髪の色以上に鮮やかな紅が吹き出すんだ。
そんなくすんだ鉄錆色を染めてやろうかと、サーベルを握る手に力を込めた。
「チェシャ」
「……何?」
視線だけ向けてやると、一緒に乗り込んだウサギが静かに首を振った。
「少し、冷静になった方がいい」
「冷静に? 俺が我を忘れて取り乱しているとでも言うわけ?」
「……そうじゃない」
無感情に紡ぐ言葉は、一つ一つ考えているみたいで遅い。
そんなの今に始まったことじゃないけど、無性にそれがイライラした。
「チェシャ猫」
「今度は何?」
今は帽子屋の指示で敵船に乗り込んでる。
こんな雑魚の集まりなんか、帽子屋や船長の魔法で潰せば早いのに。そもそも、俺が帽子屋の言うことを聞く義務だってない。
なのに何で素直に従ったかって?
そんなの決まってるじゃん。
「人斬って、興奮してんだよお前は」
この奇妙な心地よさを感じる高揚感に浸っていたいから。
「自分じゃ分かっちゃいねぇんだろーが」
「分かってるなら、邪魔しないでくれない?」
これ以上余計な言葉なんか聞きたくなくて、サーベルを首筋に突き付けてやる。
ほら、後は軽く引いてやればそれでおしまい。さよならだ。
「……分かった分かった。俺様死ぬときは女の子の膝の上か、胸の中って決めてるからやめろって」
「別に、あんた前から気にくわなかったし。今ここで終わらせたって誰も文句は言わないでしょ」
「そんなこと本気でしたら、全世界の女の子敵に回すぜ? もちろん、お前らのおじょーさんもな」
あんたが俺からユキを取り上げたんじゃん。
何そんなこと図々しく言ってるわけ?
本気でこのまま終わらせてやろうかと思った。
思った、けど。
びくりと震えたユキの姿が、頭をちらついてるんだ。
黒い瞳を見開いて、青白い顔で後退られた。
怖いって、顔してた。
近寄らないでと、触らないでと言われたようで、それがなんでかは分からないけど気に入らない。
イライラが積み重なる。
【不思議の国】号に、俺の手が届かない場所にユキがいるってことが……、そうしたのがこいつだってことも、全部気にくわない。
「次邪魔したら、ヤるから」
「あぁ、邪魔しねぇよ。分かったからとっとと行って終わらせてこい。俺様ここで隠れて待ってっからさ」
ひゅっと音を立てて空気を切り裂く。
怖い怖い、と全然怖いなんて思ってないようなあいつの声がした。
「マーチ、チェシャ猫が無茶しないように頼むぜー」
「……あぁ」
足音を消して移動する俺とは反対側に回り込むウサギが、何を頼まれたんだか。
別に、そんなことどうだっていいけど。
そんなことより、今は……
「っ!? 侵入者っがぁ!!」
「遅いよ」
目の前に群がってくる雑魚共を切り捨ててやらなくちゃ。
紅い飛沫が飛び散る。
そんなのいつものこと。どうせ終わったら、また俺だって紅に染まってるんだから。一々気にする必要なんかない。
ない、けど。
頭の中に恐怖の色を浮かべたユキの姿がちらついて……。
それごと塗り潰してしまいたくなった。
* * * * *
「首尾は上々のようですね……」
肉眼で辛うじて確認できるであろう距離に、ぽつんと光を放つものがある。
夜空も風の凪いだ深い海も同じような色をしていて、空に輝く月がぼんやりと輝いている。ポツポツとちりばめられた星々よりは、船内を照らすランプの方が明るい。
だがあれは、そんな明かりではない。
「火薬庫爆破など、相手の方も不粋なことをされますね」
チカチカと光を放つ。
さすがにここまでは音は聞こえないが、瞬くたびに爆発が起きているのだろう。
船の持ち主は小舟で脱出し、侵入者もろとも財宝を沈めてしまおうと言ったところだろう。
船に残っている水兵や部下などの命など、気にも留めていないに違いない。
「全く以て、なってませんね……」
そっと穏やかな海に向かって腕を伸ばした。
そしてゆっくりと握り締める。
その瞬間、明々と燃える敵船の側で、小さく何かが瞬いたように見えた。
「海に出るのでしたら、何があろうと船員を見捨てない。最後まで船と共にいる。それくらいの覚悟と責任くらい、あって当然でしょう?」
もうそんなことを知る必要もないでしょうが。
そう呟いた帽子屋は、軽く羽根付き帽を被り直した。
「あ、マッド」
「ヤマネ、どうか致しましたか?」
「いえ……。あちらは、もうすぐ終わりそうですか?」
「えぇ。引き上げる気があれば今すぐにでも終わるでしょう」
殲滅に向かわせた二人……いや、移動手段としてジャックも付き合わせての三人だが、そう簡単に戻ってくるだろうか?
マーチもチェシャ猫も、元は戦場に生きるもの。
血の匂いに酔いしれて、興奮が納まらないこと間違いないだろう。
自分のような形ばかりの剣ではなく、効率的に人を切り裂くための剣なのだから。
下手に止めてしまうよりは、死なない限り自分たちの判断に任せた方がいいだろう。
いざとなったら、ジャックに全て責任を押し付けてしまえばいい。
そんなことを考えていた帽子屋の隣で、ヤマネはポツリと呟いた。
「いつ、アリスに会えるのかな……」
ジャックの提案を受けて、【不思議の国】号はアリスを一時的に手放した。
アリスを奪おうとする不届き者たちを一掃するまで、ジャックの馴染みの相手の元で“保護”されている……らしい。
本当に保護されているかどうかは分からない。実際に確かめたわけではないのだから。
今のところ自分たちに有益な働きをしているジャックを、信用しているといったら嘘となる。
仲間ではない限り、何時敵に成り代わるかは分からない。
船員に悟られぬように、勿論、クイーンにも知られぬように、帽子屋はジャックに対して警戒心を抱いていた。
「我らがアリスが【不思議の国】号から降りて二週間ですか……」
「あとどれくらい、こんなことを続けなくちゃならないんですか?」
「おや、現状に不満でも?」
「不満、と言うよりは……」
寂しい。
そう口にしたヤマネに少し目を開いた。
たった数日しか共にしなかったのにも関わらず、寂しいと思えるものだろうか。
それだけではなく、帽子屋は続く言葉に更に驚かされた。
「アリスがいないことが、寂しい。けれどそれ以上に、猫と仲直りしてほしいって思うんです」
ヤマネがチェシャのことを気遣うなんて、珍しい。
そんなことを思いつつ、少し拗ねたように口を尖らすヤマネを見やる。
「二人は知らぬ間に喧嘩でもしたのでしょうか?」
「それは分かりませんけど。でも猫は、アリスがいなくなってからずっとイライラしてるんです。いつもより手が付けられないと言うか……」
それは帽子屋も感じていた。
チェシャがずっと不機嫌のままで、残忍さが表立って現われていることは同じ船に乗っていると嫌でも分かる。
そしてそのイライラを敵へとぶつけていることも。
「猫は好きじゃないけど、今の猫はもっと嫌いです」
これは一度、手を打った方がよさそうですね。
未だ尚赤々と燃えている敵船を見て、帽子屋は密かにそう決めていた。
* * * * *
帰ったら、まず始めに謝らなくちゃいけないんだと思う。
指輪を捜しに行ったまま、長い間戻れなくてごめんねって。
わたしの不注意で指輪を落としちゃったのに、きっと自分のせいだって気にしているんだと思う。
あの子些細な事でも気にしちゃうから、早く謝ってあげないと。
あなたのせいじゃないよって、そう言ってあげないと。
だから早く帰らなくちゃいけないんだ。
わたしが帰る場所は……、帰らなくちゃいけない場所がちゃんとあるんだから。
ただ、その帰り方が分からないだけ。
結局わたしは偽者だから、アリスのようにはなれない。
ただ純粋に時計ウサギを追い掛けて、不思議の国を見回ることなんかできないから。
ホーンの所に居候させてもらっていた時、毎日同じ夢を見ていた。
“【不思議の国】号に戻ったことが夢”だった夢。
目が覚めるとわたしは桜の大樹の根元にいて、追い掛けて来てくれたあの子に謝られているんだ。
私のせいでごめんねって。
でもわたしはそんなあの子に何も言えなくて、今までのことが全部夢だったことが信じられなくて茫然としているだけ。
【不思議の国】号に帰らなくちゃなんて、そんなことを思いながらも家に帰ったわたしは、次の日からなんてことなかったかのようにまた日常を繰り返すんだ。
そんな自分が嫌で、かき消してしまいたくなって、がむしゃらに暴れていたら目が覚める。その繰り返し。
こんな夢を毎日繰り返し見てるから、わたしが帰らなくちゃいけない場所は【不思議の国】号じゃない。
家に帰らないと。
ただの夢だと思わないと。
馴れ親しみすぎちゃいけない。
いつでもサヨナラが言えるようにならないと。
そうしないと、わたしが辛いだけだから。
目が覚めたら茫然としてないで、あの子にちゃんと謝らなくちゃ。
今までのは夢だったんだから、忘れなくちゃいけない。
目覚めたときのアリスは、不思議な夢を見ていたの、って割り切っていたじゃない。
だからわたしも同じようにしないと……。
ほら、もうすぐ、目が、覚める……
「……んっ」
まぶたを光が刺激して、うっすらと目を開けた。
なぜだか寒気を感じてぶるりと体が震える。
……温かい布団の中にいたい。
もそもそと体をまるめて、寒さから今ある暖気を奪われないようにふわふわのクッションに顔を埋めた。
掛け布団かブランケットがあればいいんだけど、頭が沈むくらいふわふわだからまぁいいや。
ゆっくりと息をついて、わたしは再び目を閉じた。
……目を閉じたんだけど。
「さむ……」
動かなくても冷気が容赦なく暖かさを奪っていって、眠気よりも寒気の方が勝った。
……眠いけど、寒い。
厚手の服の下、鳥肌が立っているのが分かるくらい。
腕をさすって、ぐりぐりと顔をクッションに押しつけた。
「……よし」
眠たいのおしまい。
ゆっくりと体を起こして、寝起きでくらくらする頭を押さえる。
またうっすらと目を開けると見えるクッションに倒れこみたい衝動をなんとか堪えて、ごしごしと目元をこする。
いや、そろそろ起きないと。
頭をまともに働かせないと。
寝起きでくらくらする頭で何かに寄り掛かりたいとは思うけど、クッションに倒れこんだら確実に寝るから却下。
「……壁」
いつもみたいに壁に寄り掛かってぼぅっとしてれば、そのうち目が覚めるはずだから、とりあえず壁を探そう。
しょぼしょぼする目を凝らして周りをぼんやりと見つめる。
……なんか、銀色の棒が見える。
等感覚に並んでいる、銀色の棒。
……前にもこんなことなかったっけ?
等感覚に並んでいる銀色の棒が、私の視界を妨げることなんて、そうそうないことだと思うけど。
まぁ、いいや。
とりあえずそこに寄り掛かろう。頭がくらくらする。
鳥肌が立つような寒さも、今はそれが眠気覚ましになるように感じる。
……寒いものは寒いけどね。
膝を抱えて銀の棒に寄り掛かったわたしは、くらくらとする目眩を和らげるために上を向いた。
「……ん?」
上に、銀の棒が集まっている場所がある。
周囲から一ヶ所に集まるような形で、綺麗なドームの形を描いて……いや、ちょっと待って。
段々と頭が冴えてきた。
寝起きでぼんやりとしていたことも、目眩も今ようやくちゃんと目が覚めて気にならない。
だってそんなことよりも、もっと気になることがあるんだ。
わたしはどうして“鳥かごの中にいる”の?
中心に積み重ねられたふかふかのクッション。その下に敷かれた小さな絨毯。
わたしが寝そべっていられたくらいの大きさだから、直径は160cmくらい?
そんな円形の床を囲むようにして並ぶ鉄柵の檻。
これだとまるで、釣り鐘式の鳥かごの中にいるみたい。
ううん、みたいじゃなくて、本当にその中にいるんだ。
せめてもの救いは釣られてなかったってことかもしれない。床の上に鳥かごが置かれていたから、とりあえず不安定に揺れない、はず。
「……待って」
冷えてきた指先で腕を擦りながら思い出す。
寝る前……、意識を失う前わたしは何をしてた?
目覚めたらこんな鳥かごの中にいなきゃいけないようなこと、してない、と思う。
わたしがやったことは……
「【娘】、ようやく目覚めたのかえ?」
思い出そうと必死になっていると、檻の外から少し高めの、どこか高慢ささえ感じるような声を掛けられた。
「無茶をして、本当に手のかかる【娘】だこと」
肩口で切りそろえられた銀色の髪、病的なまでに白い肌。
ほっそりとした身体を覆うように薄い黒の斑が入った毛皮のマントを羽織って、その隙間から覗く白い生地が床に波打っていた。薄い水色の瞳以外は白。
そんな彼女が、カツンカツンと音を立てながら近寄ってくる。
わたしは思わず後ずさって、ぽすんとクッションに埋もれた。
「わらわが怖いのかえ?」
「……」
誰なんて言えない。
ここは何処だって聞けない。
何も、話せない。
「不思議な【娘】だこと。震えながらも気丈にわらわを見るとは、さすが【不思議の国】号の【娘】なのだと、そう褒めて遣わそう」
「……わたしは、違う」
「違わぬ。そなたは【主人公】であり【娘】なのであろう? わらわには分かる」
カツン、と鉄柵の前で止まった。見下ろされる。
その唯一色付いている瞳で見られるだけで、ゾクリと背筋が凍るような思いがした。
何でこんなに怖くて、見られているだけなのに震えが止まらないの……?
すっと、手を伸ばされた。
「おいで」
嫌だ。いきたくない、嫌だ。
嫌だ、近寄らないで、こっち来ないで!
ずいと突き出された細い指を見ただけで、そう思ってしまう。
何でなのかは分からない。でも、嫌だって、思う。何で?
「おいで、偽者」
「っ!?」
なんで、偽者って。
わたしを見て、そう言うの?
この人は何を知ってるの?
落ち着いて、考えて。
逃げ場なんがないから、どうやってこの状況をやり過ごすか、考えなくちゃ。
わたしはぎゅっと胸元を握り締めた。厚い服の上からでも分かる【証】の存在に、助けを求めるような気持ちで。
「そなたは、【不思議の国】号の偽者アリスであろう? わらわが知らぬはずない。ほれ、手をとらぬか。寒さを取り払ってやろうと申すのに」
何も聞こえない。
指輪を握り締めても、何も聞こえてなんかこない。
どうすればいいの?
誰も解決策を教えてなんかくれない。そんなの当然なのに、分からなくて、混乱して、誰かにすがってしまいたくなってしまう自分がここにいる。
「……本当に手のかかる偽者だこと」
「え?」
「空から落ちたことと言い、手をとらぬことと言い、わらわの思い通りにいかぬ【娘】よ」
空から、落ち、た?
……あぁ、そうだ。
わたしは追っ手から逃れるために、オルガくんの背中から飛び降りたんだ。逃げるためとは言え、高い空の上から身を投げ出して。
今冷静に考えると、何て馬鹿な無茶をしたんだと思う。下手したら死んでいたのかもしれないのに。
今更になって、自分がしたことが怖くなってぶるりと震えた。
「何故ここにいるか、気になるであろう?」
わたしの考えていることを読んだのかのように、彼女は薄く微笑んだ。
気にならないといったら嘘になる。
でも予想くらいはしている。
ここはわたしの知らない不思議な世界。
空から落ちた先が鳥かごだなんてことはにわかには信じられないけど、きっと魔法か何かで運ばれたんじゃないかって、そう思った。
「わらわがそなたを受け止めただけ。良いか、もうこのような無茶をしてはならぬ。まぁ、二度とさせるつもりはないのだけれど」
ころころと笑った彼女は震えるわたしを見下ろして、唇で弧を描いた。
「わらわを拒否するならそれで良い。だが、そなたはこのかごの中。いずれは自分からわらわを求める」
そんなことしない。だって、わたしは帰るんだもの。
帰る場所があるんだもの、ここにはずっといない。あなたを求めるなんてこともしない。
……ただ、その帰り方が分からないだけ。
「わらわが大切に、大切に、偽者の【娘】であるそなたを飼い殺してやろう」
「……狂ってるわ」
「そうかもしれぬ。だが、そなたに拒否権は無い。大人しくわらわに飼い殺されていれば良い」
怯みながらも彼女を睨みつけるように見上げていると、彼女はそれさえも面白そうに見下ろしながら笑った。
そして、ふと笑みを消して、表情が消えた顔でぽつりと呟いた。
「……あのような野蛮なものたちに、わらわの大切な【娘】を壊されてなるものか」
本当に小さな呟きだったけど、他の何の音も聞こえないこの場所で、その呟きはやけに大きく聞こえて、わたしの耳から離れなかった。




