03.山賊【トナカイの角】の娘
【神子】に言ったときと同じ。
どうやればいいのか、どうすればいいのか分からないけど、それでも言えた。
確証なんかどこにもない。
でも、そうできるかもしれない可能性をわたしは持っている。
できるかもしれないなら……、できそうなら……、無理とかできっこないとか言う前にやらなくちゃ。やれそうだと思ったらやらなくちゃならない。
そうしないと、上手く行く事ですら何も出来ない。
「……あんた、何者?」
疑うような声じゃない。
思わずと言ったようにこぼされた言葉に、どう返せばいいのか分からなくて苦笑をもらした。
なんて答えればいいのかな。
上手く伝えられえる言葉が見つからない。
「いや、余計な事は詮索しない方がいいんだったね。ゴメンよ」
「……ううん」
「あー! 辛気臭いのはやめやめっ! 悪かったね、情けないとこ見せちまって」
さっきまでの頼りなさそうな面影はどこへ消えてしまったのか、とでも聞きたくなるような切り替えの早さに、ちょっと面食らった。
二カッと笑うホーンは、やっぱりわたしが初めて出会ったときのホーンだ。
つられるように苦笑をもらした。
「あぁ、ユキってどれくらいここにいる予定だい?」
「どれくらいって……」
どれくらいって、どれくらいだろう?
とりあえず、【不思議の国】号が敵船退治終わるまで?
どれくらい時間が掛かるのかは分からないけど、とりあえずはしばらく?
ここにいる間に雪の女王の【神子の玩具】を手に入れられていれば万々歳だし。
まぁ、そんな上手く行くかは分からないけど。
「ラップランドの人たちが元に戻るまで?」
「なんだいそりゃ」
困ったように苦笑したホーンが、わしわしと乾いたわたしの頭を撫でてくる。
「分かんないんだったら、正直に言いな。どうせあのろくでなし男が迎えに来るまでとかなんだろう?」
「たぶんそうだと思うんだけど……」
「きっとそうさ。あの馬鹿、本当に何も言わなかったのかい?」
少し声が低くなって拳を握り締めるホーンを見て、これは一発で済みそうな感じがしないと思った。
ジャックさん……日頃の行い、どれだけ悪いんだろう……。
心の中だけで合掌しておく。
「まぁ、しばらくいることになるんだったら、これだけはちゃんと言っておかなくちゃだね。ユキ、よく聞きな」
真剣な緑色の瞳を向けて、ホーンはわたしの肩を掴んだ。
「ラップランドの人間に、気を許しちゃならないよ。あたいの仲間でも、もう信用できなくなってきた」
「ホーンの仲間は……」
「あたいは山賊【トナカイの角】の娘だからね、仲間は皆山賊さ! でも、みんないい奴だって、今はもう……言えなくなっちまったからね」
だから、気をつけるんだよと。
そう言うホーンの顔は、どこか苦しそうだった。
どうしてこう、誰かが悲しむような思いをしなくちゃならないんだろう。
「ほら、ユキまでそんな顔するんじゃないよ」
「だって」
「だってもくそもへったくれもあるもんか! ユキは外から来た人間だろう?だから、ユキまで変わっちまうなんてことないんだから、安心しな」
ぺしぺしと軽く頬を叩かれて、安心させるように微笑んだホーンに、気を使わせちゃったなと思いながら苦笑を浮かべた。
それから、ゆっくりと立ちあがる。
「さ、面倒臭い話はここでおしまいだ! これから掃除したり洗濯したり、あとはそうだね。ユキの服を仕立てなくちゃ」
「わたしの?」
「あぁ、そうだよ。しばらくいるなら、暖かい服何着かあるといいだろう?」
いつまでもあたいの服着てもらっているのも、悪いしね。
そう繋げたホーンは、明らかに布余りのことを言っているみたいで……。
うん、もうそこは触れないでほしいんだけど。
「山賊家業は休止中だし、やることが見つかってよかったよ! 暇なのは苦手でね!」
「あ、わたしにも出来る限り手伝わせてくれる?」
「やってくれるならもちろんさ! ただちょっと、ラップランド式だからユキがいた場所と違うかもしれないよ?」
「覚えられるように頑張る」
「いい心がけだよ!」
豪快に笑い飛ばすホーンにつられて、わたしも笑った。
とりあえず、苦しくなるような現実を一時的にでも忘れられるように。
* * * * *
ラップランドに送られて、早二週間。
わたしは恐ろしい勢いでこの生活に慣れていった。
二週間って、【不思議の国】号にいた時間の何倍も長い時間いることになるんだよね。
掃除機も洗濯機も自動食器洗い機もない。
そんな世界に慣れるっていうのも、我ながら変な話だけど。
「ユキー、いい加減目を覚ましな。目と言うよりは、頭?」
「んー」
「ほら、顔洗ってしゃんとしな!」
「うー」
朝、まだ外が暗いうちに起きて……暗いうちって言うか、雪が降り続いているから外は大抵暗いんだけど。
ぼんやりとする頭はさておき、むくりと身体だけは起き上がらせてふらふらとホーンの家……違った、アジトを歩く。
ホーンがすごい勢いで編み上げた、もこもこのセーターを着て、申し訳程度に梳かした髪を背中に流したまま、洗面台へ向かう。
蛇口を捻って出した水は、痛いくらいに冷たい。さすがにね、一発で目が覚めるよ。
ちなみにホーン曰く「水って言うよりは氷張るときもあるからね、それぶっ掛けると野郎共も一発で目覚めてくれるんだよ」と笑顔で言っていた。
……こんな冷たい水、朝から掛けられるとか本気でやめてほしいんだけど。仲間の皆さんに合掌だ。
「ホーン、ごめん朝ご飯の……」
「用意は先にしちまったよ。ほらほら、そこ座って。髪ちゃんとしたらご飯にしよう?」
「ん」
ぱちぱちと火がついた暖炉の前に大人しく座ると、ホーンは少し弾んだ声でわたしの髪を丁寧に梳かし始めた。
分からないけど、ホーンはわたしの髪を梳かすのが楽しいみたいで、わたしが自分でやろうとすると、やらせてと言ってくるんだよね。
まぁ、減るもんじゃないし、なによりホーンが楽しそうだからそれでいいけど。
「本当に、ユキの髪ってさらさらで長いよね」
「今あんまり手入れできてないから、痛みまくってるけどね」
「そうなのかい? 黒髪で、さらさらで、とっても綺麗だと思うんだけどねぇ」
と言いながら、何故か三つ編みにされていく。
特に髪型にこだわっているわけじゃないからいいんだけど。
「あ、でもホーンが貸してくれた化粧品はすっごくいい! しっとりして、肌になじむのが早いの」
「それならよかった! あれはラップランド産のものでね、あたいもあれが一番使い勝手がよくて好きなんだ」
やっぱり、いい商品は違うんだねとそんなたわいの無い事を話していると、ホーンが嬉しそうに声を弾ませてくれる。
時々ふと暗い顔をしているのは、やっぱりお父さんや仲間のこととかが気になっているんだと思う。
そんなホーンに、この世界での生活の仕方……と言ってもラップランド方式だけど。
それを教えてもらえているって言うのはとっても助かっている。
ホーンは国が違うとやり方まで違うのかい? と勝手に解釈してくれているから、当たり前の事を知らなくても丁寧に教えてくれる。
そんなホーンに、どうしたらお世話になっている気持ちを返せるかな、なんて考えると、やっぱりラップランドの人を元に戻すことなのかなって思う。
未だに、どうすればいいのか分からないけど。
「できたよ。頭、きつくないかい?」
「大丈夫、ありがとうホーン」
「いいってこと! さ、朝飯食いに行こうか!」
櫛をしまったホーンがわたしを見て満足そうに微笑む。
三つ編みにしてくるくると頭の上でお団子にまとめられて、正直首筋がスースーするんだけどまぁ、いっか。
笑顔でテーブルに促されて、ホーンが用意してくれた朝食を頂くことにしよう。
そう思って椅子に座った、そんな時だった。
「ホーン! いるんだろ? ホーン!」
しゃがれた低い誰かの声が玄関の方から聞こえた。
わたしたちの間に緊張が走る。
朝食どころじゃない。
ホーンがわたしに動くなと目で制して、足音一つ立てないでそっと廊下に続く扉の前に立つ。
小さく扉を開けて、誰なのか確認しているみたい。
その間もわたしは動けないでいて、息をするのも忘れるくらいにじっとしていた。
ばくばくと心臓が早鐘をうちだす。
さぁ、このアジトを訪れてきた誰かは、敵?
それとも、味方?
「っ、どうした! イルギン!」
「やっぱここにいたか、ホーン! 今すぐに逃げろ!」
「は?」
「奴らが……、城の奴らがここに向かってきてんだ!」
何でお城の人が、ホーンのアジトに向かってきてるの?
玄関に向かって駆け出したホーンの姿も、相手の人の姿も見えない。
聞こえてくる声だけでも、事態が緊迫しているのが分かった。
「ベルオーやグスタフじゃなくてかい?」
「くっそ、あいつらもイカレちまったのか!いや、そんなんじゃねぇんだホーン。城の奴らだ!」
「なんでまた城から……」
目の前に並べられている、暖かそうなスープにライ麦パンのような固いパン。それから、小さな目玉焼き。
そんな簡素な朝食だって、眠くて仕方がなかったのだって気にならない。
だって、これは……
「ユキッ! 悪いね、朝飯はお預けだ! 逃げるよっ!」
バタンと大きく扉を開けてそれだけ言ったホーンは、足音も立てずに外へと駆け出していった。
それからすぐに、外から高い音が聞こえてきた。
あの空飛ぶトナカイを呼んだんだ。
そう気付くや否や、動くことを忘れていたわたしは慌てて動き出した。
どうすればいいか分からなくて、分からないなりに少し大きめのオーバーコートを羽織る。
それから無駄にわたわたしながら、何故か薄くライ麦パンを切り分けて、目玉焼きをのせた。訳も分からないままそれを紙ナプキンでくるみながら折りたたんで、コートのポケットにしまう。
「ユキ、さっさと来なっ!」
「い、今行く!」
椅子に放り投げられていたホーンのショールを手に持って、慌しく廊下へ飛び出した。
「てめぇは」
「イルギン! 手ぇ出すんじゃないよ! そいつはあたいの友達だ!」
廊下で矢が突き刺さった肩を抑えている、毛皮のベストを着たいかつい男の人に睨まれたけど、ホーンの一声で少し驚いたように目を見開かれた。
それから痛そうに顔を歪めたけど、早く行きな!としゃがれ声で鋭く言われて、わたしは慌てて外に飛び出した。
ごうごうと吹雪いている外は、容赦なくわたしに雪を当てていく。すぐにオーバーコートに雪が積もる。
「ホーン、これ!」
「気が利くじゃないか! ほら、ユキ! 乗りなっ!」
顔に付いた雪が冷たい水滴となって流れ落ちていく。
視界を白くふさがれながらもショールをホーンに渡すと、渡したついでにトナカイの上に引き上げられた。
軽く身体をふるって肩からショールを掛けたホーンは、アジトから出てきたあの男の人を振り返る。
「助かった! イルギン、手は必要かい?」
「いーや、いらねぇよ。それよりさっさと行っちまいな! 俺の苦労を無駄にするんじゃねぇ!」
「あぁ、そうさせてもらうさ! 無事に生き延びなよ、イルギン!」
「それは俺のセリフだぜ、ホーン! 後ろのあんたもな!」
「っ、気をつけて!」
わたしにまで声を掛けてくれるとは思ってなくて、ビックリしながらも声を返すと、その人は痛さに顔をしかめながらも軽く手を挙げた。
それを見届けると、ホーンはどんとトナカイのお腹を蹴って、勇ましい掛け声をあげる。
「やぁっ!」
たん、と雪を蹴り上げてトナカイが走り出す。
徐々に地面から遠ざかっていくその光景に、心臓がすくんだ。ホーンの腰にまわした腕で、強く抱きついた。
相変わらずがくんがくん揺れるし、オーバーコートを着ているおかげでこの前よりは寒くはないけど、それでもべちべちと露出した部分に打ち付けてくる雪が痛い。
寒すぎて耳が千切れてしまいそうとか、そんなことを思ってしまうくらいには冷静なのかもしれない。
ううん、ただ単に事態についていけてないだけなのかも。
「畜生、二週間何もなかったから油断してた……!」
ホーンのそんな呟きが聞こえて、それから始めてホーンの腰に短剣がつるされているのが分かった。
山賊【トナカイの角】の娘は、いつでもこんなに危険と隣りあわせで、それを自分で打破してきたの?
わたしには決して真似できないことに、羨ましくも、恐ろしくも思った。
そんな日常に、わたしも慣れてしまうのかと思うと、あの赤に染まってしまうのが当たり前で、普通になってしまうのが怖いと思った。
「ユキ! 振り落とされないようにしっかり捕まってなよっ!」
激しい揺れに口を開いたら舌を噛んでしまいそうで、わたしはホーンの背中で何度も頷いた。
それだけで伝わったようで、ホーンは姿勢を低くしてまたトナカイのお腹を蹴った。
「悪いねオルガ! 逃げ切るために全力疾走だ!」
トナカイはホーンの声に答えるように、走る速度を増した。
トナカイの背中に乗って、どれだけ時間が過ぎたか分からないけど。
今のところ追っ手の姿は無い。
見えないほうがありがたいし、心臓にも優しいんだけど……、どうして逃げているのかも分からなくなってきた。
逃げている理由なんか元から分からないんだけど、ただ漠然とトナカイの背中に乗っているのも、何のために乗っているのか分からなくなってきたかも。
「ユキ、ちょっと降りるよ!」
だから突然のホーンの声にも別段驚くようなことでもなかったし、それを嫌だと言うつもりもなかった。
ゆっくりと下降していくトナカイに、ホーンに寄りかかるようにしていたわたしは、地面についた衝撃でとんとんと身体が浮いた。
お、おしりが痛い……。
「到着、到着。降りれるかい?」
「だ、大丈夫」
「本当に、ユキってば寒がりなんだね」
カチカチと歯をならしながら答えたわたしを笑いながら、ホーンは身軽にトナカイの背中から降りた。
雪が降り積もった身体をなんとか動かして、震えながら高いトナカイの背中から飛び降りる。
……あれ?
ずぼってならない。
そんなことを思いながらようやくまともに周りの景色を見る。
さっきまでいた場所よりもかなり雪が少ない。吹雪いてもいないし、粉雪がふわふわと舞い降りてきているだけ。
膝上まであったはずの雪も、ここだと足首が埋まるくらい?
「国の南の方まで来たからね、雪も少ないんだよ」
「なるほど……」
ホーンが不思議そうにしているわたしを見て、そう教えてくれた。
って言うか、南の方に来るだけでこんなにも雪の量って違うんだ。
ラップランドは小さいとか言ってたけど、場所によって雪の量が違うなら、結構大きいよね?
「オルガ、無理させちまって悪かったね。もう一頑張りしてほしいから、今は少し休みな」
トナカイの頬を叩きながら優しく微笑むホーンを見て、かじかむ指先に息を吹きかけながら軽く首をかしげた。
「オルガって名前なの?」
「あぁ、そうさ。あたいのトナカイのオルガ、なかなか男前だろ?」
そう笑いながら額を撫でてやるホーンに、嬉しそうに目を細めているオルガくん。
信頼して、信頼されてるんだなぁって思った。
軽く手を擦りながら、微笑ましいその光景を見ていると、どこからか盛大なお腹の音が鳴り響いた。
「……」
「……」
ここにいるのは、わたしとホーンとオルガくんだけ。
ちなみに今の音はわたしじゃない。
それから、オルガくんはトナカイだからお腹の音はならない。
「……し、仕方ないだろ。朝飯にありつけなかったんだから」
照れくさそうにそっぽを向いたホーン。
その頬が赤いのは、寒いからじゃないよね?
なんだかそんなホーンが可愛くて、思わず笑い声を洩らしてしまったら、ギロリと睨まれた。
「そんなに笑わなくったっていいだろうっ!」
「だって、ホーンが可愛くて……」
「うっ、うるさいね!」
「ごめんごめん。えっと、時間がなくてありあわせのものなんだけど、よければいる?」
「へ?」
少し潰れてしまったそれをポケットから取り出して、差し出す。
紙ナプキンにくるまれた、目玉焼きをはさんだだけのライ麦パン。簡単なサンドウィッチのようなもの。
なんで慌てながらこんなことしてたんだろう、とか思ってたけど、今こうして役に立ったならいいよね?
「遅いと思ったら、こんなもの作ってたのかい?」
「無我夢中で、自分でも何やってるのか分からなかったけど、でもないよりはましでしょ?」
「あぁ、まぁ間違いなくそうだろうね! こうしてあたいのお腹にたまるなら、それでいいさ!」
そう笑い飛ばして、ホーンはサンドウィッチにかぶりついた。
冷たい風と舞い落ちてくる雪を避けるために、小さなバスの待合室のような場所にひっそりと座った。
本当に、三方向を囲う柱に木の板を張り付けただけの簡単な壁に、申し訳程度に斜めに据え付けられたトタン屋根。
時々そこから雪が滑り落ちる音がするけど、わたしに積もられるよりはマシかな。
寒さだってそこまで我慢できないほどじゃない、と思う。
「あぁ、暖かいスープが恋しくなるねぇ」
「そうだね、でもあればっかりは持ってこれなかったからなぁ……」
「きっと持って来ようとしてたら、遅い! とか馬鹿やってんじゃないよ! とかあたいが怒鳴りに言ったかもしれないけどさ」
「怒られなくて良かった、って言った方がよかった?」
「馬鹿言ってんじゃないよ」
そんなとりとめのないことを話しながら、固いライ麦パンの即席サンドウィッチにかぶりつく。
よく噛んでから飲み込まないと、固くてパサ付いたままのそれが喉に詰まることは、この二週間で学んだことの一つ。
目玉焼きをこう、上手い具合に分けて食べないと味気ないこともよぉく分かってる。
「さて、腹も膨れたしもう一頑張りしようか」
「……ねぇホーン」
「ん?」
「そう言えば、なんでわたしたちお城の人たちに追われてるの?」
「なんでって、あたいが山賊だからだろう?」
何を当たり前の事を聞くんだい、とでも言いたそうなホーンに、妙に納得してしまった。
って言うか、逃げないといけないようなことしてるんだ、ホーンも。
山賊だから当たり前なのかもしれないけど、なんだろう。
【不思議の国】号があまりにも海賊船らしくない海賊船だから、ホーンたち【トナカイの角】もそんな感じなのかな、って勝手にそう思ってた。
だって、ホーンが悪いことするような人には見えない。
ジャックさんの紹介で来たから、そう見せないようにしているのかもしれないけど。
「本当はユキをこんな逃亡生活みたいなことに付き合わせたくはないんだけどね。今は誰にも預けられないような、そんな時だから……まぁ、我慢してくれるかい?」
「わたしは大丈夫だけど……でも、ホーンの足手まといにならない?」
「馬鹿言ってんじゃないよ、あたいはそこまで落ちぶれちゃいないよ! それに、いざとなったらユキだけでも逃がすから……安心しな」
「安心なんか……!」
わたしただのお荷物になってるだけじゃない。
ホーンに迷惑かけて、足引っ張って。
どこへ行っても、わたしという存在が上手く物事を進めさせてくれないだけじゃないか。
あぁもう、本当に! なんでわたしこの世界に落ちちゃったんだろう!
「大丈夫、ユキはあたいら山賊じゃない。ただ巻き込まれただけだから、そう心配するようなことでもない」
「でも、ホーン」
「さ、いい子だからオルガに乗りな! 鐙に足を掛けて、身体を持ち上げるんだ」
粉雪がちらつく外に連れ出され、オルガくんに乗るように促される。
ホーン、なんか焦ってない?
どこかせかされているような気になりながらも、わたしは強張る身体をオルガくんの背中に引き上げてまたがった。
ホーンが乗れるようなスペースを前に開けて、ホーンが乗ってくるのを待った……んだけど。
「ホーン?」
「……悪いね。どうやら一緒には行けなくなっちまったようだ」
すらりと腰から短剣を引き抜き前に構えるホーンを見て、何を言ってるんだろうと、どうしてそんなことを言うんだろうと、そう思った。
理由なんか分かってる。
薄々と感じてた。わたしだってそこまで鈍くない。
「そこにいるんだろっ、親父!」
ホーンの叫び声に応えるようにして、わたしたちを囲うようにして唐突に現れた人たち。
白の鎧をつけて統一された格好をしているけれど、お城の兵士なんかじゃないと思った。
いかつい顔をした人、傷跡が残っている人。丸顔で人がよさそうな人。細くて鎧に押し潰されそうな人。
鎧以外の統一性はない、よせあつめたような人たち。
ただはっきりと分かるのは、
誰もが瞳を虚ろにしていること。
瞳に光がなくて、怖いと思う。
何一つ感情が浮かんでなくて、ただの機械みたいにわたしたちを見ている。
いくつもの虚ろな瞳が向けられて、寒さではない別のものに、ゾクリと身体を震わせた。
「ユキ、オルガにしっかり捕まってな!」
「【娘】を捕らえよ、女王陛下のご命令だ」
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ! いい加減目ぇさましておくれよ、このっ馬鹿親父!」
他の誰よりも身体が大きい、ホーンによく似た顔の男の人が前に進み出てくる。
ホーンは、その人に向かって怒鳴りつけるように叫んでいた。
「【娘】を捕らえよ。女王陛下のご命令だ」
ホーンのお父さんは、繰り返した。
わたしは慌ててオルガくんの首元まで前に出て、手綱を握った。
ホーンはそれでいいとでも言うように頷く。
ごめん、ホーン。
わたしが巻き込んだんだ。
【娘】を捕らえよと、そうした命令が下されているなら、この人たちの狙いは山賊のホーンじゃない。わたしだ。
【不思議の国】号の偽者アリスで、【娘】と【主人公】の力を持っているわたしを捕らえよと、そう命令されているんだ。
それならわたしは、捕まらないように逃げなきゃ。
【不思議の国】号でわけも分からず連れ去られかけたあの時みたいに、助けてくれる人なんてここにはいない。
だって、危険な目に合わないように、戦いなんて起こらない場所にって、そう避難させてもらったのに。
これで捕まるなんて、本末転倒もいいところだ。
だからわたしは、逃げなくちゃいけない。
「ユキ、逃げな! オルガ、行くんだ!」
「ごめんっ!」
「親父たちの相手は、あたいだ! 山賊【トナカイの角】の一人娘、ホーンの実力を舐めんじゃないよっ!」
「【娘】を追えっ!」
「させないよっ!」
鉄が弾かれる音と同時に、オルガくんは強く地面を蹴った。
賢い子だから、急いでこの場を逃げなくちゃいけないと言うことが分かっているんだろう。
徐々に上昇していくんじゃなくて、急激に空へと飛躍する。
体が傾いて、手綱を握りながらもオルガくんの首にしがみつくようにして、振り落とされないように必死だった。
強く、早く。ただそれだけを考えているかのように宙を蹴る足取りで、あっという間に地上から遠ざかる。
ホーンの声も姿も、全く見えない。
冷たい風がもろに吹き付けてきて、手綱を握る手も、前を見る顔もひりひりと痛んだ。
雪が当たることが冷たいというよりは、邪魔と感じてしまうくらいに視界をちらつく白が煩わしい。
「捕らえよっ!」
「制止せよっ!」
後ろから追っ手の声が聞こえる。
捕まってなんかやらないんだから!
わたしは、逃げて、逃げて、逃げて! 誰にも捕らわれてなんかやらない!
どこを走っているのか、どこに向かっているのかなんか全然分からないけど、ただ後ろの人たちに捕まらないように逃げるだけ。
逃げ切らないといけないんだ!
「【娘】を捕まえよ!」
「【娘】よ制止せよ!」
誰が止まってなんか……!
そんな時、オルガくんが少し戸惑ったように上へと駆け上がった。
「っ!?」
囲まれた!?
四方八方から距離を縮めるようにして、トナカイに乗った白い鎧の兵士がこっちに向かってくるのが見える。
逃げ場がないのに、距離が詰められる。
オルガくんが必死に駆けてくれているけれど、その荒い息は隠しようもない。
どうする? どうする!?
考えて、考えろ!
わたしは捕まりたくはない。
でも、兵士たちは着々と距離を詰めてくる。
オルガくんだって疲れてきている。
この曇り空で逃げ場は、ない。
……本当に?
思い浮かんだ一つの方法。
混乱して、焦燥感に駆られている今、それ以外に方法はないんだと思った。
普段なら絶対に選ぶはずもない選択肢。
「……っ!」
ぎゅっと目を瞑って、息を詰めた。
それからしっかり握り締めていた手綱を放して……背中を蹴った。
「【娘】を捕らえよ!」
「【娘】よ制止せよ!」
焦ったような声ですら聞こえない。変わらない無感情な声。
オルガくんの背中を離れて、宙に取り残された。
それから先なんか、考えなくたって分かる。
支えを失ったわたしは、落ちるだけ。
この世界に来たときみたいに、くるくると、空気を切り裂いて落ちていくだけなんだ。
反転した世界。下に見えるのはどんよりとした曇り空。それからちらついている白い雪。
速度を増して落ちていくその浮遊感と、後先を考えないで行動した結末を思い描いてしまって、わたしは息を詰めて身体を縮めた。
ぎゅっと、祈るように胸元を握り締める。
そこにある指輪の感触を頼りに掴んで、それから……
「本当に、手間が掛かる偽者だこと」
背筋がゾッとするような声が聞こえたのを最後に、わたしの視界は暗転した。




