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BLUE_LIGHT~海賊アリス~  作者: 葉山
Episode1.雪の女王
27/36

04.雪の女王からの口付けは


 震えが止まらなくて、体をぎゅっと抱き締めた。

 寒いだけじゃなくて、あの人が怖かったからって言うのもあるのかもしれない。

 カタカタと、小刻みに揺れるのを止められなかった。


―…帰りたい。


 帰りたい。帰りたい!

 こんなところにいたくなんかない! こんな思いばかりしたくない!

 帰りたい……、帰して! わたしを家に帰してっ!

 分かんないよ、何もかも! 分からないまま、分からないなりに突き進んで、正解を探してるのに見つからなくて!

 どうすればいいのか、全然、分からないっ!!


 頭の中がごちゃごちゃで、泣きたくなるほど苦しくて、何故だか無性に切なくて。


―…助けて、欲しかった。


 誰でもいいから、迷子になったわたしの手をひいて、帰り道はこっちだよって導いてほしかった。


「や……」


 何が嫌で、何がしたくて、何が言いたいのか、自分でも分からない。


 泣いてしまえば……、我を忘れて取り乱してしまえば少しは気が楽になるの?

 そんな簡単なことですら、衝動に任せて喚くことですらできないわたしは、ずっと苦しいままで……胸のつかえがとれそうにない。


 何かが詰まっているかのような重々しさに、胸元を押さえた。


―…カツン。


「……?」


 何かがぶつかるような音がした。

 小さくて、固い何かがぶつかる音。


 布越しに分かる指輪の感触を確かめながら、そっとクッションに埋めるようにして座り込んでいた腰を上げた。

 気持ちが沈んでいるからか、体も重く感じて……なんだかダルい。


―…カツン。


「何……?」


 誰かが歩いている足音じゃない。

 ならこれは何の音なんだろう?


 少し感覚をあけて聞こえてくる。


―…カツン。


 カラカラと弾かれて転がってきたそれ。

 歪な形の、透明色した……氷?

 鳥かごの縁に当たって、跳ね返って止まった。


 拳くらいの大きさのそれにそろそろと近寄って、掴もうとした。


「え?」


 掴もうとした、んだけど。

 わたしが柵越しに伸ばした手が氷に触れる前に、“氷がひとりでに浮かび上がった”。


 ふわり、と。

 見えない何かに先に持ち上げられたように。


 ぎょっとして手を引っ込めたその瞬間、胸元に閉まってあった【証】がぼんやりと輝きだした。


「な、に……?」

『あなた、誰?』

「!?」


 光を放つ指輪に向けていた視線を持ち上げる。

 氷が浮かんでいた場所に、指輪が放つ光と同じくらい弱い光で形作られた人型。


 幽霊、とか……?


 自分で出した結論にぶるりと震えて、少しでもソレから離れようと後退った。


『ねぇ、あなたは誰? どうしてそこにいるの?』


 溌剌(はつらつ)とした女の子の声。

 問い掛けられたって答えるはずの唇がカタカタと震えて、言葉を紡げない。


『うーん、そこにいるってことは、雪の女王に捕らえられたってことだよね? じゃ、あなたは【娘】か【主人公】なんだよね』


 違う? と聞かれても、わたしは答えられない。

 こんな非科学的で得体の知れない、気味の悪い幽霊なんかに、答えられるようなそんな度胸とか持ち合わせてなんかない……!


 でも、今。わたしの聞き間違いじゃなければ……



 雪の女王って、言った?



『あぁ、いけない。こんなことしてる場合じゃないんだわ。カイちゃんのために、“――”の文字を作らなくちゃ』

「……あ、待って」


 ぼんやりとした形のまま、氷の塊を抱いてその子は壁を擦り抜けていった。


 ……すり抜けたってことは、やっぱり幽霊?


 でも、多分だけど……一つ分かったことがある。

 さっきの全身が白い人は、雪の女王だったのかもしれないってこと。


「……すー……はー…」


 落ち着いて。落ち着いて、冷静になれ。

 考えろ。まだ弱音を吐いていいときじゃない。

 ゆっくりと深呼吸して、帰りたいと思っていたわたしを押し込めて。


 わたしにはまだやることがあるじゃないか。


 分からないなんて、そんな甘え言いたくない。

 やるって言ったんだ。わたしが、なんとかするって。


「わたしが、やることは」


 考えろ。どうしてわたしがここにいるのかを。


「ラップランドの、『雪の女王』に関係する【神子の玩具】を探すこと」


 【不思議の国】号から逃げ出したんじゃなくて、自分が出来る事を捜しに着たんだと、そう思いたいから。

 なにより、わたしも【不思議の国】号の一員だって、ただの足手まといだって思いたくない。


「ホーンのお父さんたちを、元に戻すこと」


 ラップランドに落ちた、“悪魔の鏡の欠片”をなんとかして、この狂った国を元に戻すこと。

 そうホーンに言ったんだから、どうにかしたい。


「そのためには、どうすればいいか……」


 ほら、帰りたいとか言ってる場合じゃない。


 考えろ。

 物語の中の難問に、ちゃんとした正解がないけれど。でも、一番良い選択を捜さないと。


 さぁ、わたしがやるべきことをこなすには、どうすればいい?


「……【神子の玩具】は、さっきも声が聞こえなかったから、先に“悪魔の鏡の欠片”をどうするか、かな」


 口に出して考えると、それだけに集中できる。

 言葉は冷たい空気に反響して消えてしまうけれど、わたしの言葉だけしか聞こえないのなら、それだけがじんわりと凍りつきそうな頭の中に残っているような気がする。


 一応、服の上から【証】の指輪を握り締めてみたけど、やっぱり何も聞こえないし、何も感じない。

 寒さにぶるりと震えて、クッションを抱き締めてしゃがみ込んだ。


「神さまを写し出そうとした鏡は、神さまから放たれた光によって砕かれた。鏡の欠片は人間の世界に落ち、その欠片が身体に刺さった者は冷たい心へと入れ替わってしまう……か」


 確かに、わたしを捕らえようとしたお城から来た兵士たちは、みんな瞳を虚ろにしていた。瞳に光がなくて、何一つ感情が浮かんでなくて、ただの機械みたいだった。

 あれが“悪魔の鏡の欠片”が刺さった人たちの姿だとしたら、カイもあんな風になっているのかな?

 わたしが知っている物語のカイだったら、この雪の女王のお城のどこかで氷で遊んでいるはずなんだけど……


「……ちょっと待って」


 何か引っ掛かった。

 なんだろう? 今考えていたことのどれかなのは確か。


 ……“悪魔の鏡の欠片”が刺さった人は、お城の兵士だったこと?


「違う。国民だったのが、お城に連れて行かれたんだ」


 そうだ。囲まれたときだって、お城の兵士なんかじゃないって思った。

 鎧以外の統一性はない、よせあつめたような人たちだって。


『どうして雪の女王のとこになんか、いっちまうんだよ』


 ホーンだってそう苦しそうに言ってた。


 でも、引っ掛かったのはそれじゃない。

 だって、これは前から不思議に思っていたことだから、もっと、別のこと。


「……あの人が、雪の女王だってこと?」


 格子越しに伸ばされた手を、本能に従って拒絶したくらいに怖いと思った人。

 髪も肌も、身につけていたマントもドレスも白くて、それでいてどこか冷たくて威圧的な雰囲気を放っていた。

 女王と呼ばれるにふさわしい人だと思う。


 【不思議の国】号の船長だって、高慢で威圧的で、始めはその切れ長の碧い瞳に映されるだけで怖いと思った。

 今はそんなことないけど、でも、それと同じ、高貴で気高い人なんだって、そう思わされた。


 あの幽霊なのかもしれない子が、わたしを“雪の女王に捕らえられた”って言ってたから、きっと……ううん、間違いなくそうなんだと思う。


「でもそれにしては、ホーンが言ってたことと違うような……」


 確か、雪の女王はここ数年で人が変わったように国を治め始めた。

 そんなような事を言ってたから、きっと雪の女王にも“悪魔の鏡の欠片”が刺さったんだと思ってたんだけど……。


 でも、雪の女王には“悪魔の鏡の欠片”は刺さっていなかったんじゃないかな?


 彼女の唯一色付いていた水色の瞳は、兵士たちと同じような、虚ろで生気がないそれじゃなかった。

 凛として、突き刺さるようなくらいに見られたそれは、濁ってなんかない。


「……雪の女王は関係なかったって、こと?」


 わたしを飼い殺すとか、そんな変なこと言っていたけど。

 でも、彼女は“悪魔の鏡の欠片”で狂ってなんかない。


 それだけはちゃんと言える。他は全然、分からないけど……。


「ううん、引っ掛かったのは、雪の女王じゃなくて」


 そうじゃなくて。

 わたしが考えていたのは……わたしが引っ掛かったのは……


「カイ?」


 引っ掛かったと感じたのは、カイもこの城のどこかにいるんじゃないかって、そう思った時。


「この城のどこかで、氷遊びを、しているはず……?」


 カイは雪の女王のお城に連れてこられたとき、氷遊びをしていた。わたしが小さい頃呼んだ絵本ではそう書いてあった。

 氷遊び?


―…カツン。


「さっきの!」


 幽霊みたいなあの子が追いかけてきたのはなんだった?

 白くて透明で、光を屈折させながら向こう側を映した小さな塊。


―…カツン


「……氷だ」


 ぼんやりと形を見せたおそらく女の子だろうあの子がとりに来たものは、氷。


 もしかしたらこの時々聞こえる音は、あの子が氷で遊んでいる音?

 あの子の後を追いかけていたら、もしかしたらカイにも出会えた?


「……」


 正直に言えば、もう一度会いたいとか全然思えない。むしろ会わなくていいのならもう二度と会いたくはない。

 幽霊とか、正直に言えば苦手……大っ嫌いだから本当に勘弁して欲しいって言うのが本音。


 でも、あの子が「カイちゃんのために」とか言ってたから、もしかしたらこの城にいるはずのカイや、雪の女王や“悪魔の鏡の欠片”について何か知っているのかもしれない。


 ……あの子に、会わなくちゃ。


 例え苦手でも、あの子が本当に幽霊だったとしても、そんな事言ってる場合じゃない。

 そうでもしないと、進まない。わたしが考えているだけじゃ、物語は進まない。


 だって今は、偽者とは言え物語の【主人公】だから。






 偽者でも、わたしは【不思議の国】号のアリスだから。






「……この鳥かごから出ないと」


 もう一度こっちに来てくれないかなんて、そんな甘い考えは持たないことにする。

 わたしはそろそろと格子の側まで膝を進めた。

 等間隔に立ち並ぶ鉄の棒。案の定しっかりと固定されているし、わたしなんかの力じゃ押しても引いてもびくともしない。


 ……通り抜けられるほど、わたしは細くないしね。


「こんな時、小さくなれればいいんだけど……」


 少し前に【地下の国】号で“大きくなるケーキ”を取り返したときみたいに、“小さくなる飲み物”がここにあれば、簡単に鳥かごの中から出られるのに。


 どうしようもないことを思いながら、だったらせめて鍵穴を見つけようと狭い籠の中を見渡していた、そんなときだった。


「熱っ」


 胸元にある指輪が妙に熱くて、服の上から鎖をひっぱって肌から離した。


 今度は何が起こるの?


 布越しにまた指輪がぼんやりと光だす。

 それがまるでわたしまでもが光っているかのように見えて……それから。


「え……?」


 徐々に視線が低くなっていくのを感じて、一つ一つのものがやけに遠く見える。

 鉄格子の間も、心なしかさっきより大きくなったように見えるし……まさかね。


「本当に、小さくなったとか?」


 鏡がないから確認できないけれど。

 さっきまで普通に抱えていたクッションがやけに重くて、両手でやっと抱えられた大きさになったってことは……多分、そう、なんだよね?


 腕が疲れてきてクッションを床にぽすんと落とす。

 元のわたしの半分くらいの大きさなのかな? なんて、今見えるクッションの大きさからそんなことを考えてみる。


「でも、これで通れた」


 今では余裕に通れる格子の隙間からそっと抜け出して、わたしはようやく鳥かごの中から解放された。

 意味もなく伸びをしたくなるのは、囚われてたって言う気持ちがあったからに違いない。


『きみに、わたしのたからもののちからを【主人公】とおなじように、わけてあげる』


 公爵夫人の島で【神子】に言われたことって、こう言うことだったのかな? なんて、そんなことを思いながら、わたしは背伸びしながら部屋のドアを押し開けた。






 * * * * *






「俺様の女王、今日も愛してるぜ!」

「マーチ、報告しろ」

「ちょ、スルー!? せっかく無事に俺様の愛すべき【不思議の国】号に戻ったのに!?」

「ジャック、戯言は煩いだけですよ。我らが女王のご機嫌を損ねて、首を刎ねられる前に大人しく下がってはいかがでしょうか?」

「そりゃねぇぜ帽子屋ぁ!」


 沈みかけた敵船からようやく引き上げてきた三人は、クイーンと帽子屋に出迎えられていた。


 血刀を抜き身にして未だ手に持ったままのマーチとチェシャ猫は、返り血で己を赤く染め、まだどこか戦場にいるかのように神経を尖らせているのが分かる。

 特にチェシャ猫は張り詰めた緊張感が解けないまま、目を爛々と輝かせていた。


「敵船撃破。死傷者は不明。敵艦の上層部は早々に小船にて脱出の模様。また、火薬庫爆破の抵抗により、正確な生存者数及び逃亡者数は不明のまま。反撃してくる余力や気力が敵船には残ってはいないとは思う」

「ちなみにその上層部であろう小船は、私が潰しておいたのでご心配には及びません」


 マーチが珍しく饒舌になりながらクイーンに告げると、帽子屋がついでのように続けて報告をした。


「……余計なことするし」

「何か?」

「別に」


 自分がぽつりと呟いた言葉にも、興味がなさそうにそっぽを向いたチェシャ猫。

 それから、その場に沈黙が落ちた。


 居たたまれなくなったジャックが口を開こうとするも、クイーンに一瞥されただけで大人しく口を閉ざす。

 なにか考えるかのように一度ゆっくりと息をついたクイーンだったが、やがて視線を上げ、それぞれをじっと見つめた。


「マッド」

「こちらに」

「お前はそろそろだと思っているのだろう?」


 自分と同じ碧眼。だが、彼のソレに鋭く見られれば自然と背筋が伸びる。


 ……おそらく、私の考えなど見通されているのでしょうね。


「えぇ。思っています」

「何をだよ? 二人でしか伝わらねぇ会話するなよ、俺様寂しいだろ」

「勝手に孤独を感じていてください」


 横から口を挟んでくるジャックには、薄っすらと笑みを浮かべて軽く流し、それでとクイーンを見つめる。


 思うだけで、それが【不思議の国】号の船長であるクイーンの決定に影響を与えられるとは思えない。

 絶対の命令となるクイーンの決断を静かに待った。


「……仕方ない」


 クイーンは静かに伏せていた瞳を上げ、視線を上げた。

 そして命令をくだすのだ。


「我らが【不思議の国】号の偽者アリスを迎えに行け」

「!」


 ハッと、船員の顔が上がった。


「おいおいおい、ちょっと待てって! 早計過ぎんだろ!」

「ジャック、貴方に意見される必要はないと思われますが?」

「いや、【不思議の国】号を最も愛しているから意見くらいは言わせてもらうぜっ! 女王、もっと冷静に考えろ。未だ早い!」

「ねぇ、その煩い口閉じてなよ」

「チェシャ猫食い込んでる! 首にちょっと刃が食い込んでる!!」


 ぐっと喉下にあてられたサーベルの刃は、ジャックの首筋に一筋の雫を流させた。


 マーチがそれを止めるか否かの判断を仰ごうとクイーンを見たが、クイーンは特に何も言わない。


「行き先は確か、ラップランドでよろしかったですね?」

「あぁ、北北西へと進路を変えろ」

「かしこまりました」

「お前らはしばらく休んでろ。許す」

「了解」


 大人しく命令に従ったマーチとは対照的に、チェシャ猫はしばらくその場から、ジャックの首にサーベルを当てたまま動かなかった。


「……チェシャ猫」

「……船長命令は絶対。分かってるよ」


 どうしてこいつにトドメをささせてくれないのかは、全然理解できないけど。


 そう言い残して、チェシャ猫はしぶしぶとサーベルを戻し、マーチの後を追うようにして船内へと向かって行った。

 僅かに切れた喉元に手をあてていたジャックだが、視線だけはクイーンから離さない。


「この数週間で潰したのは、雑魚が集まった野蛮船の一部だぜ?」

「だからなんだ?」

「おじょーさんに、また同じ思いを繰り返させるつもりなのか? 俺様の愛すべき【不思議の国】号は!」


 視線を鋭くさせながらどこか責めるような口調で言い切ったジャックは、少しの動揺さえも見せないクイーンに戸惑っているかのようにも見えた。


「……言いたいことはそれだけか?」

「同じことを繰り返すなよ、女王」


 低く抑えた声で呟いたジャックの言葉に答えることもなく、クイーンはその場を後にした。






 * * * * *






―…戻れなかったらどうしよう。


 小さくなったのはあの鳥かごから脱出するためだから、まぁいいことにして。

 でも、部屋から出て足音を立てないように歩いている今も……元に戻る気配がない。


 【証】を握り締めてもうんともすんとも言わないし、さっきみたいに熱くならない。

 まさかさっきのは偶然で、そう簡単に大きくなったり小さくなったりできない……とか?


「いやいやいや、もっとポジティブに考えよう。大丈夫、なんとかなる」


 全然大丈夫なんかじゃないけど。

 このままだとネガティブ思考のまま立ち直れなくなりそう。ポジティブにポジティブに。


 廊下に出ると、部屋にいたときよりもぐんと寒さが増したようにも思えた。乳白色の壁に、透明なガラス板を何枚も重ねて透かし細工を施した装飾が、静まり返った廊下でキラキラと光を反射している。

 マーブル模様の大理石の床を踏みしめて、あの子が消えた方向にある扉を探してるんだけど……。


「隣の部屋が遠い……」


 小さくなっているから、余計にそう思っちゃうのかもしれないけど。


 両腕を擦りながら風を感じないように、いつもより気持ち歩調を緩めて隣の部屋の扉を探す。

 誰かとすれ違うなんてことがないのはとってもありがたいけど、廊下にわたしの足音だけが響くのは、ちょっと虚しさを感じるかも。


「あ、あったあった」


 どれくらい歩いたか分からない…―きっとたいした距離じゃないんだと思う―…けど、やけに遠い場所にあるかのように感じた扉へと近寄る。

 背伸びをしながらゆっくりと押し開けた。


 い、いないといいなぁとか。

 そんな弱気なこと考えてしまうくらいには、足が震えていたりする。


―…カツン。


 まるでわたしを導いているかのように響き聞こえる音。

 反響して、キンと冷えた空気に溶けて消える。


 誘われるかのように、そっと部屋の中へと体を滑り込ませた。


「……だ、誰かいますか?」


 扉のすぐ横で、震える声を絞りだした。


 あの子に会いに来たんだから、あの子に会わないととは思う。

 でも正直言った本音としては、生身の普通の人間に会えたら嬉しい。まともな感覚を持っている人だったらとっても嬉しい。


―…カツン。


 この音が聞こえるたびに竦む足を無理矢理動かして、音の方へと突き進む。


 すりガラスみたいな、向こう側がよく見えない透明な調度品の数々が配置されている部屋の中央には、真っ白なロングソファーが横たわっている。

 元のサイズの半分くらいの大きさだからかな?

 一つ一つがとても大きく見えて、ソファーの背もたれの向こう側が見えない。調度品と同じか、それよりも小さくなっているみたい。


 音はそんな部屋の中から聞こえるんじゃなくて、続き部屋の方から聞こえてくる。

 そろりそろりと近付いて、そっと続き部屋を覗いてみた。


―…カツン。


『雪の女王さまは仰いました。“――”の文字を作り出せたら、お前を家に帰してやろうと』


 キラキラと輝く氷の欠片を手に、冷たい大理石の床に座り込んでいるぼんやりとした光を放つ女の子。

 相変わらずその姿をはっきりと見ることはできないけれど、声ははっきりと聞こえる。


『頭がいいカイちゃんなら、簡単にできるはずだわ。だってカイちゃんは、誰よりも早く分数の問題が解けちゃうんだもの』


―…カツン。


『でも、どうしてかしら……?』


 ふと、その子が動きをやめた。


『カイちゃんは“――”の文字を作りにこないの』


―…カツン。カラカラ……


『わたしがやっていることは、カイちゃんにとって迷惑なのかしら?』


 ポロリと手からこぼれ落ちた氷の欠片が、音を立てながらこっちに向かって転がってきた。


 わたしは少し悩んだ後、氷の欠片を手に、その子の傍へと歩み寄った。


「……はい」

『あなたは?』


 しゃがんだりしなくても、目線はそう変わらない。

 ぼやけた輪郭が、ちょっと驚いたような顔をしているように思わせた。


 どうしてなかなか受け取ってくれないんだろう。

 不思議に思ってたんだけど、そう言えば小さくなってるんだっけなんて。戸惑っちゃうのも仕方ないよね。


『大きさは違うけど、さっきの鳥かごにいた人だよね?』

「うん。……あの、これ」

『あ、ありがとう。ねぇねぇ、小さくなったのって【主人公】の力なのかしら?』

「ぇ……あ、う、うん」


 ち、近寄らないでくれないかな……。


 興味津々とでも言うように氷を置いて、ぐっと距離を近付けてくる。

 たぶん人の形をしてるんだろうけど、ぼんやりとした光だけだとますます幽霊っぽい。


『やっぱりあなたは【主人公】だったのね! 雪の女王が捕らえた子だから、普通の子じゃないって思ってたけど。ねぇねぇ、元に戻って見せてよ』


 だからそんなに近付かないで!


 そう言いたくても言えなくて、引きつり笑いを浮かべながらわたしはさりげなく後ずさった。


『できないの? 残念。でもいいわ! 久々にお話ができる人に会えたんだもの!』

「えっと……あの、あなたって……その」

『うん? 何々? あ、この姿のこと? ふふっ、あなたが思ってる通りでいいんじゃないかな?』


 て言うことは、やっぱり……


「ゆう、れい?」

『かもしれないわ。気付けばこんな姿だったの。誰もわたしのことに気付いてはくれないし、カイちゃんだって素っ気ないし』


 ひょいと軽く肩をすくめる仕草をして、その子はあっさりと認めた。


 どうしよう。反応に困るって言うか、全力で逃げ出したい気分なんだけど。


『わたしのこと、怖い?』

「……怖、くないって言ったら、嘘になると思う」

『正直ね。ちょっと傷付くなぁ、わたしだって好きでこんな姿になったわけじゃないんだから』


 少し怒ったように言うその子だけど、怖いものは怖いし、苦手なものは苦手なんだから仕方がないじゃないって、そう言ってもいいかな?


 ガクガクと震える足に、鳥肌が立って仕方がない腕。逃げ出したい気持ちを必死で押さえつけてる自分を、褒めてあげたいくらい。


「あの、ね……」

『悲鳴を上げて逃げ出さないだけありがとうって、そう言ったほうがいい? うーん、でも……あぁ、違う違う。あなたが今何か言いたかったのよね。久々に誰かと話せたのが嬉しくて、ついわたしばっかりが話しちゃう。いいわよ、話して?』


 次から次へと言葉を並べ立てられて、口を挟む暇がないってこんなことを言うのかな、なんて困っていると、その子が少し照れたようにわたしに話を振ってくれた。

 ふってくれたってことは、聞いてくれる姿勢でいるってこと。


 それならわたしはまず何を聞こうかな?

 聞きたいことはたくさんあるんだけど……。


「カイは、このお城にいるの?」

『……あなたはカイちゃんを知っているの?』

「えっと、知っているって言うか……」

『あ、もしかしてわたしが何回もカイちゃんのことを言っていたからかな? 気になった? でも、カイちゃんはわたしのカイちゃんだからね!』


 まさか、“雪の女王”の話を知っているからとは言えないし……。

 とりあえず、この子が何回もカイちゃんって言ってるからそう聞いてみただけで、聞いたからどうするかも考えてない。


 もっと別のことを聞こう。

 他の事で知りたいことは……


「それじゃあ、あなたは“悪魔の鏡の欠片”について……。ううん、このお城の兵士みたいに、目が虚ろになって狂った人たちのことについて知ってる?」

『目が虚ろで、狂った人たち? 変なこと聞くのね。そんなのこのお城のみんながそうじゃない。おかしくなっちゃったから、このお城にいるんでしょ?』


 おかしくなったから、この城にいるの?

 つまり、“悪魔の鏡の欠片”が刺さった人たちが、この城に集められたってこと?


 どうして? 何のために?


 雪の女王が何を考えているのか全然わかんない。


『あなたは知らないのかしら? みんなおかしいのよ。雪の女王の命令しか聞かないの。それ以外はずっと死んだように眠っているのよ。その光景ったら、とっても気持ちが悪いの』

「何、それ……」

『本当におかしいわよね。雪の女王も何を考えているのかしら? ずーっとここにいるけど、よく分からないわ』


 誰にも雪の女王がやっていることが分からない。

 分からないけど、雪の女王はそうやってこのラップランドを支配している。


 “悪魔の鏡の欠片”が刺さった人を元に戻すなんて、そんな偉業わたしにできるのかな?


 頭の隅で思ってしまったことで、心に不安が走った。


「……ううん。不安でもやらなくちゃ」

『え?』

「そんな人たちを元に戻したいの。元に戻すための手がかりを捜すために、わたしはここにいるんだから」

『元に戻すの? あなたが?』


 信じられないとでも言うかのような響きで言われて、せっかく不安を追い払おうとしていたのに、それを否定されたような気がした。


「わたしが戻すって、そう約束したから」

『でも、あなたはこの国の人ではないでしょ? 部外者がしゃしゃり出てくるなって、そう言われちゃうかもしれないわよ?』


 よそ者のわたしに口出しするなって、そう言われるかもしれない。


『それに、何年もの間いろんな人があなたと同じことを言っていたけど、誰も元になんか戻せなかったわ。それをあなたができるの?』


 わたしみたいに無力で、何の力もない小娘が、“悪魔の鏡の欠片”をなんとかできるはずがないって、そう思われるかもしれない。


 物語の主人公なら、そんな逆境にも強く立ち向かっていくものなのかもしれないけれど……わたしは、そんなに強くない。


 だんだんと弱気になっていくわたしは、膝から力が抜けてその場に座り込んだ。


『悪いことは言わないから、理想だけで雪の女王に歯向かわない方がいいわよ。だって、あの人は一筋縄で立ち向かえるような相手じゃないもの』

「……あなたは」


 そんなことを知っているあなたは……


「あなたは、何者?」

『わたし? わたしは……』


 その子が口をつぐんだ。

 ふと入り口の方を向いたような気がする。


 顔がないから、本当にそうしたのかどうかは分からないけど。


『いけない。雪の女王が来るわ』

「え?」

『きっとあなたを捜しているのかもしれないわね。わたしじゃあなたを助けてあげることが出来ないけど……、でも一つだけ』


 その子は徐々に光の輪郭を薄くしていって、今にも消えてしまいそうな姿でわたしに耳に言葉だけを残す。




『雪の女王の三回目のキスは受け取っちゃダメよ』




 しんと静まりかえっている室内に、不思議な余韻を残して行くかのようにして発せられた言葉の意味を理解する前に、その子は姿を消した。

 後には小さくなったままのわたしと、散らばった氷の欠片だけ。


 カツン、カツン、と誰かが近付いてくる音がする。

 誰かなんて愚問だ。雪の女王が来るって、そうあの子が言っていたもの。


「こんなところにいたのかえ?」


 カツン、と入り口で止まった音が、更にわたしの方へと近付いてくる。


 逃げないと。逃げないと!

 雪の女王から逃げてしまわないと!


 そう頭の中で強く思っても、へたり込んだ状態じゃうまく逃げることなんかできないし、何よりビクリとすくんだ身体が動かなくて、近付いてくる雪の女王に背を向けているだけ。


「本当に手の掛かる子だこと」


 ぐいと両頬に手をかけられて、無理矢理視線を合わせられる。


 その名の通り、白くて冷たい雪の女王。

 唯一色付いた水色の瞳に真っ直ぐ射抜かれるような視線に合わせられて、ビクリと肩が震えた。


「触ら、ないで……!」


 冷気にさらされて冷たくなっているにも関わらず、ひやりと背筋が凍るような感覚に、震える唇で小さく抵抗の言葉を発した。


 怖くて、怖くて。

 この人の目の前にいたくなんかなかった。冷静になんか、そんなことも考えてられない。

 落ち着こうなんて言葉も、どこかに消えた。


「小さくなったのは、【主人公】の力かえ? それももう必要なくなる。忘れてしまうといい」

「離して……!」

「寒さとともに、忘れてしまえ」


 何かが、額に触れた。


「そなたの大切なものも、忘れてしまえ」


 そっと離れて、また、触れる。


「わらわがそなたを守ってやろう。大切に、大切に。壊れないように」


 囁かれるように額をくすぐる言葉が、ぐるぐると頭の中で渦巻いて、こだましていた。


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