06.奪われた大きくなるケーキ
「【神子の間】には私、トゥイートル・ダムがご案内致しますね!」
数分後。
物凄く満足そうなダムさんに案内されて、わたしとヤマネくんは再び長い廊下を歩いていた。
ディーさんはダムさんが即効でデザインした服を製作中で、ここにはいない。
「……アリス、大丈夫?」
ヤマネくんが気遣ってくれているようだけど、ゴメン正直言って大丈夫じゃない。
精神的ダメージが大きすぎる……。
ダムさんにひん剥かれたとか、ディーさんに下着姿見られたとか、興奮した二人の声が絶対にヤマネくんにも聞こえたんだろうなとか。
うん、もうわたしにプライバシーってものはないんだろうね。
「二人のアレはね、もう病気みたいなものだから……」
「失礼な! お客様のサイズを知ることはオーダーメイドの服を作成するときに必要なんです! 決して趣味や好みで行っている行為ではありません!」
「……じゃあなんで僕やアリスのときばかり長くなるんですか」
「可愛らしいからに決まっているじゃありませんか! 高貴な方や美しい方、愛らしい方のお洋服を仕立て上げることこそ私たちの幸せなのですから! 絶対サイズを間違えてなるものか!」
熱を持って拳を握るダムさんに、確かにヤマネくんが言う病気みたいなものって言うのがよく分かったような気がした。
危ない方向にぶっとんだ職業病みたいなものなんだね、つまり。
「ですから、お嬢様のお召し物はいつでもお任せください!」
「……あぁ、はい。うん、そうですね」
キラキラとした笑顔でそう言われても困るのですが。
適当に返事をしたわたしに、よく気持ちが分かるよとでも言ってくれそうなヤマネくんが、深々と頷いて慰めてくれるようにぽんぽんと肩を叩いてくれた。
「こちらになります」
なおも落ち込んだ気分で歩き続けてたら、前を歩くダムさんがくるりと振り返って重そうな扉を指し示してくれた。
舞台ホールとか、そんな場所にありそうな重くて高級そうな扉だ。二重構造になってますって感じの。
【神子の間】って言うんだから、その【神子】に関する教会とか礼拝堂みたいなものなのかな、なんて勝手に想像してみる。
「私はここから先への立ち入りが禁じられているので、あとは勝手にどうぞ」
「そうします。案内ありがとうございました」
「いいえ。あぁ、お嬢様は是非とも後ほどお寄りくださいね!」
“是非とも”がだんだんと“必ず”になるほど念押しされて、わたしは苦笑いになりながらも頷いた。
そうでもしないとまた強硬手段にでられそうな気がしたし。
仕事部屋に戻って行くダムさんを見送って、わたしとヤマネくんは【神子の部屋】へと続くドアを押した、そんなときだった。
おねがい、わたしからそれをうばわないで。
おねがい、わたしのそれをこわさないで。
おねがい、わたしのたからものを………
「えっ!?」
思わずドアから手を離した。
「アリス、どうしたの?」
怪訝そうに聞いてくるヤマネくんには聞こえなかったの?
確かに聞こえたのに。
この指輪を見つけた露店にいたときにも聞こえたあの声が。あの言葉が。
おねがいって、泣きそうな子どもの声でそう言ってたのが、確かに聞こえた。
「アリス?」
ぎゅっと服の上から指輪を握り締めて、わたしは力いっぱい扉を開いた。
「え、ちょっと、アリス!?」
予感というよりは、確信だった。
分からないし、知らないなんてそんな理性で考える部分を越えて、そうだと思った。
重いドアを開けて、室内へと滑り込む。
ドーム状になっている室内にわたしの足音がやけに大きく響き渡る。大理石の床を蹴り上げて、広い空間となっている部屋をつっきる。
何もないがらんとしたこの場所でも、目指すものは分かっていた。
「あぁ、いらっしゃいましたよ」
「遅いわ! 遅すぎる! あの双子はどうしてさっさとしないのかしら! 自分の仕事にばかり気をかけるなんて!」
「まぁまぁ。それも予想済みでしょう? それより、間に合ってよかった」
「マッド!? 公爵夫人も!」
「ヤマネ、こちらへ。これから起こるであろうことを見届けましょう」
ヒステリックに叫ぶ公爵夫人の声と、落ち着いた耳に心地良い帽子屋さんの声が聞こえた気がした。
けどそんなのどうでもいい。
胸元にある指輪が妙に熱くて、襟元から鎖を引き上げた。指輪がぼんやりと光だす。
「ねぇ、ここにいるんでしょ? 泣いているのはあなたなの?」
ドーム状になっている天井を見上げて、わたしは呼び掛けた。
「……【神子】」
声に呼応するようにパッと指輪から光がはじけた。
天井へと吸い込まれていくように消えた光を目で追うと、それが天井全体に広がっていくようで……。
天井に光で描かれた翼の付け根から、ゆっくりと誰かが姿を現した。
ふわふわの髪をなびかせて、まるでその人自身も光り輝いているように錯覚してしまいそうな……ううん、本当に淡く光り輝いているんだ。光で描かれた翼が、吸い込まれるようにしてその子の背中についている。
真正面から見つめたあどけないその顔は、やっぱりどこか泣きそうな表情だった。
「……泣かないで」
思わずそう口走ってしまうほどに、泣きはらした赤い目が痛々しかった。
ゆっくりと降りてきたその子は、手を目一杯伸ばしてわたしの顔をそっと包んだ。
こつん、と額をあわせて震える声で小さく呟いた。
「おねがい、わたしからそれをうばわないで」
あぁ、やっぱりこの子だったんだ。
「おねがい、わたしのそれをこわさないで」
たった二回しか聞こえなかった声。
「おねがい、わたしのたからものを……」
泣きそうで、わたしまでも悲しくなるような……
「かえして」
あなたはそんなに大切なものをなくして、ずっと泣いていたんだよね。
零れ落ちた涙が、頬を伝っていた。
「……何を、返せばいいの?」
ぐいと上を向かされて、あなたの少し熱を持った額に額をあわせて。
額が触れ合うような距離でわたしはそう呟いていた。
あなたがおねがいとわたしを呼んだのなら、わたしがその声が聞こえたのだから、だからあなたのために何かしてあげたかった。
泣き止んで欲しいと思うんだ。
「わたしのたからもの。グレーテルもドロシーもシンデレラもあかずきんだって、みんなわたしのこえをきいてくれない」
ぽろりと、涙がまた大きな瞳からこぼれてた。
「きみはわたしのこえをきいてくれた。きみはわたしにかえしてくれるの?」
そっと頬に触れて、その涙をぬぐってあげる。
「返すよ。あなたの宝物を、あなたに返してあげる」
「ほんとうに?」
「本当よ、約束する」
どうやってとか、この子が言う宝物が何なのか分からないのに、わたしは約束するとまで言っていた。そうしてまでして、この子に泣き止んで欲しかった。
いつもならこんな守れるかどうかすら分からない約束なんかしないけど、それでも、この約束だけでふわりと笑ってくれるから、後悔はしてない。
「きみはアリスの【証】をもっているんだね。でも、きみはアリスじゃないのに……」
本物のアリスじゃないと主張して、偽者だと断定されて、アリスの【証】と言われるこの指輪に振り回されてばかりのわたし。
今はもう輝くのをやめた指輪を、白くほっそりとした指でつまむのを拒まなかった。
この子からは守らなくていいんだと思えたから。
「もういないアリスをさがして、【証】はきみをもとめたの?」
「アリスは、いないの……?」
「でも、アリスにもわたしのこえはとどかなかったの」
祈るように指輪を握り締めて、涙が残る大きな瞳をまっすぐにわたしに向けてきた。
逸らすことも出来ないほど至近距離で見つめ合う。
「きみは【娘】でも【主人公】でもないけれど……、アリスの【証】がきみをえらんだから……、わたしのこえがきこえたから、きみをしんじる」
額をこすりつけて、甘えるようなしぐさでそう言ってくれた。
「きっと、わたしのたからもののこえも、きみにはきこえるはず」
「宝物の、声……?」
「そうだよ。ここでも、ないているの。ふたつでひとつなのに、ひとつがまた、うばわれた……」
つうと流れた涙に、わたしはただ返してあげるとしか言えなかった。
それ以外に、この子の涙を止める方法が分からなかった。
そっと、離される。
「みみをかたむけて、こえをきいて。わたしのこえをきいてくれたように、たからもののこえもきいてあげて」
ふわりと、天上へと上昇していくその子の涙が、わたしの頬に落ちた。
「おねがい、わたしのたからものを……」
「返すわ。あなたの元に返すから、だからっ!」
泣かないで、と声に出せたかは分からないけど、伝わったかは分からないけど、でもその子は泣きそうな顔で何か言った。
遠くて聞き取れない。
その子の体は、現れたときと同じように天上へと吸い込まれて、消えた。
「やくそく」
そう言ってくれたような気がして、なんだかわたしまで泣きたくなった。
どうしてあの子から物を奪っていってしまうんだろうって。
どうしてあの子が泣かなくちゃいけないんだろうって。
ただそれが悲しくて、ぎゅっと胸を押さえた。
「【神子】は彼女を選び認めたようですよ」
心地よい声が、ゆっくりと言葉を紡いでいた。
この声はきっと、帽子屋さんだ。帽子屋さんと、公爵夫人とヤマネくんがこの場所にいたんだと思うと、妙に気持ちが落ち着いた。
深呼吸をして、彼らがいるだろう場所を見ると、我に返ったようにヤマネくんが駆け寄ってきてくれた。
「だ、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
ゆっくりと頷く。
わたしまで泣いている場合じゃないんだ。しっかりと前を向いて動かないと。
考えて、進まないと。
「でも、この子はアリスじゃないわ。【娘】でも、【主人公】でもない」
「それでも、アリスの【証】や【神子】に認められたのは事実ですよ。目の前で起こった事象を認めないほど、貴方はまともなわけではないでしょう?」
「あなたもね、イカレた頭で何を考えているのかしら?」
「公爵夫人の望むことを」
帽子屋さんは声を荒げた公爵夫人に、場違いなくらい華麗な礼をしていた。
どうして? どうしてそんなに余裕でいられるの?
それじゃあまるで、公爵夫人をわざと怒らせているみたい。
「お黙り! 貴方にわたくしの何が分かると言うの!?」
「【神子の間】にて実際に【神子】を呼び出せたこと。彼女に託すのも悪くはないのでは?」
「お黙りと言っているのよ!」
「【神子】がお認めになったのなら、あなたも認めるべきでは」
「コレ以上の発言は認めないわ!」
ぱしんと、扇子で自分の手のひらを叩いた公爵夫人に、これは失礼と帽子屋さんは心にも思っていなさそうに謝っていた。
わたしとヤマネくんはどうしても話の流れについていけなくて、言葉を挟めなかった。
それでも、こんなときばかり頭が妙に冴えわたるのが不思議。
あの子が【神子】と呼ばれる人物なら、あの子が言うたからものは【神子の玩具】と言われるものなんだと思う。
あの子にたからものを、【神子の玩具】を返してあげると約束した。
だからそれは、それだけは守ってあげたいと思う。
「公爵夫人……」
「何よ、偽者」
「どっちが盗られたの?」
「!?」
あの子は、【神子】は、『ふたつでひとつなのに、ひとつがまた、うばわれた』って言っていた。
ヤマネくんは、この公爵夫人の島にあるアリスの【神子の玩具】を手に入れなくてはいけないと言っていた。
だからこの島にあるのは、不思議の国のアリスにある、二つのもの。
ダムとディーはいたし……て言うか鏡の国の登場人物だし、あと二つのものとして考えられるのは……
「小さくなる飲み物と、大きくなる食べ物の、どっち?」
アリスは不思議の国に迷い込んだとき、巨人のように大きくなったり半分の身長に縮んでしまったりする飲み物とケーキを口にしていた。
“私を飲んで”と“私を食べて”と書いてあるので有名なあれだ。
それに近いものは他にもあるけれど、でも、対になるものではっきりと記憶に残っているのはこの二つだけ。
「それを聞いて、あなたはアリスに成り代わろうとしているの!? 少し人よりも伝承に詳しいからって、あなたがアリスになれるとでも思っているのかしら!?」
「違う、わたしはあの子に返してあげると約束した! 約束を守るために聞いているのよ!」
「約束なんて、あなたに守れるはずがないじゃない! あなたが異界から来たと言うならば、普通は帰ろうとするはずでしょう!?」
「だって、帰ろうにも帰り方が分からないんだもの!」
叫んでから気付いた。これはタブーだ。
不思議の国のアリスと同じことを言っているなんて、皮肉なことだし、公爵夫人の癇癪を引き起こすのに十分な理由だ。
彼女は何故か、いないと認めているはずの本物のアリスにこだわっているんだから。
甲高い声で叫ばれるかもしれないと身構えたけれど、公爵夫人はどこか呆然とした様子でわたしの顔を眺めていた。
「夫人」
「分かっているわ! 分かっているのよ! でもわたくしは公爵夫人、癇癪持ちの公爵夫人なの! 誰にでもそうなのよ!」
「そうでしょうとも、私たち不思議の国の住人は、どこかイカレているのですから」
帽子屋さんは優しくそう言った。
公爵夫人の癇癪でさえも分かっているみたいで、皮肉とも言えることをさらりと言っても、そう嫌な感じはしない。
「……大きくなる、ケーキの方よ」
重い重いため息と共に、公爵夫人はぽつりと呟いた。
「わたくしは貴方を認めないわ。たとえアリスの【証】や【神子】が認めたとしても、わたくしは認めない」
「夫人……」
「マッドは、【不思議の国】号は勝手にすればいいわ。わたくしには関係ない」
拒絶、拒絶、拒絶。
受け入れられたいと、どうしても認めてもらいたいと思ってはいないけど、それでもこうハッキリとわたしを拒絶されるのは哀しいと思う。
わたし自身を否定されたようで……、それでもわたしは、わたしがなんなのか分からない矛盾を抱えている。
ダメだ、ごちゃごちゃになってわからなくなってきた。
「認めていただかなくては困りますよ。少なくとも、彼女は私たちと目的が合致しているのですから」
呆然と公爵夫人を見返してたら、帽子屋さんがぽんと肩を叩いてきた。
優しく、微笑まれる。
「貴女は【神子】に【神子の玩具】を返したい。私たちは奪われたアリスの【神子の玩具】を取り戻したい」
「え?」
「ですが、貴女は【地下の国】号の乗員と対峙する力はありません。逆に言えば私たちは【神子の玩具】を発見する力は持っていません」
「マッド、貴方何が言いたいの?」
怪訝そうに、公爵夫人が口を挟んだ。
つまり、帽子屋さんはこう言いたいんだよね?
「協力しろって言うの?」
「もちろん、強制ではありませんよ。ですがそちらの方が効率的かと思われます」
「だとしても、わたくしには関係ないはずだわ」
「いいえ、関係はありますよ」
“残りの【神子の玩具】を渡してください”と。
帽子屋さんは優しい笑顔のままで、そう言った。
どうしてとか、なんでとか考える前に公爵夫人が動いた。
「ふざけたこと言わないでちょうだいっ!!」
帽子屋さんはただ優しく微笑んだまま動かない。
振り上げられた右手。それが、止められた。
「離しなさい! わたくしに触れることを許した覚えはないわ!」
叩こうと振り上げたんだろう右手を、ヤマネくんが掴み止めた。
公爵夫人が金切り声をあげて叫ぶたびに、びくりと身体を強張らせたヤマネくんだったけど、それでもその手は離さない。
その顔が一瞬だけ泣きそうに歪んだのが見えた気がして、わたしは居てもたってもいられなくなって、気付いたらヤマネくんの腕を引いていた。
「ア、リス?」
「別に認めなくてもいい! わたしは勝手にさせてもらうから!」
「貴方に何ができるというの!? 無力な小娘のくせに!」
「何もできないのは知ってるわよ」
自嘲するように吐き出した言葉は、自分が思った以上に胸に深く突き刺さった。
無力なのは分かってるから……、分かってるけど、ね。
「でも、だからと言って本当に何もしないままだと何も変わらないから」
少しずつでもいいから認めて、前へと進まないと始まらない。
それを分かったつもりになっただけじゃダメなんだ。本当に進まないと、意味がない。
ただ受け身でいたって、事態が好転するわけじゃないんだから。
「頭で分かってたって、動かないと意味がないの」
くしゃりと、公爵夫人の顔が歪んだ。
「だから、わたしは勝手にするだけ。行こう、ヤマネくん」
「あ、う、うん!」
はっと我にかえったようなヤマネくんは、わたしに腕を引かれたまま慌ててついてきてくれた。
振り返らないで歩いたから、公爵夫人がどんな顔をしてどんな事を思っていたかなんて分からない。
後ろからは何も聞こえてこないけど、わたしは勝手にするって言ったから気になんかするつもりはかった。
「必要なのは、ヤマネだけですか?」
「わっ!?」
ヤマネくんの腕を引いている手とは逆の手を掴まれて、ビックリした。
案外近くで聞こえた帽子屋さんの声にビックリしたって言い直した方が正しかったかもしれない。
「ぼ、帽子屋さん?」
「【不思議の国】号は貴女の味方だと、お忘れですか?」
「だって、わたしは偽者だってハッキリ分かったのに?」
「……【神子】に認められた貴女をお手伝いしたいと思うのは、ご迷惑でしょうか?」
心配そうに、好意を持ってくれていると思える言い方だけど、【神子】に認められたって言う前提条件がついてきている。
それだけの価値がないと動いてくれないような人なんだって思う半面、わたしは【アリス】と同等の価値を手に入れられたのかもしれないってことが分かった気がした。
それだけで十分だ。
協力してくれるなら、甘えすぎない程度に協力してもらいたい。
少なくとも、殺されるなんて思うほど怖い思いはしたくないもの。
「迷惑なんかじゃないですよ。すっごく助かります!」
相変わらず優しく微笑んでいる帽子屋さんに、わたしも少しだけ笑って返した。




