06.奪われた大きくなるケーキ
公爵夫人を【神子の間】に取り残して歩き出したのはいいものの、どこに向かえばいいのか分からない。
ただ闇雲に歩き回っても迷子になるだけだし……ううん、もうすでに迷子なのかもしれない。
「アリス、どこへ向かうつもり?」
「ど、どこだろう……? 歩いても歩いても同じような景色って言うか、廊下が続いてるだけで、分からないかも」
「つまり、迷った……ってことだよね?」
「……ごめん」
情けないけど、ここどこだろう?
真っ直ぐに歩いてたはずだから、後ろには小さくなっていく【神子の間】と呼ばれる場所に続く扉が見えるはずなんだけど……ない。
分からないけど、突き当りの壁に変わっている。
あの重い豪華な扉がどこにも見当たらないって、あきらかにおかしいんだけど。
「落ち込まないで下さい。こうなることは予測済みですから」
「……どういうことですか?」
わたしの横を歩く帽子屋さんは、柔らかく笑いながらあっさりと言い切った。
「公爵夫人の力が働いている場所ですから、迷わないはずがありません」
「はい?」
「分かりやすく言うならば、公爵夫人が認めた者以外は迷うような幻術魔法が掛けられているのですよ」
いや、幻術魔法って何?
意味がさっぱり分かってない私に苦笑した帽子屋さんは、例えば、と指を立てる。
「真っ直ぐ歩いていたはずが、いつの間にか別の場所を歩いている……館を切り取って、つぎはぎにしたようなめちゃくちゃな場所に迷い込んでしまっている、と言えばご理解いただけるでしょうか?」
分かったような分からないような。
とにかく、迷子になったのは間違いないみたい。それだけは分かった。
……出られなくなったらどうしよう。
「マッドのことですから、打開策はお持ちなのでしょう?」
「打開策と言うよりは、一種の賭けではありますが……」
歩みが止まったわたしたちの方へくるりと振り返り、帽子屋さんは軽く首を傾げた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「耳を傾けて、声を聞いて。わたしの声を聞いてくれたように、宝物の声も聞いてあげて」
「あ」
「【神子】が貴女にそう仰っていたではありませんか」
そうだ、あの子がそう言ってくれたんだった。
【娘】でも【主人公】でもないわたしがあの子の声が聞こえたように、【神子の玩具】の声も聞こえるんじゃないかって。
わたしなら聞こえるんじゃないかって。
「【神子の玩具】は私たちの魔法の力を遥かに凌駕するものですから、ただの目くらましの魔法など効果はないでしょう」
「そんな、すごい力があるから、誰もが【神子の玩具】を奪っていくの?」
「そう考えているものもいるでしょう。私たち海賊の目的は様々ですよ」
【不思議の国】号は違うって、そう言っているみたいだけど。
なら、貴方たちの目的って何なの?
なんて、そんなことはわたしが聞くようなことじゃない。
聞けるようなことでもない。
それ以上に、どうやって【神子の玩具】の声を聞けばいいのか分からないから猛烈に困っている。
そういえば、あの子の声だって聞こうと思って聞こえたんじゃない。
分からないけど、気付いたら聞こえてきてたんだ。
「えっと、それで、何か聞こえる?」
「……聞こえない、かな?」
どんな声も聞き落とさないように耳を済ませてみるけど、何も聞こえてきやしない。
帽子屋さんとヤマネくんの期待するような視線が、やけに痛く感じた。
「近くに行かないと聞こえないのかもしれないのかな? あの時もそうだったんだよね?」
「あの時、とは?」
「あ、【神子の間】へと続く扉を開こうとしたときに……、アリスには聞こえてたんだよね?」
「うん。あの時は聞こえたんだけど……でも、わたしがこの世界に来る前にも聞いたことがあるから、それは違うと思う」
「条件は不明、ですか。先詰まりましたね」
「すみません」
ふむ、と口元に指先をあてて考え込む帽子屋さんに申し訳なく思えて、妙に焦りだした。
どうして聞こえないの?
どうして何も聞こえてくれないの?
わたしが偽者だから?
【娘】でも【主人公】でもない、ただの普通じゃありえない経験をした小娘だから?
【証】がわたしを認めて求めてくれたからって、何もできないことには変わらないの?
「そんなに苦しそうな顔しないで。誰もアリスのことを責めないから」
ぎゅっと、手を握ってくれたヤマネくんの言葉が優しすぎて。でも、そんな風に声を掛けてくれるのに何も役に立てなくて。
聞こえないことがもどかしくて、どうしようもない焦燥感を抱えながらわたしは胸元に揺れる指輪を握り締めた。
きみはどこにいるの?
側に居たのに、どうして消えてしまったの?
帰ってきてよ、ぼくの側に。
ぼくらは二つで一つなんだから……
「!」
聞こえた!
か細い声。微かに囁くような、耳元でしか聞こえない声!
「アリス、何か聞こえたの?」
「うん。こっち……たぶんこっちよ」
「行きましょう。ヤマネ、極力音を立てないように注意を払うように」
「了解です」
右手で指輪を握り締めて、左手でヤマネくんと手を繋いで。
わたしは声を感じ取りながら、惹かれるように進んだ。
きみはどこにいるの?
この道で合ってるかなんか知らない。
どこを歩いているかなんて、分からない。
側に居たのに、どうして消えてしまったの?
「ここ! この部屋にあると思う!」
「アリス、用心のために下がって。マッド、先に突入します」
「お任せしましたよ。焦る気持ちは分かりますが、こちらへ」
帰ってきてよ、ぼくの側に。
ヤマネくんが扉を勢いよく開けて、ナイフを構えながら室内へと飛び込む。
帽子屋さんがわたしの背に手を回して、何かから庇うように扉の影に立つ。
「い、一体何事なんだい!?」
「待ちなよダム、ヤマネじゃないか」
「それだけじゃないよディー。イカレ帽子屋も偽者お嬢様も一緒だ」
「何はともかく、武器を下ろしてほしいよね。大事な布や服を傷つけられたくない」
ダムさんとディーさんが驚くような声が聞こえた気がした。
問題ないと判断してくれたのか、帽子屋さんがぽんとわたしの背中を叩いてくれる。行っても大丈夫だと言うように。
わたしは迷わず駆け出した。
戸惑ったような声がいくつか聞こえたような気がしたけど、そんなこと構ってなんかいられない。
声が……、【神子の玩具】の声が聞こえなくなってしまわないうちに、見つけないと!
ぼくらは二つで一つなんだから……
「あった……」
並んでいるトルソーをかき分けて、たくさんの洋服や布の山を押しのけて、それは小物入れと一緒にあった。
ヘッドドレスや細々としたレースやビーズがしまわていた箱の中に、無造作に置いてあった。
きっと、誰もこれが【神子の玩具】だなんて気付かない。
透明な液体が入った、わたしの両手の中にすっぽりと収まってしまうくらいの大きさの小瓶。コルクの蓋に取り付けられたメッセージカードの字はかすれて読めるかどうかすら怪しい。
これが、アリスの【神子の玩具】。
“わたしを飲んで”と書いてあるだろう、小さくなる飲み物。
「きみの片割れを探したいの。お願いよ、協力してちょうだい」
そっと握り締めて小瓶に向けて語りかけるなんて、どうかしてる。
でも、どうかしてるのは穴に落ちてからずっと続いているんだもの。
そんなの、今更だわ。
「あなたたちを引き離さないから。だから、お願い」
きみはぼくらを引き裂かない? ぼくの声が聞こえるきみは、一緒にいさせてくれるの?
「えぇ。片方がいないと意味がないのよ。あなたたちは一緒にいないといけない」
そうじゃないと、アリスは小さな扉を潜り抜けることもできないし、机の上にあった鍵をとることだってできない。
不思議の国を歩き回ることですらできないから。
大きくなるケーキと、小さくなる飲み物は一緒にないと、物語は始まることすらできないのよ。
「ずっと一緒にいられるように、あの子の元に……【神子】に返すから」
……きみはアリスじゃないけど、【証】が認めているから、信じるよ。
「ありがとう、ごめんね」
わたしが偽者で、ごめんね。
本物のアリスがどこにいるかは知らないけれど、【証】を渡せるような相手が見つかるまでは、【証】に認められたわたしで我慢して。
ぼくの力が必要なら、一口だけぼくを飲んで。それ以上はダメだよ。
「分かったわ。ありがとう、どうしても必要なときはお願い」
それを最後に、声が聞こえなくなった。
わたしはゆっくりと立ち上がって、布とか洋服をかき分けながら帽子屋さんたちがいるだろう部屋の中央にたどり着いた。
大事に小瓶を抱えながら、文字通り服の山から抜け出してつんのめったわたしを、帽子屋さんはまるで予想していたかのように受け止めてくれた。
「大丈夫ですか?」
「あ、どうも……」
帽子屋さんの腕の中に倒れこむなんて贅沢、とか紳士的な帽子屋さんに申し訳なくなるようなこと思っちゃったりして。
いやいや、そんなことはどうでもよくて。
「それが、【神子の玩具】ですか?」
そっと手を開いた。
小瓶の中で揺れる透明の液に、少しかさついたメッセージカード。
帽子屋さんはわたしの手から取り上げるなんて野暮な事はしないで、器用にメッセージカードだけを見えるようにつまんだ。
かすれた文字に少し顔を寄せて、読み取ろうとしているみたい。
「わたし、を、のんで」
やっぱりと、読めない文字に書かれていることは同じなんだと思った。
「確かに、伝承に出てくる小さくなる飲み物と同じですね。……これがアリスの【神子の玩具】だと?」
「きっとそうだと思います。だって彼は、二つで一つなのにって言ってたから……。だから、協力してくれるって言ってくれました」
「彼って一体誰のことだい?」
「愚問だよダム。その小瓶のことじゃないか」
「ディーこそ愚問だね。小瓶は話しやしないだろう」
「忘れたのかい? あれは公爵夫人が置いていったものだよ」
ダムさんとディーさんが、両側からわたしの手の中を覗き込んでくる。
好き勝手に言うけれど、確かに小瓶が話すなんて信じられないよね。
聞こえているのはわたしだけみたいだし。
どうやって説明すればいいのかななんて思っていたけど、帽子屋さんはまた柔らかく笑みを浮かべてわたしの肩を抱いた。
「私たちが疑っていても仕方がありません。要するに、貴女がこれを見つけられた。それが事実であればいいのですよ」
「え、でも……」
「それこそ【神子】にしか真偽のほどは分かりません。ならば私たちはそれを信じるだけです」
わたしでさえ、声が聞こえなかったら信じられないような物なのに。帽子屋さんは信じると言ってくれる。
どうして信じるのと聞けば、イカレてるからとでも答えられそう。
本当にイカレているのか、それともこれは計算して言っているのか……帽子屋さんは、どちらかといえば後者の方だと思うけど。
「ダム、ディー。こちらを頂いていきますね。まぁ、嫌だと仰られても奪っていくだけですが」
笑みを一層深くした帽子屋さんは、さらりとそんな物騒な事を言った。
それが当然とでも言うように。
忘れかけてたけど、海賊なんだから当然なんだろうけど、やっぱり、帽子屋さんには似合わないと思う。
「まぁ、僕らには関係ないものだし」
「持っていってもらっても構わないけれど」
「持っていくなら」
「こちらもお受け取りください!」
【神子の玩具】と言われる高価なものって言うか、すごい力を秘めているものを関係ないとか言ってあっさり渡すなんて、わたしとは価値観がどこか違うのかな?
ちょっと信じられないけれど。
ダムさんとディーさんは急に営業使用に変わって、洋服がぎっしりと詰まっているクローゼットを勢いよく開け放って、そこから大きな箱をいくつも取り出した。
「お待たせいたしました!」
「ご注文の品物になります!」
「代金は結構ですので!」
「いつものように、次回も採寸させてくださいね!」
「考えておきましょう。ヤマネ、お受け取りを」
「はい!」
全部で何個あるのかは分からないけれど、ヤマネくんは器用にそれをいくつも積み上げて持っていた。
もしかして、ヤマネくんがあのとき言いかけた「僕らの」って……僕らの服を仕立ててもらっている、とか?
妙に納得していたわたしに、ダムさんが満面の笑顔で近寄ってきてひそひそと耳元で囁いてくる。
「お嬢様の品物は、日用品一式揃えさせていただきました。下着からケープまで、試着方法が分からなければいつでもお声かけ下さいませ」
「ちょっ!?」
かっと顔が赤くなったけれど、正直言って助かったかも。
いつ帰れるかなんて分からないし、それこそ身一つでこの世界にきたようなものだったから。
いや、でも普通そこまでしないと思うんだけど。
「それでは」
「【不思議の国】号のみなさまと」
「偽者のお嬢様に」
「「祝福あれ」」
華麗に礼をしてくれたダムさんとディーさんにありがとうとお礼を言った直後に、帽子屋さんがさっと腕をふるって光がわたしの視界を埋め尽くした。
始めて見つけたわたしがやるべきことを上手くできるように、わたしは祈りにも似た気持ちで小瓶を握り締めた。




