07.偽ウミガメにスープを
「ねぇせんせい。これっておいしいのかな?」
金色のふわふわとした髪を風になびかせながら、クリスタルに入れられたお菓子をキラキラとした瞳で見つめていた。
ごろんと甲板に寝そべっているため、水色のエプロンドレスから白いドワローズがあられもなくめくれ見えている。
細い足をぶらぶらと揺らして、少々……いや、かなりはしたない姿である。
「せんせい、これたべちゃだめー?」
「止めといたほうがいいんじゃない? この前みたいにおなか壊すのがオチだと、俺は思うけどぉ?」
「えー、でもおいしそうだよ?」
制止の声も聞かずに、思わず伸びてしまった手をぴしゃりと叩かれた。
「いたいっ!」
「それに触るなと、言ったはずですが? 私の言うことを聞いていなかったと?」
「ごめんなさいせんせい。でも」
「口答えを許した覚えはありませんが?」
「はぁい、ごめんなさいもうしません」
「よろしい」
しぶしぶながらも頷いた様子に満足した“せんせい”と呼ばれたその男は、白い手袋をはめた手をさっと振った。
「あー!」
「これ以上ここにおいて置くと食べかねなさそうですからね」
「あは、それちょー正しい判断だと思うんだよねぇ」
ケタケタと笑う間延びした声の男を静かに見る。
「その馬鹿げた笑い方、イライラするので今すぐに閉じないと縫いとめますよ?」
「……」
その瞳は本気だった。
冗談すら通じないような雰囲気に、ぴたりと口を閉ざすしかない。
背中を嫌な汗が流れた。
「せんせい、わらうのはチェシャねこだよ。まちがえてる!」
「えぇ、ですから普通の猫じゃない猫は嫌いなんですよ」
「チェシャねこいがいのにゃんこは、ちっともわらわないんだって! ふしぎだねー」
無邪気に笑うその様子に、せんせいと呼ばれた男との間に流れた不穏な空気が消え去ったように感じた。
起爆剤にも緩衝材にもなる存在がここにいることに、知らず息をついた。
「さて、もうすぐ我が家に帰れそうです。お前はトランプとでも戯れていなさい」
「トランプあそびならボクもやりたい!」
「先生が言いたいのは、俺一人で、でしょぉ?」
「えー、だってボクもトランプあそびしたいよー!」
「あまり我儘は言うなといったはずですが?」
「今回だけは、我慢して欲しいって感じなんだけどぉ……ダメ?」
少しむくれた様子でそっぽを向いた頭に手をのせて、優しく撫でてやる。
「ねぇ、アリス」
彼らのアリスのご機嫌は、しばらく直りそうになかった。
* * * * *
「あ、帰ってきた。何だ残念、無事だったんだ」
光が収まったかと思えば、わたしたちは揺れる船の上にいた。
「無事ではないとお思いでしたか? それはご心配をお掛けしました」
「誰もそんなこと言ってないし。思い込みもいい加減にしてれば? 自意識過剰って嫌われるよ?」
「猫、マッドに対して失礼ですよ」
相変わらず失礼なチェシャに、ヤマネくんが積み上げられた箱を危なげもなく抱えながら怖い口調で言った。
ぐらぐらと揺れる甲板で、なかなかうまく立てないわたしなんかと比べるのもアレだけど、それってかなりすごいと思う。
まぁ、ヤマネくんが慣れているからかもしれないけど。
「どーでもいいけど、さ。それ何?」
そんなヤマネくんのことを軽く鼻で笑ったチェシャは、金色の瞳をきらきら光らせながら興味深そうに箱に顔を近づけた。
匂いでも嗅ごうとしているそのしぐさが、やっぱり猫っぽいなぁなんて思う。
そんなチェシャに、帽子屋さんはヤマネくんが抱えている箱の山から、一箱引っ張り出して丁寧に渡した。
「チェシャ、ダムとディーからですよ」
「うわ……」
嫌そうに顔をしかめたってことは、チェシャもあの採寸被害にあってるうちの一人ってことなんだと思う。
うん、顔しかめたくもなるよね、アレ。
「黒い方を試着してみてください。一応、確認ですから」
「なんであんたの言うこと聞かなきゃならないわけ? 船長命令じゃないんだったら従う必要ないでしょ」
「いいえ、女王命令ですよ。受け取ったら即着替えろと、採寸時にご命令がありましたから。ヤマネ、マーチにもそうお伝えして、貴方も着替えてきてください」
「了解です」
絶えず揺れる船上にも関わらず、ヤマネくんはいくつも重なった箱を器用に抱えて船内へ小走りで行ってしまった。
あの箱抱えて走れるとか、バランス感覚どうなってるんだろう?
面倒くさいと言いながら、チェシャは渡された箱を片手で適当に持っている。
「それで? やっぱり偽者だったの?」
ニヤニヤと笑いながら言うようなことじゃないと思うけど、チェシャはわたしを見ながら言った。
そんなことわざわざ聞かなくったっていいのに。
わたしは始めからアリスなんかじゃないって、そう言ってたし。
「えぇ、偽者でしたね」
「なんだ残念。なら次の島でさよならだ」
「いいえ、そう言うわけでもありませんよ」
「は?」
そこはこう、ちょっと複雑な事情があるんだけど……。
わたしは偽者でアリスなんかじゃない。
【娘】とか【主人公】って言われる存在でもない。
でも、【神子】や【神子の玩具】の声を聞くことが出来るし、それを使ったりすることも手に入れることだって出来る。
伝承にはない反則的な存在なのが、わたし。
「わたしはアリスとかじゃないけど、でもあの子に返してあげなくちゃいけないのよ」
「それ、どう言う意味?」
「詳しいことは後々伝令で。あなたは女王命令を遂行して下さい。……さて、行きましょうか。我らがクイーンの下に」
だからか、帽子屋さんはわたしのことを“アリス”と呼ばなくなった。
アリスじゃない。アリスなんかじゃない。
だけど、わたしはこの船に乗せてもらえている。
乗せてもらえてるだけありがたいと思うし、【地下の国】号の人たちから【神子の玩具】を取り返すのに協力してくれるとも言う。
これ以上心強いことはないよ。
わたしは帽子屋さんに手を引かれ、クイーンさんのいる船長室へと向かった。
薄暗い廊下を抜けて、再び船長室に足を踏み入れると煙草の臭いが鼻をくすぐった。
心なしか室内に煙が漂っている気がする。
「クイーン、貴方また……。換気くらいしてくださいとお願いしていましたよね」
「……面倒だ」
「子どものようなことを仰らないで下さい」
困ったように言う帽子屋さんは、ふいと腕をふった。
それでばたんと窓が開くから、だんだんと慣れてきたけど、やっぱり魔法が存在しているんだなぁって思う。
クイーンさんはまだ煙があがるキセルを机に置いて、静かにわたしを見据えた。
「厄介な立場だったようだな」
「本物でも、【娘】でも【主人公】でもないことにガッカリしました?」
「あいにくと予想済みだ。問題はない」
嫌味っぽく言われたから、あてつけるように言い返してみたけど効果はないみたい。
まぁまぁと、帽子屋さんが間に入ってくれるけど、別に仲が悪いとか空気が険悪だとかそう言うわけじゃない。
「大体のことはマッドから伝わった。成り行きとは言え【神子】に認められたらしいからな、こちらが拒む要素はない」
「一緒に、【地下の国】号を追ってくれますか?」
「構わん。潰すには丁度いい機会だ」
「我らがクイーンならそう仰ると思いましたよ。出撃の準備を?」
「あぁ」
かしこまりましたと綺麗に礼をして、帽子屋さんはどこか楽しそうに船室を出て行った。
出撃とかちょっと物騒だと思わなくもないんだけど、でも、【地下の国】号の人たちだって同じことをした。
どこかの国の法律じゃないけど、やられたことはやりかえせ……かな? 正しく言えば、盗られたものは盗り返せだけど。
戦いは、正直言って怖い。
公爵夫人の島で、敵と認識してしまった人に怖くて足が動かなくて……情けない姿をさらしてしまった。
またそれを繰り返さないとか、断言できない。
「……わたしは、弱いです。戦力なんかありません」
「見れば分かる」
「戦えないし、足手まといになるかもしれませんよ?」
「それも予想済みだ」
クイーンさんは深くため息をついて、わたしを真っ直ぐに見据えてきた。
切れ長の碧い瞳で、貫かれてしまいそうな気がした。
「何度も言わせるな。利用価値がある限りは、【不思議の国】号はお前の味方だ」
「でも、わたしはあなたたちが求めるアリスなんかじゃないんですよ?」
「……知ってる」
クイーンさんの瞳が、翳ったような気がした。
どうしてか、アリスはいないのと叫びながら傷ついていた公爵夫人に似てるって、そう思った。
雰囲気は違う。でも、同じような瞳をしてる。
「本物のアリスはいない。だから偽者を迎え入れるしかない」
どこか未練を引きずっているような言い方。
それでも、クイーンさんは何かを断ち切るように断言した。
「お前はアリスの【神子の宝】を手にすることが出来た。だからお前は偽者でも、この【不思議の国】号のアリスだ」
「……それって船長命令?」
「命令にしないと不服か?」
違う、そんなんじゃない。あまりにも嬉しくて。信じられなくて!
この船から降ろされないって考えるだけでも嬉しいし、また知らない場所に放り出されないって考えるだけでも安心できる。
それくらいにこの船は居心地が良かった。
海賊船って言われても、それを忘れてしまうほどみんな優しいんだから。
「ううん、そうじゃなくて……。こんなこと言うのも不謹慎かもしれないけど、この船に残れることが信じられない」
「お前がアリスの【神子の玩具】を手に入れた方が、よっぽど信じられないがな」
クイーンさんは大きく息をついて、背もたれに深く寄りかかった。
どこか疲れたように見えるのは、気のせいなんかじゃないと思う。
「クイーンさん」
「……何だ?」
クイーンさんは、赤の女王。ハートの女王とも言われるこの船で一番偉い人。
わたしはピンと背を伸ばして、気だるそうに視線を寄越したクイーンさんに向かって改めて……ううん、初めてちゃんと頭を下げた。
「【不思議の国】号の偽者アリスとして、よろしくお願いします」
「……ふん」
少しの間を置いてから、クイーンさんはどこか楽しそうに口元を引き上げた。
珍しい玩具を見つけたような子どもにも見えて、怖いと思っていた人が皮肉を交えないでこんな風に笑うことにちょっとビックリした。
碧い瞳はやっぱり鋭いままだけど、それでも怖いと思わない。
「偽者でも役目はちゃんと果たせ。それでこそ、我らがアリスだからな」
「……はいっ!」
クイーンさんに認めてもらえたようで、わたしは嬉しくなって声を弾ませた。
「変態どもから服を貰ったらしいな。それに着替えて甲板に出ろ、きっかり10分後にだ」
クイーンさんにそう命令されて、わたしは一抱えもある箱を持ってふらふらと与えられてた船室へとたどり着いた。
迷子にならないでたどり着けたのは奇跡だったのかもしれない。
……何回か引き返しはしたけど。
ダムさんとディーさんから貰った箱には日用品一式入ってるって言ってたから、こんなに大きいんだと思うんだけど……。
船室にたどり着いて箱を下ろしてから、思わず伸びをしてしまったくらいには重かった気がする。
「えっと、とにかく急がなくちゃだよね」
箱の中身は、同じような服が二枚と防寒用のケープとか可愛いパジャマとか……確かに下着類も入ってたけど。
でも、あの短時間で作ったとか、サイズを直したって言うには驚くような量。
さすが公爵夫人お抱えの仕立て屋さんってだけはあると思う。
まぁ、性格はちょっと問題なんだけど。
「きっと、これだよね」
同じデザインで二枚ある服を手にとって……これ着るの?
袖なしのブラウスに青いリボン。同じ色のレッグウォーマーに短めのバルーンスカート。
それにニーソが加わった一式は……ちょっと身体のラインが誤魔化せないっていうか、普段じゃ絶対着ないような服。
可愛い子が着ればきっと可愛いんだろうけど、わたしがこれ着ても似合わないんじゃないかってくらい躊躇しちゃう。
「え、や、これちょっと……」
とりあえずベッドに広げてみたけど、これに袖を通す気になれない。
他のにしても別に良いよね、と思って箱に目を戻すと、一枚のメッセージカードに気がついた。
「何コレ? 偽者のお嬢様へ?」
間違いなくダムさんとディーさんからわたしへのカードだ。
『お嬢様は大変控えめな方でしょうから、きっと私たちの力作を目にして着るのをためらっていることと思います』
控えめとかそれ以前に、どうして分かるの!? って言いたい。
いやだってためらっているのは本当だし。
こうなることは予測済みだったってこと?
『ですが、私たちの力作を着て頂けないことほど悲しいことはありません! 是非とも、ご着用くださいそれはもう今すぐに! 今! この瞬間にでも! いっそ私が駆けつけてご試着させたいほどでございます!』
「は!?」
段々と熱を帯びて書かれている内容に、わたしは思わず二度見してしまったくらいビックリした。
なんでかあの二人ならこの部屋に隠れて、今か今かと登場を待っているような気がするんだけど、わたしの考えすぎだよね……?
それでもなんだか怖くなって、時間がないのは分かっててもクローゼットとか窓の外を意味もなく確認した。
いないのは当たり前だけど、いたらどうしようかと本気で思っちゃった。
『……と言うのはまた今度にします。お嬢様がますますお可愛らしくなるよう、少しでもお手伝いさせていただければと、贈らせていただきました。どうぞお召し替えをお願いします。
トゥイートル・ダム』
ちなみに、その下に書かれた追伸には、
『追伸、
レースが付いたリボンで、ちゃんと頭にリボンをお付けくださいね! なんと言っても、お嬢様はアリスの偽者ですから!
トゥイートル・ディー』
とあった。
うん、もう諦めて着替えた方がいいのかもしれない。
そうじゃないと、本当にあの二人が駆けつけて、またあの悪夢のような採寸という名のお着替えをさせられそうだし。
……できればあれはもう二度としたくないから。
わたしはため息一つついて、気が進まない腕をようやく服に伸ばした。




