06.奪われた大きくなるケーキ
どれくらい、ここに座り込んでいたんだろう。
随分時間が経った気もするし、そうでもないような気もするし……。
ただ呆然と座り込んでいただけで、わたしの心はどこかからっぽだった。
ショックだったわけじゃない。それを認めるのに時間がかかっただけ。
皮肉だよね、あれほど自分で《仮》だって言い続けていたのに。
アリスと呼ばれるたびに、本物のアリスになれるような気がしていたなんて。
「……本当に、情けないなぁ」
涙は零れなかった。流すわけにはいかなかった。流したくなんてなかった。
滲んだ視界をごまかすように、上を向いて何度も瞬きをした。
大丈夫。わたしはアリスなんかじゃない、少し夢を見ているだけのどこにでもいる女子高生。
子どもなんかじゃない、大人だ。
「よしっ」
自己暗示終了。
気合を入れるつもりで自分の頬をぱんと叩いて、気分もすきっとした。
とりあえず立ち上がろう。いつまでも座り込んでられないし。
「あぁ、こんなところにいらっしゃったのですか」
「……あ」
茂みから抜け出して、スカートについた土を払っていると、少し驚いたような声が掛かった。
耳に心地良い甘い声。
誰なのかなんとなく分かって、ちょっと気まずいけれどそれでも顔を上げた。
「帽子屋さん……」
「ヤマネに逃げるように指示されたのでしょう? 一体どこに行ったのか、心配しましたよ」
ヤマネくんは無事だったのかな、なんて逃げ出したわたしが言えるようなことじゃないけど。
惨めな姿のわたしを、帽子屋さんは優しく引き寄せた。
「大丈夫、貴女の敵はどこにもいません」
「……【地下の国】号の人たちは、引き上げたってことですか?」
「えぇ。幸か不幸か、この島から出向したと我らがクイーンから伝達で」
やっぱり、さっきのアリスは【地下の国】号の本物のアリスなんだ。
肩に置かれた手の暖かさとは裏腹に、わたしの頭は妙に冷めていた。
だって、わたしがアリスではないと言う明確な事実を目の当たりにしたから、これ以上わたしが彼らと共に行動できるのはこの島を出航するまで。
わたしはこの後どうやって生きればいいのかな、なんて。
「ヤマネくんは……」
「今は公爵夫人の元で護衛を。私たちも向かいましょう、歩けますか?」
「大丈夫です」
これ以上甘えてなんかいられない。
わたしははっきりと答えて、館に向かってゆっくりと歩き出した。
少し慌てたように帽子屋さんが追いかけてくる。
「今度の我らがアリスは、なかなか気丈な方ですね」
「《仮》ですけれど。これ以上お手を煩わせるわけにはいきませんから」
「いいえ。貴女ほど私にお手伝いさせてくださらない方はいらっしゃいませんよ。もう少し、頼っていただいても構わないのですが……」
わたしは、頼れるほど可愛げのある女の子じゃないから。
帽子屋さんにエスコートされるのは、もっと可愛くて儚くて守ってあげたくなるような子がお似合いだと思う。
「お忘れですか? わたし、他の世界から来た頭がイカレた女ですよ」
皮肉を交えて言うと、帽子屋さんは思わずといったように噴き出して、わたしの手をとった。
「それでは、イカレた者同士ですから問題はありませんね」
あぁ、そういえば、彼は紅茶狂いのイカレた帽子屋さん。
皮肉に皮肉を返されたような感じだけど、不思議と嫌な気分はしなかった。
イカレた者同士手をとり合って、公爵夫人の館へと足を踏み入れた。
室内は外と比べて特に被害はなかったみたいで、ぱっと見た感じどこも壊れてない。
しんと静まった館内が、ちょっと不気味だった。
迷いのない足取りで広い玄関ホールを抜けて、わたしと帽子屋さんの足音だけが響いて反響する廊下を進むと、一際大きな扉が半分開いていた。
ここに、公爵夫人とヤマネくんがいるのかな?
帽子屋さんは律儀にノックをしてゆっくりと扉を開いた。
「失礼、公爵夫人。ご気分の方はいかがでしょうか?」
「最悪よ」
即答したのは間違いなく女性の声。
クイーンさんのこともあったからちょっと身構えてたけど、公爵夫人は普通みたい。
きっちりとブラウンの髪を結い上げて、控えめに化粧もされたすっきりとした顔立ちは、どこか疲れたようにみえる。
不機嫌そうな琥珀色の瞳と、目が合った。
「偽者ね」
ズキンと、胸に突き刺さった。
「見るまでもなかったわ。この子は偽者。アリスなんかじゃない」
「こ、公爵夫人……」
「お黙り。貴方がわたくしに口をきいていいと許可した覚えはないわ」
「……申し訳ありません」
あまりにはっきりとした言葉に、唖然とした。
どう言うことコレ?
萎縮したヤマネくんに、尚もイライラとした様子の公爵夫人。
「カエル! カエルはまだ回復していないの!?」
「目覚めるにはもうしばらく時間がかかるかと」
「それならサカナでもいいわ! マッド、貴方なんとかしたらどうなの!?」
「申し訳ありませんが、人外のものに対しての治療法は存じてはおりません」
「あぁっ! どうしてこうもつかえないのかしら!?」
だんと、机を叩く公爵夫人に帽子屋さんは律儀に返事をしていた。
不思議の国のアリスで、公爵夫人は癇癪持ち。カエルやサカナを従者にしている気難しいおばあさん。
この人が公爵夫人にしては少し若い気がしなくもないけど、でも、癇癪持ちってところも、カエルやサカナを従者にしてるってところは確かにその通りだった。
「偽者のくせにわたくしから【アリスの宝】を奪うことでさえ許せないのに! これ以上偽者を連れてきてわたくしをどうしたいの!?」
「え?」
あまり関わりたくないな、なんて思ってたけどそんなこと言ってる場合じゃない。
今、聞き流せない言葉が聞こえた気がする。
“偽者のくせに”奪った……?
「アリスはいないの! わたくしたちのアリスはどこにもいないのよ!! 余計な真似をしないでちょうだい!!」
「……待って!」
思わず声がでた。キッと、きつい視線を向けられる。
この人に向かって言うのが怖かった。でも聞きたかった。
クイーンさん以上に威圧感を与えてきて、ピリピリした空気を放ってわたしを見てくるこの人に向かって言うのは怖くて、声が震えた。
「偽者のくせに奪ったって、どういうことですか……?」
「偽者が偽者のことを聞いてどうするつもり!?」
「だって……、だってあの子はどこからどう見てもアリスだったじゃない!? 姿も、性格も、自分のことアリスだって! そう言ってたもの!」
誰かが息を呑む声がした。
公爵夫人が忌々しそうに琥珀色の瞳を据わらせた。
「貴方にアリスの何が分かるというの? 偽者のくせに、アリスの名を語ろうとしたのは貴方でしょう?」
「……違います。わたしはアリスじゃないって、始めから言ってるもの。わたしにわかるのは、不思議の国のアリスと言われるお話だけだわ」
「偽者が嘘をついても、いずれは暴かれるものよ!」
「嘘なんかついてない! どうして、水色のエプロンドレスを着て金髪の長い髪をした女の子のことをアリスじゃないと言えるの!?」
公爵夫人の瞳が、大きく開かれた。
思わずずいと近寄ってしまったわたしの腕をとり、ぎゅうぎゅうと握り締めてくる。声はあげなかったけど、痛くて顔をしかめた。
「アリスの姿をしているからって、それが本物だとは限らない。本物のアリスは、どこにもいないのよ?」
「……どうして、本物だって分かるの?」
「知っているからよ。わたくしが、本物のアリスに会ったこともある。それ以外に明確な答えは必要なのかしら?」
琥珀色の瞳が爛々と輝いて、わたしを掴む手に力がこもってくる。
「あぁ、そうよね。貴方だって偽者なんですもの。本物になりたくて仕方ないんでしょう?」
「ちが」
「そんなみすぼらしい格好をした小娘のくせに、アリスになろうとした高慢さ! 身の程を知るといいわ!」
否定したかった。否定したかった。
でも、否定しきれなかった。
わたしがアリスになりたいと思わなかったって言ったら嘘になる。
アリスになれればあの船にいられる。知らない世界で、また知らない場所に放り出されるなんてことはないんだから。
そんな卑屈な思いが湧きあがってきて、わたしは叩かれるだろう公爵夫人の右手を避けることができなかった。
痛いだろうな、なんて。
でも、当然のことなんだろうなって。
いっそこれで目が覚めたらよかったのに。
「夫人、それをなさってはいけませんよ」
覚悟していた痛みはなかった。
帽子屋さんが公爵夫人の右手を掴んでくれてたから。ううん、帽子屋さんだけじゃない。ヤマネくんも。
わたしを守るように立ちふさがってくれた。
「クイーンが認めたからには、彼女は我らがアリス。偽者だろうと仮であろうと、それは変わりません」
「どうして!? 貴方だって分かっているでしょう!? アリスはどこにもいないの! いつもみたいに偽者だと分かっているなら、いつものように放っておけばいいじゃない!!」
「いいえ、いつもとは少々事情が異なっておりますから」
やんわりと帽子屋さんが首を振ると、ヒステリックに叫んでいた公爵夫人が怪訝そうに眉をひそめた。
ヤマネくんの後ろでそっと指輪がある場所に手をあてたわたしを視線で指し示して、帽子屋さんは薄く笑って公爵夫人を見る。
「彼女は【証】をお持ちです」
「なっ!? この盗人がっ! よくもアリスだとのうのうとわたくしの前に顔を出せたわねっ!?」
「夫人、早計過ぎますよ。彼女がどこでそれを見つけ、私たちがどうして彼女をアリスとして認めたかをお聞きになられていない」
向けられた視線にびくりと怯んだわたしだったけど、帽子屋さんはそれでもゆっくりと公爵夫人の意識を引き戻させる。
わたしが別の世界からこの指輪を持ってきたことを言うの?
そんなイカレたような話を、この公爵夫人が信じてくれるとでも思っているの?
「彼女は、【証】を追いかけて穴に落ちてきた娘。私たちが発見したのは、穴を抜けてきたときでしたから」
「……赤の女王は、冒頭部に似ているから、と判断したのかしら?」
「可能性は否定できない、と」
「だからこの子をアリスとして扱った。消えた【証】を持っていたから。穴から落ちてきたから。……それでもこの子はアリスじゃないわ」
否定。それが正しい判断だと言うことはわたしでも分かる。
そんな得体のしれない話を聞いて、納得なんか誰もできない。
「……偽者」
わたしのことだ。
この場所に、偽者と呼ばれる人間はわたししかいない。
「【証】を寄越しなさい。あるべき者に、本物のアリスに渡さなければ」
「嫌です」
言葉を遮ってまでして言ったのは、本能と言うよりは条件反射に近かったのかもしれない。
ずっと分からなかったけど、どうしてこんなにもわたしはこの指輪を手放したくなかったのかな、なんて。
そんなに大切なものだとは思えないのに、それでも守らなくちゃいけないって思う。
まるでそれがわたしの使命なんだとでもいうように。
「あなたは、公爵夫人は何回も自分で言ってるじゃないですか、本物のアリスはいないって」
「……っ」
公爵夫人の瞳が揺れた。
「本物のアリスがいないなら、この指輪を渡すべき人はいないわ!?」
「違うわ! 違う! アリスはっ! アリスはっ、わたくしたちのアリスはちゃんと! 貴方に言われなくても本物のアリスは……っ!」
ばんばんと自分が座っていたソファを叩いて、クッションを投げて、公爵夫人は錯乱状態に陥ったみたいに、手当たり次第に物に当たり始めた。
「本物のアリス! アリス!! アリス!!! 待っても待ってもいつになってもくるのは偽者!! 本物のアリスはっ、わたくしのアリス……!!」
こっちに向かって飛んでくる物をヤマネくんが必死に叩き落してくれるけど、公爵夫人は止まりそうもないし……。
何が公爵夫人をこうしてしまったんだろう。
少なくとも、わたしが余計なことを言ったからに違いないけど、でもわたしが謝ってもとまってくれそうも、聞き入れてくれそうもないみたい。
「こちらへ」
いつの間にか来た帽子屋さんに腕をひかれて、ヤマネくんと一緒に部屋の外に追いやられた。
「ヤマネ、彼女を連れてダムとディーを捜しなさい。【神子の間】へと向かうのです。よろしいですか?」
「わか、りました。でもマッドは……」
「公爵夫人と共にいます」
優しい微笑を浮かべながら、帽子屋さんはわたしを見た。
「貴女がお気になさることではありません」
「……ごめんなさい」
それしか言えなくて、それすらちゃんと言えたかも怪しくて、わたしは自分の情けなさに涙が出そうになった。
くしゃりと顔がゆがんだ。
「貴女は、泣きそうになっても、涙は流さないのですね……」
そっと頬を撫でられて、滲みそうな眦をそっと拭われた。
涙は流さなかったはずだけど、帽子屋さんには泣いているように見えたのかもしれない。
「お気をつけて」
ゆっくりと目の前で閉められた扉は、中の様子がどうなっているのかを教えてくれない。
奇妙なほど廊下は静かだった。
「行こう……」
ヤマネくんに手をひかれて歩き出す。
振り返っても、公爵夫人も帽子屋さんもどうなっているのか分からない。
最後に見えた帽子屋さんの方が、どこか泣きそうな顔をしているように見えたのが、わたしは胸に残って仕方なかった。
長い廊下にある部屋を一部屋ずつ覗いて、帽子屋さんに言われた人物を捜す。
ダムとディー。
それがどんな人かは分からないけど、よく知られている卵形体型の双子のようにそっくりなのかもしれない。
サカナとカエル以外の人を探せばいいわけだから、きっとすぐに分かると思う。
でも、その間わたしもヤマネくんも一言も声を出さなかった。声をかけるタイミングが分からなくて、ずっとそのまま。
逃げ出したのが悪いことのように思えて、わたしはどうしても話しかけられなかった。
「……聞いてもいいですか?」
沈黙を破ったのは、ヤマネくんだった。
「怪我とか、大丈夫でした?」
「……どうして、敬語なの?」
質問に答えなくちゃいけないと思って口を開いたのに、答えより先に疑問が口をでた。
ヤマネくんはもっと気さくで、わたしに対して敬語は使わなかったのにどうして急に余所余所しくなるの?
「……僕は、アリスにだって馴れ馴れしく話してもいいような身分じゃないですから。本当は、こうして手を繋ぐのもいけない」
「離した方がよかった? ゴメン、迷惑だったよね」
「違うんです。そうじゃなくて、僕がアリスに気軽に触れてもいいような身分じゃないので」
どうして急に身分にこだわりだしたんだろう?
余所余所しい態度のヤマネくんに胸が痛んだ。
それから思い浮かんだのは、公爵夫人の言葉。
『お黙り。貴方がわたくしに口をきいていいと許可した覚えはないわ』
わたしには考えられないけど、ヤマネくんが急に身分がどうとか言い始めたのは公爵夫人にこう言われたからなんじゃないかな?
身分制度ってものが、この世界にはあるのかもしれない。
「あのね、ヤマネくん」
ぴたりと立ち止まって、ヤマネくんの手を引いた。
「わたし、この世界のこと知らないの。だからわたしには身分なんて関係ないよ」
「でも、アリスは【娘】で【主人公】ですから。あなたがどう思おうと尊い存在なんです」
かたくなに首を振って、そっと、ヤマネくんがわたしから手を離した。
拒絶されたんだと思う。本当はそれで放っておけばよかった。
どうせわたしはこの後ヤマネくんたちに別れを告げるんだから。
でも、そんなことできなかった。
「ヤマネくん、わたし言ったよね? 普通に話してくれたほうがいいな、って。そんな余所余所しい話し方は寂しいよ」
「……」
「手、つないでくれる?」
エメラルド色した瞳を揺らしていたヤマネくんに、手を差し出す。
男の子と手をつなぐのなんて幼稚園以来かもしれないけど、それでも不思議と恥ずかしいとは思わなかった。
だって、今のヤマネくん迷子になった子どもみたいなんだもの。
少しためらった後、ヤマネくんはオズオズとわたしの手をつかんでくれた。
ぎゅっと握って、離れないようにヤマネくんの隣に並んだら、少し慌てたようにヤマネくんは歩き出した。
「ヤマネくん、歩くのちょっと早いよ……!?」
「ご、ごめん」
少し落ち着かない様子のヤマネくんは、でも今のはアリスが悪いよとか、不意打ちなんて卑怯だとかなんとか言ってたけど、わたしが何をしたって言うんだろう?
手をつなぐ以外に特別なことはしてないけど。
それでも、ヤマネくんは余所余所しい態度をやめてくれたから、わたしの気持ちは伝わったんだと思う。
「えっと、じゃあ改めて聞くけど、怪我とかしてない? 大丈夫だった?」
「大丈夫。逃げたりして、ごめんなさい」
「君を守れたなら、僕はそれだけで嬉しいから」
それに、ちゃんと逃げのびてくれててよかったよって、えくぼがくっきりと浮かぶ可愛い笑顔を向けてくれた。
男の子に可愛いって形容詞使うのもちょっと複雑だけど、やっぱり可愛い。
「あの船の中で、僕が一番弱いから……悔しいけど、アリスには逃げてもらわないと守りきれないんだ」
大見得切ったのに情けないよね、と言うヤマネくんに小さく首をふって答える以外に返す言葉はなかった。
だって、ヤマネくんは慰めの言葉も気休めの言葉もいらないって言っているみたいで、余計なことは言わないほうがいいと思ったから。
少し進んで次の部屋の部屋を開ける。
でも、そこには誰もいない。
「またハズレだね」
「おかしいな……どこにいるんだろう、あの二人なら絶対衣裳部屋にいると思ったんだけど」
「あれ? ヤマネくんは知ってるの?」
「うん、あんまり好きじゃないけど。一応僕らの……」
僕らの?
急に口を閉ざしたヤマネくんは、口元に指を当ててわたしにも静かにするようにジェスチャーで伝えてきた。
言われたとおりに静かにしていると、どこからか泣き声が聞こえてくるような気がする。
それが妙に不気味で、ぞわりと鳥肌が立った。
泣き声は、この部屋の続き部屋から聞こえてきているみたいで、布が挟まって半開きの扉からもれてきている。
そろそろと警戒するように扉に近づくヤマネくんの後に続こうか悩んで、少し距離を開けて後を追うことにした。
本当はすぐに逃げ出せるように入り口で待機してようかと思ったけど、思い出したんだ。
ここが公爵夫人の館だってこと。
いや、無理だから!
あの奇妙なサカナとか気持ち悪いカエルとかが後ろに立っていたら、今度こそ絶対悲鳴をあげる変な自信がある!
そっと、ヤマネくんが中の様子を窺った……かと思えば、今までの慎重さの欠片もなく堂々と扉を開けた。
「ダム、ディー! いつまで泣いているつもりなんですか!?」
「うあああああ、誰かと思えばうあああああん!!」
「ふえええええ、ヤマネじゃないかええええん!!」
ヤマネくんを追って続き部屋に入ると、細身の男女が声をあげて号泣していた。
……訂正。おそらく細身の男女が鼻水たらして号泣していた。
「こんなの泣きたくもなるようあああああん!!」
「泣かないわけにはいかないじゃないかふえええええん!!」
「いったい何があったんです? あなた方らしくないじゃないですか」
あきれたようにヤマネくんが言うけど、大人の、少なくとも帽子屋さんと同い年くらいの人が二人大声で泣いているって、相当のことじゃないかな?
部屋に散らばった布を抱きかかえた多分男の人と、トルソー(服を着せ飾るマネキンみたいなもの)を抱きしめたきっと女の人は、ダークブラウンの髪を一つにくくって、似たような中世的な顔立ちをしていた。
違うのは、男の人だと思われる方は眼鏡をかけていて、女の人は羨ましいほどの巨乳だったってこと。
「もっていかれたんだ、奪われたんだよおおおおっ!!」
「大切にしていた、アリス服をおおおおおおおおっ!!」
「アリス服を?」
思わずと言った感じで、わたしとヤマネくんは顔を見合わせた。
【地下の国】のアリスが着ていた服は、彼らから奪ったものなの?
ヤマネくんはどこか半信半疑だったけど、わたしはどこか確信めいたものを感じてまだ泣き喚いている二人に聞いた。
「ねぇ、アリス服って、水色のエプロンドレスのこと?」
「そうなん……君は誰?」
「どうしてアリス服のことを知っているんだい?」
ぴたりと泣くのをやめて、四つの深緑の瞳がわたしを映した。
「わたしは、【不思議の国】号の偽者アリス。さっき【地下の国】号のアリスに会ったから知ってたのよ」
「盗人に会っただって!?」
「それに、君はあの【不思議の国】号のアリスだって!?」
「待ちなよディー。彼女は自分で偽者って言ったよ」
「そりゃそうさ。本物のアリスなんかいないんだから」
どうやら、巨乳の方がダムで眼鏡を掛けた方がディーみたい。
交互に話して勝手に自己完結をした彼らに目を白黒させていると、ヤマネくんがわたしを軽く引っ張って自分の後ろに隠すように立ち位置を変わった。
「それでも、彼女は僕らのアリスですから。無礼な真似はやめてくださいよ」
「分かってるさ。それよりも悔しいじゃないか!!」
「あぁ、僕らのとっておきのアリス服を奪っていくなんて!!」
「報復だね、彼らに、盗人には報復を!」
「僕らの服を着こなせない人には制裁を!」
鳴いたカラスが何とやら、って言うべきか、彼らは急に勇み燃え始めた。
いやちょっと、意味が分からないんだけど。
ヤマネくんが小さくため息をついた。
「アリス、紹介するよ。彼らはトゥイートル・ダムとトゥイートル・ディー。公爵夫人お抱えの仕立て屋だよ」
「私がダム。サイズの採寸とデザインは任せてください」
「僕がディー。パターンを起こして仕立てるのは任せください」
二人が左右対称になるように華麗に礼をしてきたのは、間違いなく営業使用なんだと思う。
さっきまで号泣していたり、報復だ制裁だとか言ってた人には思えない。
「それで、どんな御用だい?」
「公爵夫人にお目通りになったんだろう?」
「新しい服のご所要だったら」
「今すぐ採寸を」
「違います。僕らを【神子の間】に連れてってください」
「「!?」」
大きく目を見開いて、少し大げさにのけぞって驚いてみせた二人だったけど、気をとりなおしてぼそぼそと二人で相談し始めた。
時々わたしの方をちらちらと見て、なんだか感じ悪いんだけど。
「いいよ。案内する」
「でもただじゃいやだな」
「対応にはそれ相応の対価がないと」
「僕らに見返りがないと」
「……何が望みですか?」
ヤマネくんがさも嫌そうに言うと、ダムとディーはにんまりと満面の笑みを浮かべてわたしを指差した。
「「偽者アリスのお着替え」」
……それはちょっと予想外の展開だった。
なんでわたし? それ以前にお着替えって、何?
混乱するわたしを庇うようにヤマネくんが噛み付くようにダムさんとディーさんに向かって抗議しているけど、二人は涼しげな顔をしている。
「どうしてアリスをあなたたちのお遊びに付き合わせなくちゃならないんですか!?」
「どうしてもこうしてもないよ」
「僕らがそうしたいからさ」
「嫌なら嫌でもいいよ?」
「案内しないだけだから」
にっこりと、意地の悪い笑顔を浮かべる二人にぐっとたじろぐヤマネくん。
帽子屋さんからの指示に従わなくちゃだもんね。
わたしたちだけじゃきっとその【神子の間】とか言う場所にいけないだろうから、二人の協力が必要だし……。
「それに、どうだい彼女の格好」
「土だらけで汚れてボロボロだ」
「普通の女の子なら」
「着替えたいと思うんじゃないかい?」
そう言われて、自分の格好を見下ろして……たしかに、制服が汚いことになってる。
クリーニングに出さなくちゃならないかも、とか思うと今までそんなに気にしなかった茶色くなった部分とかが無性に気になってくる。
「……えぇと、ヤマネくん」
「ダメだよアリス。絶対ダメ!」
「どうして? 着替えるだけでしょ? 少なくとも二人がそう望んでいるなら、わたしたちに拒否権はないはずよ」
「違うんだ! 二人が言っているのは」
「「交渉成立でよろしいですねお嬢様!」」
どん、とヤマネくんを突き飛ばしながら、ダムさんとディーさんはわたしの手を握ってきた。
お嬢様って……完全に営業仕様に変わってるんだけど。
「ちょっ、待って」
「男性はご遠慮願いますね!」
「さぁお嬢様お着替えをいたしましょうか!」
満面の笑みでヤマネくんを部屋の外に追い出して、芝居がかったような仕草でたくさんの布やドレスが埋まった部屋の奥に引っ張られる。
どうしよう、嫌な予感しかしないんだけど。
それでも、引き返すにも断るにしても許されないような、妙な迫力を感じて何も言えない。
目が爛々と光って、獲物を捕らえた肉食獣みたいな二人に捕らえられたまま、少し開けた空間に連れてこられた。
「さぁお嬢様、採寸をいたしましょうか!」
「は?」
「はーい身体を楽にしてくださいませね!」
「え? や、ちょっと」
メジャーを持って怖いほどの笑顔で近寄ってくるダムさんと、様々な布のサンプルを持って眼鏡を輝かせたディーさん。
何故か頬を高潮させて息が荒い二人に、逃げ出したくなった。
「大丈夫です、ちょっとあちらこちらの寸法を測るだけですから!」
「あぁ、髪が長いのでまとめさせていただきますね!」
「あぁ、お嬢様そんな怖がらなくてもいいんですよー?」
「それにしても綺麗な黒髪。手入れもちゃんとされているようですね」
「あの、いや、け、結構ですから。そんな採寸とか、ね?」
本能的に身の危険を感じたわたしは、ダムさんとディーさんから少しでも離れようとそろそろと後ずさった。
きょとんとした二人は、互いの顔を見合わせて……それからとってもいい笑顔を浮かべて……
「「逃がしませんよ?」」
「ひっ!?」
がっしりとわたしの肩をつかんできた。
つぅと、嫌な汗が背中を伝った。
「ディー、確保!」
「了解だよダム!」
「なっ!? って、ちょ、何!? やだやむぐっ!?」
「シャツいらないな……。邪魔だから脱がせますね!」
「あ、大声はあげないでくださいね!」
「むぐぅい――――っ!!」
ディーさんに後ろからがっしりと動けないように羽交い絞めされたあげく、猿轡まで噛まされた。
いや、ちょっと待ってよ!!
採寸とか聞いてないって言うか、なんでワイシャツ脱がされなくちゃならないの!? あと、ディーさん男の人なんだよねっ!? すっごい恥ずかしいんだけど!!
「おやおや、胸は控えめだね。だけど他は素晴らしいサイズだ!」
「おぉ! この服、変わった素材の服だから詳しく調べたいね!」
「美脚! ラインといい形といい最高だ素晴らしい!」
「ミニスカート! 彼女にはミニスカートを是非とも勧めたい!」
「確定するよ! あぁ、デザインが湧き水のように思い浮かぶ!」
「それを形にするのが楽しみで仕方ないよ!」
「「あぁ、素晴らしきかな採寸!」」
と、興奮している二人に抗議も抵抗も無駄みたいで、わたしはされるがままにされるだけだった。
少しでも早く終わってくれるように願って……。




