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贄をやめて、千菊様の妻になってどれだけ経ったのか分からない。
私を死なせる契約といえど、こんなき時間が立つとは思わなかった。あれ以来火山の噴火はないのが、かな。
千菊様は時折村の状況を教えてくれる。どうやって見ているかはわからないけれど、村の状況は変わってないらしく、贄は出てないみたい。
……彼の言う通り、私は愚か者だ。
何も考えてなかったし、何も知らなかった。だって、市から離れた村で質のいい着物を何度も用意できるわけじゃない。小さな噴火のたびに生贄をだすなら、村人は少なくなる。贄の数が減らないのがおかしい。
……ちゃんと考えると、おかしいことばかり。おかしいことばかりなのに、私は考えてこなかった。
幻朝様。あの優しそうなおじいさんの彼が、今でも悪いことをしているのか、信じられない。でも、疑ってしまう。
こうして私が考えられるのは、千菊様が私に色んなことを話して、教えて、文字の書き方を教えてくれるからだ。
知らない物語や歴史。何が今起きているのかも、教えてくれる。
彼に知らないことを教えて貰って、一緒に食べて、一緒に寝て、市に行って人攫いに間違えられるたび、私が何度も庇う。千菊様。人混みとか、目立つの好きじゃないのに私のために市へと連れて行ってくれる。本当に優しい人。
気付けば、自分の胸の内にある穴がなんだか埋まりつつある。空虚、というのだろうか。村では埋められなかったものが、埋められてきているような。そんな気がした。
契約の時に妻として役立つことと言われたけれど、私は役に立っているだろうか。
思いながら、朝食事を食べ終えて一緒に片付ける。千菊様が鍋と食器を洗いにいっている間、字の練習をしていた。私でも洗うことはできるのだけど、川で洗っている間が危険だと水汲み以外は川に近付かせてくれない。深い場所に近付くつもりはないんだけどな。
考えながら小枝を手にして、地面にひらがなというものを書いた。書かれたものを読み上げる。
「いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす──」
「ほぅ、よく書けている」
後ろで覗いている千菊様に振り返った。
「千菊様! 洗い終えたの?」
「ああ。しかし、貴様は本当に飲み込みが早いな。我の話したことも教えたこともすぐにこなせる」
「千菊様のおかげ。貴方のお陰で文字も読めるし、たくさんのことを知れる」
そう褒めると彼は複雑そうに目線をそらしていた。
「我のおかげではない。くずの真似をして教えただけだ」
「くずって……変わらずその呼び方」
「そんなのいい。……だが、その飲み込みと覚えの良さは貴様の才能かもしれないな。誇れ」
「……! うん!」
褒められて、認められた。嬉しくなる!
私がニコニコしていると、千菊様の顔が優しい気がする。優しい顔をしている彼には申し訳ないけれど、やっぱりくずっていう人が気になる。
「ともかく……本当に千菊様は嫌いなんだね。その人くずと呼ぶ人」
「当たり前だ」
心底嫌そうに言う辺り、本当に嫌いなんだな……。最初の印象は良くないけど、千菊様はちゃんと話して接してみるとただの不器用で優しい人だとわかる。
だから、そんな人が互いに嫌うなんてどんな人なんだろう。
「千菊様の嫌う人、一度でもいいから見てみたい」
「やめとけ。あいつ人当たりが良くて女どもから人気はあるが、基本善良な大馬鹿で人でなしだぞ。……今は会えないが、会えたとしても関わるのはやめとけ」
私の言葉に彼は本気で制する。……千菊様って、その人を悪く言うけど、認めてるようにも言うんだよね……。
「その、失礼とわかってて聞くけど、くずって呼ぶ人と千菊様はなんで互いを嫌いになったの?」
恐る恐る聞くと、彼は怒るどころか複雑そうな顔をした。
「……我が最初にそいつの家族を悪く言ったからだ。
弱い家族と一緒にいるのは楽しかったか……とな」
自嘲しながら教えてくれる。……これは、千菊様を励ます事はできない。その人にとって大切な家族なら、彼の発言は良くないものだ。家族を馬鹿にするのは、私にとっても許せない。
千菊様は深いため息をついた。
「これは、今でも我が悪い。当時の我の言動と行動は良くなかった。……親と兄弟のことを楽しそうに話すあいつに、嫉妬にかられて言ってしまったとはいえな」
「……嫉妬?」
気になって聞くと千菊様は、淡々としていた。
「血縁の愛なんて、我は知らん。知るのは育ての親のような存在の愛、師の愛だけ。
我の相方は、母と弟と妹をちゃんと愛して愛された。それが羨ましかったから言ってしまった。浅ましい頃の我がな」
血縁の愛を知りない。血縁って……父と母のことだよね。
私はお父さんとお母さんに愛されたことは覚えている。二人に抱きしめられて、頭を撫でられて一緒にご飯を食べて寝たことも覚えている。
……親から愛されないなんてこと、あるのだろうか。千菊様に詳しく聞こうとする前に、彼は立ち上がった。
「あの村の様子を隠れて見にいく。貴様はこれから何をする」
「えっ、あっ……」
話題を変えられた。いや、聞こうとしないようにした。これ以上は聞くなってこと、なのかな。
彼が嫌ならしないけど、何をするのか。
彼がいないときは、千菊様の家にある書物は読むか字の練習。川の水を汲みに行ったり、薪割をしている。でも、ほとんど生活に必要なことはし終えているし。
どうしようかと悩んでいるけれど、彼の目線に耐えきれなくて咄嗟に答えた。
「こ、この近くを散歩するね!」
「そうか、わかった」
「えっ」
あっさりと返事をされて、びっくりする。私の反応に千菊様は不思議そうだ。
「この近くを散歩するのだろ。心持ちを軽くする手段として有用だ」
「う、うん」
頷くと、彼はすぐに真剣な顔になる。
「だが、気味悪いと思った場所があるならそこには近付くな。危険だ。いいな」
「……わかった」
首を縦に振ると、彼は真剣な顔からはにかむ。
「気を付けろ。……いってらっしゃい」
基本的に笑顔を見せない人だから、ここで笑顔を見せらるのは心臓に悪い。赤い顔のまま、私はまた首を縦に振る。
「……うん、行ってきます」
彼の優しさは、いつも私の胸の穴を塞いでくれるような気がした。
散歩に行くって言うけれど、私は籠を持っていく。手伝ったり、やれることはしたりしているけれど、家事のほとんどは千菊様がしている。
森の中も歩き慣れたけど、迷うときは迷うし危ないときは危ない。いつも通っている道を行くけれど、道中で何かあればいいな。
「きのこ、松の根に生えたきのこないかな……」
つぶやきながら探す。言霊という言葉を教わったけれど、本当に起こるのかな。キョロキョロと探していると、奥にある山へと向かう道に数人の人が歩いてくるのが見えた。
その数人は見覚えがある人で、布か何かで包まれた長いものを抱えている。先導するように歩いているのは私がお世話になった人だ。
「……幻朝様?」
なんで彼がここに?
……危険なんだろうけど、気になる。私は遠くから様子をみながらゆっくりと後をついていく。
お山様へと向かう道。
本来なら贄となった私が歩いていく道なのだろうけど──途中から気持ち悪い感覚が襲ってくる。
「……!?」
ぐわっと来るような、吐きたくなるような。
思わず足を止めて前を見ると、幻朝様たちの足が止まっていた。
……あれ、山には向かわないの?
山は確かに登らないとならない。お山様を鎮める生贄は──と考えていたとき。
幻朝様たちの前に、大きな何かが落ちてきた。
石かと思ったけど、形からして違う。黒くて二本の角を生やして、着物を着た大男。……何も知らなかった頃の私でもわかるだろう。
あれは、鬼だ。




