第12幕
構内の西南、講堂裏の木々に囲まれた一角に学生会館の別館がある。一階にはセミナールームがあり、二階と三階は和室になっている。本来は海外から来た研究者のための宿泊施設なのだが、銀杏祭の期間だけは学生に開放される。夜通し準備に励むこともあろうと便宜を図っているのだ。
いくつかある和室の一角を、九組演劇班の有志たち、中でも役者の連中が占めていた。今夜から二晩はここに泊まり込むのだ。本番の出演時間は明日が十三時、明後日が十五時なので、自宅からの通いでも問題はないのだが、そこは心意気というもの。全員で合宿し気分から盛り上げようという目論見だ。
十二畳の部屋一面に布団が敷かれていた。開いた襖の向こうは、これまた一面に布団が敷かれた和室が続いている。ユヅは最も入口に近い布団の上に座っていた。
「いよいよ明日だね。みんな、よく頑張ってくれたよ。ここまで来たら当たって砕けろ。成功しようが失敗しようが気にせず、思い切っていこう」
「そうそう。台詞もみんなカンペキじゃけんのう」
大仰に相槌を打つムグルマとは対照的に、サクライはいささか心配そうだ。自分の布団を確保し、持ってきた荷物を枕元に置いている。
「本番になったら、全部真っ白になってたりして」
「それはそれで面白い。演出家としては見てみたいね。みんながそこからどうリカバリーするのか」
「縁起でもないこと、言わないでくれ」
茶化すユヅにナイトーが真顔で反応する。それをキッカワが鼻で笑う。
「お前、台詞少ないだろ。だいたいアクションばっかりじゃないか。こっちなんか、最後まで長台詞があるんだぜ」
「オトコは舞台の上を走り回ってるだけだからな」
「そんなことないよ。決め台詞だってある」
「へえ、どんな?」
「姐さん、とか」
一同、爆笑。ムグルマは腹を抱えて布団の上を転げ回っている。
「まあ、なるようになるさ。さて、そろそろ模擬店班の陣中見舞いに行くとするか」
カトーの呼びかけを受け、全員がおもむろに立ち上がった。
外はすっかり日が暮れていた。さすがに大方の模擬店は設営作業が終わっていて、構内に残っている学生はそう多くない。カラフルな垂れ幕やのぼりに彩られたテントを横目に見ながら歩く。一足先に祭りの雰囲気を味わうことができ、これはこれで悪くない。
八号館の手前に一つだけ煌々と灯りの点るテントがあった。揃いの前掛けをした何人かがテーブルの奥でドラム缶を囲んでいる。
「あっ、いらっしゃい」
看板娘よろしくミヤコが声をかけてきた。
「ちょうど、晩御飯がてら試食しようとしてたの。みんなも食べていって」
ミヤコの隣で、テーブルの上のコンロに載せた寸胴から、マツヲがスープを掬って発泡スチロールのカップに注ぐ。大鍋で茹でていた麺を湯切りザルに移したケチョンが、力を込めて何度も腕を振り下ろした後、マツヲから受け取ったカップに麺を流し入れる。この作業だけは、日頃の彼からは想像もつかないほど丁寧だ。最後にイケが、チャーシュー、海苔、高菜、ネギ、紅しょうがを、ビニールの手袋越しにつかんで麺の上に載せる。
「へい、お待ち。割り箸はそっから自分で取ってくれ」
テーブルに置かれたカップを最初の一人が手に取るが早いか、すぐに次のカップが並べられる。流れるようなオペレーションだ。
ラーメンを受け取った演劇班メンバーは、順次テントの裏に回り、縁石に腰を下ろして食べ始めた。
「美味い」
「何これ」
「いける」
立て続けに浴びせられる絶賛の言葉に、どうだ、とばかりにイケは胸を張って腕組みをした。
「凄いな。街中の店で出てくるのと比べても、全然遜色ない」
キッカワが明らかに驚いた表情でイケを見上げる。
「寒いから、なおさら身に沁みるねえ」
「これで五百円って、安すぎないか?」
ニコラとムグルマも同調する。二人とも箸が止まらない。
「ねえ、どうやって開発したの? この味」
腕組みをしたままジュンジュンの質問に何度も大きく頷くと、イケはテーブルの下から小ぶりのプラスチック容器を取り出した。
「これだ。秘伝、豚骨ラーメンスープの素」
「ずるじゃん」
間髪を入れず、ツヤカがツッコむ。
「まあ待て。基本はあくまでもドラム缶だ。でも、何度試作しても、もうワンパンチ足りなかった。ところが、たまたま行った海鮮市場でこいつを見つけて」
「あれは天啓だったね」
思い出を噛み締めるようにマツヲが手であごを撫でる。
「ひとさじ入れてみたら、あら不思議。劇的に味が締まったんだ」
「マツヲんちでみんなでガッツポーズしたもんな。こいつはいけるぞって」
ケチョンのガッツポーズにマツヲが腕を合わせる。ラーメンを食べ終わったノトリエが満足げに二人を眺める。
「どうやら、演劇も模擬店も順調だね。準備万端。明日からは大勢のお客さんが来ることを期待しよう」
食べている途中のメンバーも含め、その場の誰もがうんうんと首を縦に振る。
「あっ」
さっきからスマホをいじっていたミヤコが、突然大きな声を上げた。全員の視線が集中する。ミヤコはみんなに画面が見えるよう、スマホを裏返して突き出した。
「さっき、実行委員会のSNSや動画サイトが直前情報をアップしたんだけど、さっそくたくさんのコメントがついてるわ」
「どんな?」
「特に、ツヤカくんのミルクに関する反響が凄い。まだサムネイルだけなんだけど」
「ホントだ」
「てか、この画像の切り取り方が上手いな。まるでアイドルのジャケ写かプロモーションビデオだ」
ミヤコからスマホを受け取り、順に画面をタップしてコメントを確認していく。その間にも新たなコメントが次々と追加されていく。
「これなら、明日来るお客さんは、生で見てさらにびっくりするんじゃない?」
ヨーコの言葉の意味するところを理解したアジポンがすぐさま反応する。
「ああ。あれは俺たちですら驚いたからな」
「まさか、声まで演じるとはね。やるね、きみ」
いつもは辛口のユヅにしては最大級の賛辞だ。してやられたという表情だ。
「ふあっくしょん」
礼を言う代わりにツヤカは大きなくしゃみをした。両手のひらで二の腕を抱き、盛んにこすり始める。
「おお、さぶ」
「ちょっと、油断しないで。体には気をつけてよ。せっかくのヒロインなんだから」
模擬店班のメンバーから借りた前掛けを、ミヤコがツヤカの肩に掛ける。
演劇班のメンバーたちはその後もスマホでコメントを確認していたが、なぜかムグルマだけは輪に加わらず、黙って空を見上げていた。気づいたアーチャンが声をかける。
「何してるの?」
「おお。今って、しし座流星群の時期なんだろう? 流れ星が見えるかと思ってな」
上を向いたままムグルマが答える。
「そんなロマンチックなこと考えてたの? やだー」
「やだとは何だ。やだとは」
「だって、ムグルマくんのイメージと全然合わない」
ヨーコがケラケラと笑う。おかんむりのムグルマとの間を取り持つように、ナイトーが割って入る。
「しし座流星群は例年、一時間に数個から、多くても十数個と言われている。この辺りは街灯りもあるし、しばらく見てないとダメなんじゃないかな」
実はナイトーの実家は二駅隣にあるのだが、本人は体育会系の部活に入っているため、隣県の寮に住み、そこから通学している。演劇班との両立は大変なはずだが、どうしてもという本人の希望で参加することになった。授業以外の接点が乏しい彼にとって、クラスメイトとの交流を深める良い機会なのだ。
「でも、何年か前には大出現したね」
サクライも流星には一家言ある。彼の故郷は北関東の田舎で、子供の頃から広い平原に寝転がって夜通し空を見上げていたのだ。
「どの方角を見てればいいの?」
「放射点の高さ次第だけど、ざっくり東かな。夜遅くなると、天頂近くに多く飛ぶ」
「みんな、意外に流星博士なのね」
女性陣は感心することしきりだ。
「でも、流れるスピードが速いから、何かお願いするのは難しいかもよ」
「だったら、たくさん流れればいいんじゃない? チャンスが増えるもの」
「そうね。そうなるといいなあ」
「文科劇場のキャッチコピーにもなってるしね」
「では、立て看の謳い文句の通り、しし座流星群に乗せて届けてあげましょうか。珠玉の物語を」
カトーも座ったまま首だけを大きく傾けて上を見た。天の川こそ見えないものの、晴れ渡った漆黒の空に多くの星が瞬いていた。
交替で寝ずの番をするという模擬店班や自宅組のメンバーと別れた宿泊組は、学生会館別館へと続く木立の中を歩いていた。
「アジポンくんも泊ってけばいいのに」
屈託のない笑顔でヨーコが誘う。彼女たちホステス役の三人娘やユツキも泊りだ。別館の三階が女性用の宿泊階になっている。
「なんでだよ。家がすぐそこなのに」
流れでここまで来てしまったが、アジポンは宿泊組ではない。何しろ、駅を超えて徒歩十分程度のところにあるアパートに住んでいるのだ。もっとも、声をかけたヨーコはさらに大学に近い一軒家に下宿しているのだが。
「いいのう。大学のそばに住んでると、こんな時は有利だのう。わしなんて、二回も電車を乗り換えて、そこからさらに十五分は歩くけんのう」
「だったら、もっと都心に住めばよかったじゃないか」
「新築のマンションで予算内となると、そこしかなかったんじゃ」
ムグルマは一つ違いの妹と一緒に住んでいる。一浪したムグルマと違い妹は現役で合格したため、大学入学のタイミングが同じだった。それぞれが一人暮らしでは不経済なため同居することになったが、いくら兄妹とはいえ年頃の女性と二人でワンルームというわけにはいかない。そこでファミリータイプの間取りを借りることにしたのだ。しかし、新築にこだわったのは意外にもムグルマの方だったという。
「じゃあ、明日からよろしく」
「おう」
別館の玄関までみんなを送り届けると、アジポンは左に折れ、正門へと歩き出した。
前方左手に講堂、右手には保健センターの建物が見える。木立は徐々に減り、街灯の光が届くようになってきた。
この時間、構内にはもうほとんど誰も残っていないのかと思ったが、正門に二つの人影を認め、アジポンは思わず足を止めた。知った顔だったのだ。
こちらに背を向けている男はユヅ、そして、向かい合っている少女はマユだ。親しげに話しているのが遠目にもわかる。やがて、マユは持っていた手提げバッグをユヅに渡し、手を振って正門を出ていった。
ユヅが戻ってきたので、アジポンは反射的に木の陰に身を隠した。なぜそのような行動をとったのか、自分でもわからない。けれども、見てはいけないような、いや、見たことを知られてはいけないような気がしたのだ。
息を殺してユヅが通り過ぎるのを待つ。ユヅは全くアジポンに気づくことなく別館へと歩いていった。
そういうことかよ。
正門を出て、改札へと登る階段の陰から見ると、マユはまだホームにいた。下を向いてスマホをいじっている。制服ではないが、セーラーっぽい可愛らしい服装だ。
ホームに電車が入ってくる。視界を遮ったそれがいなくなると、もうホームにマユの姿はなかった。
改札の横を通り過ぎ、駅の南側へと階段を下りる。ちょっと歩くと商店街は切れ、古い戸建てや安アパートが建ち並ぶ界隈となる。街灯も少なくなってきた。
アジポンは立ち止り、ジャンパーのポケットに手を入れたまま空を見上げた。軒と軒に挟まれて暗闇が広がっている。その片隅を、小さな光が瞬くように流れていった。




