第11幕
普段ならほぼ学生や教職員しか乗り降りしない小さな駅が、この時ばかりは一般の人々でごった返す。ホームへの誘導や立ち入り規制を円滑に行うため、近隣の駅からも応援の職員が駆り出される。そんなお祭りを翌日に控え、駅長と実行委員会のメンバーは動線の確認などの打ち合わせに余念がなかった。
改札を抜け、左手の階段を下りると、そこはもう大学の正門だ。さすが、駅名に大学名を冠するだけのことはある。
石造りの門柱には左右ともに木製の重厚な扉が据え付けられている。それが観音開きに押し出されると、正面に一号館の威容が姿を現す。シンボルとなっている時計台は、国の有形文化財に登録されている由緒正しい建物だ。
一号館の手前の広場では学生たちが模擬店の設営に勤しんでいた。構内に入ってすぐのこの場所は衆目の一致する一等地なだけに、くじを引き当てた参加者のモチベーションは高い。威勢の良い掛け声が四方八方から飛んでくる。
広場の西側、講堂前のスペースには仮設のステージが組まれていた。ここでは屋外企画が行われ、最終日には後夜祭の舞台となる。広場に廃材を運び入れてキャンプファイヤーを炊く傍らで、SNSの投票により選ばれた優秀企画の表彰が行われるのだ。
広場の東側、図書館の前を通り過ぎ一〇一号館の脇を回り込むと、コミュニケーションプラザに出る。銀杏祭当日も営業する食堂が入る南館とコンビニなどの店舗が入る北館に囲まれて芝生広場があり、ここにも仮設ステージが組まれている。ダンスや大道芸などが行われるが、目玉は何といってもミス&ミスターコンテストだ。ジェンダーやルッキズムの観点から何かと批判の絶えない企画だが、依然として人気のコンテンツであることには違いない。
南館から西に延びるイチョウ並木は模擬店のメインエリアだ。すっかり黄色に染まった葉がひらひらと舞い落ちる中、道の両側にどこまでもテントが並んでいる。いつもは大型トラックが余裕で対面通行できるほどの道が、小型車でもすれ違うのがやっとというほどに狭まっている。当日は相当の混雑になるだろうことは想像に難くない。もっとも、並木と校舎の間、つまりテントの裏にも充分なスペースがあるので、急ぐ向きはそちらを通ることもできる。
イチョウ並木を途中で左に逸れ、一号館を回り込んだ右側にあるのが十一号館だ。ネオゴシック様式の一号館とは対照的にモダニズムを感じさせるシンプルな建物で、白い壁に立て掛けられた看板に、デフォルメされた大きな文字で「文科劇場」と書かれている。
隣にはもう一つ看板があり、こちらには時計台と、天の川が照らす夜空を大きく横切る七つの流れ星が描かれていた。右端の文字は明朝体で、金糸と銀糸を織り合わせたような複雑な光沢を放っている。曰く。
「しし座流星群がお届けする、七つの珠玉の物語」
今年の文科劇場のキャッチコピーだ。
楽屋となる教室を挟んで左右対称に並ぶ二つの大教室では、それぞれ演劇のリハーサルが行われていた。一組二時間の持ち時間の中で、セットを組み立て、劇を演じ、後片付けをする。音響や照明の状態も確認する。本番さながらに一連の流れを通してみるわけだ。問題があれば明日の朝までに解決しなければならない。
ホールには奇抜な衣装やメイクの学生たちが入り乱れていた。その様子を実行委員会の腕章をつけた学生がスマホのカメラに収める。メイキング映像として直前告知用の動画に使用するのだ。
「リハも撮るの?」
ツヤカは階段の脇で、ミドリから借りた制服に身を包んでいた。九組のリハはこの後、向かって左側の大教室で二組目となる。
「美味しいところだけを切り取って、SNSや動画サイトに上げるんだって。実行委員会の人がさっき言ってた」
自分のクラスでは大して役割のないミヤコが立ち会いに来ていた。
「それじゃ、メイクもきちんとした方がいいな」
「そうね。ツヤカくんのミルクはいかにも取り上げられそうだもの」
立ち話をしている二人の横を、だぶだぶの背広を着てハゲ茶瓶のカツラを被ったカトーが通り過ぎる。後ろに、これもまただぶだぶの背広を着たニコラとサクライを引き連れている。
「楽屋でジョウノさんが待ち構えてるぞ。飛び切りの綺麗めメイクにしてやるって」
「そういうこと。ほら、行ってきて」
そう言って、ミヤコはツヤカの背中を両手で押した。
イチョウ並木、八号館の前では、イケたちがちょうどテントの設営を終えていた。前面に掛けられた暖簾には、可愛らしい字体で「豚骨ラーメンのお店屋さんです」と書かれている。
テントの裏では何人かがドラム缶を囲んでいた。なみなみと張られた水からは少しずつ湯気が立ち昇っている。ノートを手にしたイケが、居合わせる一人ひとりに目を配る。
「シフトは今日からね。基本は一人二時間ずつの交替制で、夜は一時間ずつずらして必ず複数名で担当すること。火を絶やせないからね。味はもちろん、何か疑問や問題が生じた時は、すぐに俺かマツヲかケチョンに知らせること。いいね」
全員が一斉に頷く。みな唇を真一文字に結び、いささか緊張した面持ちだ。
「それでは、いよいよ仕込みを始める。第一弾豚骨、投入」
イケの号令を合図に、豚骨が山盛りになった大きなボウルを、マツヲとケチョンが二人がかりでひっくり返す。ドラム缶から勢いよく湯が飛び散る。
「わっ、熱っ」
「うお、やべ」
「ちょっとー、沸騰してんだから、こうなることくらいわかるだろ」
こぼれた水が火を消していないか、イケがすかさずドラム缶の下の地面を覗き込む。
「いい景気づけだな。がはは」
「次からは逐次投入に切り替えよう」
がさつなケチョンと緻密なマツヲ。これはこれでなかなかに良いコンビだ。
イチョウ並木に連なる模擬店は種類が豊富だ。焼きそばやフランクフルトといった定番から、クレープやチュロスなどのスイーツ、タピオカ入りミルクティーやノンアルコールカクテルといった飲料系もある。
留学生のグループも、トッポギ、春巻き、ガパオライス、ケバブなど、お国自慢の料理をそれぞれ出店している。これらはワールドフードのコーナーとして国際教育研究棟の前に固まって配置されており、イチョウ並木の中でもひときわ目を引く。ここもスマホを手にした実行委員会メンバーの格好の撮影対象だ。
コミュニケーションプラザの北に隣接してキャンパスプラザがある。A棟とB棟、二つの建物があり、いずれもサークルの部室として利用されている。
その一角、A棟の玄関を入ってすぐが銀杏祭実行委員会の常設部屋だった。入口の扉に貼られたポスターには、イチョウをあしらった黄色い背景に、カラフルなペイズリー模様の文字で「銀杏祭」と描かれている。学内有志によるコンペで選ばれた作品だ。
中では数人のメンバーが机に向かい、熱心にパソコン作業をしていた。傍らに置かれたソファでは、同じように根を詰めてスマホを操作しているメンバーもいる。
「新しい素材が次から次へと送られてくるね。みんな、張り切って取材してるな」
「どれを採用するか、こんなにあっちゃ選べないよ」
「全部アップしちゃえばいいんじゃないの? せっかく撮ったんだし」
「SNSの方はそれでいいかもしれないけど、動画サイトはそうはいかないよ。きちんと編集しないと」
「SNSだって説明コメントつけなきゃいけないじゃん。たとえ一行でも。それと、場所の情報も要るし」
絶えず手を動かしながらも、活発に意見が飛び交う。
「音声もアップすんの?」
「そこは考えどこだよな。現場で初めて聞いた方がインパクトあるかもしれないし」
「とりあえずサムネイルの画像だけにして、コメントで煽るのは?」
「やっぱり、その線でいくか」
銀杏祭の告知は数ヶ月前からステップを踏んで行ってきているが、前日のコンテンツはとりわけ動員に大きく影響する。実行委員会としても力が入るところだ。みな夜遅くまでの長丁場の作業を覚悟しているが、表情は明るい。
十一号館では九組のリハーサルが始まっていた。普段は陽光が射し込む大教室の窓には黒いカーテンが引かれ、観客席の後方に設置されたスポットライトが唯一の光源となる。
舞台となる教壇の後方は一面の塀になっていて、その中央に引き戸のくぐり戸がある。塀の両端からは左右とも手前に黒い幕が張られていて、観客席からその背後を見ることはできない。舞台の右手、塀の前には木製のベンチ。くぐり戸の下には階段代わりのビールケース。それだけのシンプルなセットだ。
舞台の左手では、作務衣姿のキッカワが木刀を手に口上の練習をしていた。
「さあさ、お立ち会い。御用とお急ぎでない方は、ゆっくりと聞いておいで」
くぐり戸がそっと開き、制服姿のツヤカが身をかがめながらそろりと入ってくる。そのままベンチに向かうと、音もなく腰掛けて、持ってきた小さなバッグから菓子パンを取り出す。
「てまえ、大道に未熟な渡世をいたすと言えども」
そこまで言ったところで、キッカワは動きを止めて後ろを振り返った。紙パックの牛乳を開けるところだったツヤカも、手を止めてキッカワを見る。
「あっ、わたし、気になりますか?」
その瞬間、観客席にいた野次馬の学生たちからどよめきが起こった。ツヤカの声が完全に女のそれだったからだ。
「いえ、ちょっと練習してただけですから」
どよめきを受けて、キッカワが台詞のタイミングを遅らせる。ぎこちない間が生じる。
「すみません。なんか、お邪魔しちゃったみたいで」
ツヤカは引き続き女声だ。もともと細身な体型に女性の服を着ているので、知らない人が見たら女としか思わないだろう。たまたま見に来ていた他のクラスの演劇班の何人かも明らかに動揺している。
「女だろう」
「いや、男だって聞いてたけど」
「見かけはともかく、あの声でそんなことあるか?」
ざわめきが収まらない中、キッカワとツヤカの掛け合いは進行していく。その様子を、観客席の最後方から見つめている二人組がいた。腕に実行委員会の腕章をつけている。
「これはハネるんじゃない?」
「ああ。告知動画のサムネイルは決まりだな」
ほくそ笑みながら、二人は部屋の中央に立てられている固定カメラに目を向けた。リハの確認を兼ねて試し撮りをしているのだ。
「制作の連中に知らせないと。夕方から忙しくなるぞ」
「こっちにも動画を回してもらえるよう、劇場関係者に頼んでみよう」
ツヤカの白い横顔がスポットライトに照らし出される。いつの間にか、観客席の野次馬は当初の倍以上になっていた。




