第10幕
足を踏み入れると、そこは異空間だった。
天井が低い狭い通路の両側に、二坪もあるのかというほどの小さな店舗がいくつも連なっている。ショーケースを飾るのは、アニメのセル画、美少女や戦隊ヒーローのフィギュア、ゲームソフト、漫画本、ミリタリーグッズ、年代物のコイン、トレーディングカードなど。アイドルが着るようなフリフリのドレスが奥のハンガーに何着も掛けられている店もある。
「何? ここ」
ヨーコがただでさえ真ん丸い目をさらに大きく見開く。
「始めて来た」
「一人だったら絶対入れない」
「マニアの聖地ね」
唖然とするアーチャン、ジュンジュン、ユツキを尻目に、ユヅは迷うことなくずんずんと進んでいく。やがて一軒の店の前で立ち止まると、くるりと振り返って、バスガイドが案内をする時のように片手を上げた。
「まずはここ」
「舞台用化粧品?」
店の入口に立て掛けられたホーローの看板に書かれている文字をツヤカが読み上げる。周囲の壁には歌舞伎役者やバレエダンサーの顔写真が所狭しと貼られていた。
「いわゆるドーランだね。普通の女性用の化粧品だと目立たなさすぎるし照明にも負けてしまうから、演劇ではこうした専用のものを使うんだ」
年季を感じさせるショーケースの中には、薄いものから濃いものまで様々な肌色をしたファンデーション、赤や紫などのどぎつい色をしたリップやシャドウ、いろいろな太さのブラシやペンシルなどが、目移りするほどたくさん並んでいる。つけまつげや付け髭も多様な種類が揃っている。
「おお、白塗りもあるじゃないか」
ムグルマが嬉しそうに声を上げる。横に貼られているのはピエロの写真だ。
「確かにお前の顔は塗り壁のようではあるな。そのままでもいけるんじゃないか」
「失礼な」
茶化すキッカワに憤慨するムグルマ。そこにユヅが割って入る。
「まあまあ。ムグルマは顔のパーツがはっきりしてるから、濃い色でさらに強調するのがいいと思うよ。たとえば、これ」
肌色というよりは焦げ茶に近いフェースケーキをケースから取り出して渡す。
「あたしたちはホステスなのよね。やっぱり派手な色がいいのかしら?」
アーチャンやジュンジュンは、さっそくポイントカラーが何種類か入ったパレットを手に取っている。
「三人それぞれで色を分けるのもアリね」
「赤、青、黄とか?」
「信号機じゃないんだから」
「いいねえ、その発想。みんな、役作りが出来てきたね」
商品選びに精を出す役者たちを、ユヅが楽しそうに眺めている。
「ジョウノさん、これも買っといて」
ツヤカが差し出したのは薄紫のアイシャドウだった。
「まぶたの上全部に塗る。こんなふうに」
そう言って、着ているTシャツを引っ張って見せる。パンクバンドの女性ヴォーカルの顔が胸に描かれている。目尻から眉までがグラデーションのようにシャドウで縁取られていて、目を実際の倍くらいの大きさに見せている。
「この人はおどろおどろしく見せるために濃い目だけど、ミルクには上品なミステリアスさがあるから薄い色の方がいい」
悪役のセンムを演じるカトーは白塗りでいくか黒塗りでいくかを悩んでいた。先ほどのムグルマとキッカワのやりとりにヒントを得たのだ。
「イメージは白塗りなんだが。しかし、俺がやるとバカ殿になりそうだな」
「いいんじゃね? 僕たちは普通にするけど」
「そうそう。ボスをより目立たせるためにね」
部下のブチョウとジチョウを演じるニコラとサクライが調子を合わせる。
ひとしきりメイク用品を選ぶと、ジョウノがまとめて代金を支払った。続いて、ユヅはコスプレの店へと全員を連れて行った。
店頭にメイド服やセーラー服がこれでもかと展示されている。奥の方には露出が多い服やスケスケな素材の服もあり、男性陣はどうしても気になるようで、伏し目がちながらも視線を送っている。
「あたしたちは普段着でいいのよね?」
オンナ役のユツキが相方であるオトコ役のナイトーに同意を求める。
「え? 僕は高校時代の学生服にしようと思ってるんだけど」
「じゃあ、あたしはセーラー服? ちょっと待って。聞いてない」
「いいじゃない。寛一とお宮みたいで」
カトーがニヤニヤしながらユツキを見る。もう、と言いながらユツキが頬を膨らます。
「僕らは当然、背広だよね?」
「入学式の時に着たやつにするか」
すんなりと決まったのはニコラとサクライだ。実態はヤクザだが表向きは会社員という設定なので、妥当なところだろう。
ここでも賑やかなのはホステス三人娘だ。
「思い切ってセクシービームいっちゃう?」
「やめて。違う舞台になっちゃうじゃないの」
「じゃあ、どうする? さすがにワンピースってことはないでしょう?」
「服じゃなく、リボンとか髪飾りでそれっぽく見せるのはどう?」
「あ、それいいかも。見て。こっちに大きいのがある」
頭ほどもある大きなリボンがいくつか、フックに掛けられて吊るされていた。本当は腰や肩用なのかもしれないが、髪につけてもインパクトがありそうだ。
「でも、これなら自分たちで作れそうな気もするね」
「じゃあ、頑張ってみる? 材料代だけで済むんなら、それに越したことはないし」
盛り上がる役者たちとは裏腹に、ユヅは難しい顔で腕組みをしていた。ぐるりと店内を歩き回ってから入口に戻ってきたのだが。
「やっぱりないか。普通のOLの服って、どこに行ったら売ってるんだろうな」
「デパートとか? でも、ちゃんとしたやつは高いよな」
並んで腕組みをするカトーが目でツヤカを探す。ツヤカはパーティードレスのコーナーを物色していた。クラブの女性が接客の時に着ていそうなモデルだ。
「なあ、ツヤカ。ミルクの服、どうする?」
純白のドレスを体に当てながら振り向いたツヤカは、なんだ、そんなことか、と言わんばかりに平然と答えた。
「大丈夫。当てはある」
今度はユヅが目を丸くする番だった。
駅の改札を出てすぐ、スクランブル交差点を挟んだ目の前にその建物はあった。
そういや、この信号ではいつも待たされたよな。始業ぎりぎりに来てた俺も悪かったんだけど。ほのかに懐かしさを覚えながら、ツヤカは浪人時代に通っていた予備校へと足を踏み出した。
本館の一階は小さなホールになっていて、その奥に事務室がある。さっそく受付の窓口越しに知った顔を見つけ、ツヤカは近寄っていった。
「ミドリさん、こんにちは」
呼びかけられた女性は振り向くとすぐに相好を崩した。ジャンパースカートに似た制服を着ている。比較的大柄で、立ち上がるとツヤカとあまり背が変わらない。
「あら、ツヤカくん、久しぶり。バイトの申し込みにでも来たの?」
ミドリとは単に職員と予備校生という関係だったが、何かと接点が多く、自然に親しくなった。模擬試験の成績が悪かった時に励ましてくれたり、受験の時には色紙に手書きで応援のメッセージを書いてくれたり、いろいろと世話になった記憶がある。合格に向けた原動力の一端を担ってくれたと、今も感謝している。
「実は、ちょっとしたお願いがあって」
「何よ、デートのお誘い? もう禁断の恋じゃないもんねえ」
ふふ、とミドリは小悪魔的な微笑みを浮かべる。
「いや、以前も恋じゃなかったんだけど。それより」
刷り上がったばかりのチラシを窓口から滑らせる。明朝体をデフォルメした作品名の下に女性の横顔が描かれていた。その周囲には紙吹雪や桜の木、菓子パン、日本刀やナイフといった物騒なものまでが、コラージュされて散りばめられている。
「学園祭で演劇をやることになってさ。OLの制服が必要なんだけど、貸してもらえないかと思って」
「あら、いいわよ。私のでよければ。でも、普通の女の子が着るには、ちょっとサイズが大きいんじゃないかしら」
そう言って、ミドリは手で両肩を引っ張るポーズをした。
「大丈夫。着るのは俺だから」
「ええ? ツヤカくんが着るの? ひょっとしてドラァグクイーンか何かの役?」
「いや、普通のOL」
「普通のOLを、なんで男の子が演るわけ?」
「それはいろいろと演出上の都合で」
ミドリはチラシを手に取り、しげしげと眺める。
「まあ、ツヤカくんなら似合いそうだもんね」
「いつ取りにくればいいかな? リハの前までには欲しいんだけど」
「あら、すぐに渡せるわよ。ちょっと待ってて。ロッカーから予備のを持ってくるから」
ミドリが事務室の奥に引っ込む。待っている間、ツヤカはホールを見渡していた。壁に模擬試験のポスターが何種類か貼られている。この時期は毎週のように何かしらの試験があったことを思い出す。
しばらくすると、ミドリが受付の隣のドアを開けてホールに出てきた。予備校の紙袋を手に提げている。
「じゃあ、これね。面白そうだから、私も見に行こうかな」
「そうだね。都合がつくようなら見に来て。土曜と日曜の二日間あるから」
紙袋を受け取り、丁重にお辞儀をすると、ツヤカはミドリに手を振りながら外に出た。からりと晴れた秋の空が頭上に広がっている。これで最後のピースが埋まった。練習にも目途がつきつつある。あとは本番を待つだけだ。
そして、銀杏祭は前日を迎えた。




