第9幕
秋休みが終わり、冬学期が始まった。銀杏祭まで一ヶ月を切ったことで、出展を考えている団体や個人が準備作業に当たる光景が、キャンパスのあちらこちらで見られるようになってきた。立て看板を制作する学生の姿が目に付くようになり、空き教室からはエレキギターやドラムの音が響いてくる。学内の人口も明らかに増えた印象だ。
とはいえ、これまでと違って昼間は授業があるため、活動は自ずと夕方から夜にかけてになる。七号館の西、小さな噴水のあるロータリーには、イケをはじめとする模擬店班の有志が集まっていた。
ブロックを組んだ土台の上にドラム缶が置かれ、中で何かがぐつぐつと煮立っている。傍らには燃料となる薪が積まれ、何人かが交替でブロックの下に投入している。近くには灯りがないが、イチョウ並木の街灯に加え、ロータリーを囲む視聴覚棟入口の照明もあるので、そんなに暗くはない。
そこに一人の女子学生がやって来た。肘に掛ける小洒落たバッグが、いかにも場違いな印象を与える。
「イケくん、久しぶり」
「あっ、ミヤコちゃん。ツヤカなら、隣の教室だと思うよ」
「うん。さっき、ちょっと練習を見てきた」
ミヤコとはこの夏に知り合った。ツヤカやアジポンとともに湖畔の民宿でバイトをしていた時に、ミヤコもテニスサークルの合宿で同じ町に来ていたのだ。最初に声をかけたのはツヤカで、聞くところによると、隣のクラスにいるミヤコのことが以前から気になっていたらしい。今では、ツヤカとは友だち以上恋人未満といった関係だ。
「ねえ、聞いたわよ。イケくんたちの模擬店、豚骨ラーメンをやるんだって?」
「そう。で、ちょうど今、試作中」
「あ、これがそうなの?」
ミヤコがドラム缶に近寄って中を覗き込もうとするが、湯気に当てられて、すぐに撤退する。
「基本は豚骨とか鶏ガラなんだけど、それだけじゃ味が足りないので野菜とかもいろいろ入れるから、どうしてもこんな大きさになるんだ」
「それでドラム缶なのね。でも、汚くないの? 前にガソリンとか入ってたら、どんなに洗ったってダメなんじゃない?」
「そこはさすがに新品だから」
「えっ、じゃあ、買ってきたの?」
「ケチョンが原子力研究室からタダでもらってきた」
イケの背後でケチョンが手を振る。ミヤコとは初対面だが、可愛い娘に愛想よく振舞うのはもはや彼の習性になっている。
「それはそれで危ないような……あそこって、夏はヒマワリの葉っぱが異常に大きくなるところでしょ?」
「一、二杯なら影響ないだろ。ラジウム温泉と一緒で、かえって元気になるかもしれないぜ。がはは」
豪快に笑いながら、ケチョンはすりこぎに似た大きな棒でドラム缶の中のスープを掻き混ぜる。イケが表面に浮いた灰汁を鍋で掬う。
「ところで、ミヤコちゃんたちのクラスは何やるの?」
「チョコバナナ。定番だけどね。あたしも模擬店班なんだけど、正直そんなに仕事はないの。演劇もやらないし、九組の方が面白そうだから、こっちを手伝おうかな」
「看板娘、ですか」
割って入ったマツヲは早くも料理人のようなエプロンを身に着けている。その手が小皿を差し出す。
「飲んでみて」
ミヤコは多少ためらったものの、舐めるように口に含む。
「美味しいけど、もうワンパンチ欲しい気がする」
「やっぱりそうか」
マツヲは納得の表情ながら、いささか肩が落ちているのは否めない。
「いろいろ試してるんだけど、どうしても決め手に欠けるんだ」
「でも、このところ夕方は冷え込むようになってきたから、本番では思った以上に売れるかもよ」
そう言って、ミヤコは焚火に当たるように両手をドラム缶の前に差し出した。
七号館の教室では大道具作りが行われていた。スタッフ担当の者だけでなく、その日の練習に出番のない役者たちも手伝っている。
「舞台設定がシンプルなのは助かるな。作らなきゃいけない大物は、くぐり戸付きの塀とベンチか」
ここでの主役は美術監督のノトリエだ。背景や備品の製作には時間がかかる。毎日少しずつ進めるしかない。授業が終わると机や椅子を後ろに下げ、空いたスペースで大工仕事に取り掛かる。のこぎりで木を切り、金づちで釘を打ち、やすりで角を削る。帰り際には出来たところまでの仕掛品を邪魔にならないように廊下の隅に運ぶ。その繰り返しだ。
「くぐり戸から降りてくるところの階段はどうする?」
「ビールケースでいいんじゃないの?」
「素敵。アングラっぽーい」
映画やテレビのように綺麗なセットよりも廃物を利用した組み合わせの方がイケてる。それが最近の演劇班を支配する空気感だ。もちろん金がないという事情もあるが、精緻に作り込むよりも、その辺に転がっているものを有り合わせた方がサブカル的なテイストが出て魅力的という考え方だ。
「みんな、どんどん演劇人になっていくな」
ユヅが苦笑する。
「お前が言うか」
「そうよ。私たちをこの世界に連れてきたのは他でもない、ユヅくんなんだから」
宣伝用のチラシもあった方が良いのでは、という意見が持ち上がり、イラストが得意なメンバーが少女漫画チックな絵柄をデッサンする。学生会館に印刷機があるので、大量に刷ることができるのだ。
「そろそろ衣装やメイクのことも考えないといけないんじゃないか?」
「そうだね。使えるものがあるか、次の休みにみんなで探しに行ってみよう」
「行ってみようって、どこへ?」
「蛇の道は蛇。とっておきの場所があるんだよ」
キッカワの問いに、ユヅが不敵な笑みを浮かべた。




