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第六十一章 破られた境界線

いつもありがとうございます!


今回は一つ成長した透亜です!


高校生らしさをなくさないように気をつけました!


お楽しみいただけたら幸いです!

昨夜、自分の部屋の真ん中で頭を抱えてメルトダウンした神城透亜は、熱暴走する脳を無理やり再起動させ、冷徹なまでの決定的なパラダイムシフトへと辿り着いていた。


「他の令嬢(桜子)を傷つけないために、僕の翡翠を傷つけていたなど、万死に値する最低の計算ミスだ」


暗い自室で、透亜はぽつりとそう呟いた。


桜子は無邪気で純粋な、ただの「いい子」だ。


だが、彼女を気遣うために言葉を濁せば、扉の向こうで翡翠が自分の価値を否定し、その身を細らせる。


自分の胸を抉るような嫉妬の痛みに、一人で耐え続けることになる。


(そんな計算式、成立していいはずがない)


たとえ自分がどれほど理不尽で冷酷な「悪役」になろうとも構わない。


純粋な桜子を容赦なく突き放し、兄・一馬の敷いたレールを粉々に叩き割る


――それこそが、透亜が導き出した「最悪で、最高の計算(リザルト)」だった。







その頃、自室のベッドの上で、翡翠は人生何度目かの大パニックに陥っていた。


「な、何と言う事を……!!!


私は主君に向かって、何を口走ったの……!


ば、万死に値する……!!」


顔をリンゴよりも真っ赤にし、ボサボサになったポニーテールを揺らしながら、シーツを抱きしめてベッドの上をごロゴロとのたうち回って猛省する。


『透亜様は、私のなのに』――。


脳内で爆音でリピートされる自らの不埒極まりないわがまま。


独占欲。


そして嫉妬。


その恥ずかしさと罪悪感で、翡翠の心臓は物理的に破裂しそうだった。


合わせる顔がなさすぎる翡翠は、その日、一切透亜の視界に入らないことを決意する。


登校中も、学園の廊下でも、天井裏や木陰、カーテンのドレープの裏といった「影」に潜み、気配を完全に消して護衛任務につく。


だが、透亜は野生の勘を超える脳内センシングで、翡翠が「そこにいて、自分を見ている」と完全に察知していた。


いつもなら「出てこい、そこにいるのは分かっている」と苛立たしげに命じるところだが、今日の透亜は違った。


すべてを心に決めた主君は、天井の梁の死角に向かって、酷く優しい、極甘な微笑みを投げかけたのだ。


「まあ、いいよ。


影から見てな」


その穏やかで確信に満ちた声に、天井裏の翡翠は小さく「ひゃいっ」と喉を鳴らして身をすくめるしかなかった。








放課後。


いつものようなお茶会の場。


可憐な制服姿の桜子は、今日もひまわりのように無邪気な笑顔で透亜の前に座っていた。


その部屋の天井裏では、気配を消した翡翠が、息を呑んで二人を見守っている。


透亜は運ばれてきた紅茶のカップに一切手を触れず、迷いのない瞳で、まっすぐに桜子を見つめた。


「花菱さん。


貴女との婚姻について、おはなしがあります」


「え……?」


「‥‥貴女と婚姻を結ぶことはできません。


申し訳ありません」


透亜はとても美しい所作で、深く頭を下げた。


桜子の笑顔が凍りつく。


ティーカップを持つ手が微かに震えた。


「私には、かけがえのない大切な人がいるのです。


その人を…これ以上傷つけることはできません」


「そんな……っ。


だって、お兄様たちは、この結びつきがどれほど大切かって……それに、私、こ、子供の時から透亜様のことが……っ」


大粒の涙をこぼし、言葉を詰まらせる桜子。


いつもなら他人の感情に無頓着な透亜だが、この日の彼は、自身の胸ポケットから上質なハンカチをすっと差し出す程度には上品だった。


だが、その言葉には一片の容赦も、揺らぎもなかった。


透亜は天井裏で息を呑んでいるであろう「影の従者」を世界に誇るように、視線を上方に、そして真っ直ぐに桜子へと告げた。


「申し訳ありません。


――私はもうずっと‥‥子供の頃から、そこの、翡翠のものなのです」


「え……?」


桜子が呆然と声を漏らす。


その瞬間、天井裏の暗闇で、翡翠の頭脳は完全にメルトダウンした。


(……っ!?)


自分のような影の存在のものである、と、全世界(桜子)に向けて肯定してくれた衝撃。


恥ずかしさと、嬉しさと、愛おしさで脳内の全細胞が完全消滅し、影の中で顔を覆って真っ赤になりながら、翡翠は文字通りの「強制シャットダウン(フリーズ)」を起こし、梁の上から落っこちそうになっていた。








ショックを受け、言葉も出ない桜子が、付き人と共に涙を拭いながら部屋を去り、静まり返ったサロン。


気まずさと、茹であがるほどの熱を帯びたまま、翡翠は「シャッ」と力なく天井裏から床へと降りてきた。


「と、透亜様……。


あ、あの、あの、その……」


両手で真っ赤な顔を隠し、ポニーテールを揺らしてモジモジと激しく取り乱す翡翠。


だが、すぐにはっとして、忠臣としての言葉が口をつく。


「で、でも……!


本当に、花菱家を切ってしまって良かったのですか……?


神城家としての不利益や、一馬様からの圧力が……」


自分のことなど二の次で、本気で主君の未来を心配し、ごにょごにょと訴え続ける健気な従者。


透亜は「ふー」と小さくため息をつき、一歩前へと踏み出した。


(やはり、言葉(論理)でこの馬鹿を納得させるのは不可能だな。


なぜならこいつは、自分の価値をこれっぽっちも理解していない)


ならば、最も非論理的で、最も効果的な手段を選ぶまでだ。


「言葉で言ってもわからないなら、態度で示すよ」


「え……?」


カツ、と静かに革靴の音を響かせ、透亜は迷いのない動きで翡翠との距離をゼロにする。


あまりの至近距離に翡翠がびくっと身をすくませた瞬間、透亜の長い指先が、彼女の白い顎を「クイッ」と優しく、けれど拒めない力で持ち上げた。


「透亜さ――」


お互いの吐息が触れ合う距離。


いつも頬に触れるだけだった透亜が、ゆっくりと顔を傾け、驚きで小さく開いた翡翠の唇に、そっと自身の唇を重ね合わせた。


『ちゅっ』と、静まり返ったサロンに、静かなリップ音が響く。


「……っ!?!?」


触れるだけの、優しい、優しい口付けだった。


これまで大事に守られてきた境界線が、今、破られた。


だが、透亜は唇を離さない。


驚いて固まる翡翠の腰にそっと腕を回し、逃げ道を塞ぐようにじわりと引き寄せる。


自分がどれだけ翡翠の事を思っているのかが伝わるように、さらに深く深く唇を重ね合わせた。


「ーーーー?!?!!?」


翡翠は、どうすることもできず思わずぎゅっと目を瞑った。


驚くほど滑らかに、角度を変えて隙間を埋めていく透亜の動きは、どこか酷く手慣れていた。


けれど――内側の熱量は、過去のどれとも全く違っていた。


かつて、心を完全に無にして冷たく処理していた「それ」とは違う。


今、腕の中にいるのは、自分のすべてをかけて愛している、たった一人の女の子だ。


触れる唇の柔らかさ、その幼い震え、自分を求めて「私のもの」と泣いてくれた愛おしすぎる温もり。


(翡翠…好きだよ。


世界中の何よりも)


かつて心を凍らせていたはずの冷たい技術は、彼女の温もりに触れた瞬間、跡形もなく溶けて消えていく。


初めて知る、大好きな女の子の唇の感触に、透亜自身が溺れかけていた。


「〜〜〜〜〜!」


強引に奪うような野蛮さは一切ない。


けれど、どこまでも過保護で、深い独占欲がじんわりと体温と一緒に伝わってきて、翡翠は息の仕方を完全に忘れてしまった。





どれほど長く、そうして愛を分け合っていただろうか。


翡翠の身体から完全に力が抜け、今にもその場にへたり込みそうになった頃。


透亜は名残惜しそうに、引き際すらひどく甘く、翡翠の下唇を『ちゅっ』と愛おしそうに食むようにして、ゆっくりと唇を離した。


「~~~~~~っ!!!!」


翡翠の全宇宙の思考回路が、一瞬で完全フォーマットされた。


生まれて初めて味わう、唇から脳天を突き抜けるような甘い衝撃。


顔を茹で上がったタコのように真っ赤にして固まるキャパオーバー状態。


そんな最愛の恋人のフリーズっぷりを、透亜は至近距離で覗き込んだ。


その気になればプロの暗殺者も制圧する翡翠が、自分の腕の中でただの無力な女の子になっている事が、この上なく嬉しかった。


内側の心臓を、過去最大の爆音で波打たせ、息を弾ませながら、それでも極上の、そして少し意地悪な無敵の笑みを浮かべて。


「……わかった?」


言葉による説得をすべて放棄し、「僕は僕のために、お前を離さない」と、過去のすべてを上書きするような愛の証明。


二人の関係は、ついに引き返せない一線を越え、これ以上ない完璧な結着を迎えた――。







――はずだった。


「と、透亜様っ……!」


ようやくオーバーヒートした頭脳を再起動させた翡翠が、まだ微かに熱を持つ自分の唇を両手で覆い、潤んだ瞳で主君を見上げた。


そして、野生の護衛特有の、鋭すぎる観察眼でツッコミを入れる。


「なんか……て、手慣れていませんか……!?」


(昔、透亜様が、本家の人たちに連れていかれていた時間ーーー自分が見ることを許されなかったものを、こんな形で思い知らされるなんて…!)


あのあまりにも滑らかで甘やかなリードは何だったのか。


ポニーテールを小刻みに震わせながら詰め寄る恋人に、透亜は1ミリ秒も動揺を見せず、にっこりと完璧な極上の笑顔を浮かべた。


「気のせいだよ」


「きっ、気のせいなわけがありますか!


さすがの私も――」


「検証が必要だね」


透亜は、今度はその綺麗な両手で翡翠の頬をそっと包み込み、熱い視線を至近距離で落とす。


「もう一度しようか?」


「うえっ?!


だっだだいじょうぶです……!!」


そうしてごまかそうとする主君の「二度目の不意打ち」の気配に、翡翠は再び「耐えられない……!」と天井裏へ逃げ出したいのに、その綺麗な両手でガッチリと頬を包み込まれていて1ミリも動けない、甘いパニックに陥るのだった。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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