第五十章 暴風の障害物競争
今回は体育祭編!
身体能力が高すぎて男子の部へ放り込まれた翡翠と、兄弟子・晋の超人障害物レースが開幕です。
「怒った大福」になる翡翠と、過保護な計算バグを起こす透亜様の主従コンビをお楽しみください!
「第4プログラム、男子障害物競走! 出場選手は入場門へ集まってください!」
放送委員の声がグラウンドに響き渡る中、入場門に集まった男子生徒たちは、明らかに異質な空気に呑まれ、完全に顔を引きつらせていた。
彼らの視線の先には、体操服姿の小柄な少女――翡翠がいる。
女子の部では「身体能力が人間離れしすぎていて競技が成立しない(かつ危険)」という理由により、特例で男子の部に放り込まれたのだ。
先の『魄の事件』で彼女の超人バトルを目の当たりにしている男子生徒たちは、スタート前からすでに「命がけのサバイバル」を覚悟していた。
だが、当の翡翠の視界には、怯える一般生徒など一切入っていなかった。
「……」
隣のレーンに立つ気だるげな兄弟子を、親の仇のように鋭い目で睨みつける。
「晋……速さで、私に勝てると思ってる?」
地の底から響くような翡翠の挑発。
対する晋は、いつものようにポケットに手を入れるフリをして(体操服にポケットはなかった)、ふっと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「はっ。
俺にいつも競走で負けて、里で泣いてたのはどこのどいつだっけ、翡翠ちゃん?」
「なっ……!
あ、あれはもう昔のことだし!
今は私のほうが速いし!」
「へえ? 言ったな。
師匠達の手前、俺も手は抜けねぇから、せいぜい怪我しないように気をつけてねぇ」
バチバチバチッ!! 二人の間に、火花が散るような明確な殺気(ライバル心)が交錯する。
普段は飄々としている晋も、同門の妹分相手となれば話は別だ。
元来の負けず嫌いの血が完全に騒ぎ出していた。
「位置について――よーい……」
パーーーンッ!!
号砲が鳴った瞬間。
一般男子生徒が一歩目を踏み出すよりも早く、グラウンドに突風が巻き起こった。
「うおっ!?」 「消えたぁ!?」
砂煙と共に、翡翠と晋の姿が文字通り「残像」と化す。
最初の障害物、『ネットくぐり』。
普通の生徒が這いつくばって進む網の下を、翡翠は獣のような超低空スライディングで、一切速度を落とさずに潜り抜ける。
対する晋は、網のわずかな隙間を見極め、流れるような暗殺術のステップで網に触れることすらなくすり抜けた。
続く『麻袋ジャンプ』。
両足を袋に入れた状態で跳ねて進むはずの競技だが、翡翠の桁外れの脚力により、それは「跳躍」というより「飛行」だった。
一跳びで5メートル先の地面に着地し、トラックにクレーターのような足跡を残す。
晋も負けじと、風に乗るような無重力のバウンドでピタリと並走する。
本部テントのVIP席(強奪済み)では、師匠たちがその様子を優雅に鑑賞していた。
「あらあら、二人とも本気ねぇ。
でも踏み込みのときの重心移動、ちょっと甘いわ」
牡丹がキセルをくゆらせながら、プロの視点で楽しげにダメ出しをする。
「まあ、ガキのお遊びにしちゃ上出来だろ。
ほらアザミ、フランクフルト寄越せ」
陣内は缶ビールを片手に、完全に昼下がりのオッサンのテンションだ。
そんな呑気な師匠たちの横で、ただ一人、神城透亜の脳内はミリ秒の超高速回転でパニックを起こしていた。
(翡翠のあの跳躍力……着地時の衝撃荷重は体重の約15倍!
関節への負担とトラックの反発係数を考慮すると、このままのペースでは下腿三頭筋に致命的なマイクロダメージが……っ!)
手元のノートに恐ろしい速度で数式を書き殴りながら、青ざめた顔でグラウンドを見つめる主君。
そして、レースは最後の難関『粉の中の飴探し』へ突入する。
真っ白な小麦粉が山盛りにされたトレイ。
「顔が汚れるの、ほんっと嫌なんだけど」
晋はため息をつきながらも、顔を近づけ、肺活量を一点に集中させた「プロの呼気」で粉だけを器用に吹き飛ばし、ピンポイントで飴をくわえ取る。
顔は全く汚れていない。
「晋、ずるい!!」
負けじと飛び込んできた翡翠は、手加減というものを知らなかった。
ズボッ!!
勢い余って、トレイの底に激突するほどの勢いで顔面から粉にダイブした。
バッと顔を上げた翡翠の顔は、見事なまでに真っ白。
完全に「怒った大福」状態である。
「アハハハハッ!!」 VIP席で牡丹とカリアが手を叩いて爆笑する。
「ほんっと、あの子はそういうとこダメねえ! 可愛いけど!!」
大福・翡翠は飴をくわえたまま、凄まじい形相とスピードで猛烈なラストスパートをかける。
逃げる晋。追う大福。
一般男子生徒がまだ最初のネットくぐりでモタモタしている中、二人はトラックを暴風のように駆け抜け――
ズザァァァァァァッ!!
ほぼ同着でゴールテープを引きちぎり、完璧なブレーキで砂埃をあげながら止まる。
「……っち。同着かよ。」
「私の勝ち……いや、引き分け……!」
全く息を切らしていない二人に、一拍おいて会場から拍手が巻き起こった。
A組のテントに戻ってきた翡翠は、顔中を真っ白にした「怒った大福」の姿のまま、悔しそうに小さな拳をギュッと握りしめていた。
「くっ……次は……次は絶対に勝つ……!」
まだ粉を吹いている翡翠の前に、スッと影が落ちる。
席を立って出迎えた透亜だった。
彼は手元に用意していた高級シルクのハンカチを広げると、少し屈んで目線を合わせる。
「思い切り突っ込みすぎだ。
競技の特性と粉体の流体力学を考慮すれば、あそこまで慣性を乗せてダイブする必要性はない。
もっと頭を使え」
ぶっきらぼうに小言を並べながらも、その手つきは驚くほど繊細だった。
透亜は、翡翠の柔らかい頬や鼻先にこびりついた白い粉を、まるで壊れ物を扱うかのように優しく拭っていく。
さらには、粉で白く染まってしまった黒髪の乱れまで、指先で一本一本丁寧に整えてあげていた。
当の翡翠は、主君からの至近距離のケアに一切照れる様子もなく、されるがままになりながら目を輝かせる。
今は負けず嫌いメーターが振り切れていて、それどころではないのだ。
「透亜様! 次は絶対勝つんで!
晋のやつ、木っ端微塵のボコボコにしてやるんで!」
先ほどまで計算回路をフリーズさせていた主君の過保護っぷりなど、もはや「いつものこと」と言わんばかりに全く気にしていない。
むしろ誇らしげに胸を張る始末だ。
そんな二人の様子を、VIP席から眺めていた牡丹が、キセルを指で弄びながら妖艶に微笑む。
「あらあら……あのお堅い神城の坊やも、すっかり調教されちゃって。
見てるこっちがご馳走様って感じねぇ?」
「ケッ、甘やかしすぎだろ。
あのバカ娘には少しは頭を冷やさせた方がいい」
陣内が呆れたように缶ビールを煽る横で、師匠たちは微笑ましそうに、あるいはニヤニヤと温かい視線を主従に送るのだった。
「おいおい、VIP席にすげえ美女とイケメンがいるんだけど」
名門校の体操服をそれなりに着崩した羽鳥晃が、ひらひらと手を振りながら透亜に近づいてきた。
その視線は、グラウンド全体を見下ろす特等席(強奪済み)へと向けられている。
「只者ではないぞ、彼らは……。
全員が尋常ならざる気配を放っている。
学園の警備体制はどうなっているんだ」
すでに鉢巻をきつく締め、なぜか体操服の帯の隙間にマイ木刀をしっかりと差し込んでいる橘綜一郎が、鋭い眼光でVIP席を睨みつけながら低く唸った。
対する透亜は、手元のタブレット(競技用データ確認名目)から一切目を離すことなく、底冷えのするような深い、深い溜息を吐き出した。
「気にしなくて良い。全く。
……ただの不法占拠者たちだ」
(……狐狸の「お師匠様」レベルの人間が揃って見物に来るなど、僕の脳内計算の最大誤差すら超えている。
陣内、フランクフルトを喰うならせめてソースをこぼすな。
牡丹、学校の敷地内でキセルに火をつけるのをやめろ……!)
ポーカーフェイスの裏側で、秒単位の頭痛と戦う主君。
そんな緊迫(?)した空気のなか、一際高いトーンの歓声が飛び込んできた。
「てかさ! 翡翠ちゃんさっきすごかったねええーー! さすがだったねえ!
網をシュバッて潜るの、僕、上から見てて超感動しちゃった!」
特別推薦枠の天才にしてトップモデルの千歳凪が、きらきらとした笑顔で透亜に駆け寄ってくる。
その様子は、まるで自慢のペットを褒められた飼い主へ報告する子供のようだ。
透亜の眉間が一瞬、ピクリと跳ねる。
(……凪。
お前が翡翠のダイブを上から見ていたというその角度、動体視力、および網の網目を考慮した視線のレイアウトについて、あとで僕の書庫で徹底的に査問する必要性があるな)
「……はぁ、体育祭、キライ。
紫外線多すぎ。
ネットワークの帯域も狭い」
二人の横で、完全に魂の抜けた顔で体操服の袖をいじっているのは御子柴律だ。
彼は首から下げたポータブル端末の画面を死んだ目で眺めながら、重度のインドア派特有の呪詛をぶつぶつと呟いている。
そんな個性の殴り合いのような腹心たちに囲まれながら、透亜はふっとグラウンドの反対側へと視線を巡らせた。
そこには、まだ顔にうっすらと白い粉をつけたまま、次の競技に向けて「ふんぬー!」と鼻息を荒くしてストレッチをしている翡翠の姿があった。
その姿を見てふっと口を綻ばせ、(さて、次は僕が頑張るか)と、次の戦場、騎馬戦へ向かう透亜であった。
読んでいただきありがとうございました!
負けず嫌い全開で照れる暇もない翡翠と、相変わらず手つきが過保護すぎる透亜様でした(笑)。
次はいよいよ透亜様が出陣する「騎馬戦」!次回もお楽しみに!




