第四十九章 恋の痛みと嵐の体育祭
いつもお読みいただきありがとうございます!
今回は、前回の天体ドームでの出来事を踏まえた、九条麗華様との「計算の精算」から始まります。
自分の一番の好意とケジメを伝えに行く透亜と、気高く誇り高い麗華様の決着をぜひ見届けてください。
そして後半からは、まさかの嵐を呼ぶ体育祭編が幕を開けます!
裏社会の濃すぎる面々が不法侵入してきて……!?
それでは、どうぞ!
放課後の、人目のない空き教室の前。
夕暮れの柔らかな光が差し込む廊下で、晋はいつも通りどこか気だるげに壁に寄りかかり、ポケットに手を突っ込んでいた。
中にいる主・麗華の心を察しているのか、それともただ退屈なだけなのか。
晋はふぅと小さく息を吐くと、隣に立つ妹分へ向けて、めんどくさそうに口を開いた。
「神城のぼっちゃんは、また麗華様を利用しようとしてんの?
九条家に手を出そうとしたら、俺仕事しなくちゃなんないんだけど」
ぶっきらぼうにぼやく兄弟子の言葉に、翡翠は少し視線を泳がせながら、小さな声で答える。
「……今日はそんなんじゃない……と、思う……たぶん」
「……」
そのあまりにも曖昧で、いつになく切れ味の悪い返事。
晋は片眉をぴくりと上げると、しばらく翡翠の顔をじっと見つめた。
そして、その視線だけで何かを察したように、ニヤリと底意地の悪い笑みを口元に浮かべる。
「……もしかして、おぼっちゃんと何かあった?」
ぎくーーーん!
翡翠の背筋が、面白いほど目に見えて跳ね上がった。
「あっはは! お前昔から本当に嘘がつけないなぁ!」
お腹を抱えてケラケラと笑う晋に、翡翠は一瞬にして顔を真っ赤に染め上げた。
今すぐ煙玉でも投げてこの場から消え去りたいのを必死に堪えながら、ツンとそっぽを向いて怒鳴る。
「う、うるさいっ! 見るなっ!」
「ふーん……」
ガバッと完全に背を向けた翡翠の後頭部を見ながら、晋は顎に手を当てて何かを思案する顔をした。
「まあ、また何か面白そうな事があったら首をつっこみにいくよ」
手を頭の後ろに当て、楽しむ気満々の邪悪な笑顔を浮かべる兄弟子に、翡翠は心底嫌そうな、にがにがしそうな顔を隠そうともせずに低く呟いた。
「……そんな事無いことを祈る……」
翡翠が苦々しげに呟いたその時、二人の視線の先にある重厚な木製のドア――その向こう側では、もう一つの、そして決定的な『計算の精算』が始まろうとしていた。
オレンジ色の西光が斜めに差し込む無人の教室で九条麗華は、いつもの高飛車で、だけどどこかおバカ可愛らしさを残した、無邪気な笑顔で透亜に語りかけた。
「透亜様! わたくしに会いに来てくださるなんて珍しいじゃない。
またわたくしのとっておきの情報が欲しくなっちゃいましたの? いいですわよ、透亜様のおねだりなら、わたくし何でも――」
「麗華様」
透亜はいつものように機知に富んだ返しで応じることはしなかった。
麗華の話を遮るその表情はいつになく硬く、真剣そのものだ。
透亜は一歩前に進むと、麗華様の目を真っ直ぐに見つめ、深く、深く頭を下げた。
「麗華様、今まであなたを騙していて、申し訳ありませんでした。
私は……あなたを利用していました」
「……え?」
いつもの笑顔が、透亜の尋常ではないトーンに少しずつ強張っていく。
「なぜ、突然そんな事をおっしゃいますの……?」
「……私に、本当に大切な人ができたからです。
いえ……気づいたから」
その瞬間、麗華様の動きが完全に止まった。
いつもなら「なんですってー!?」と大騒ぎしそうな彼女の瞳が、静かに、そしてひどく悲痛に揺れる。
だが、次の瞬間、彼女の顔からいつもの子供っぽさが消え失せた。
九条家の令嬢としての、凛とした気高さがその表情に宿る。
「……知っていましたわ。
多分、あなた自身よりも先に」
「……え?」
脳内計算速度ミリ秒を誇る天才が、生まれて初めて「計算外」の答えを返されたように目を丸くした。
「ずっと、見ていましたから」
麗華様は自嘲気味に、だけど愛おしそうに目を細める。
「……そういった情報はまだ、わたくしの耳には入ってきておりませんわ。
わたくしに、一番に知らせにきてくださったんですの?」
「……はい。
そうしなければならないと、思いましたので」
他人の噂や人伝てではなく、一番に自分を傷つけに、ケジメをつけにきてくれた。
それが透亜なりの、九条麗華という女性の好意に対する最大級の敬意なのだと、彼女の聡明さが察してしまう。
「そう……。
もう九条家の情報は諦めましたの?」
「もし必要があれば、これからは正々堂々と、私の頭脳で勝負いたします」
「そうですわね。
あなたなら可能かもしれませんわ」
麗華様は静かに微笑んだ。
(そのくらい、あの子の事が大事ですのね……)
胸を締め付けるような痛みが走る。
溢れそうになる涙が視界を滲ませるが、麗華様は九条家のプライドにかけて、絶対にそれを零さなかった。
フンと顎を上げ、いつもの高飛車で不敵な笑みを、精一杯の強がりで作ってみせる。
「……本当に、最後まで可愛気のない男ね、透亜様。
わたくしを本気で騙し落とす前にゲームオーバーなんて、わたくしのプライドが許さないけれど……いいわ、行きなさい」
麗華様は窓の外へと視線をそらし、去りゆく透亜の背中に、最高に格好いい「いい女」の警告を突きつけた。
「その代わり、もしあの子を泣かせるような真似をしたら……わたくし、今度こそ容赦なくあなたを奪い去って、一生わたくしの犬にして差し上げますわ!
……分かりまして?」
透亜はその言葉を真っ向から受け止め、もう一度、深く一礼した。
「……ええ。肝に銘じます。
――失礼します、麗華様」
トツ、トツ、と静かな足音が遠ざかり、パタンとドアが閉まる。
完全に一人きりになった放課後の教室。
夕日に背を向けた麗華様は、張り詰めていた糸がぷつりと切れたように、その場にへたり込んだ。
両手で顔を覆った瞬間、堪えきれずにボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「……本当に、付け入る隙もないくらい……」
誰もいない教室に、彼女の初めての失恋の泣き声が、切なく響いていた。
「……あの子だけ、なのね……」
――と、そんなセンチメンタルな余韻に浸れたのは、実質そこから数日間のことだった。
数日後。
雲一つない青空の下、盛大なファンファーレと共に幕を開けた体育祭のグラウンド。
A組のテント裏で、ハチマキを頭に巻いた透亜は、背後から漂ってきた強烈な「酒の匂い」と、それとは相反する「甘いバニラの香り」に、ミリ秒脳の防衛計算を緊急駆動させた。
「えぇっ?! 師匠?! なんで?!」
隣にいた翡翠が、すっ頓狂な声を上げて目を見開く。
いつのまにかA組のテントにいた晋も、あからさまに嫌そうな顔で眉をひそめた。
「なんか、いやな気配がすると思ったら……何でこんな所にいるの、おっさん」
「よぉ。相変わらず歓迎されてねぇなぁ、お前ら」
振り返ると、そこにはヨレヨレのシャツを羽織り、缶ビールを片手にした不精髭の男――裏社会で『死に損ないの老狐』と恐れられる陣内が、飄々と立っていた。
透亜のミリ秒脳が即座にパズルを完成させる。
(こいつが、翡翠と晋の「お師匠様」……)
衣服の隙間からのぞく凄惨な傷跡と、一見隙だらけに見えて全く芯のブレない立ち姿。
透亜は一歩前に出ると、神城家のものとして、真っ直ぐにその老狐を見つめて頭を下げた。
「……初めまして。神城透亜です。
魄の件ではお世話になっております」
「あぁ、あんたが神城のぼっちゃんか。
魄のガキなら順調に死にかけから復活中だよ。
…体はな。
俺はただ、サイコロ勝負に負けて、渋々こいつらの『荷物持ち』として連れてこられただけだわ」
陣内が死んだ魚の目で親指を後ろにやると、そこからクレープやフランクフルトを片手に、とんでもないオーラを放つ美男美女の集団が「青春ね!青春だわぁ〜!」と大はしゃぎで姿を現した。
「あらァ、ここが噂の学園? 若い男の子のエネルギーが満ち溢れていて、お肌に良さそうだわ」
「げっ?!」
晋がカエルのような声を出しながら一歩身を引いた。
キセルを妖艶にくゆらせ、ド派手な着物を完璧に着こなす美魔女・牡丹。
狐狸のハニトラ謀略一門の絶対的トップの降臨に、翡翠が「ぼ、牡丹師匠まで!?」と晋と同じ反応をする。
「本当に。
泥臭い里の訓練場とは大違いねぇ〜、師匠」
スタイル抜群のタイトスーツに身を包んだ大人の美女・カリアがクスクスと笑い、その横では、甘いマスクに危険な影を宿したホスト系イケメン・アザミが、女子生徒から貢がれたらしき焼きそばのパックを器用に開けていた。
フリーの超一流隠密たちが、完全に私服(しかも異様に目立つ)で学校に不法侵入している。
(神城家の防犯ドローンも、学園のセキュリティも一切作動していない……! これが、裏社会の頂点に立つ『狐狸の一門』……!)
その狂気の光景に、透亜の計算回路がパニックを起こしかけた、その時。
「あら、本当に綺麗な子ねぇ〜。
あなたが翡翠の『主君』かしら?」
スッ、と風のように距離を詰めてきたカリアが、透亜の顎を細い指先でクイと持ち上げた。
至近距離で放たれる、プロ中のプロのスタイリッシュな色香。
しかし――透亜の瞳には、1ミリの揺らぎも、微かな昂ぶりすら浮かばなかった。
「……部外者は速やかに退去してください」
透亜は眉ひとつ動かさず、無言のままパシッと容赦なくその手を払いのけた。
冷徹そのものの塩対応。
それを見たカリアは、驚くどころか、瞬時にその極上のプロの目でニヤリと楽しげに目を細めた。
(なるほど。
こういう『計算された色香』は、1ミリも響かないタイプねーー。
最高に面白いじゃない)
「カリア姉!やめて下さいっ」
真っ赤になって怒る翡翠を見て、牡丹師匠がキセル片手にクスクスと妖艶に笑う。
「あらあら…。
あんなにハニトラの才能がゼロだった翡翠が、この神城の冷徹なお坊ちゃんを骨抜きにしてるそうじゃない。
男と女の計算なんてわからないものだわ。
ねぇ、陣内?」
「けっ、勝手に男を狂わせとけ。
それよりビールのおかわりだ」
「もう、師匠たちは何をしに来たんですか……!」
困り果てている翡翠の横で、透亜は内心冷や汗を流しながら脳内で必死に損害計算を弾いていた。
今ここにいるのは、男の欲望も女の嫉妬もすべて知り尽くした、裏社会の隠密中の隠密「人間の心の隙を突く神々」だ。
そんな連中が、自分達が付き合いたてホヤホヤだと知ったら、大人しく見物だけで終わるはずがない。
その不穏な予感は、一秒後に的中する。
「おやぁ、晋。
相変わらず塩顔イケメンだね〜。
どうだい、九条家の警護なんて辞めて、俺たちの一門に就職しない?」
アザミがさっそく甘い笑みで晋の肩を組む。
晋はいつもの穏やかな笑顔を貼り付ける余裕もなく、死んだ魚の目を限界まで澱ませ、無表情のまま、感情の全くこもっていない声で言い放った。
「いやです。
……つーか、アザミ兄、離して下さい。」
「冷たいなぁ〜。
仕事熱心なのはいいけど、ほら、僕たちのお姉様方が、さっそく学園の平和を壊しにいってるよ?」
アザミが指差した先――グラウンドの本部テントでは、すでにカリアが風紀委員の堅物先生を秒で骨抜きにし、VIP席(お茶と高級パイプ椅子付き)を強奪して牡丹師匠を座らせていた。
さらにアザミがすすすっと歩きながら「お腹すいちゃって……」と上目遣いをするだけで、PTAのママや女子生徒からフランクフルトやジュースの貢ぎ物が山のように積み上がっていく。
「……しかし、お前さんがたが魄を生かすとは思わなかったよ。
特に坊ちゃん、あんたは」
陣内が小声で透亜に耳打ちする。
「…翡翠が、望んだので」
迷いのない透亜の即答に、陣内は一瞬だけ意外そうに目を細め、それから残りのビールをぐいと煽って不敵に笑った。
そんなやりとりの向こう側、嵐の体育祭が幕を開けるのであった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
涙を呑みながらも「いい女」として透亜を送り出した麗華様……本当に気高くて格好良かったですね。
そしてしんみりした余韻を台無しにする勢いで登場した、狐狸の一門(師匠たち)の破壊力(笑)。
プロのハニトラを「部外者退去」と絶対ゼロ度で払いのける透亜様、さすが翡翠ちゃん一筋です。
「麗華様格好いい!」「師匠たち濃すぎる」「体育祭どうなっちゃうの!?」など、少しでも楽しんでいただけましたら、ぜひ**ブックマーク登録や下の「評価(★)」**をしていただけると励みになります!
次回からのハチャメチャな体育祭も、どうぞお楽しみに!




