第四十八章 星空の実証実験
お待たせいたしました、前回の続きとなります!
完全に通信が遮断された地学室の天体ドーム。
二重に鍵をかけ、星明かりだけが照らす静寂の密室で、ついに翡翠の「実証実験」が始まります。
いつも理詰めで完璧な主君と、不器用で真っ直ぐな従者。
緊張のあまり防壁がすべて崩れ去った二人の行き着く答えを、どうぞ最後まで見届けてやってください……!
カチャン、と静かな金属音が天体ドーム内に響いた。
雛子と律の手配によって、神城家の電子の目も、飛び交う通信電波も完全に遮断された地学室の天体ドーム。
その重厚な扉に、翡翠は自らの手で内側から鍵をかけた。
ドーム内は薄暗く、天井のスリットから差し込む初夏の柔らかな星明かりだけが、円形の室内を静かに照らしている。
「……翡翠。
一体、何が始まるんだ?」
暗がりの中心で、透亜はいつもと変わらない冷静な声を装いながらも、わずかに身構えていた。
(まさか、朝の言葉に対する返事、か……?)
脳内計算速度ミリ秒を誇る天才の思考回路が、一瞬だけ期待と緊張で跳ね上がる。
しかし、目の前に立つ従者の様子は、いつもの『完璧な隠密』のそれとは程遠かった。
翡翠の顔は、星明かりの下でもはっきりと分かるほど真っ赤に染まっており、制服の胸元をぎゅっと握る両手は小刻みに震えている。
心臓の鼓動が、静寂のドーム内に聞こえてしまいそうなほどにバクバクと暴れていた。
「あ! あの! 透亜様! おっお願いがあります!」
「……っ。あ、ああ。何?」
(やはり、告白の……)
と言いかけた透亜の思考を、翡翠の斜め上すぎる直球が粉砕した。
「と、透亜様を……さ、触ってもいいでしょうかっ?!」
「……は!?」
透亜の思考が秒でフリーズする。
何をどう計算しても、この状況でその要求が出力される理由がわからない。
しかし、透亜は少しだけ目を泳がせた後、ふぅと小さく息を吐いて自身の両腕を軽く広げた。
「……どうぞ。
どこでも、ご自由に。」
(どうせ、僕の身体能力のデータを計測するだの、新しい護衛術のテストだの、そういうことだろう?)
少し意地悪そうに、だけど「好きにしろ」と言わんばかりに目を細める。
翡翠が戦闘や任務以外の理由で自分に触れたいなどと言うはずがない――
そう自分を納得させ、気恥ずかしさを隠すための理屈だった。
「……感謝します。
…いざ!」
翡翠が、ゆっくりと、音もなく一歩を踏み出す。
一歩、また一歩と近づくにつれ、互いの体温が空気を通じて伝わってくるようだった。
「失礼します……」
蚊の鳴くような声と共に、翡翠の少し震える指先が、透亜の手に触れた。
指の長さ、手のひらの厚み、隠密である自分とは違う、学問を修める者の少し柔らかな手の形を確かめるように、翡翠は優しく、なぞるように滑らせていく。
(……こんなにちゃんと、任務以外で透亜様に触れるの、初めてです……)
脳裏に、これまでの記憶が走馬灯のように去来する。
触れるのはいつも、彼が傷ついた時、自分が血を流した時、あるいは死線から彼を抱えて飛び退く時だけだった。
翡翠の手は、腕を伝い、広い肩へと昇っていく。
透亜は、されるがままにじっと突っ立っていた。
何でもない顔をしながら、内心気恥ずかしさでウズウズして仕方がなかった。
しかし、翡翠のあまりにも真剣で、どこか悲痛なほど優しい手つきに圧倒され、ただ我慢してそれを受け入れている。
それに、好きな子が自分の意思で触れてくれるのは、単純に嫌ではなかった。
そっと、翡翠の手のひらが透亜の左胸に当てられた。
衣服越しに伝わってくる、透亜の心臓の音。
心なしか、いつもよりずっと早い気がする。
自分と同じように、彼も緊張しているのだと、肌を通じて理解する。
そのまま、翡翠の指先は透亜の首筋を通り、彼の綺麗な色素の薄い柔らかい髪へと触れた。
そろそろと、指を入れて優しく撫でる。
出会った頃は、自分の方が背が少し大きかったのに、今は手を伸ばさないと髪に触れられない。
そんな年月の経過を思いながら、自分を助ける為に、神城一馬の前に立ちはだかってくれた少年を思い出す。
高熱を出した時に看病してくれた、あの優しい手を思い出す。
いつも自分を心配してくれた優しい声を思い出す。
髪をそっと撫でていくうちに、胸の奥からどうしようもない愛おしさと、温かい感情が、津波のように押し寄せてきた。
視界が、じわりと涙で滲む。
泣いてしまわないよう、必死に喉の奥を締め付けた。
(あぁ…私は…)
翡翠は髪から少し手を下ろし、両手で、そっと透亜の冷たい頬を包み込んだ。
スリットから覗く星明かりを反射して、翡翠の瞳がキラキラと涙で輝く。
「……私、透亜様が好き。大好き」
真っ直ぐに透亜の瞳を見つめ、柔らかく微笑む翡翠。
それを正面からまともに浴びた透亜は、全ての計算回路を完全にシャットダウンさせた。
いつも完璧を装い、理詰めで、昨日までは支離滅裂な照れ隠しで防壁を築いていた天才が――
その余裕のすべてを、一瞬で失った。
透亜の瞳が大きく揺れる。
みるみるうちに、その端が赤く潤んでいった。
「……ほんと……?」
いつもなら絶対にあり得ない、掠れた、少し泣きそうな、まるで子供のような声だった。
どれだけ翡翠を失いたくなかったか、どれだけその言葉を、心の底の底から求めていたのか。
その一言と表情に、彼のすべてが凝縮されていた。
「はい」
翡翠は、少し頬を染めながら、包み込むような優しい笑顔でにっこりと微笑んだ。
その瞬間、透亜の感情が決壊した。
「――っ!」
言葉にならない愛おしさが溢れ出し、透亜は翡翠の身体を、折れんばかりの力でぎゅーーーっと強く抱きしめた。
あまりの勢いに翡翠の身体が少し浮き、彼の胸の中にすっぽりと収まる。
そして、愛おしさが限界突破して零れ落ちるように、透亜は翡翠の頬へ、そっと、だけど深く、キスをした。
「……っ!?」
驚きで、翡翠の身体がビクッと一瞬だけ固まる。
頬に触れた柔らかい感触と熱が、全身の細胞を駆け巡る。
そんな翡翠の耳元で、透亜は顔を埋めたまま、絞り出すような、小声の本音を呟いた。
「……嬉しい……」
主君としての仮面も、神城家を背負う重圧も、すべての防壁を脱ぎ捨てて。
ただ一人の、翡翠を愛する男としての喜びの独白だった。
その切ないほどの熱量を聞いた瞬間、翡翠の心から、最後の迷いが完全に消え去った。
(――あぁ。これが、雛子様の仰っていた…。
実証実験の必要など……最初からなかったのです)
「……私も、です」
翡翠は心の底から愛おしそうに微笑むと、透亜の背中にそっと両腕を回した。
今度は自分から、彼の温かい背中を、優しく、そして二度と離さないようにしっかりと抱きしめ返す。
スリットから差し込む静かな星明かりが、抱き合い続ける二人を、いつまでも、優しく照らし続けていた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
実証実験(?)の末、ついに自分の本当の気持ちに気づいた翡翠ちゃんと、防壁が全壊して子供みたいに感情があふれてしまった透亜様でした……!
緊張でちょっと幼い口調になっちゃう二人、書いていて甘酸っぱさが限界突破しそうでした(笑)。
「透亜様よかったね…!」「尊すぎて爆破した」「実証実験大成功!」など、少しでもキュンとしたり楽しんでいただけましたら、ぜひ**ブックマーク登録や下の「評価(★)」**をしていただけると執筆の大きな励みになります!
次回からの二人も、ぜひ楽しみにお待ちください!




