第四十三章 壊れた人形と紡がれた絆
いつもお読みいただきありがとうございます!
今回は、狂乱する御堂の命令によって襲いかかる「魄」。
人間を捨てた人形を前に、暗殺者として生きてきた翡翠と晋、そして透亜の覚悟が試されます。
激しい戦闘と、地獄を潜り抜けてきた者たちの絆の一幕をお楽しみください!
「やれ! 魄ッ!!」
狂乱する御堂玲央の怒号が響いた瞬間、漆黒のチャンパオを翻した翡翠と晋が同時に地を蹴った。
夕日が赤黒く染め上げる教室のなか、二人の影が滑るように交錯する。
「……あいつさぁ、オレたちにとって『やれ』がどんだけ重い言葉かわかってんのかね」
駆ける疾風のなかで、晋がいつもと変わらぬ調子で低く呟いた。
かつて地獄のような訓練と絶対服従を強いられてきた隠密集団で育って来たからこそ、その命令の重みと忌まわしさが身に染みている。
「わかってないから言ってるんだよ」
翡翠の冷徹な答えと同時に、二人の暗器が容赦なく魄へと襲いかかった。
しかし、迎え撃つ無機質な少女の戦闘スタイルは、二人の想像を絶していた。
「――っ!?」
通常ならば骨が折れ、あるいは関節が外れるような無理な体勢。
それすらも魄にとっては単なる「駆動角」に過ぎなかった。
痛覚を持たないその肉体は、自壊の悲鳴を上げることすらなくミリ単位の狂いもない超高速の拳打を繰り出し、瞬く間に二人を肉薄する。
(くっ……! こいつ、自分の肉体が壊れるのを何とも思ってない……!)
人間である翡翠と晋は、どれほど超人的であっても「肉体を破壊されない限界」というブレーキが働く。
対する魄は、文字通り「出力100%のまま使い捨てられる刃」だ。
二人の脳裏に、かつてない戦慄が走る。
(甘く見たらこっちが死ぬ……。
殺す気で、本気で叩き潰さないとやられる……!)
夕闇の教室で、三人の黒い裾が目まぐるしく交錯し、火花と激しい体術の音が鳴り響いた。
二人がかりでも容易に崩せない魄の異常性に、傍らで拳を握る橘綜一郎が息を呑む。
その膠着状態にしびれを切らした御堂が、額に青筋を立てて狂叫した。
「魄! そいつらは後だ!
神城を……神城と橘を先に殺せぇッ!!」
透亜はあえて教室の奥に留まっていた。
今自分が外の廊下に出れば、避難している一般生徒たちを巻き込むと瞬時に計算していたからだ。
命令を受けた魄の瞳が、冷徹にターゲットを透亜へとロックする。
魄は自身の肩が脱臼するのも構わず、翡翠と晋の包囲網を強引にいなした。
そして、袖口から透亜の喉元へ向けて、無数の暗殺刃を文字通り「射出」する。
「――っ!?」
距離的に一番近かった晋が、自身の身を盾にするように透亜と綜一郎の前へと飛び込んだ。
チャンパオの裾を鮮やかに翻し、飛来する暗器をギリギリで弾いてガードする。
そして、その姿勢のまま地を傍うような鋭い蹴りで、魄へ向けて咄嗟に反撃を繰り出した。
主君へと牙を剥かれたその瞬間、翡翠の中で、何かが決定的に弾けた。
――カチリ、と脳内で『暗殺スイッチ』が入る。
相棒である晋が作った、魄の一瞬の隙。
翡翠の瞳から完全にハイライトが消え失せ、絶対的な死を運ぶ「狐狸の怪物」としての本能が覚醒した。
目にも留まらぬ猛攻撃。
魄の容赦ない反撃を、それを遥かに上回る圧倒的な速度と狂気でねじ伏せる。
翡翠は魄の細い手首を掴んでひねり上げ、教室の床へと凄まじい音を立ててその身体を叩き伏せた。
衝撃で完全に意識を失い、床に沈んだ魄。
しかし、スイッチの入った翡翠の動きは止まらない。
流れるような動作で魄をうつ伏せにし、暗器を逆手に持ち替え、無表情のまま、魄の首の後ろを貫こうと刃を鋭く振り下ろした――。
――ピタッ。
刃先が、魄の白い肌に触れたわずか数ミリのところで、奇跡的に静止する。
透亜の影として生きると決めた理性が、かろうじて翡翠の手を止めたのだ。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
ハッと我に返り、荒い息を吐く翡翠。
しかしその時には、いつの間にか横にいた晋が上からトドメを刺そうと刃を振り下ろしかけていた。
「…!
待って……っ!」
翡翠は反射的に晋の体にガシッと正面から抱きつき、その肉体ごと彼の腕を力任せに止めた。
ぎゅっと自分に抱きつき、必死に刃を止めている妹弟子の体温を感じながら、晋は彼女を振り払おうとはしなかった。
ただ冷めた、どこか哀しげな瞳で、床に転がる魄を見下ろしながら静かに語りかける。
「……こいつ、生きてる方が地獄なんじゃない?
死んだ方がマシって思ってるかもよ?」
心を持たぬ道具にされ、肉体を壊され続けた人形。
死ぬことこそが救いではないかという、裏社会を生き抜いてきた晋なりの冷徹な現実論だった。
翡翠は、晋の胸元に顔を伏せ、うつむいたまま、絞り出すように答えた。
「……地獄でも、生きてたら、透亜様に会えた……。
生きてたら、いい事あるかもしれない……!」
かつて自分も同じ地獄にいた。
けれど、生き延びたからこそ、自分を人間として扱い、狂おしいほどに大切にしてくれる主君に出会えたのだという、翡翠の魂の叫びだった。
その言葉を聞いた透亜が、胸を突かれたように目を見張る。
「翡翠……」
静かに、その愛おしい従者の名前を呟く透亜。
その脳内計算回路は、彼女の言葉の重みに、かつてない処理速度で熱を帯びていた。
少しの沈黙の後、晋は少し複雑な表情を浮かべながら呆れたように、小声で呟いた。
「……ふん、甘いねえ」
呟くと同時に、晋はすっと刃物を懐へと引っ込め、全力で自分を止めている翡翠の背中をポンポンと叩いた。
翡翠ははっとして脱力し、晋から離れる。
「そんな……魄が……、負けた……?」
へなへなと崩れ落ち、信じられないといった様子で呆然と呟く御堂。
その姿を見つめる神城透亜の瞳には、冷酷さだけではない、どこか昏い感情が宿っていた。
(……哀れだな。
御堂も……魄も)
すべてを失い、茫然自失となった御堂の姿を、透亜は、もしかしたらボタンを一つ掛け違えてこうなっていたかもしれない自分自身の姿と重ね合わせるように、複雑な表情で見下ろしていた。
「……御堂。
今まで、何もかも使い捨てて生きてきたんだろう。
見てみろ、お前は今一人だ」
夕闇が差し込む教室に、透亜の静かな、しかしひどく冷徹な声が響いた。
激昂するでもなく、ただ確定した事実を淡々と突きつけるその言葉は、すべてを失った御堂の胸に最も残酷な刃となって突き刺さる。
「魄は、翡翠が生かした。
だから、僕が預かる」
御堂を冷たく突き放す透亜だったが、晋と魄の間に立つ翡翠へ視線を向けた瞬間、その眼差しから狂気が消え、嘘のように柔らかくなった。
脳内の超高速計算回路が導き出したのは、合理性など遥かに超越した、ただ一つの愛おしい答えだった。
透亜は、ふっと少し微笑む。
「確かに……地獄でも生きていたら、いい事があったな」
赤黒い夕日が沈みゆく教室のなか、崩れ落ちた敗者と、地獄の先で奇跡のような絆を掴み取った怪物たちの、決定的な一幕が静かに幕を閉じた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
翡翠を止めたのは、透亜との絆。
晋を止めたのは、翡翠との絆です。
書いててぎゅっとする回でした!
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