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第四十一章 お師匠様と兄妹弟子

学園での緊迫した対峙から、時間を少し遡る――。


呼び出されたのは、深い山奥に隠された『狐狸』の古き里。

そこにいたのは、酒浸りのだらしない師匠、陣内。


透亜に「24時間以内に帰る」と約束した翡翠は、晋と共に、過去の因縁と人間兵器計画『アイギス』をぶち壊すための戦いに身を投じます!



私立蒼蘭学園での緊迫した対峙から、時間を少し遡る。


東京の喧騒から遠く離れた、深い山中に隠された『狐狸(こり)』の古き里。


生い茂る木々に遮られ、昼なお薄暗いその森の最奥に、一軒の古びた庵がひっそりと佇んでいた。


ガサリ、と草むらを分けて現れたのは、雑草をもろともしない翡翠と、その横で楽しげに首を鳴らす晋の二人だった。


晋はここまで着ていたライダースーツをバサリと脱ぎ捨てると、黒いチャンパオ――狐狸の制服を素早く身につけた。


もう里に縛られる筋合いはない。


別に着る必要などないはずの服だが、子供の頃からこれ一枚で地獄の修行を生き抜いてきた。


結局、肉体が一番馴染んでいるのはこの黒だった。


「ふー、やっぱりこれが一番動きやすいな」


軽やかな笑みを浮かべ、不敵なスタイルに戻った晋が庵の障子を引く。


部屋の奥、薄暗い畳の上で、よれよれの着物をだらしなく崩した男が一人、一升瓶を片手に寝転がっていた。


無精髭を生やし、酒の匂いをぷんぷんとさせてへらへらと笑う男――


陣内(じんない)。


通称、『死に損ないの老狐』。


だが、その崩した着物の隙間からのぞく褐色に近い肉体には、かつて潜り抜けてきた修羅場の数を物語る、無数の凄惨な刀傷や銃創が、醜くも悍ましい牙のように刻まれている。


「おぉ、来たか晋、それに翡翠。


久しぶりだなぁ。


まあ座れや。


上等の酒が手に入ってな……」


「師匠、用件は何」


へらへらと一升瓶を差し出す陣内の言葉を、翡翠の冷淡な声がバッサリと遮った。


翡翠はまっすぐに陣内を見つめ、一歩前へ出る。


神城の屋敷で見せる「完璧なお世話係」の敬語はなく、ここにあるのは剥き出しの素の姿だ。


「時間がない。


神城の屋敷を出る時、透亜様には『24時間以内に帰る』って約束してきた。


私と晋を呼び出した理由、早く教えて」


陣内は、翡翠のその真っ直ぐな視線を浴びると、ふう、と小さく息を吐いた。


手にした一升瓶を畳に置く。


その瞬間、男の纏う空気が、だらしない酔っ払いのそれから、底の知れない『本物の怪物』のそれへと変貌した。


「…あの神城のガキに随分と綺麗に飼われてるようだなぁ、翡翠」


陣内の目が、鋭く二人の五体を値踏みするように細められる。


「隠密集団に買われたガキが、牙を持たずに生き残れるほど、この世界は甘くねえ。


だから俺はお前たちに、人を殺し、生き残る技術を一切の妥協なく叩き込んだ。


いいか翡翠、お前が人を一人殺せば、お前と、お前の主人の命が一日延びる。


裏の人間にとって、優しさや迷いは自殺志願と変わらねえんだよ。


……だがな」


陣内は上体を起こし、煙管(キセル)に火をつけた。


紫煙が薄暗い庵に広がる。


「己が人殺しだと受け入れ、それでも自分の足で泥を這ってでも生きろ、と。


そう教えたはずだ。


心まで完全に消しちまったら、それはもう『人間』じゃねえ。


ただの動く肉塊だ」


「「…」」


翡翠と晋は立ったまま、自分達の『お師匠様』の話を黙って聞いている。


陣内の声音から、完全に温度が消える。


「御堂家と、神城の長男――


一馬のガキが手を組みやがった。


かつて数年前に俺たちが一度は頓挫させたはずの非道な人間兵器化計画……


プロジェクト『アイギス』。


奴ら、それをこの里の闇一派を使って復活させやがった。


感情や自我というバグを完全にすり潰し、命令を遂行するためだけに最適化された最新兵器ができちまったそうだ。


名を『魄(はく)』という」


その名を聞いた瞬間、翡翠の胸の奥が、嫌な予感でドクンと跳ね上がった。


「一馬のガキは、わざと俺にその情報を流し、誘導しやがった。


俺がこれを知れば、必ずお前たちを呼び戻して『計画を叩き潰せ』と命じることを見越してな。


……クソガキめ、人の親心を利用して、壮大な実験(テスト)の盤面を作りやがった」


「親心、ねえ。


おっさんが言うとちょっと笑えないけどさ」


晋は不敵な笑みを深くするが、その目は笑っていない。


「神城一馬の狙いは、その兵器を使って、神城透亜とお前たちの『絆』だか何だかが、神城の当主の器として通用するかどうかを値踏みすることだ。


お前らが里へ向けば、学園の透亜は孤立する。


あるいは、お前を助けに動けば『王の資格なし』としてまとめて排除される」


陣内は煙管の灰をトントン、と落とし、翡翠を真っ直ぐに見据えた。


「これは罠だ。


だが、あの歪んだ最新兵器どもを、俺たちの地獄を冒涜するような玩具を、のさばらせておくわけにはいかねえ。


翡翠、晋。


――あの計画を、あの里の拠点を、根こそぎ叩き潰してこい」


翡翠は、自身の左上腕を無意識に強く掴んだ。


かつて雛子を救うため、ナイフを筋肉でロックした時の傷が、かすかに疼くような感覚。


一歩間違えれば、自分もその『魄』という、心を壊された兵器になっていたかもしれない。


「……わかった。


ぜんぶ、壊してくればいいんでしょう」


翡翠はすっと身を起こし、その身に冷徹な隠密の気配を纏わせる。


「透亜様と約束した。


……全部、明日の明け方までに終わらせて、帰る。」


「うん。


約束破ったら俺、多分消されるだろうからねぇ。


ぱぱぱーーーっと終わらせよ、翡翠」


晋は面白そうに口元を歪めると、気負う様子もなく武器の柄に手をかけた。


そんな晋を、翡翠は冷ややかな目で睨みつける。


「晋、足引っ張ったら置いていくから」


「そりゃあ怖いね。


置いていかれないように頑張るよ」


二人が庵を飛び出そうとしたその時、背後でガサリと、だらしない音が響いた。


見れば、陣内がよれよれの着物の裾を雑に帯に挟み込み、腰に錆びついた短刀をぶら下げて立ち上がっている。


「おいおい、俺を置いていくなよ。


一馬のクソガキにタダで利用されてやるほど、俺の安いプライドは枯れちゃいねえんだわ。


最新兵器だか何だか知らねえが、大人の狡さと、本物の地獄ってやつを教えてやろうじゃねえか」


おっさんがニヤリと無精髭を撫でる。


その目は、完全に現役の『死に損ないの老狐』のそれに据わっていた。


「……師匠、足手まといにならないでね」


「誰に向かって言ってやがる。行くぞ、泥犬ども」


「ははっ、陣内組か。


久しぶりだねえ」


主君を揺るがす最悪の試験。


己の過去との対峙。


陣内、翡翠、晋の三人は、計画の心臓部である里の地下拠点へと、音もなく闇に溶けていった。








深い山中に隠された『狐狸』の地下拠点。


そこは、御堂家と神城一馬が復活させた人間兵器化計画――


プロジェクト『アイギス』の心臓部だった。


無機質なコンクリートの廊下に、けたたましい非常警報が鳴り響く。


と同時に、感情を削ぎ落とされた白装束の『アイギス』のプロトタイプたちが、無数の刃を閃かせて通路を埋め尽くした。


「ハッ、数だけは一丁前だねぇ!」


先陣を切ったのは晋だった。


襲い来る三振りの刀を、身を低く滑らせて紙一重で回避。


瞬時に倒立の体勢を取ると、黒いチャンパオの長い裾を鮮やかに翻し、強烈な回し蹴りを敵の顎へと叩き込んだ。


骨の砕ける鈍い音が響く。


流れるような身のこなしで跳躍し、肩に担いだ得物を一閃。


闇に翻る黒い布地が、鋭い斬撃の残像を描き出す。


「師匠、右!」


「言われなくても見えてるわ、馬鹿娘」


晋の背後から死角を突こうとした二人の暗殺者。


だが、そこに立ちはだかった陣内は、一歩も動かない。


ただ、酒の匂いを漂わせたまま、体をわずか数ミリ傾けただけ。


敵の刃が着物の袖を掠めたその瞬間、陣内の手元から金属音すらなく短刀が滑り出た。


敵の視線、呼吸、重心の移動を完璧に先読みした、恐るべきハメ殺しの暗殺術。


刃を交えることすらせず、すれ違いざまに二人の喉元を正確に裂き、陣内はだらしなく煙管の煙を吐き出した。


肉体の絶対速度では若者に劣るが、その無駄のなさとえげつなさは、まさに怪物のそれだった。


そして、その陣内を足場にするようにして、翡翠が爆発的な速度で空間を跳んだ。


サササササンッ!!


音もなく、残像すら残る超高速の連撃。


狐狸の最高傑作としての牙が、容赦なく敵の防衛線を食い破っていく。


瞬く間に敵の隊長格を壁際に追い詰め、その喉元へ冷徹な刃を突き立てようとした――


その寸前。


翡翠の脳裏に、学園での「普通の生活」、そして透亜の顔が過り、その刃がわずかにブレた。


(……私は、神城透亜の盾。


無闇に命を奪うだけの、ただの人殺しには――)


翡翠は刃を返し、手刀で気絶させ、戦闘不能に追い込む。


命までは奪わなかった。


その様子を、横目で見ていた陣内は動きを止め、紫煙の混じる息を小さく吐き出した。


「……」


(……ふ、変わったな)


主君に飼われ、心を取り戻しつつある弟子の姿。


それは教育者として、親として、どこか感慨深くもあった。


だが――陣内はへらへらとした笑みを消し、底冷えするような真剣な眼光を翡翠に突き刺した。


「……過去から逃げるなよ、翡翠。


おめえは人殺しだ。


その血は絶対に洗えねえ」


「――っ」


「だが、おめえは負けねえ。


その業を背負ったまま、あの生意気なガキの盾であり続けろ」


逃れられない過去を突きつける、重く、けれど絶対の信頼がこもった師匠の釘。


翡翠はその言葉を真っ直ぐに受け止め、強く唇を噛んで頷いた。


「……わかってる」


「…」


そのやりとりを黙って見ていた晋が静かに口を開く。


「……おっさん、そこまでにしときなよー。


せっかくコイツ、あっちで『人間』にしてもらったんだからさぁ。


今さらこっち側に引きずり戻すのは、無粋でしょ」


「ふん、若造が生意気な口ききおって」


そう言いながら陣内は瞬く間に最深部のシステム室の制御パネルに不気味な触媒を流し込み、ニヤリと笑う。


「一馬のクソガキの裏をかいて、奴らの大事な研究データ、今さっき全部、学園の透亜のサーバーに横流ししてやったよ。


あのガキ(透亜)なら、これを見れば数秒で御堂と一馬のハメ方を導き出すだろ。


拠点の自爆信管も乗っ取った。


おい、泥犬ども。


時計を見ろ、約束の24時間まであと何分だ?」


翡翠は冷徹な瞳を取り戻し、言った。


「――よし、間に合う。


晋、帰ろう!」


「おじさんはここで残りのゴミ片付けてからズラかる。


お前らはさっさと行って、あの生意気なガキの元へ帰るんだな」


「はいはい。


それじゃあお先に、おっさん」


陣内が制御パネルへ向き直った瞬間、後ろにいた二人は音も無く消えた――。





クールに戦いつつも、透亜への想いから「不殺」を選んだ翡翠。そしてそれを「人間らしくなった」とからかいながらも守る晋と、えげつない強さを見せるお師匠様。この3人の「兄妹弟子と師匠」の空気感を楽しんでいただけたら嬉しいです!


最後までお読みいただきありがとうございました。


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