第三十九章 爪を隠さぬ二匹の狐
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新たな刺客と、狐狸の二人のやりとり。
どうぞお楽しみ下さい!
「こんばんは。透亜様、翡翠」
深夜の神城邸。
離れにある透亜の自室。
その窓の影から、音もなく滑り込むように現れた人影があった。
いつもの穏やかな笑みを浮かべた晋である。
しかしその格好はいつもの燕尾服ではなく、夜の闇に溶けるような黒いライダースジャケットだった。
「……何か用か」
ソファに深く腰掛けたまま、神城透亜はピキピキと周囲の空気を凍らせるような声を出した。
自分のパーソナルスペース、ひいては翡翠との時間を無遠慮に侵食してきた不測の客に対し、その表情は超不機嫌そのものである。
そんな部屋の主の威圧感を柳のように受け流しながら、晋はふっと口元を釣り上げた。
「いえね、林間学校の時の貸しを返してもらおうと思いまして」
「!」
その言葉に、透亜の背後に控えていた翡翠の身体が、ぎくっと強張った。
あの時、森での共闘と引き換えに、この底の知れない兄弟子と交わした「とある約束」が翡翠の脳裏をよぎる。
透亜は瞳を鋭く細め、冷酷な光を宿して晋を睨みつけた。
「……翡翠を貸せと言う話か?
そんな口約束を、僕が素直に守ると思ったか?」
「……守りますよ、おぼっちゃま。
それに、これはあなたのためでもある」
晋は一歩前に出ると、いつもの執事スマイルを消し去り、翡翠の目を真っ直ぐに見据えた。
「翡翠、行き先は狐狸の里だ。
……『お師匠様』が呼んでる」
「?」
狐狸の里──その単語に、透亜は微かに眉をひそめた。
翡翠の出自であることは把握しているが、なぜ今、このタイミングでその名が出るのか、天才の脳内計算回路をもってしても即座には繋がらない。
しかし、翡翠の表情は一瞬で変わった。
いつもの無邪気で平凡な少女の瞳から、完全に光が消え、冷徹な暗殺者のそれへと変貌する。
「……透亜様」
翡翠は一歩前に出ると、透亜の前で深く頭を下げた。
「申し訳ありませんが、私にお休みを下さい。
……嫌な予感がします」
それは、今まで一度も透亜の側を離れようとしなかった彼女が、初めて見せた真剣な懇願だった。
「っ……」
予想外の願い出に、透亜は一瞬、言葉を失って驚愕した。
翡翠の手を掴んででも引き留めたいという独占欲が脳内を駆け巡る。
しかし、目の前の翡翠から漂う、ただならぬ緊迫感と異様な雰囲気
──それが、彼女の直感が何か重大な危機を捉えているのだと、透亜に理解させた。
(こいつの野生の勘はよく当たるからな…)
チッ、と脳内で不快な舌打ちをしながらも、透亜は冷静に息を吐き出す。
「……わかった。いいだろう。
ただし、今からきっかり24時間だ。
一秒でも遅れたら、その首根っこを掴んで引きずり戻す」
「ありがとうございます、透亜様」
弾かれたように顔を上げた翡翠は、すでに「神城の影」ではなく、戦場に赴く一頭の狐の顔をしていた。
神城の屋敷の裏手、月明かりすら吸い込むような暗がりに、それは佇んでいた。
金属の冷たい光沢を放つ、漆黒の大型バイク。
晋が無造作に、手元にあったフルフェイスのヘルメットを放り投げる。
「ほら、後ろ乗りな。
言っとくけど、振り落とされたら自己責任だからね」
受け止めたヘルメットを小脇に抱え、翡翠はその切れ長の瞳をいつになく鋭く細めた。
いつものチョロさや、女子高生として雛子達とおしゃべりしているピュアな少女の面影はそこにはない。
地獄を共にした同門の兄弟子へ向ける、剥き出しの「裏」の顔だった。
「……わかってる」
短く応じ、翡翠はヘルメットを被ると同時にシートへと飛び乗る。
晋の引き締まった腰へと容赦なく腕を回し、その肉体をガシッとホールドした。
直後、夜の静寂を無慈悲に切り裂くような、バケモノじみた排気音が咆哮を上げる。
激しくアスファルトを蹴ったタイヤが白煙を上げ、二人の身体を猛烈なGが襲った。
「ちょっ、ちょっと晋……っ!!
とばしすぎ…!!?」
風圧で引きちぎられそうになる声を張り上げる翡翠に、晋はスロットルをさらに捻りながら、狂気すら孕んだ笑声を響かせる。
「あははッ! 聞こえなーい!
24時間しかないからねぇ!
おっさんの庵まで直行フライトするよ!」
テールランプの赤い軌跡だけを残し、二人の暗殺者は一瞬にして夜の闇へと溶けて消えた。
翌朝。
普段なら背後から「透亜様、今日限定の購買のパンですが──」とやかましく付いてくるはずの足音がない。
神城透亜は、代わりに手配した臨時の護衛を背後に従え、いつもと変わらぬ完璧な笑みを浮かべながら登校していた。
校門をくぐり、校舎へと続く並木道を歩いていると、背後から血相を変えた羽鳥晃が駆け寄ってくる。
情報の早さだけは一級品の男だ。
「おい透亜! 朝からとんでもねえ情報が入ったぞ。
今日、ウチのクラスに『御堂財閥』の御曹司が転校してくるらしい。
しかも、何やらキナ臭い噂がある奴で──」
「……御堂、だと?」
晃の言葉に、透亜の脳内計算回路がピキリと不穏なノイズを検知する。
その直後、校舎の入り口(昇降口)に差し掛かったところで、透亜の足がピタリと止まった。
──そこに、異質な二人が立っていた。
一人は、仕立ての良い制服を不敵に着崩し、周囲を値踏みするような視線を隠さない男。
底流にあるのは、圧倒的な傲慢さだ。
そしてその傍らには、感情のいっさいが消え失せた瞳で佇む、黒いチャンパオを着た12歳ほどの少女の姿があった。
(……あの服。
あれは、狐狸の──!?)
翡翠の過去、そのデータのすべてを脳内メモリに記憶している透亜は、それを見た瞬間にすべてを理解した。
脳内計算速度ミリ秒を誇る天才の思考が、一瞬にして完全な警戒体制(臨戦態勢)へと切り替わる。
背後の臨時護衛が微かに身構えるが、それよりも早く、男──御堂玲央みどう れおが透亜の視線に気づき、優雅に、しかし確実な足取りで近づいてきた。
「やあ、君が神城透亜くんだね?
初めまして、御堂玲央だ」
捉えどころのない笑顔のまま距離を詰めてきた玲央は、挨拶もそこそこに、透亜の耳元へと顔を寄せる。
周囲の生徒たちにはいっさい聞こえない、低く、冷徹極まりない声。
それは、出会い頭に放たれた容赦のない精神的先制パンチだった。
「……一馬様の排除計画を生き延びたところで、自慢の『狂犬』が側から消えているというのに登校してくるなんて、ずいぶんと無警戒なこと。
今、君を守る最強の守護神はいない。
君がその薄っぺらい頭脳だけでどう足掻くか、特等席で見せてもらうよ」
玲央の背後に控える、黒いチャンパオの少女──「魄はく」の、無機質で生気のない視線が透亜を射抜く。
玲央は、一馬経由のリアルタイムな情報網で、今朝方、翡翠が神城邸から突如姿を消した(不在である)という事実だけを掴み、勝機と見て勝ち誇っているのだろう。
(一馬兄さんの手の者が、リアルタイムで神城邸の情報をこいつに流しているということか。
翡翠が『今朝、一時的に僕の元を離れた』という表面的な事実だけを掴み、決定的な隙だと誤認して今日接触してきたわけだ。
……浅はかだな)
す、と透亜はいつもの営業スマイルをいっさい崩さないまま、玲央を真っ向から見据え返した。
「……初対面で、随分と安直な挨拶をするんだね。
君のその貧弱な頭脳で僕を測りたいなら、まずは幼稚舎からマナーと計算のやり方を叩き込んでもらうといい」
最強の盾を欠いた、人生で最も過酷な24時間のカウントダウンが、今、静かに始まった。
翡翠がいない絶好のタイミング(?)で現れた、新たな敵・御堂玲央と謎の少女「魄」。
一馬の影もチラつくなか、透亜の頭脳戦が幕を開けます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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