第三十八章 夜空を彩るサマーメモリィ
いつもありがとうございます!
お出かけチームが別荘に帰宅!
翡翠の姿を見た瞬間に限界化する透亜様ですが、楽しいバカンスの夜に、律からとんでもない「不穏な情報」がもたらされ……!?
「透亜様、ただいま戻りました!」
夜の帳が下り、涼しい夜風が別荘のテラスを揺らす頃。
ようやく地元のリゾートモールから帰ってきたお出かけチームが、賑やかな声を連れてリビングへと入ってきた。
その先頭で、淡いサクラ色のサマードレスの裾を揺らしながら、翡翠がペコリと頭を下げた。
別荘のチェス盤の前。
つい一秒前まで、スマートフォンに表示されたGPSのドットを睨みつけ、晃の端末を物理的にどう破壊するか計算し尽くしてオーラを黒く染め上げていた男──
神城透亜は、その声を聞いた瞬間、弾かれたように顔を上げた。
「あ……」
翡翠の姿が、五体満足で自分の視界に収まった。
その事実だけで、透亜の脳内を支配していた焦燥や嫉妬、すべての防犯ロジックが綺麗さっぱり消し飛んだ。
ヤキモキしていたことなんて最初からなかったかのように、透亜の端正な顔が、ふわりと信じられないほど甘く綻ぶ。
前髪の隙間から覗く長いまつ毛が優しく伏せられ、真夏の夜の光を反射した瞳が、翡翠だけを映して愛おしそうに細められた。
それは、からかいの意地悪さも、神城家の人間としての仮面も一切ない、心の底から安心したような──
最高に眩しい、無防備な微笑みだった。
「おかえり、翡翠」
低く、鼓膜を心地よく揺らす、とびきり優しい声音。
「──ッ!」
あまりの破壊力に、翡翠は言葉を失ったまま、直立不動で完全にフリーズしてしまった。
いつも自分をからかう主君が、こんな、世界中の誰も見たことがないような愛に満ちた笑顔を自分に向けている。
心臓の音がうるさすぎて耳の奥までドクドクと鳴り響き、サクラ色のドレスに負けないくらい、顔が真っ赤に染まっていく。
「あ……、な、何かお飲み物を……!」
焦って何かをお世話しようとする翡翠だったが、透亜は音もなく歩み寄ると、彼女のその手を、拒むことなく──
むしろ優しく、しかし逃がさないように上からガシッと掴んだ。
「あ、透、透亜様……?」
驚いて見上げる翡翠の手を引いたまま、透亜は彼女をチェス盤のすぐ隣の椅子へと、流れるような動作でストンと座らせる。
「今日はお世話しなくていい。
……お前も、楽しんでおけと言ったろう」
そう言って、透亜は翡翠のすぐ隣の席に腰を下ろし、彼女を自分のパーソナルスペースの内側へと完全に囲い込んだ。
「お前は僕の隣にいればいい」と言わんばかりの静かで絶対的な独占欲。
(ひ、ひえぇ…)
自分をすぐ近くに引き留める主君の手の温もりが、翡翠にはどうしようもなく熱かった。
そんな二人を遮るように、背後から
「はいはーい、そこまで!」
と雛子が割り込んできた。
「ちょっと神城!
はじめてのおつかいじゃないんだから!
ほら翡翠ちゃん、荷物置きに部屋に行こ!」
「あ、は、はい! 雛子様!」
雛子に引っ張られ、翡翠は救われたような、でも後ろ髪を引かれるような複雑な赤面のまま、パタパタとリビングを出ていった。
残された透亜は、翡翠の姿が見えなくなった瞬間、一瞬で先ほどの最高の笑顔を消し去り、いつもの冷徹なポーカーフェイス──
いや、冷気すら漂う魔王の顔に戻って、背後に立つ晃に、にっこりと笑いかけて、手を差し出す。
「……ずいぶん、お楽しみだったみたいだな」
「えっ?!何何?!
あっ!カメラ?!?!
っていうか透亜、目が笑ってないよ??」
カメラを後ろに隠しながら晃が引き気味に一歩下がると、透亜の背後から綜一郎が淡々と告げた。
「晃。今のうちに端末のバックアップを取っておくことを勧める。
神城のタップ圧は、お前たちの逃走中、通常の3倍に達していた」
「いや怖すぎでしょ!!」
別荘に夜の笑い声が響く中、透亜は静かに、しかし確実に、翡翠に自分を意識してもらう作戦を脳内で計算していた。
夜。
海を一望できるテラス席で、一ノ瀬家のお世話係たちが総力を挙げた豪華なディナーが振る舞われていた。
地元の新鮮なシーフードや最高級の肉が並び、みんなが楽しく今日一日の思い出を語り合う中、律だけが手元のタブレットをじっと見つめ、妙に歯切れの悪い顔をしていた。
「……? 律、どうしたの?
せっかくのディナーなのに進んでないじゃん!」
雛子に突っ込まれ、律はビクッと肩を揺らす。
それから、隣に座る透亜と、その斜め向かいで幸せそうに食事をしている翡翠の姿を交互に見つめ、あからさまに言いづらそうに視線を彷徨わせた。
「いや、その……ちょっと、本家のネットの裏動向を調べてたら、気になるログを引っ掛けちゃってさ……。
…でも、これは今言うことじゃないっていうか、何ていうか……」
チラチラと、翡翠と透亜を気にしながら、濁すように呟く律。
その様子に、透亜は、不思議そうに促した。
「? 何だ、ハッキリしないな。
どうせ後からわかる事なら、今言えばいい」
まさか、それが自分にとって最大の地雷情報だとは、この時の透亜は秒も計算していなかった。
律はごくりと唾を飲み込み、覚悟を決めて口を開く。
「……神城の本家が、裏で本格的に動き出してる。
──透亜の、正式な『婚約者』の選定に入ったみたいだ。
もういくつか有力な家柄の候補が絞られてるって、役員クラスが使ってる極秘のホットラインから漏れてる」
ピキッ、と。
全員の空気が、一瞬で凍りついた。
「…………」
律が心配していた翡翠は、驚く素ぶりも見せず、少しだけ視線を落とした。
神城の、跡取りとなるかもしれない方なんだから、いずれ家格の釣り合う令嬢と政略結婚をするのは当然のこと──。
透亜の影として生きてきた翡翠にとって、それは10歳のあの頃から「至極真っ当な常識」として脳内ロジックに組み込まれていることだった。
(当然の、ことです。透亜様は神城の……)
そう自分に言い聞かせ、頭では100%納得している。
──それなのに。
なぜか、胸の奥がほんの少しだけ、チクリと収まりの悪い痛み方をした。
昼間、海の中で自分を軽々と持ち上げてくれたあの男らしい腕の感触や、別荘に帰ってきた瞬間に向けられた、あの信じられないほど甘い最高の笑顔が、なぜだか急に頭の裏にチラついて離れなくなる。
(……???
……今日が楽しすぎて、私変になってますね)
自分の胸に生じた小さな不協和音の正体に気づかず、翡翠はただ、困惑を隠すように静かに睫毛を伏せるだけだった。
一方、その僅かな翡翠の「視線を落とした」様子を、神城透亜の天才的な観察眼が見逃すはずがなかった。
いつもなら数手先まで完璧に読む男が、翡翠にこれを聞かせることがどれほどの致命傷(誤解)になるか、完全に計算を誤っていたのだ。
(──しまっ、た……!)
余裕の笑みは一瞬で消え失せ、透亜の顔がサッと青ざめる。
翡翠が淡々と受け入れようとしている──つまり、自分への特別な感情を自覚せず、最初から諦めているかのようなその静かな態度が、透亜の胸を猛烈に焦らせた。
そんな最悪の空気を、一ノ瀬家の令嬢が力技でぶち破った。
「──はいはーい!! 湿っぽい話はそこまでよ!!」
雛子がバンッとテーブルを叩いて立ち上がる。
「神城のジジイどものお見合いごっこなんて、この最高な夏休みに1ミリも関係ないわ!
ほらみんな、デザート食べ終わったらテラスの前に集合!
一ノ瀬家特製の花火大会を始めるわよ!!」
「……そうだね!
僕たち、そのために一ノ瀬のプライベート倉庫から『これ』を持ってきたんだから!」
凪が笑顔で指差した先には、お世話係たちが恭しく運んでくる、もはや爆薬のコンテナにしか見えない巨大な打ち上げ花火の筒の山があった。
「ちょっと一ノ瀬さん!? それ、一般人が個人で打ち上げていい光量を超えてない!?」
律が悲鳴をあげる中、バカンスの夜は強制的に花火モードへと突入した。
ヒュウゥゥゥゥ───……、ドンッ!!!
夜空が、一瞬で昼間のような眩い光に支配された。
一ノ瀬家が誇るプライベート打ち上げ花火は、モールの観光客からも見えるのではないかというほどの特大スケールで、次から次へと大輪の光を真夏の夜空に咲かせていく。
パチパチ、と火花が散る特等席で、サクラ色のドレスを光に染めながら、翡翠はぽかんと口を開けて夜空を見上げていた。
先ほどまでの胸のチクリとした痛みも、爆音と圧倒的な美しさにかき消されていく。
「わあ、わあぁー……。
花火、初めてしっかり見ました!」
その輝く瞳を見て、雛子が我が事のように嬉そうに笑った。
「そうなの?じゃあ良かったぁ!!
どう? 最高のサマーメモリィになったでしょ!?」
腰に手を当てて胸を張る雛子に、翡翠は心の底からの、満面の笑みを返した。
「はい!
最高です!」
その笑顔を、少し離れた場所から、透亜はじっと見つめていた。
花火の光に照らされる翡翠の横顔は、言葉を失うほど可憐で、けれどどこか儚い。
(婚約者、だと……? くだらない。僕の隣を歩く人間は、僕が決める。……誰にも口出しさせない)
暗闇の中、透亜は静かに、翡翠の隣に並んだ。
誰よりも熱い独占欲の炎をその瞳に宿しながら。
帰ってきた瞬間の透亜様の破壊力抜群の笑顔、そして後半の「婚約者問題」に対するブチ切れモードの対比を楽しんでいただけたら嬉しいです。ジジイたちの勝手な企てを、透亜様がどう叩き潰すのか……!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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