第三十四章 天才たちの厨房(ディストピア)
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今回は野外炊飯編。お嬢様・御子息たちのポンコツ調理(?)と、裏社会組の圧倒的チート無双、そしてラストの透亜の「脳内バグ」をお楽しみください!
白い霧が嘘のように晴れ渡り、木漏れ日が燦々と降り注ぐロッジの野外炊飯場。
神城の本家が送り込んだ処分部隊が、一人も死ぬことなく完璧に無力化されて転がっているなどとは、一般生徒の誰も──九条麗華や一ノ瀬雛子すらも知る由はなかった。
「翡翠ちゃん!! よかったぁぁ!!」
姿を消していた翡翠が戻ってくるなり、雛子が真っ先に猛ダッシュで駆け寄ってきて、その身体をぎゅっと抱きしめた。
「もう、急に班を離れるから心配したんだからね!?
またなんか危ない事してるのかと思った!」
「……すみません、雛子様。
ちょっと、迷ってしまいまして」
さっきまでの仕事モードを一切感じさせない様、身体を少し硬くして気を配りながら返事を返す翡翠。
そんな彼女の斜め後ろから、同じく何食わぬ顔で歩み出てきた晋の前に、両手を腰に当てた麗華が堂々と立ち塞がった。
「あっ! ちょっと晋! どこに行っていたのです!?」
「申し訳ありません、麗華様」
晋は優雅に一礼し、完璧な従者としての物腰柔らかな敬語で微笑む。
「霧がひどかったもので、周囲の安全を確認しておりました。
そうしましたら、霧の向こうで迷子になっている、とても可愛い子猫ちゃんたちを見つけまして。
少々『おうちに帰るようにお説教』をいたしていたのです。
あぁ、それと、身体がひどく強張っているようでしたので、親切心から『優しくストレッチ』をお手伝いして差し上げたら、皆さん満足そうに眠ってしまいましたよ」
「まあ…! 晋は本当に動物に優しいのね!」
「んなわけあるかーーーい!!」
麗華がピュアに感動した直後、雛子の鋭いツッコミが鼓膜を震わせた。
「どーんなお説教とストレッチしたら霧の向こうで猫が大人しく寝るってのよ! 絶対に怪しい!
翡翠ちゃん、こいつに何か変なことされなかった!?」
「いえ……本当に…ストレッチ?してたような(色んな意味で)」
翡翠は目を逸らしながら、(晋、また面白がってるな…)と、呆れるやら関心するやら複雑な気持ちだった。
「──さて。全員揃ったところで、調理を始めようか」
背後から、何事もなかったかのように完璧な優等生の微笑みを湛えた透亜が声をかける。
その瞳には、すでに一馬を社会的破滅に追い込んだ「怪物の脳」の片鱗すら見当たらない。
だが、ここからが本当のディストピアの始まりだった。
集まったメンバーは、透亜を筆頭に全員が「いいところの御子息、お嬢様」。
幼少期から最高級の教育を受け、舌だけは肥えているものの、生身の食材を自分で調理した経験など、天と地がひっくり返っても存在しない。
「フッ、火起こしか。この俺の、燃え盛る情熱の炎で──(ケホッ、ゲホォッ!!)」
メディア王の次男・羽鳥晃が、自信満々に炭に息を吹きかけた瞬間、大量の煙をモロに吸い込んで大咳き込みを始めた。
「落ち着け、晃! 炭の配置が風水学的に悪いとみた! 俺がこの団扇で──!」
「ごほっ!余計に煙が回るだろうが、綜一郎!!」
規律を重んじる絶対の盾・橘綜一郎が、良かれと思って全力で団扇を扇いだせいで、炊飯場は一瞬にして火事場のような煙に包まれる。
「えっと、お水の量はこれくらい……?」
「凪、僕のデータによると、最適解は2.15リットルです。君の手元は今、0.5ミリリットルオーバーしています。やり直し」
「ええ〜! 細かい!細かいよ律くん! カレーなんだからちょっとくらい多くてもいいじゃん!」
特別推薦枠の千歳凪が不満げに頬を膨らませるが、御子柴律は冷徹なシステム管理者の目でノートPCの画面を見つめたまま一歩も引かない。
「僕の計算によると、薪の水分量と現在の気圧、熱伝導率を考慮すれば、着火の確率は──」
透亜までもが真顔で、何やら恐ろしく高度な物理方程式を呟きながら、全く火のつかない薪の山を見つめている。
「……ハァ」
見かねた翡翠と晋が、同時に深い、深い溜息を吐いた。
裏社会のトップエリートとして育てられた二人にとって、ナイフの扱いや肉の解体、食事の準備など、呼吸をするよりも容易い技術だ。
「貸してください」
翡翠が、誰も手をつけられずにいたジャガイモと人参を空中に放り投げる。
次の瞬間、手元が全く見えないほどの超高速の刃の閃き──調理用の包丁とは思えない、一瞬の居合い(一閃)が空間を裂いた。
食材がまな板に着地した時には、皮は完璧に剥かれ、ミリ単位で美しいサイコロ状に切り揃えられていた。
「待って!? 翡翠ちゃんの包丁さばき、なんかバトル漫画みたいになってるんだけど!?」
雛子が目を丸くする中、今度は晋がクスクスと喉を鳴らしながら、笑顔のまま巨大な肉の塊の前に立った。
「肉の『筋』や『関節』を見極めるのは昔から得意でして」
一切の抵抗を感じさせない滑らかな手付きで、骨と肉がスパスパと解体されていく。
その技術は、完全にプロ──いや、プロの『暗殺者』のそれだった。
「お、おい……今の技、我が一族に伝わる隠密剣術の呼吸に酷似して……」
綜一郎が冷や汗を流し、凪が「……あれは食材を調理する手つきじゃないね」と引きつった笑いを浮かべる。
そんな天才たちの異常な調理無双を経て、完成したのは極上のカレーだった。
最高級の食材(と異常な技術)で作られたそれを、舌の肥えた面々は一口食べた瞬間、大絶賛の声に包まれる。
「まあ! 隠し味にほんのりとした甘みとコクが効いていて、大変素晴らしいですわ!」
麗華が優雅にスプーンを運び、晃や凪も「美味いな……」「やるじゃん翡翠ちゃん!」と舌鼓を打つ。
翡翠は、自分の皿にこっそりチャツネや甘口ソースを足して満足げに咀嚼していた。
「翡翠、目立つなとあれほど……おいしいが」
そんな翡翠にややジト目で透亜が話しかける。
「うっ!でも、あのまま出来上がったものを透亜様に食べさせるわけにはいかなかったんですよぅ…!」
「……また作ってよ」
「は、はい!もちろん!」
そんな和やかな雰囲気の中、この男だけは、やはり狂っていた。
「ん〜、ちょっと味が薄いなぁ」
そう言って晋が取り出したのは、どこから持ち込んだのか、見るだけで目がチカチカするような激辛デスソースとマイハバネロパウダー。
それを、自分の皿が「真っ赤な地獄のマグマ」に変貌するまで、これでもかと大量に投入し始めた。
「ゔっ?!なんだこの匂い?!」
「ギャーッ!? 何それ呪いの儀式!? 頼むからそれ以上こっちに異臭を飛ばさないでよお!?」
「え? 美味しいですよ? 麗華様も一口いかがですか?」
「晋の味覚についていける人間はいませんわ…」
「えー?!いつもなのお?!!」
「九条家の専属シェフも匙を投げましたもの…」
そんな賑やかな喧騒の中。
ぴたっと翡翠は自分のスプーンを握りしめたまま、食べるのをやめた。
そしてどこか言いづらそうに、不承不承ながらも声を落とす。
「あの……透亜様。実は、先ほどの霧の中での件なのですが……。晋に、その、手伝いの『お礼』を要求されまして……」
「ほう、あいつが?」
透亜は優等生スマイルを崩さないまま、声を潜めて応じる。
「金か? それとも本家の情報か?」
「……その、今度一日、私を自分に貸せと、そう宣いました。
当然、私は主の許可なしに勝手な真似はできないと断りましたが……」
カラン……。
静かな金属音が響いた。
透亜の動きが、完全に停止する。
手に持っていたスプーンが、虚しくスープの中に落ちて小さな波紋を作っていた。
その形の良い美しい瞳の奥で。
脳内計算速度ミリ秒を誇る全思考回路が一瞬にして、文字通りの【強制シャットダウン(フリーズ)】を引き起こしていた。
「一日……貸す……? 所有権の時限的譲渡における、相手側の不当利得返還義務、および僕の精神的損失の相殺に必要なリソースは──あいつを神城の地下独房、いや地球の裏側の強制労働鉱山へ一日、いや永久に出向させることでしか算出できない…」
完全に目の光を失ったまま、ぶつぶつと恐ろしい速度で呟き始める透亜。
「(ぽん、と手を叩いて)なるほど、強制労働鉱山ですか……!
さすが透亜様、晋を大人しくさせるための計算に一切の無駄がありませんね!」
その斜め後ろで、晋は心の中で激しくずっこけていた。
(いや、納得すんのかよ!?)
自分の投げた爆弾が、期待以上の120点満点の形で透亜の脳をバグらせた瞬間を、「特等席」で目撃した狂人は──。
(お坊ちゃん完全にフリーズしてるじゃん!このカオス面白すぎる……!!)
両手で口を必死に覆い、肩をガタガタと激しく震わせながら、お嬢様の従者としての理性を総動員して、大爆笑を必死に堪えまくっていた。
お読みいただきありがとうございました!
晋が投げた特大の爆弾により、ミリ秒計算の天才の脳が見事に強制シャットダウンしました(笑)。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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