第三十二章 秘密の森の狐たち 2
今回は、霧深き山での「処刑場」が舞台。
前線で暴れる翡翠&晋の戦闘狂コンビと、後方から冷徹に本家を追い詰める透亜の、それぞれの「蹂躙」をお楽しみください。
白い霧が鬱蒼とした木々を呑み込み、視界を数メートル先にまで狭めていた。
一般生徒たちの喧騒が霧の彼方へと消え、静寂が支配するクローズドサークル。
そこは一瞬にして、神城の本家が送り込んだ漆黒の処分部隊十四名による「処刑場」へと変貌していた。
だが、真の捕食者がどちらであるかは、最初の数秒で証明されることになる。
「──ッ、ガッ……!?」
一人の暗殺者が、声を上げる暇すらなく崩れ落ちた。
正確に相手の首筋を狙って、翡翠の振るう冷徹な一閃が──その急所をわずかに外し、頸動脈を圧迫して一瞬で意識を刈り取る。
ジャージの袖から滑り出た刃は、一切の無駄な軌道を描くことなく、霧の中に衣服と皮膚を浅く切り裂く戦慄の軌跡だけを残し、確実に敵の戦闘能力だけを奪っていく。
「相変わらず速いね、翡翠。」
背後から聞こえる、緊張感の欠片もない穏やかな声。
次の瞬間、晋が音もなく大樹の影から滑り込んだ。
襲い来る別の暗殺者の刺突を、彼は踊るようなステップで紙一重でかわす。
「おっと、危ないなぁ」
晋はクスクスと喉を鳴らしながら、すれ違いざまに敵の右腕の腱を容赦なく切り裂いた。
それだけにとどまらず、体勢を崩した敵の膝の皿を、笑顔のまま正確に踏み砕く。
「あがっ……、あ、」
「静かにして。せっかくの素晴らしい舞台なんだから、雑音はナシだよ?」
地面に這いつくばる敵の顔面を、晋は心底楽しそうに、そして慈悲のない力で踏みにじった。
瞳の奥には、退屈な日常から解放された、歪んだ悦びの炎が妖しく揺らめいている。
「殺っちゃっていいの?」
その残酷極まりない戦い振りを一瞥し、翡翠は内心で深く舌を巻いていた。
(……とっても癪だけど、晋との連携は、信じられないほど動きやすい……!)
悔しいが、身体が勝手に理解してしまう。
互いに言葉を交わさずとも、踏み込む歩幅、刃の軌道、そして自分が生み出した僅かな死角を、背後の男が「秒単位」で完璧にカバーしてくる。
かつて同じ場所で、同じ地獄の訓練を生き抜いた兄弟弟子。
その呪われた絆だけが、この異常なまでの戦闘効率を叩き出していた。
「……『殺せ』との命は受けていない。
遊びすぎないでよ、晋」
「はいはい。ほら、次がきたよ。
右から三、奥に二──じゃあ、奥の奴らは俺のオモチャね」
晋が楽しげに跳躍し、霧の奥へと消えていく。
直後、暗殺者たちの絶望に満ちた悲鳴と、肉が裂ける鈍い音が響き渡った。
翡翠は小さく息を吐き、主君から授かった「温もり」をもう一度だけ思い出すように胸の内で念じた。
(すぐに、すべて終わらせます)
大きな少し切長のその瞳が、再び完全なる野生の輝きを帯び、次の標的へと向けられた。
同じ頃。霧の壁に阻まれた山道では、一ノ瀬雛子がスマートフォンの画面を見つめて頬を膨らませていた。
「えーっ、マジで圏外じゃん! 電波死んでるんだけどー!」
「急に霧が濃くなりましたわね……。皆様、わたくしの側を離れてはなりませんわよ!」
麗華が声を張り上げる中、その班の先頭に立つ神城透亜は、完璧な優等生の微笑みを崩さないまま、周囲を安心させるように落ち着いた声を発した。
「大丈夫だよ、麗華さん、一ノ瀬さん。山の天気は変わりやすいからね。
僕の予想通りなら、このまま開けたルートを進めば安全にロッジの誘導路に出られるはずだ。」
「まあ! さすが透亜様ですわ!」
麗華たちを優雅にエスコートしながら、透亜は制服のポケットの中で、片手だけでスマートデバイスの画面をブラインドタッチしていた。その時、
「ねえ、ねえ、神城。翡翠ちゃん、いないんだけど大丈夫?」
一ノ瀬雛子がいつのまにか目の前にいて、こそっと小声で透亜に話しかける。
「また、危ない事してんの?あの子…」
本当に心配そうにまゆを顰める雛子をみて、透亜はふっと表情をやわらげる。
「大丈夫だ。そのうち戻ってくる。」
透亜も同じ様に小声で、穏やかに返した。
「…そう?わかった」
透亜の顔を見て少し安心したのか、雛子はみんなのところへ小走りで戻って行く。
(一ノ瀬は本気で翡翠を心配している…。友達ができて良かったな、翡翠。
…さて、こちらも始めるか)
さっと、そのかたちの良い瞳から、一切の光が消えた。
紳士的な優等生から、冷徹極まる「神城の怪物の脳」に完全にスイッチさせた。
(律、凪。──作戦を実行しろ)
【了解。山岳エリア全体の電波ジャミング、および本家専用回線の強制遮断、完了。
本家部隊は現在、完全に外部との通信を絶たれた『孤立無援の盲目』状態です】
耳元の超小型インカムから、御子柴律の淡々とした声が響く。
透亜が事前に構築していた作戦──それは、本家が翡翠を孤立させようとしたそのエリア自体を、こちら側が本家を袋のネズミにする「処刑場」へ上書きすることだった。
さらに、透亜のデバイスの画面には、二重スパイである千歳凪を経由して、本家当主・一馬の個人資産、および他家との違法な裏取引のルートが網羅された暗号データが展開されていた。
(一馬兄さん。
あなたがこれ以上、あの山に増援を送るというのなら……このボタン一つで、あなたの足元を文字通りすべて社会的に消し飛ばしてあげるよ)
いつでも一馬をチェックメイトできるデッドマンズ・スイッチ(報復システム)は、すでに完全に充填されている。
(……晋という最悪のイレギュラーのせいで、僕が直接、翡翠の盾になる作戦は却下せざるを得なくなったが……)
透亜は一瞬だけ、自分の手の甲に視線を落とした。
思い出すのは、出発直前に翡翠に両手でぎゅっと握りしめられた、あの熱い感触。
鉄壁のポーカーフェイスの裏で、またしても心臓がうるさく自己主張を始めそうになり、透亜は奥歯を噛み締めてそれをねじ伏せる。
(……僕の盤面からは、敵の一人たりとも逃がさない。
翡翠に牙を剥いた対価は、本家ごと社会的に圧殺して払わせる。
──絶対に、五体満足で戻ってこい、翡翠)
完璧な優等生の微笑みを貼り付けたまま、透亜は霧の奥、愛しい護衛が戦う戦場へと、冷酷な眼差しを向けた。
前線での肉体的な蹂躙、そして後方での社会的な蹂躙。
神城の本家はまだ気づいていない。彼らが手を出したのは、裏社会最強の牙と、表社会をも統べる最悪の天才が溺愛する、「唯一の逆鱗」であったということにー
晋との歪んだ絆による超連携、そして裏で本家の退路を社会的に断ち切る透亜の溺愛っぷり……。敵に回してはいけない二人を敵に回してしまった本家の運命は如何に。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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